表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1402/3726

第千四百一話 ヴァルター攻防

 ヴァルターは、アバード北西の都市だ。

 マルディアの国境にほど近いこの都市が戦火に曝される可能性が高いことについては、ガンディア解放軍がヴァルターを経由したときからいわれていたことではあった。マルディアがジゼルコートに与し、また、マルディア国内にジベル軍、ベレル軍が残っていることから、それらが大挙して押し寄せてくる可能性は大いにあったのだ。そして、それらに対抗するには、現状のアバード軍では心許ない上、タウラルを解放することが先決だった。

 シーラたちはザイード=ヘインら反乱軍を撃破し、タウラルを解放すると、すぐさま王都バンドールに向かった。ヴァルターではなくバンドールに向かったのは、バンドールからならばヴァルターは近い上、南の都市シーゼルにも近いからだ。シーゼルが攻撃される可能性も、ないとは言い切れなかった。敵はジゼルコートなのだ。ガンディア解放軍、引いてはレオンガンドの足を引っ張るためならばどのような手を使ってきたとしてもなんら不思議ではなかったし、そのために備える必要があった。

 アバードの軍事力というのは、昨今、低下の一方を辿っている。それもこれも内乱に次ぐ内乱のせいであり、その原因の一端を担ったシーラは、アバードの戦力不足を知るに連れ、申し訳なく思うとともに、自分の愚かさを改めて理解するのだ。

 内乱が起きなければ、アバードの軍事力は現在のザルワーン方面軍に匹敵するほどのものはあっただろうし、それだけあればマルディア、ジベル、ベレルの軍勢など、恐ろしくもなんともなかったはずだ。しかし、現実はそうではない。シーラ派の暴走、シーラの潜入に端を発する動乱によって、アバード軍はその戦力の多くを失ってしまった。

 失った戦力を取り戻すのは簡単なことではない。

 徴兵によって各地から兵を募ったところで、すぐさま戦力として使えるわけではないのだ。訓練が必要であり、練兵のためには時間が必要だった。アバード軍はいま、まさに再建の最中にあるのだ。

 そういう理由もあって、アバード領土を狙う敵勢力に対しては、シーラ率いる解放軍で当たる必要があった。セツナ軍黒獣隊に星弓兵団、そして弓聖サラン=キルクレイドがシーラ軍の戦力のすべてだ。それにアバード軍が戦力を提供してくれているのだが、シーラ個人としてはアバード軍には頼ってはいけないという考えがあった。これ以上、アバードに負担を強いるわけにはいかないからだ。

 バンドールに待機していたシーラたちの元にヴァルターからの救援要請が届いたのは、四月二十六日のこと。マルディア領内から接近中の軍勢が確認されたということであり、報せを受け、シーラたちはただちにヴァルターへと出発した。

 その際、シーラは、アバード国王セイル・レイ=アバードに勝利を誓った。

 二十八日黎明、ヴァルターを視界に入れたシーラたちは、軍勢がヴァルターに押し寄せる様を目撃、全速力で軍を進め、ジベル軍の横腹を突いた。ヴァルターを攻撃していた軍勢は、つい先日までマルディア救援軍として行動をともにしていた黒き角戦闘団だけだった。マルディア軍の影も形もなければ、ベレルの軍勢さえ見当たらなかった。ジベル軍だけがマルディアを抜け出し、アバードにちょっかいをだしてきたのだ。

 ジベルにとってアバードは遠い地だ。しかしながら、ジゼルコートの勝利を信じているのであろうジベルにしてみれば、ここでアバードに攻撃し、レオンガンド軍の戦力を少しでも引き止めておくことは意味があることなのだろう。

 もちろん、ジベル軍がそこまで考えているかどうかはわからないし、実際のところ、どうやら違うようではあったが。

 ジベル軍黒き角戦闘団の兵数はおよそ二千。対して、シーラ軍の兵数も千五百ほどであり、兵力の上ではわずかに劣っている。だが、この程度で怖気づくシーラたちなどではない。

 シーラは横撃の勢いそのままに敵陣中央を貫くように突き進みながら、自慢のハートオブビーストを振り回し、敵兵を血祭りにあげた。

「てめえら、他所様の土地で好き勝手暴れてんじゃねえ!」

「隊長がいえたことなんですかねえ!」

 クロナ=スウェンが、鳥の嘴のような穂先が特徴的な長柄の槍を振り抜き、ジベル兵を吹き飛ばす。ザイード=ヘインから取り返したソウルオブバードは、クロナが使うことになったのだ。それからというもの、彼女はソウルオブバードの習熟に時間を割き、いまでは普通に戦う分には十分使えるくらいにはなっていた。もともと屈強な戦士だ。召喚武装の力に振り回されることなどありえない。

「いえるでしょ!」

「いえるわね」

「そうですね」

 ミーシャ=カーレル、アンナ=ミード、リザ=ミードがつぎつぎに同意する中で、シーラは、サランの剛弓が唸るのを聞いた。一本の矢が複数の敵兵を貫き、絶命させたのだが、さすがは弓聖というほかない。いくら剛弓が強力でも、何人もの人間を貫くなど簡単なことではない。召喚武装ならば不可能ではないだろうが、剛弓ベイロンは、召喚武装などではないのだ。

「なんだい、あんたたち。つれないねえ」

「つれないもなにもないですよ。シーラ様なんですから」

「そういうもんかねえ」

 クロナがウェリスの言葉に苦笑を浮かべた。ウェリス=クイードは元来、戦闘要員ではないのだが、今回は、最前線に連れて来ていた。彼女にも役割がある。

「ところでウェリス、本当に大丈夫なのかい?」

「大丈夫です。いまこそ、シーラ様のお役に立って見せます」

 ウェリスはそう言い放つと、手にしていた長杖の先端で地面を叩いた。シーラは彼女の周囲に気を配りながら、自身の周りの敵兵を撃破しつつ、矢を避け、敵武装召喚師の所在を確認するべく意識を巡らせた。ウェリスの前方の地面が大きく隆起したかと思うと、土砂が落ち、砂埃の中から人型の石像が出現する。

 ストーンクイーン。

 マルディア・レコンドールで敵武装召喚師が用いていた召喚武装であり、戦後、レムからセツナの手に渡ったそれは、今後の戦力強化を考え、使い手が選ばれることになったのだが、ウェリスがみずから率先して使い手に立候補し、熟考の末、彼女に与えられた。ウェリスは戦士ではない。シーラの元侍女団の中で唯一と言っていいほど戦いに精通しておらず、戦場においてはまったく頼りにならなかった。それが問題になることもない。ウェリスの役割は、シーラを女性らしく育て上げることであり、戦いに関しては素人のままでよかったのだ。

 だが、それではウェリス自身が納得できなかったらしい。

 戦いが激化するに連れ、自分の居場所を失っていく感覚に囚われた彼女は、シーラの知らぬところで鍛錬を始めていたらしく、いつのまにかある程度動けるようになっていた。それでも一人前の戦士とはいいようないほどのものだったが、彼女の努力は召喚武装を手にしたことで実を結んだようだった。召喚武装は、素人が簡単に扱えるようなものではない。鍛え上げられた肉体と精神力によって制御されて初めて力を発揮するものだ、しかしながら、ストーンクイーンを任されてからというもの、ウェリスはストーンクイーンを一日でも早く使いこなせられるようにと修練を重ねており、現在、クロナよりも召喚武装の扱いに長けているといっていいほどだった。

 ストーンクイーンによって生み出された石像は、身長体積ともにウェリスの二倍以上はあり、そんなものが突如として出現したことにジベル軍は大いに驚いていた。そして、驚嘆する敵兵のひとりはつぎの瞬間、石巨人が無慈悲にも振り下ろした拳によって叩き潰され、肉塊となって果てた。飛び散る血や体液が石巨人の表面に付着する。

「うまくいきました!」

 ウェリスは、こちらを見て、ストーンクイーンを掲げてきた。召喚武装を使いこなすことができて、よほど嬉しかったのだろう。これで、彼女は戦場においてもシーラの役に立てるのだ。ウェリスの気持ちは痛いほどわかったし、彼女がそれほどまでにシーラの役に立ちたいと想っているということが伝わってきて、少しばかり気恥ずかしい気持ちになったりした。

「いいなー! 召喚武装うらやましい!」

「わたしには剣がある」

「本当は羨ましいくせに!」

「じょ、冗談じゃない!」

「強がっちゃってー!」

「わたしも欲しい……かな?」

 ミーシャたちがウェリスの活躍に羨望の眼差しを向ける中、ウェリスの石巨人がその巨体でもって敵兵を蹴散らしながらシーラの先を進んでいく。ジベル兵も黙ってみているわけではなく、つぎつぎと攻撃を叩き込んでは石巨人の進撃を食い止めようとするのだが、石巨人は石で出来ているだけあって頑丈であり、生半可な攻撃は通用しなかった。矢も剣も石巨人の表面を僅かに削りとるだけであり、斧や棍棒による打撃のほうが石巨人には効果的なようだった。しかし、石巨人は多少体を削り取られたところで動きを止めない。痛覚などないのだ。石巨人の進撃を止めるには、完全に破壊するしかなく、完全に破壊するには通常兵器では難しいだろう。

 石巨人に先頭を譲ったシーラは、ハートオブビーストを旋回させ、周囲の敵兵を薙ぎ払った。召喚武装は、ただそれだけで強力な武器だ。能力を駆使せずとも、補助を得られるという時点で通常武器を用いるよりも利点がある。ただし、通常武器と同じように扱うだけでも簡単なことではなく、クロナですらソウルオブバードの扱いに慣れきってはいなかった。

 それでも、クロナ、ウェリスが召喚武装の使い手となったことで、黒獣隊の戦力は圧倒的に増加したといっていいだろう。

 ミーシャたちが羨んだが、たとえば黒獣隊幹部全員が召喚武装の使い手となれば、黒獣隊の戦力は大幅に増強されるのは間違いない。たとえ使いこなせずとも、たとえその能力が戦闘向きでなかったとしても、だ。全員が全員、召喚武装の使い手となれば、黒獣隊はガンディアでも最強の戦闘部隊になりうる。もちろん、そんなことは夢のまた夢だ。

 召喚武装は武装召喚術によって呼び出す以外にはなく、武装召喚師も、普通、常時召喚できるものではない。シーラのハートオブビーストも、セレネ=シドールが存命の頃は、度々送還されてはセレネの精神力が回復するのを待ったものだ。ガンディアに所属する武装召喚師に黒獣隊幹部のために召喚武装の提供を願い出る、というわけにはいかないのだ。それができるのであれば、別の部隊で実施されているだろうし、召喚武装部隊が設立されているに違いなかった。そして黒獣隊はガンディア軍の所属ではない。ガンディアの領伯セツナ=カミヤ配下の近衛部隊であり、仮に召喚武装が武器として提供されることになったとしても、ガンディア軍が黒獣隊を優先する道理はなかった。クロナのソウルオブバードやウェリスのストーンクイーンのように、敵武装召喚師を撃破し、戦利品として手に入れる以外にはないのだ。もちろん、その場合でも、上の許可が必要なのはいうまでもない。ウェリスがストーンクイーンの使い手になれたのは、ストーンクイーンを入手したのがレムであり、レムがセツナに献上したからにほかならない。その上で、ストーンクイーンがセツナの所有物となったから、セツナが使用者の選定を行うことができたのだ。

(ジベル軍にもいたよな……武装召喚師)

 シーラは、ふと思い立って石巨人の肩に飛び乗ると、周囲を見回した。ヴァルターの西門付近に広がるのは敵兵の海だ。二千余りの敵兵がヴァルター目掛けて進軍している最中に突貫したのがシーラたちなのだ。黒獣隊の突破力によって敵陣深くまで切り込むことに成功したものの、逆をいえば、みずから敵に包囲されにいったようなものであり、後続がなければいくらシーラたちでも危険ではあった。もちろん、サランたち星弓兵団がシーラたちを見捨てるわけもなく、制圧射撃をしながら追従する彼らのおかげで、シーラたちの周囲には大きな空間が生まれている。

 マルディア救援軍にジベルが参加させたのは、ジベル軍四大戦闘団の一角をなす黒き角戦闘団であり、ヴァルターを襲撃したのもその黒き角戦闘団だ。総勢二千名の軍勢であり、軍団長はジュレイ=ヘイドリッド。武装召喚師が二名ほど随伴していたはずだ。

 その二名の武装召喚師もこの軍勢の中にいるに違いなく、シーラは、石巨人の肩の上から戦場を見回しながら、索敵した。

 そして、閃光を見た。

 光の奔流が視界を灼いたつぎの瞬間、凄まじい破壊音が耳朶に響いた。圧力によって石巨人の肩から転がり落ちたシーラだったが、地面に激突することなく着地に成功し、頭上を仰ぐ。なにが起きたのかを悟ったのは、その瞬間だった。

「無事ですか? 隊長殿」

 頭上から問うてきたのは、クロナだった。背中から生えた大きな翼がでたらめに破壊されているのがわかる。彼女が光の奔流を翼で受け止め、シーラを護ってくれたのだろう。クロナは、破壊された翼をそのままに石巨人の肩に着地すると、無事な方の翼を前面に展開した。閃光がクロナの翼に直撃する。爆発が起き、破壊音と衝撃波が散乱した。

「クロナ!」

「この程度なら、なんてことないんですよ」

 爆煙の中からクロナの声が聞こえてくると、煙が霧散し、彼女の無事な姿が明らかになった。翼はぼろぼろで、もはや使い物になりそうもなかったが、彼女は気にもしていなかった。翼は、ソウルオブバードの能力だろう。ソウルオブバードは、その名の通り、鳥類の力を与えてくれるらしい。

 クロナは、ソウルオブバードを頭上で旋回させ、構え直した。翼がばらばらに崩れ去ったかと思うと、新たな翼が出現する。鉛色の翼はどことなく硬質に思えた。そこへさらに光線が殺到するが、今度はクロナの翼が破壊されることはなかった。翼の表面が焼け焦げただけのように見える。

 シーラは、クロナがソウルオブバードを使いこなしているように思えて、素直に驚いた。ソウルオブバードを手に入れてからまだそれほど日数は経過していないというのに、ここまで使いこなせるものだろうか。才能があるのかもしれない。少なくとも、シーラよりは余程、召喚武装の扱いが巧みだ。

 シーラは、ハートオブビーストを使いこなせるようになるまで長い年月を必要とした。セレネから献上されたころは十代半ばであり、体も出来上がってなかったというのも大きいのだろうが。それにしても、クロナは使いこなせている。

 シーラがそんなことを思いながら、鉛色の翼を待とうクロナを見ていると、ミーシャが声を上げた。

「姐さん、似合ってないですよ!」

「な、なにが!?」

「翼!」

「なんだって!?」

 クロナが愕然とすると、今度はアンナが追撃する。

「隊長は可愛いのにな」

「どういうこと!?」

「隊長なら似合ってるかも」

 とは、リザ。彼女は的確に敵兵に矢を射ながら、そんなことをいうのだ。

「酷くないかい!?」

「まあまあ、似合うに合わないはひとそれぞれですし……」

「ウェリスまで!?」

 クロナの悲痛な叫び声を聞きつつ、シーラは再び巨人の肩に登った。

「遊んでないで、敵を倒す!」

「わかってるけど! さあ!」

「いいたいことはいろいろあるだろうけど、話は後だ」

 シーラは、クロナが無言のまま翼を展開し、光の攻撃を受け止めてみせるのを見ていた。

 召喚武装とは、異世界の武器や防具の総称だ。武装召喚術によって召喚され、召喚されている間は召喚者が維持費として精神力を支払い続けなければならない。そういう契約の元、召喚は成立している。契約を無視することは、なにものにもできないのだ。唯一、契約を無視する方法があるとすれば、それは召喚された状態で召喚者が死ぬということだ。そうなると召喚武装はこの世界に取り残されたままになり、送還する術はなくなる。維持費としての精神力を支払う義務がなくなるのだ。しかし、そうなると、召喚武装はより多くの精神力を取り込む必要がでるらしく、使用者に多大な負担を強いた。

 少なくとも、ハートオブビーストはそうだった。

 セレネの存命中と落命後では、シーラにかかる負担が大きくなっているのだ。ということは、ソウルオブバードを扱うクロナやストーンクイーンのウェリスへの負担も大きくなっているはずであり、その状態である程度使えるようなっているだけでも十分過ぎるといってもいい。クロナほど扱えるようになったのならば、及第点どころではなかった。

「似合う似合わないはともかく、すげえよ、クロナ」

「なにがですかねえ」

「ソウルオブバード、使いこなせているじゃねえか」

「この程度で使いこなせてるっていっても、いいんです?」

「少なくとも、十数日でここまで扱えるようになったなら十分過ぎるっての」

 シーラは、半ば呆れながら告げると、クロナの前方に視線を向けた。光芒を発射してきた相手を認識する。当然、武装召喚師だろう。大型の弓を構えていた。とても実用的とは思えない奇妙な形状は、召喚武装である可能性を高めている。遥か遠方。通常の弓の射程範囲外。そこからシーラを狙撃してきたのだから、まず間違いなく武装召喚師であり、召喚武装だ。召喚武装の補助がなければ、あそこまで正確には撃ち抜けまい。

「あれか」

「もうひとりは、あっちです」

 クロナがヴァルターの門を指し示す。目を向けると、門が破壊される瞬間を目撃した。門を破壊したのは破城槌ではないらしい。詳細は不明だが、召喚武装なのは疑いようもない。ジベル軍は、シーラたちに対応するよりも、ヴァルターを落とすことに注力を向けていたのだろう。ヴァルターさえ蹂躙すれば、それだけでガンディアには痛手となりうる。アバードはガンディアの属国だからだ。

(嫌がらせ程度だが)

 それでも、シーラには効果的かもしれない。彼女は、他人事のように認識すると、目を細めた。

「なら、あっちは俺がやる。向こうは任せた」

「任されましたよ」

 いうが早いか、クロナが石兵の肩から飛び立った。鉛色の翼から衝撃波のようなものが発生し、彼女の肉体を空中に撃ちだすかのように飛翔させる。あっという間に離れていった彼女を目で追うのも止めて、シーラは足元に目を向けた。石巨人の周囲には黒獣隊と星弓兵団の面々が集い、陣形を構築している。石巨人の巨体はいい目印になった。

「ウェリス、おまえは無理すんなよ」

「はい、シーラ様。戦闘は石兵さんにお任せしますので」

「よし」

 シーラは、ウェリスの微笑みにうなずくと、石兵の肩を蹴って、敵兵の海の中に向かって飛び込んでいった。無数の矢が前面から飛来し、地上からは数多の槍が雨後の竹の子のように伸び上がってくる。ハートオブビーストの横薙ぎで前面の矢を薙ぎ払い、返す刀で槍の穂先を切り飛ばし、着地する。わっと押し寄せてきた敵兵を斧槍で切り裂き、突き殺し、叩き潰す。噴き出す血の数々が、ハートオブビーストの力を呼び覚まさんとする。ハートオブビーストの能力。半獣化。どのような能力が出るかはわからない。が、問題はないと断ずる。力に身を委ねながら、前進する。足を払う槍を飛び越え、繰り出された突きを紙一重でかわす。棍棒の一振りを槍で受け流し、石突を叩き込んで絶命させる。さらに槍を旋回させて周囲の敵兵を切り刻み、血飛沫を上げさせる。変容が起こる。全身に力が漲っていくことしかシーラにはわからない。わからないが、わかる必要もない。ただ漲る力の赴くまま、前進する。前傾姿勢のまま、敵兵の群れの中を突っ切っていくのだ。手当たり次第吹き飛ばしながら、猛進する。獰猛な獣そのものとなって、突き進む。

「も、猛獣だ……!」

「化け物か!?」

「シーラだ、シーラ姫だ、仕留めろ!」

「だ、だめだ、止まらねえ!」

「なんなんだよ、これ!」

 悲鳴が心地良いくらいに散乱する中をただひたすらに突っ走り続け、ヴァルターの門さえも通過する。敵兵は、加速し続けるシーラの足止めにすらならなかった。だれにも止めようがないのだ。シーラ自身にさえ、足を止めることができなかった。ただ力の思うがままに前進し続けてきたのだ。そしてその結果、敵武装召喚師がヴァルター市街への攻撃を開始する前に市内に辿り着くことができたのだ。

 敵武装召喚師は、ジベル兵の騒ぎによってシーラの接近に気づいたのだろう。こちらを視界に捉えるように武器を構えていた。両手の拳から前腕を覆う大型の篭手が、その男の召喚武装らしかった。破壊的な見た目からして攻撃力だけは抜群にありそうだ。城門を破壊するだけのことはある。が、そんなことはどうでもよかった。

「獣姫か!」

 男が叫ぶのを聞いたものの、それさえ、シーラにはどうでもいいことだった。止まらないのだ。立ち止まって、口上を聞いてやることもできなかった。突進し、敵が猛然と繰り出した拳を飛び上がってかわすとともに、空中から振り下ろした槍の切っ先で肩を裂き、着地と同時に背中を斬り裂く。

「馬鹿な……!」

 敵武装召喚師が譫言のように発した言葉を聞き捨て、こちらを振り返るのを待たずに頭蓋を貫く。絶命を確認するまでもなく、周囲の敵兵に攻撃対象を移したシーラは、ヴァルター市内の安全が確認されるまで暴れ続けた。

 そしてヴァルター市内の安全が確保されるころには戦闘の趨勢は決定的となり、ジベル軍は撤退を始めたようだった。

 そのころになってようやくシーラは冷静さを取り戻し、自分が一種の興奮状態に陥っていたのだということを理解した。ハートオブビーストの能力の影響なのだろう。九尾の狐の力に飲まれたときによく似ているが、敵以外を巻き込まなかったところを考えれば、まったく異なるものだ。敵を倒すことだけを考え、そのとおり行動していたのだ。制御が効かないのは問題だが、味方を巻き添えにしないということであれば、使い勝手が悪いというだけで済む。

「シーラ隊長―、無事ですかーですよねー返事しなくてもわかりますからー」

 ミーシャ=カーレルの呑気過ぎる呼び声を聞きながら、シーラはヴァルター市内を見回した。シーラの到着が早かったおかげか、ヴァルター市内が蹂躙されている様子はなかった。敵武装召喚師も、ジベル軍も、ヴァルターの駐屯部隊と戦闘を繰り広げることさえできなかったのだ。その前に、シーラが撃滅してしまった。

「シーラ様だ……」

「シーラ様がヴァルターを護ってくださったのか……」

「おお、シーラ様……」

 ヴァルターの駐屯軍や市民の声が耳に届くが、シーラは、応えなかった。シーラは、ガンディアの人間として、アバードを守ったに過ぎない。シーラ・レーウェ=アバードはすでにいないのだ。ここにいるのはただのシーラであり、セツナ=カミヤの所有物のシーラに過ぎない。彼らの声に応える資格などあろうはずもない。

「シーラ隊長、やっぱり無事だったんですねえ!」

「当たり前だろ」

 シーラが声に目を向けると、ミーシャ、ウェリス、アンナの幹部三名と黒獣隊隊士十数名が歩み寄ってくるところだった。その後に続く石兵の巨躯が人目を引いた。

「クロナは?」

「もち、無事ですよう」

「そうか」

 シーラは安心した。無事ということは、敵武装召喚師に打ち勝ったのだろう。そうとしか考えられない。取り逃がした可能性もあるにはあるが、だとすれば、ジベル軍が撤退するとは考えにくい。武装召喚師がひとりでも生き残っていれば、戦い方次第でいくらでも勝ち筋は見えてくる。

「でもでも、リザが」

「リザがどうかしたのか?」

「弓を手に入れて調子にのってるんですよう」

「弓? 調子に?」

 ミーシャの話はいまいち要領を得ない。

「なんとかいって……って、このひとも武装召喚師だったんですね!」

 ミーシャがシーラの足元に倒れているジベル軍武装召喚師の亡骸を発見して、大声を上げた。その反応によって、彼女がリザに関してなにをいおうとしていたのかを理解する。リザが敵武装召喚師が使用していた弓型の召喚武装を手にしたということなのだろう。そのことがミーシャには不満だったのだ。

「あ、ああ」

「これ、これって、わたしに使えって神様の思し召しですよね!」

「あ?」

「鉄甲拳じゃないですか、まさに!」

 ミーシャは、武装召喚師の亡骸から召喚武装と思しき大型の手甲を取り外しながら、歓声を上げる。その後ろでアンナがやれやれと頭を振り、ウェリスが困ったような笑顔を浮かべている。

「ちょっと違う気がするが……」

「んっふっふっ……これで黒獣隊幹部の中で召喚武装を手にしていないのはアンナだけになったのだ」

 両手に手甲を握りしめたミーシャは、勝ち誇ったような表情でアンナを見遣った。

「わたしは別にだな」

「まあ、そのうち手に入るって」

「だ、だから、わたしには剣があるといっているだろ!」

 アンナが腰に帯びた剣に触れながら言い返すが、ミーシャは聞く耳を持たない。

「んふふー、強がっても無駄だよん、リザを羨ましがっているのを見たのだ!」

「羨ましがってなどいない!」

「いたー!」

「いない!」

 言い合い、あまつさえ喧嘩腰になっているふたりを横目に見ながら、シーラは軽い頭痛を覚えた。

「ったく、呑気なもんだな」

「よいではありませんか」

 ふと、飛び込んできた声に目を向けると、サラン=キルクレイドが星弓兵団ともどもにヴァルターに入ってくるのが見えた。負傷者も出ているし、死者も少なからずいる。黒獣隊の隊士の中にも、死者はいた。敵陣のまっただ中に突っ込んだのだ。死傷者が出るほどの激戦になるのは、だれの目にも明らかだった。かといって、策を弄して戦おうとしていれば、ヴァルターはジベル軍よって蹂躙されていたことは間違いない。

 自軍の犠牲を減らして防衛対象を犠牲にするか、防衛対象を優先するために自軍に犠牲を強いるか。ふたつにひとつ。どちらも優先することなどできるわけもない。

「じいさん」

「我々は勝ったのです。勝った時くらい、呑気で陽気に参りませんと。戦いはまだ続くでしょう」

「……だろうな」

 ジベル軍は撤退した。が、壊滅したから撤退したわけではない。戦力の四分の一ほどを失い、武装召喚師を失ったから、撤退命令が下されたのだろう。一旦戦力を立て直し、再び攻め込んでくる可能性は十二分にあった。マルディアやイシカといったジゼルコートの同調者がジベルに力を貸すことだって考えられるのだ。

 ヴァルターを巡る戦いは今日で終わりとはいえないだろう。

 しかも城門はもはや機能しない。防衛は困難になる。とはいえ、ジベル軍の武装召喚師は二名とも倒しており、ジベル軍の戦力は激減していることを考えれば、むしろ有利だ。

(敵が戦力を補充したりはしない限りは、な)

「じいさんも、星弓兵団の皆も、よくやってくれた。今日はゆっくり休んでくれ」

「お言葉に甘えて、休ませていただくとしましょう。老体には堪えましたからな」

 サランは冗談めかしくいうと、茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせた。そんなサランがシーラは大好きだったし、だから、彼とともに戦うことができるのは嬉しかった。

 イルダ=オリオンら星弓兵団の団員たちが続々とヴァルター市内に入っていくのを見届けていると、アンナとの口喧嘩を終えたミーシャがシーラに歩み寄ってきて、思い出したようにいってきた。

「それにしてもシーラ隊長、今回は猛牛姫ですね」

「猛牛?」

 疑問符を浮かべると、彼女は自分の側頭部に両手で触れ。前に向かってなにかを伸ばすような仕草をした。

「牛の角が生えてますよ」

「角……」

 そこではじめて、シーラは自分の頭が妙に重くなっていることに気がついた。それから、空いている方の手を側頭部に伸ばす。指先が硬質ななにかに触れ、それがミーシャの仕草のように前方に向かって伸びていることがわかる。角、なのだろう。

 ハートオブビーストの能力である半獣化は、使用者の肉体に獣の特徴を付与するというものだ。兎の耳であったり、猫の目であったり、狐の尾であったり、現れる特徴は様々であり、特徴によって様々な効果があり、聴覚が強化されるラビットイヤー、視覚が強化されるキャッツアイ、尾を変化させるナインテイルなどがある。しかし、角が出現するのはこれがはじめてだった。それも猛牛の角らしい。制御が効かなかったのはそのせいなのだろうか。

「名づけて、バッファローホーン!」

 両手の人差し指を伸ばし、さらに腕を前方に突き出すことでで牛の角を表現してみせたミーシャに対し、アンナはなんともいえない顔をした。

「勝手に名づけるな」

「いいじゃん!」

「いいけどさ」

「いいのかよ!」

「はあ……」

「のり悪いな!」

「ついていけないわ……」

「……本当にな」

 シーラは、アンナの言葉に心底同意するとともに、戦闘後の疲労などどこ吹く風のミーシャの様子に感心するばかりだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ