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第千三百九十九話 ただ、先へ


「なーんか、あっさり勝ってしまったわね」

 ウルが面白くもなさそうに囁いたのは、バルサー要塞を奪還した夜のことだった。

 バルサー要塞奪還戦は、ガンディア解放軍の圧倒的勝利で終わった。

 ルシオン軍側の死傷者は三千近くに及んだが、解放軍側の死傷者はその半分にも満たなかった。それでも千人以上の死者が出ており、重軽傷者も数えきれないほどにいた。軍医や衛生兵は休む暇もなく走り回っており、暇を持て余しているのは無傷で戦いを終えたものか、軽傷で済んだもののうち、事後処理に関わらずに済んだものくらいだ。

 カインも、そのひとりだ。

 カインは、バルサー要塞奪還戦において、王宮特務としてレオンガンドの護衛を務めていた。本陣後方に転移し、急襲してきたルシオン軍に対応し、激戦に身を投じたものの、軽傷で済んでいる。惜しむらくはハルベルク・レイ=ルシオンに出し抜かれたことだが、そこは、幾重もの布陣を突破したハルベルクおよびルシオン軍を褒め称えるべきなのだろう。彼らは、レオンガンドの元に辿り着くため、数多の将兵を犠牲にしたのだ。

 なにかを成し遂げるためには、それ相応の犠牲を払わなければならない。ハルベルクは犠牲を惜しまなかった。惜しまなかったが、結局は、成し遂げられなかった。こちらの備えが完璧に近かったからだ。

「残念がるほどのものか?」

「陛下の指の一本や二本、もらっていってくれてもよかったんじゃない?」

 ハルベルクが、結局はレオンガンドに一矢報いることさえできないまま死んだことをいっているのだ。ハルベルクは幾重もの布陣を突破し、レオンガンドの元に辿り着いたものの、なにもできないまま死んでいった。なすべきこともなせず、なにも残せず、ただ無意味に、ただ無駄に命を落としただけに終わったのだ。

 彼の戦いは一体なんだったのか。 

 この戦いに流れた血にどれほどの意味があったのか。

 きっと、意味などないのだろう。

 きっと、くだらない理由なのだろう。

 彼は、そう考える。

 戦いに意味を問う必要もない。

 戦う敵がいて、それが血沸き肉踊る強敵であれば、それでいい。

「せっかく見逃してあげたっていうのにさ」

「やはり君は……」

「そうよ。わたしは、ガンディアの敵よ」

 彼女は、カインの耳元でそう嘯いて、艶やかに笑ってみせた。

 それが彼女の本音なのかどうか、カインにはわからなかったし、わかろうとも思わなかった。どうでもいいことだ。彼女がガンディアに敵意を抱いていようと、悪意を抱いていようと、彼女が彼女で在り続ける限りは、関係がない。

 カインは、ウルの華奢な体を膝の上に乗せたまま、ぼんやりと窓の外の夜の景色を眺めていた。


 戦いは、終わった。

 バルサー要塞は取り戻され、解放軍は勝利の余韻の中にいた。しかし、朝になれば消えて失せるようなわずかばかりの余韻の中で、だれもが戦いの意義を見出だせないでいる。

 ルシオンとの戦いにどれほどの意味があったのか。

 戦う必要などなかったのではないか。

 ルシオンは同盟国であり、王妃はレオンガンドの実の妹にして、ガンディアの元王女だ。国王ハルベルクはレオンガンドと親しく、ガンディアとの関係を重視していた。ハルベルクがリノンクレアを妃として迎え入れてからというもの、ガンディアとルシオンの関係は蜜月といってもよかった。戦う理由などなかった。

 少なくとも、ガンディア側には、まったくといっていいほどなかったのだ。

 それなのに、戦わなければならなくなった。

 ハルベルクがレオンガンドと戦わなければならないと断じたからだ。

「ルシオン軍は、リノンクレア様の下、ガンディアに恭順を示しておりますが、いかがなされます?」

「……ルシオンとの今後を考えれば、彼らにはつぎの戦いで働いてもらうよりほかはない」

 ルシオンの裏切りは、衆目の知るところだ。ハルベルクは、自分が敗れた場合、すべてはジゼルコートによるガンディア政府からの要請に従ったことにすればいいと考えていたようであり、実際、そのとおりにすれば多くの問題は解決するだろう。

 ルシオンは、ガンディアを裏切ったのではなく、ガンディア政府の要請に応じて軍を動かし、レオンガンド軍を迎え撃ったのだ――ということにしておけば、一応の面目は立つ。無論、謀反人に従ったという時点で道理はないのだが、そこはなんとでも誤魔化しようがある。ジゼルコートに罪を被せてしまえばいい。

 問題は、国民感情だ。

 政治的に解決したとしても、ガンディア国民のルシオンに裏切られたという想いは、簡単には消せないだろう。今後、ルシオンとの関係を続けていくのであれば、国民感情だけはなんとしてでも解決しなければならなかった。

 レオンガンドは、そのための施策のひとつとして、ルシオン軍をガンディア本土奪還の戦力に組み込むつもりであり、先鋒を任せる気でいた。本土解放の先鋒を務めたとあれば、ルシオンに対するガンディア国民の感情も多少は和らぐのではないか。それに、ルシオン軍は相変わらず精強であり、戦力としては申し分ない。

 つぎは、マルダールに攻め込むことになる。ガンディア本土にはアザーク、ラクシャの軍勢が入り込んできているという。激戦になること間違いなく、そこでルシオン軍の強さは遺憾なく発揮されることだろう。

 いわば禊なのだ。

「では、戦術に組み込んでよろしいのですね?」

「ああ。頼む」

「わかりました。では」

 そういって、彼は頭を下げると、部屋を出ていこうとした。軍師候補の少年。戦いを終えたばかりというのに、早くもつぎの戦いの戦術を練り始めているらしい。

 レオンガンドは、ふと、呼び止めた。

「エイン=ラジャール」

「はい?」

「君は、どう想う」

「……どう、とは?」

「ハルベルクのことだ」

 レオンガンドは、つい、問いかけた。だれかに聞きたいことだった。聞いておかなければならないことだった。

 ハルベルク・レイ=ルシオン。

 ともに夢を見、ともに夢を追いかけた同胞とでもいうべき人物だった。レオンガンドにとって、数少ない気の置けない人物であり、親友であり、戦友というべき相手。これからもともに戦野を駆け抜け、ともに夢を語り、ともに歩んでいくものだとばかり想っていた。

 掛け替えのない存在だったのだ。

 彼がルシオン軍を率い、ジゼルコートに同調したという報せに触れたとき、嘘だと想った。信じられなかったし、信じようとも想わなかった。立場が立場ならば、リノンクレアのように取り乱したかった。それくらいの衝撃を受けたのだ。だが、日が経ち、状況が明らかになるに連れ、彼の裏切りが確かなものになっていった。

 その中で、レオンガンドは覚悟を決め、ハルベルクと対峙したのだ。

 この手で討つと、心に決めた。

 そして、相対した。

 あのときの感情は、いまも心の中にわだかまりとして残っている。

「わたくしにはなにも……」

 エインが、顔を俯けて、いった。当然だろう。レオンガンドの側近でもなければ軍師ですらない彼には、ハルベルクのことについてなにもいえるわけがないのだ。いえば、レオンガンドとの間にしこりが生まれる可能性がある。なにもいわないほうが利口なのだ。

 どちらにとっても、だ。

「……そうだな。済まない。いってくれ」

「はい」

 エインは、背を向け、歩き出そうとして、止めた。静かに、告げてくる。

「ひとついえることがあるとすれば」

「ん?」

「陛下は、なにひとつ間違っておりませんよ」

「……そうか」

 予期せぬ言葉に、小さくうなずく。

「ありがとう」

「いえ」

 エインは、それだけをいって、レオンガンドの部屋を辞した。

(間違っていない……か)

 反芻する。エイン=ラジャールの言葉。彼なりの気遣い。嬉しく想う一方、引っ掛かりを覚えずにはいられない。

(間違っていない。わたしがか?)

 間違ってばかりではないのか。

 なにか正しいことをしたのか。

 どの選択も、どの道も、間違いだらけではないのか。

 正しさなど、どこにあるというのか。

 父を殺し、伯父を殺し、義理の弟まで手にかけ、これから叔父を殺そうとしている。

 肉親を殺さなければならない道が、正しい道だとでもいうのだろうか。

 血塗られた道。

 シウスクラウドを手に掛けたとき、その道は開かれた。

 たとえ魔王と成り果てようとも、小国家群統一という大いなる目的のために戦い続けると決めた。そのためならばだれであれ容赦はしないと心に誓いながら、ラインス=アンスリウスの跳梁を許してしまった。ラインスを討ったのはナーレスだが、レオンガンドが殺したも同然だ。レオンガンドの甘さがラインスを増長させ、その結果、彼を死に至らしめたのだ。

 なにもかも、レオンガンドの責任だ。

 レオンガンドがもっとしっかりとしていれば、そうはならなかったのではないか。

 そんなことを考えてしまうのは、ハルベルクをこの手にかけたという事実が重くのしかかっているからだ。

 手を見下ろす。

 あのとき、ハルベルクに差し伸べた手は、空を切った。

 あのとき、ハルベルクが手を掴んでくれれば、レオンガンドが彼を殺す必要などなかったはずだ。それで上手くいくはずだった。ハルベルクの裏切りも、ルシオンの敵対行動も、丸く収めることができたはずだ。少なくとも、力を合わせてジゼルコートを討ちさえすれば、それだけでどうとでもなったはずだ。

 なにもかも、それで良かったはずだ。

 それなのに、彼はレオンガンドの手を取らなかった。

 手ではなく、剣を取った。

 そして、レオンガンドを殺そうとして、レオンガンドに殺された。

(夢……)

 ハルベルクは、いった。 

 夢のためにも、レオンガンドを越えなくてはならないと。

 レオンガンドと肩を並べるためには、レオンガンドを越えるしかないのだと。

 レオンガンドを越えなければ、リノンクレアの愛を得ることなどできないのだと。

 彼は、静かに頭を振ると、最愛のひとを失った実の妹のことを想った。

 リノンクレアは、しかし、悲しみに浸る間もなく、ハルベルク亡きあとのルシオン軍を纏めるために動いていた。

『陛下。わたくしのことはお気になさらぬようお願い致します』

 バルサー要塞に入った後、リノンクレアは、レオンガンドの気遣いに対して、そのように述べてきた。深い悲しみの中にいるはずの彼女の声は、いつになく凛然としていて、王妃たるものがどうあるべきか、彼女自身が体現しているかのようであり、リノンクレアを出迎えた白聖騎士隊の面々や、ルシオン軍の将らは、その姿に感じ入るものがあったようだった。

 レオンガンド自身、リノンクレアの反応に感じるものがあった。

『ハルベルクが陛下を裏切り、敵に回ったのは事実。そして、あのとき、陛下がハルベルクを殺さなければ、殺されていたのは陛下のほうでした。陛下は、なにも間違ったことをなされてはおりません。正しいことをなされたのです』

 リノンクレアの言葉は、いまも耳に残っている。

 正しいこと。

 エインもいった。

 正しいこと。

 手の震えが止まった。

(正しいこと)

 それがたとえ過ちであったとしても、正しいことだと信じて前に進むしかない。

 そうやって、ここまできたのだ。

 いまさら道を引き返すことはできない。

 引き返したところで、死者は生き返らない。失ったものは取り戻せない。

 前進するしかないのだ。

 さらなる犠牲を払い、多くのものを失いながら、ただひたすらに駆け抜けるしかない。

 その結果、なにもかも失うことになったとしても、立ち止まり、滅びを待ち続けるよりはずっといい。



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