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第百三十九話 雷撃

 グラード=クライドを指揮官とする第一第四混合軍が、ザルワーン南部の街ナグラシアを強襲したのは九月八日未明。七日未明にマイラムを出発したのだから驚異的な行軍速度だった。

 ひとつにはマイラムとナグラシアの距離が近かったこともあるが、もうひとつは、徒歩の兵士がいなかったことが大きい。騎馬と馬車の荷台による輸送により、行軍速度は飛躍的に上がっていた。

 アスタル=ラナディース考案の高速進軍手段であり、それによってログナー各地を飛ぶように転戦した彼女は、飛翔将軍の二つ名で恐れられるようになったのだ。

 もっとも、この方法にも問題はある。大人数を輸送するためには多くの馬が必要であり、馬車も多数必要だった。行軍経路も慎重に選ばなくてはならない。馬車集団での大移動なのだ。徒歩と同じようには行かない。とはいっても、速度を徒歩に合わせる必要がなくなるため、軌道にさえ乗れば数倍の速度で移動できた。

 その結果、雨中の行軍にも関わらず夜中に国境を突破し、翌未明にはナグラシアを見下ろす丘へと到達していた。

 グラードが攻撃命令を下したのは、午前五時過ぎだった。常に駆け通しだった騎馬兵を温存しての強襲は、かねてよりの通達通りナグラシアの南門を襲った。馬車の荷台で体力を温存していた千人以上の兵士たちが、一斉にナグラシアに殺到する。その濁流の中をセツナを乗せたルウファの馬が進んでいく。遮蔽物はなにもない。街を囲う城壁の上からは見渡し放題だったはずだが、暗雲に乗じた強襲が発見されるまで時間がかかったようだった。雨は激しく、雷音も鋭い。それでも、混合軍の勢いは増す一方だった。

 しかし、セツナたちが街に到達する寸前、門は音を立てて閉ざされた。強固な門と城壁が強襲を阻んだ。城壁の上から、雨に混じって矢が降ってくる。狙いを定めた矢ではない。そうそう当たらないが、油断はできない。

「一度下がれ!」

 ドルカが怒号を飛ばす中、セツナはルウファに耳打ちしていた。

「もっと近づけるか?」

「隊長、なにを?」

「できるのか?」

「できますけど、馬に矢が当たらないように祈ってくださいよ!」

 ルウファの返答は諦めに似ていたが、セツナは気にしなかった。馬上、セツナは仁王立ちに立っている。黒き矛を手にした彼には尋常ならざる超感覚がある。それは戦場の様々な動きを肌で感じさせるほどに巨大で、鋭敏だ。ドルカの命令によって門前から離れた部隊の後方から、大盾を構えた兵士たちが姿を見せる。盾で城壁からの矢を防ぐのだろう。ドルカは、馬で移動しながら兵士たちに檄を飛ばしていた。城壁からの矢は少なく、風雨の影響もあって混合軍に届いてはいないようだが。

 グラードが後方からやってくる。真紅の鎧が輝き、発熱しているように見えた。

 ルウファが馬を操り、門前へと疾駆する。矢が、それこそ雨のように降り注いでくる。城壁上の弓兵が増えている。セツナは馬上で矛を振り回し、直撃軌道の矢を切り落とした。後方からの雷光が、いくつかの矢を焼き払う。ファリアだ。

 門が、目の前だ。叫ぶ。

「反転!」

「え? はい!」

 ルウファが慌てて馬首を巡らせる。その瞬間には、セツナは飛んでいる。門は眼前。全力で矛を振り下ろし、切っ先を門扉に叩きつける。カオスブリンガーが唸りを上げた。激突の瞬間、手応えがあった。鎧や肉を切るのとはわけが違う反動が両腕に響く。だが、押し負ける心配はない。黒き矛は、ナグラシアの門に轟音とともに大穴を開けた。門に空いた穴の向こう側で、兵士たちの唖然とする顔が覗く。セツナは着地とともにさらに矛を振り回し、門の空隙を拡大する。

「と、突撃ぃーっ!」

 号令に怒号のような兵士たちの声が重なる。盾兵を前面に展開し、兵士たちが門前へと殺到する。セツナは既に門の中に飛び込んでいた。ナグラシアの守備兵が愕然とした様子でこちらを見ていた。門の内側に待機していたのは数十名で、一応武装してはいたが、突然の敵襲に対応できていないように見えた。

 平和を謳歌しすぎた結果なのかもしれない。

 ナグラシアはログナー国境に近い街だ。ログナーといえば少し前までザルワーンの属国だったのだ。平穏なのも当然だろうし、防備を怠るのも無理はなかった。しかし、ログナーがガンディアに落ちてからの一月あまり、なにも用心しなかったというわけでもあるまい。実際、城壁上からの弓兵の活動は、それなりに早いものだったし、門を突破されなければそれこそ効果的だったろう。だが、門はセツナがぶち破った。

 城壁上からの矢は、街中には射ち込めまい。味方に当たる可能性がある。もっとも、それは乱戦になればの話だ。いまのように敵味方が明確に色分けされた状況ならば話は別だ。門の突破口から突入してきたところを狙い撃ちにされる可能性がある。

 セツナは、疾駆し、前方の弓を持った五人を即座に切り捨てた。射程武器の使い手は真っ先に潰しておいたほうがいいだろう。セツナですら流れ矢に掠ることがあるのだ。一般の兵ならなおさらだ。

(一般の兵? 何様だよ)

 自嘲するが、実際そうなのだから仕方がないともいえる。自分は彼らとは違う。その明確な差異が、セツナの居場所を作り上げている。だからこそ、勇を振るわねばならない。武勇など、自分の人生には関係のない言葉であるはずだったが、この世界で生き抜くには必要不可欠になっていた。

 怒涛のような足音を振り返ると、門の突破口から兵士たちが突入してくるのが見えた。ナグラシアの各地からも喚声が上がる。ナグラシアの守兵がようやく機能し始めたらしい。だが、遅い。あまりに遅い。敵軍の侵入を許した時点で勝ち目はなくなっているのではないか。戦闘の素人であるセツナは、そんなことを考えながら周囲の敵兵を突き殺し、切り倒した。

 

「城壁上の弓兵を一掃しろ!」

「守将を探せ!」

 隊長たちの怒号に兵士たちが動く。城壁上への階段へ殺到する兵士たち。そこへ、待ってましたとばかりに矢を射掛ける敵兵たち。一度対比し、大盾隊を引っ張ってきて階段を制圧していく自軍兵士たち。やがて城壁上に到達すると、喚声を上げて全軍の士気を鼓舞した。

 主戦場は街中へと移り、敵味方入り乱れる乱戦となっていた。ナグラシアの兵力は千五百であり、騎馬兵を休ませたログナー方面混合軍よりも数の上では多い。そして、街の構造を知り尽くしているということもあり、戦闘においては有利なはずだった。だが、勢いは完全にガンディア軍側にあった。明朝に強襲したのが功を奏している。しかも、自慢の門をぶち破ったのだ。ナグラシア側の士気は、目に見えて落ちていた。

「なんていったらいいのか」

 声に気づくと、軍馬に降りたドルカ=フォームの姿があった。黒金の鎧兜を纏う色男は、雷雨の戦場によく映えるようだ。背に帯びた大型の剣は、とても彼に扱える様には見えない。彼の側には、当然、ニナがいる。彼女は黒一色の鎧で、女性の体型を主張するような形状の甲冑だった。腰に帯びた軍刀がニナの得物なのだろう。

「なんです?」

 セツナは聞き返しながら、背後に矛を伸ばした。手応えがあり、悲鳴が聞こえた。隙と見て飛びかかってきたようだったが、残念ながら誘っているだけに過ぎない。そのまま矛を振り回すと、穂先に敵兵の頭が隙刺さったままだったが、そのうち飛んでいった。

「馬鹿げているなー、と」

「ドルカ軍団長、口が過ぎます」

「いや、だって、ねえ……」

 ニナに窘められてもなお食い下がるドルカに、セツナは微笑を漏らした。確かに彼の言う通りだ。馬鹿げている。セツナの戦いは、彼らの日頃の努力が水泡に帰すようなやり方に違いない。圧倒的な力で並み居る敵をねじ伏せ、強固な門さえ破壊して無力化する。ドルカがやる気を無くすのもわからなくはないし、自分が彼の立場ならそう感じただろう。少なくとも、素直に喜べはしまい。

 とはいえ、セツナはセツナがやれることをやるしかない。こちらの損害をできるだけ少なく、敵の被害をより甚大に。それは味方を唖然とさせ、嫉妬を買うくらいのことをするということにほかならない。そうやってここまで来たのだ。ドルカのような感想は、これまでに耳が痛くなるくらい聞いた。

 もう、慣れた。

 右前方、城壁の階段に身を潜めた兵士たちが弓を構えているのが見えた。瞬間には、セツナの肉体は飛び出していた。弾丸のように一直線に階段に殺到し、弓兵をつぎつぎと殺戮する。返り血は気にならない。特に今日は、この雨が流してくれる。

 ドルカを振り返ると、彼は大型剣を振り回し、並み居る敵兵と薙ぎ倒していた。ドルカが討ち漏らした敵をニナの軍刀が切り倒す。よく出来た連携だった。長年積み重ねてきた絆というものかもしれない。

《獅子の尾》は、どうだろう

 セツナが視線を巡らせると、雷光の帯が虚空を貫き、城壁上に突き刺さるのがよく見えた。弓兵には弓、ということだろうが、ファリアのそれは弓といっていいものなのかどうか。ルウファは時折低空飛行しては敵陣に突っ込み、血煙を上げて見せている。彼の戦果も中々のものだ。

(連携なんて夢のまた夢だな、こりゃ)

 とは思ったものの、それは隊長がしっかりしていないからだということに思い至り、セツナは肩を落とした。瞬間、背後に殺気。

「覚悟!」

 気合に満ちた掛け声は、むしろセツナを冷徹にさせた。体を捻るように向き直り、もののついでに敵兵の胴体を真っ二つに切り離す。剣を振りかぶったままの上体が地に落ち、下半身が後を追うように崩れた。

「隙を突くなら声を出すなよ」

 冷ややかに告げて、つぎの敵を探す。

 セツナはただ、敵を倒さなくてはならない。



「並み居る敵は雑魚ばかりってかあ?」

「それは余裕ではなく、油断です」

 ドルカのつぶやきを聞き逃さず、ニナ=セントールが可愛らしい口を尖らせるのはいつものことだ。

「油断したくもなる。大勢は決したんじゃないか?」

 ドルカは、ナグラシア南門前広場が混合軍によって制圧されたのを見ていた。周囲には敵味方の区別なく、無数の死体が転がっている。損害はどちらにも出ているが、間違いなく敵のほうが多い。こちらは、《獅子の尾》の活躍もあり、死者の数は極端に少なかった。だが、相手は違う。黒き矛を敵に回しているのだ。

 彼は、容赦しなかった。

 セツナの無慈悲で一方的な殺戮を見ていると、かつて自分があんなものと戦っていたという事実に肝が冷える。

 ドルカは、バルサー平原での戦いに赤騎士配下の小隊副隊長として参戦していた。

 真紅の猛火のひと薙ぎで、目の前の仲間が焼き殺されるのを目撃したのだ。さっきまでガンディア軍を蹴散らしてやると息巻いていた気のいい同僚が、一瞬にした消し炭となった。それは戦争の非情さを伝える、などという生易しいものではなかった。もっと冷酷で、絶望的ななにかだ。そんな敵に向かって行かなければならない。それは、死ね、と命じられているも同じだった。そして、当時の雑兵に毛が生えた程度の立場では、命令通り玉砕覚悟で突っ込むしかなかったのだ。

 彼は黒き矛の使い手に向かって突進し、死を覚悟した。が、生き残った。青騎士が王手をかけてくれたおかげだった。彼がレオンガンドの首を狙わなければ、ドルカの命数は尽きていただろう。その直後、撤退命令が下り、彼は命拾いをして本国に逃げ帰った。ログナー本国に辿り着くまで生きた心地がしなかったし、無事に帰ってからもしばらくは食事も喉に通らなかった。

 それほど繊細な人間だったはずではないのだが、多くの仲間が溶けるように死ぬというのは、やはり精神的に来るものがあったらしい。しかし、彼への憎悪や復讐心が育つほど人間ができているわけでもなく、同僚が黒き矛のセツナに燃やす憎しみの炎を冷めた目で見ていた。

 不思議な人間だと、自分でも思う。そこが魅力的なのだとニナはいうのだが、よくわからない話ではあった。

「ザルワーン側の士気が低過ぎるのが原因だな」

 背後からの声にびくっとする。

 目を向けると、真紅の甲冑を纏った武人が悠然と立っていた。供回りもいない。指揮官にあるまじき単独行動ではあったが、このような戦場では致し方ないのかもしれない。だれもかれも、戦場を支配する熱狂に突き動かされている。敵も、味方もだ。そんな中で、死神のような冷酷さで的確に死を告げていくのは黒き矛であり、彼の部下たち。《獅子の尾》。恐ろしい部隊だ。破壊力だけならば、ガンディア軍随一なのは間違いない。

「グラード指揮官殿ではありませぬか」

「ドルカ指揮官補佐殿、貴殿はこんなところでなにをしているのだね?」

「はっ、指揮官殿の采配を学ぶため、待機しておりました!」

 ドルカが胸元に手を当てるガンディア式の敬礼をすると、グラードは苦笑したようだった。

「……もはや采配もなにもあったものではないがな」

 グラードの嘆息は、雷鳴に掻き消された。

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