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第千三百九十八話 ひとの世

「ひとの世というのは、難儀なものじゃな」

 寝台の上で仰向けに寝転んだラグナが、長い足を天井に向かって伸ばしながら、いった。スカートがめくれ上がり、下着まで見えてしまうのだが、ラグナは気にした様子もない。そもそも、ラグナは人間的な羞恥心など持ち合わせていないのだ。

 現状、ラグナは肉感的な肢体を誇る美女だが、本質はドラゴンのままなのだ。人間的な感性、人間的な価値観、道徳、反応を求めるだけ無駄であり、無意味と考えるべきだった。とはいえ、人間の姿に変身したままでいるのであれば、多少なりとも気を使ってもらいたいのがセツナの本音だった。

 ラグナは、無防備に過ぎて、精神衛生上、あまりよろしくなかった。

 下着を見られてもなんとも思わないだけではない。裸を見られることが恥ずかしいことだという感覚もないのだ。ドラゴンは常に全裸なのだから当然といえば当然であり、むしろ恥ずかしがることのほうが異常だといわれればそれまでとはいえ、セツナが風呂に入っているところへ裸のまま飛び込んできたり、風呂あがり、全裸のまま平然とうろつこうとするのは止めて欲しかったし、何度となく注意している。度重なる注意のおかげか、全裸でうろつくということはなくなったものの、本質として理解しているのかどうかはいまの姿を見れば一目瞭然だ。

 結局のところ、なにも理解していないのだろう。

 そして、そればかりは仕方のないことなのかもしれない。

 ラグナはドラゴンだ。ある程度は人間社会に慣れ、人間の暮らしに関する知識も持っているものの、価値観や感性までもが人間のようにはなれない。

 セツナは、他人に迷惑さえかけなければ、それでいいと考えてもいた。ラグナはラグナであり、ドラゴンのままでいいと想っている。人間の姿に変身したからといって、身も心も人間になれとは、考えなかった。強制すればそうするのだろうが、ラグナに窮屈な想いをさせたくはなかった。

 ラグナの無防備な姿は目に毒だし、視線を逸らさざるをえないのも問題だが。

「政治だのなんだの……わしにはわからぬ」

「だろうよ」

「おぬしにはわかるかのう?」

「あんまり」

「なんじゃ」

 ラグナが呆れたような顔をした。妙に艶めいて見えるのは、顔に翡翠色の髪がかかっているからだろう。ただでさえ美人なのだ。寝転がり、無防備な姿を見せつけられては、色気を感じずにはいられない。ルヴェリスがセツナとラグナを別部屋にした理由が、なんとはなしにわかった気がした。

「我が御主人様にもわからぬのか」

「政治とは、あんまり関わりがないからな」

 などといってもいられない立場だということは重々承知しているが、実際のところ、それが本音だった。

 セツナ派なる派閥が、自分の意思とは無関係のところで結成され、派閥の巨大化がセツナの発言力を否応なく高めた。ガンディア政府内での勢力図においては、レオンガンド派に続く大勢力となりつつあり、このままセツナ派に鞍替えする人間が増えれば、セツナも政治に関わらざるを得なくなるだろう。そんなことは百も承知なのだが、それはそれとして、セツナ自身、政治に深く立ち入ろうとは想ってもいなかった。政治は政治家たちに任せればいい。自分はレオンガンドの矛であり、戦場で敵を倒すことだけに専念するべきだった。

 軍人が政治力を持つのは、決して喜ばしいことではないだろう。

 そんなことを考えるのは、マルディアで政変が起きたという話をルヴェリスに聞き、屋敷に戻ってきてから詳細を知ったからだ。

 マルディアで政変が起きたのは、十日以上前、セツナがサントレアからベノアへ移送されている最中のことだったらしい。

 マルディアから騎士団が去ったちょうどそのころ、マルディア王都マルディオンにて、ユリウス・レウス=マルディアがユグス・レイ=マルディア――つまり国王にして実の父親たる人物を糾弾したことが、すべての始まりだという。

 ユリウス王子は、ユグス王にガンディアを裏切ったことを問い質したのだ。ユリウスは、反乱軍に奪われた領土を取り戻すべく、ガンディアに救援を要請しながらも、その実、ジゼルコートに通じ、謀反を陰ながら応援していた事実を責めた。救援要請に応じ、遥々マルディアまで軍を寄越してくれたガンディアに対する裏切り行為にほかならず、ひとびとの信頼を踏み躙る、唾棄すべき悪行と断じたのだ。

 それに対し、ユグス王は、大陸小国家群の統一を掲げ、国土の拡大に余念のないレオンガンド政権こそ、マルディアにとって邪悪であり、討つべき存在であると反論。ジゼルコートに同調し、彼の謀反を応援したのは、レオンガンドを討つことでガンディアの拡大路線を終わらせ、マルディアの平穏を維持するためだと主張。

 ユリウスは、一笑に付したという。

 マルディアの――国のため、民のためといいながら、マルディアの国土を戦場とし、自国民を欺き、兵に犠牲を強い、あまつさえ王家に忠を尽くしてくれた聖石旅団をも利用したユグスにマルディアの将来を語る資格はないと断じた。そして、ユリウスは、ガンディアはなにも支配による小国家群の統一には拘っていないというレオンガンドの考えを述べ、ガンディアと同盟を結ぶなり、友好関係を築くなりすれば、なんの問題もないという主張をした。

 ユグスは、そんなユリウスの考えを現実を知らぬ子供の思考と一蹴。同盟国を滅ぼすことすら厭わぬ国が、同盟程度で満足するはずはなく、いずれ従属させられ、いつかは完全に飲み込まれるに違いないと断言した。

 ミオンの件をいっているのであれば、ミオン政府の対応が悪かったのだというユリウスに、そもそも裏切られるガンディアが悪いというユグス。議論は平行線の一途を辿り、ユグス王はついに武力でもってユリウスを拘束しようとしたという。しかし、武力を用いたユグスに対し、天騎士スノウ・ザン=エメラリアが介入し、ユリウスを守った。

 ユグス一派は拘束され、マルディアの政治はユリウス派が実権を握ることになったという。

 ユノ王女は当初からユリウスの意見に賛同しており、ユリウス派が実権を握ったあとも、ユリウスと行動をともにしているということだった。

 ユノの無事を知り安堵する一方、マルディア国内が荒れに荒れたという事実にはなんとも言いようのない感想を抱くほかなかった。まさか、あのおとなしそうな少年が、名君と謳われたユグス王を辛辣に糾弾し、なおかつ政治の実権を握るとは、想像もつかないことだった。

「ひとは見た目によらないもんだな」

 ユノとそっくりそのままなユリウスの容姿を思い浮かべる。

「なんじゃ?」

「いや、こっちのこと」

「それを聞いておる。いくら主でも、隠し事は許さぬぞ」

「なんでだよ」

 セツナは、ラグナが寝台から飛び降りる物音を聞きながら、ルヴェリスから貰ったマルディアの政変に関する資料を纏め、机の隅に置いた。屋敷に帰ってくるなり、ルヴェリスは、マルディアのことが気になるセツナのために情報を集め、資料としてまとめてくれたのだ。ルヴェリスの気遣いの凄まじさには、感謝しかないくらいだった。

 彼がなぜそこまでしてくれるのか、本当に謎だった。

 そのことを問うと、ルヴェリスは微笑して、いうのだ。

『救いを求めるものに手を差し伸べるのは、騎士団騎士として当然のことよ』

 それがたとえ拘束した相手であっても。

 騎士団とは、大きな矛盾を孕んだ組織なのかもしれない。

「なんのことなのじゃあ」

「だからっ」

 背後から羽交い締めにされて、セツナは声を上げた。ラグナの膂力は、セツナのそれを軽く凌駕している上、容赦がなかった。ラグナにしてみれば非力な小飛竜のときと同じ感覚でじゃれついてきているだけなのかもしれないが、相手をするセツナにしてみれば、命の危機に関わりかねないくらいのことだった。

 それくらい、ラグナの力というのは強く、抱き締められるだけで悲鳴を上げたくなるほどだった。

「おまえのそれは痛いんだっての!」

「ふふふ……これまでの復讐なのじゃ!」

「復讐ってなんだよ、おい!」

「おぬしが悪いのじゃ!」

「なんだってんだよ!」

 椅子から転げ落ち、床の上で組み伏せられながら、セツナは、ラグナの本気ともつかない攻撃に全力で抗い続けた。


 

 マルディアの国内情勢というのは、政変以来、少しずつ変化し始めていた。

 政治の実権を握ったユリウス派によってユグス王の悪行が流布されると、ユグス王を非難する国民の声が高まるとともに、そんなユグス王を政治から遠ざけることに成功したユリウスを褒め称える声が聞かれるようになった。

 国民の多くは、つい先日までユグス王を賢君、名君と賞賛していたにもかかわらずだ。

「手のひらを返すとは、まさにこのことだね」

「それが国民感情というものなのでございましょう」

 スノウ・ザン=エメラリアが、ユリウスの心情を慮ったかのように、つぶやく。

 マルディオンは、ユリウス派によって完全に占拠された。城も都もなにもかも、ユリウス派一色に染まっているといっても過言ではない。ユリウス派が政争に勝利し、実権を握ってからというもの、元々ユグス派だった政治家たちの多くもユリウス派に鞍替えしており、いまではユグス派のほうが少数派というべき状況になっていた。

 その影響はマルディア全土に及び、マルディア国内がユリウスの名の下に統治されるのも時間の問題だろうということだった。

「陛下がいかに名君であれ、賢君であれ、みずから国土に火を放ち、兵や民に犠牲を強いるような愚行をなされれば、そのように評価されるのは当然です」

「わかっているよ。だから、ぼくが立った」

 ユリウスの声は、冷ややかだ。

「立たなければ、ならなかった」

 ユリウスが立たなければ、マルディアはユグスによって支配されたままだっただろう。国民の声に耳を傾け、国民のための政治を行う賢君という評判のまま、ユグスは、マルディアの歴史が始まって以来の名君として君臨し続けただろう。その愚行が世間に曝されることのないまま、偉大なる王を演じ続けたに違いない。

 愚行。

 愚行というほかない。

 ガンディア王レオンガンドへの恐怖心からジゼルコートに通じ、ジゼルコートの謀反を成功させるために聖石旅団を煽り、反乱を起こさせ、自国領を戦場にする。そしてガンディアに援軍を要請し、レオンガンド率いるガンディア軍がマルディアで戦っている最中にジゼルコートが謀反を起こしたとみるや、すぐさまレオンガンドに敵対的な行動を取ってみせたのだ。すべてはジゼルコートの謀反を成功させるためであり、ジゼルコートがガンディアの実権を握ることで、拡大路線を終わらせるためだった。ジゼルコートは、レオンガンドの拡大路線に反対しており、小国家群統一という大それた夢を終わらせるべく、謀反を企み、実行に移したようだ。

 ユグスは、ジゼルコートからの打診に一も二もなく飛びついたという。

 急速に国土を拡大させ続けるガンディアの存在は、マルディアの安寧のみに執着するユグスにとって恐怖以外のなにものでもなかったのだろうが、それにしても、考えが浅すぎるのではないか、と思わないではなかった。

 わからなくは、ない。

 ガンディアがこのまま拡大路線をひた走るのであれば、いずれマルディアも去就を決めなければならない時が来たに違いない。ガンディアと同盟を結ぶか、軍門に下るか。ふたつにひとつ。マルディアの立場を考えれば、同盟を結ぶ以外に道はないのだが、同盟を結んだからといって安全が保証されるかどうかは別問題だ。

 ミオンのように、滅ぼされる可能性だって、皆無とは言い切れない。

 心配性のユグスには、それが不安で堪らなかったのかもしれない。その結果、ジゼルコートと手を結ぶというのもどうかと思うのだが。

 ジゼルコートは、拡大路線を捨てるかもしれない。しかし、ガンディアの国土は広大だ。軍事力も強大であり、圧倒的といっていい。そして、ジゼルコートは老いている。謀反が成功したとして、ジゼルコートが実権を握っている期間は、そう長くはないだろう。ジゼルコート亡き後、後継者がジゼルコートの望んだ未来を進むとは、限らないのだ。

 もしかすると、レオンガンド以上に強烈な野心を持ち、ただ武力による国土拡大に邁進するかもしれないのだ。

 そういう可能性も考慮した場合、ジゼルコートと結ぶよりは、レオンガンドと結ぶほうが遥かにましではないのか。

 ユリウスは、そう考えた末、ユグスと敵対する道を選んだ。

「でなければ、この国はどうなっていたものか」

 空席の玉座を見やるユリウスの表情は、物憂げで、苦しげだった。

 実の父を追いやらなければならなかったのだ。国のため、民のためとはいえ、辛いことには違いない。ユノは、そんな兄の辛さを少しでも肩代わりしてあげたいと思っているのだが、いまのところ、彼女にできることはなにもなかった。ユリウスのような覚悟もなければ、力もない。

 ただ、マルディアの王女という肩書だけが、彼女が持ちうる力であり、その力を行使するべきときは、まだ来ていない。



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