第千三百九十七話 ベノアのセツナ(二)
ベノアは、騎士団領ともいわれるベノアガルドの首都だ。
古くはベノアガルド王家が拓いたとされ、その広大な都市は、いつごろからか上層と下層に分かれ、上層には貴族をはじめとする上流階級の人間が、下層には下々の人間が暮らすようになったという。
十三騎士のひとりにして、ベノアガルド有数の貴族フィンライト家の当主たるルヴェリスは、当然、上層に住んでいる。十三騎士だけではない。騎士団に所属する騎士は皆、上層に住居を持つ。といって、下層出身の騎士がいないわけではなく、十三騎士の中にも下層出身者がいるという。
「身分の区別なく、実力さえあれば取り立てるというのが、現団長フェイルリング・ザン=クリュースの方針なのよ。だから、下層民も試験に合格さえできれば騎士団に入れるし、研鑽を積み、結果を残せれば正騎士にだってなれるわ。十三騎士は、そう簡単になれるものでもないのだけれど」
買い出しへの道中、ルヴェリスが暇潰しのために話をしてくれていたのだ。
セツナたちを乗せた馬車は、ベノアの上層を進んでいく。フィンライト家本邸のあった閑静な住宅街から人気の多い区画へ。頭上には快晴の青空が広がっていた。流れる白雲すら眩いくらいの晴天であり、北国に春の日差しが降り注いでいる。
そんな窓の外の景色を眺めながら、セツナはルヴェリスの話を聞いていた。ちなみに、ラグナはセツナの肩に頭を乗せて、眠っている。馬車の揺れが心地よく、眠りを誘うらしかった。
「騎士団騎士には階級があるの。騎士団の試験に合格したものはまず、従騎士に任じられるわ。最下級の騎士ね。従騎士で研鑽を積み、実績を重ねたものは、准騎士に昇格できるの。そして、准騎士の中で選りすぐりのものだけが正騎士になれるというわけ」
騎士団に所属するものは、皆、騎士だということだった。つまり、セツナたちが騎士団兵と呼んでいたものたちも皆、騎士なのだ。つまるところ従騎士とは一般的な兵卒と見ていいのかもしれない。だとしても、雑兵とは言い難いくらいには強いのが騎士団の恐ろしいところではあるが。
「十三騎士はそんな正騎士の中から選び抜かれた十三人だけなのよ」
別段、誇るでもなく、ルヴェリスはいった。
十三騎士。
圧倒的な力を持った十三人の騎士。その実力は未知数といっていい。ただでさえ凶悪だというのに、巨大化することでさらに強大な力を振るうことができるのだ。それほどの力を持ちながら、アバードやマルディアでは、セツナに押し負けたのはどういうことなのか。
「十三人ってことは、いま正騎士になったとしても、十三騎士になることはできないということですか?」
「どうでしょうね。そればかりは、よくわからないわ」
ルヴェリスが困ったような顔をした。
「もしかしたら十四騎士とか十五騎士とかになるかもしれないし、十三人で打ち止めかもしれない」
「ルヴェリスさんでもわからないんですね」
「わかっているのは団長閣下だけじゃないかしらね」
「団長……」
フェイルリング・ザン=クリュース。
セツナがいずれ会わなければならない人物だ。いずれ、などといっている場合ではないのだが、すぐにでも会えるわけもない以上、そう思うしかない。待つほかないのだ。ルヴェリスの話によれば、会う機会は必ず来るということだ。その言葉を信じて待つ以外にはない。黒き矛を手放すことなどできるわけがない。黒き矛が悪用されることなどあろうはずもないが(使用できるということは送還命令が効くはずであり、送還さえできれば再召喚することが可能だからだ)、黒き矛のないセツナなど、だれが必要としてくれるのか。
黒き矛の力があってこそのセツナなのだ。
その事実はだれよりもセツナ自身がよく知っている。だからこそ早急に取り戻さなければならない。早急に取り戻し、レオンガンドの元へ向かわなくてはならないのだ。だが、その所在地が不明であり、フェイルリングしか知らないというのであれば、フェイルリングに直接聞き出すしかなく、そのためにもフェイルリングと直接話し合う機会が来るのを待つほかなかった。
自分の力では打開することのできない問題だ。やるせなく、苛立ちと焦燥感ばかりが募っていく。なんとしてでも黒き矛を取り戻し、一日でも一瞬でも早くレオンガンドの元に馳せ参じ、ジゼルコートの謀反を終わらせなければならない。セツナの力などなくとも、レオンガンドがジゼルコートに打ち勝つと信じているものの、セツナ個人の考えとしては、レオンガンドの敵を討つことこそ自分の役割だというものがある。
レオンガンドの力になりたいという想いもある。
そういった様々な想いを抱えながら、セツナは、ベノアで日々を送っているのだ。
やがて、セツナたちを乗せた馬車はベノア上層の商業区に辿り着いた。
ルヴェリスに従うまま馬車を降りると、多くの人出で賑わっている様を目の当りにすることとなった。上層だからといって商業区を出歩いているのは、上流階級の人間ばかりではないらしい。というのも、平民といって差し支えのないような格好の人々も数多く見受けられ、むしろ上流階級のひとびとのほうが少なく見えたからだ。
「革命以降、変わったのよ」
ルヴェリスが、セツナの疑問を察してか、そんなことを囁いてきた。
「騎士団による革命によって、上層と下層の隔たりはなくなったわ。下層民が上層を出歩くことも許されたし、上層民が下層に降りて行っても、なんの問題もなくなったのよ。もちろん、いまも上層民と下層民の間には様々な問題が残っているけれど、それもいつかは是正されていくでしょう」
騎士団は、かつて革命を起こした。
革命によって王家を打倒し、国家の有り様そのものを変えた。王家による独裁的な政治体制ではなく、騎士団主導による国民の主権を尊重する政治体制へと変わったのだという。無論、当初、大きな反発があった。とくに貴族を始めとする上流階級の人間は、下層民との差がなくなることを恐れ、大いに反対したという。しかし、フェイルリング・ザン=クリュースは腐敗しきったベノアガルドを浄化するには抜本的な改革が必要と宣言し、改革を断行した。
反対者が武力でもって改革に抵抗したものの、騎士団の圧倒的な力の前では為す術もなかったといい、それらの戦いで流れた血が、いまのベノアの安定の礎となったという。
実際、反対者たちへの徹底的な攻撃は、騎士団への反対活動がいかに無駄で無意味なものであるかを示すのに効果を発揮し、以降、騎士団のやり方に反対するものは少なくなったらしい。
『力によって抑えつけることが必ずしもいいことだとはいわないわ。でも、あのときは必要なことだったのよ。革命のためにはね』
革命について説明する際のルヴェリスの表情は、なにかを諦めているようでもあり、彼の複雑な心情を想像させた。
ベノアガルドは、当時、腐敗しきっていたという。王家は国民を顧みず、政治の腐敗についても素知らぬ顔をし続けた。このままではベノアガルドは早晩滅び去るだろうという考えは、多くのものが持った危機感であり、だからこそフェイルリングの革命が支持され、王家打倒後も、王家打倒そのものを非難するものは少なかった。王家の腐敗は、ベノアガルドの国民にとっての共通認識だったということだ。そして、ベノアガルドを浄化し、まっとうな政治を行っている騎士団を国民が支持するのは当然のことだった。
セツナが騎士団そのものに悪印象を抱かずにいるのは、そういう話を聞いているからだろう。
国民のために腐敗した政治体制を打倒し、その上で作り上げた新たな政治体制においては国民を第一に考えているのだ。
そこには大義しか見えない。
無論、ベノアガルド王家には王家の正義があったのだろうが、そのために多くの国民が犠牲になり、国が破滅に向かい始めていたというのだから、王家の正義に一票も投じることなどできない。むしろ、そんな王家を打倒した騎士団と、フェイルリング・ザン=クリュースの正しさを明らかにするだけだ。
一方で、そんな正義の騎士団がジゼルコートの謀反に同調するのは、セツナにはまったく理解できなかったし、許せないことだった。ジゼルコートにも正義があるということなのだろうが、レオンガンドの側に立つセツナにとってみれば、ジゼルコートにどのような正義があろうと、悪でしかない。そして、そんなジゼルコートに同調するものもすべて滅ぼすべき悪だ。
騎士団もまた、悪なのだ。
商業区には、様々な店舗が立ち並んでいた。衣服を取り扱っている店もあれば、靴の専門店もある。画材屋もあれば、食品を取り扱っている店舗も多数、見受けられた。剣などの武器を売っている店もあるし、装飾品専門の店舗もあった。様々な店が乱立する様は、まさに商業に特化した区画というべきものだろう。
ルヴェリスは、それら様々な店舗を巡りながら、あれこれと注文していった。セツナはラグナとともにそんなルヴェリスの後をついていきながら、護衛もつけず、従者も伴わない十三騎士の奔放さに呆れたりした。そして、ルヴェリスがベノアの市民に慕われていることも、理解できた。ルヴェリスは、どこを歩いていても人気者だったのだ。
ルヴェリスは、格好からして目立った。中性的な容姿ではあるが、男なのは間違いなく、その上で女性物の衣服を着ているのだ。それも極彩色の派手な衣装であり、遠目から見てもルヴェリスだとわかるほどだった。ルヴェリスのことを知る市民が見れば一目瞭然であり、ルヴェリスの周りには彼を慕う市民で溢れた。
十三騎士は、革命後の騎士団を代表する存在だという。
騎士団の人気そのものが高く、その騎士団の幹部ともなれば、市民が興奮して押し寄せるのも当然といえるかもしれない。
「これだから困るのよね」
人集りをなんとか脱出したルヴェリスが、疲れ果てたようにぼやくのが面白かった。人気者の辛さは、セツナもよく知っている。
「買い物くらい、下僕に任せれば良いではないか」
ラグナが当然の疑問を投げかける。ルヴェリスほどの身分ならば、従僕のひとりやふたり、いてしかるべきだし、利用してしかるべきだろう。実際、ルヴェリスの屋敷には数えきれないほどの使用人がいて、執事もいた。セツナたちの身の回りの世話をしてくれているのは、そういったひとたちだった。ルヴェリスが一言命じれば、すぐにでも買い出しにいってくれるだろうことは疑うまでもない。
「それもそうなんだけど……自分の作品に使うものくらい、自分の目で選びたいじゃない?」
「作品って……なにを作るんです?」
「特に決まったものはないわね。そのときの気分次第」
ルヴェリスがあっけらかんといってきた。
「絵を描くこともあれば、服を作ることもあるし、靴を作ったときもあるわね」
「いろいろできるんですね」
「さすがに剣や鎧なんかは意匠だけだけれど」
「そういうことまでするんですか」
セツナは、ルヴェリスの多趣味に目を丸くした。
「わたしは芸術家になりたかったの。親と兄が死んで、家督を継がなければならなくなって、諦めざるを得なくなったんだけどね」
ルヴェリスは、遠くを見ているような目をした。実際、遠い過去の風景をその脳裏に映し出しているのかもしれない。
「それ以来、趣味にしているのよね。ものづくり」
ルヴェリスが小さくつぶやいた言葉は、商業区の喧騒の中に紛れて、消えた。
想像するのは、ルヴェリスの人生だ。
ひとそれぞれ、さまざまな人生を送っている。
様々な生き様があり、無数の考えがあり、数多の軌跡を描いていく。交わることもあれば、離れ、二度と重ならないものもある。セツナも、ルヴェリスの人生にほんのわずかに重なっただけだ。それだけのことなのだが、ルヴェリスのことを少し知り、知ったことで興味を抱いた。ルヴェリスがどのような人生を送り、どのような考えを抱き、どうして、セツナたちにここまで親身になってくれているのか。
そんな疑問を言葉にすることはできなかった。
ルヴェリスが先に口を開いたからだ。
「そういえば、聞いているかしら。マルディアのこと」
「マルディア?」
反芻して、頭を振る。セツナたちのもとには、外部の情報は一切入ってこなかった。使用人たちに聞いても教えてくれないし、情報を得ようにも、新聞さえ手に入らないのだ。
「政変が起きたそうよ」
「政変?」
想像だにしなかったことに、セツナは、ただぎょっとした。ユノの身になにかあったのではないか。とっさに思い浮かんだのが彼女のことなのは、やはり、多少なりとも関わりがあったからにほかならない。
「なんでも、ユリウス王子がユグス王に変わって実権を握ったのだとか」
「ユリウス王子が?」
「ええ」
ルヴェリスが静かにうなずくのを見て、セツナの脳裏にはユノとそっくりな温和な王子の顔が過ぎった。ユノの双子の兄であり、政変など起こしそうにない性格の穏やかな少年だった。もちろん、それはセツナが知る範囲のことであり、ユリウス・レウス=マルディアの本質に触れたわけでもなんでもない以上、驚くべきことではないのかもしれないが。
「ユノ王女は無事なんですか?」
「無事だそうだけど、詳しくはわからないわね」
ルヴェリスも深くは知らなかったらしい。
セツナがマルディアの政変の詳細について知ったのは、ルヴェリスの屋敷に戻ってからのことだった。




