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第千三百九十六話 ベノアのセツナ(一)

 ただ無意味に時間ばかりが過ぎていく。

 意味などあろうはずもない。

 起きて、食べて、運動して、寝る。

 それを繰り返すだけの日々が続いているのだ。無意味で、無駄で、救いようのない日々。ただ、苛立ちが募っていく。焦りもあった。皆が待っている。仲間が、部下が、配下が、だれもが、彼の帰還を待ち侘びているはずだ。待っていないわけがない。自分は、ガンディア最強の戦力だ。それは自他ともに認める事実であり、だれも否定しないだろう。否定できるはずもない。だれが彼より強いといえるのか。だれひとり、彼に勝つことなどできまい。

 黒き矛を手にしたセツナに敵う相手など、いるわけがないのだ。

(少なくとも、ガンディアには……な)

 ぼんやりと見慣れた天井を眺めながら、彼は、自分の胸の上に手を置いた。

 十三騎士には、敗れた。

 完全な敗北。

 敗れるのは、ニーウェとの初戦以来だ。敗北感があのときよりも大きいのは、黒き矛が完全化しており、あのときよりも強大な力を得ているはずという想いがあるからだろう。能力こそ使えなかったものの、戦闘力自体は上がっているはずなのだ。比べようがないほどに。

 それなのに、負けた。

 十三騎士の真の力の前では、黒き矛の真の力を引き出せないセツナでは勝てないということだ。

 ルヴェリス・ザン=フィンライトの本邸の一室に、彼はいる。彼のために特別に誂えられたという部屋は、極彩色の屋敷の中では控えめな色彩の部屋だった。黒を基調とした調度品が多く、壁や床も黒塗りだ。

『黒き矛のセツナ様にはちょうどいい部屋でしょう?』

 この部屋に案内されたとき、ルヴェリスはそんな風にいって、片目を瞑ってきたものだった。

 確かに黒き矛のセツナには似合うだろう。黒は、セツナの象徴色でもある。黒い隊服に黒い甲冑、黒馬と、なにもかも黒ずくめだった。矛そのものが真っ黒なのだ。それに合わせるとなると、鎧もなにも黒くするのが一番ということなのだろう。セツナ自身、黒は嫌いではない。見ていて落ち着くし、純粋な黒は綺麗でさえある。

 ルヴェリスの屋敷で過ごすようになって、十日以上の日数が経過していた。騎士団による監視下での日々は、別段、不便があるわけでもなく、むしろあまりの高待遇っぷりに戸惑いさえ覚えるほどだった。衣食住、なにもかも揃っていて、至れり尽くせりといってもいいくらいだ。なんの不自由もない。騎士団の監視も、気にならないほどのものだ。どこで監視されているのかわからないくらいなのだ。もしかすると、監視さえされていないのではないか。そう思えるほどだった。

 そんなわけはない。

 騎士団がセツナを監視しないわけがないのだ。

 セツナは、黒き矛を奪われたとはいえ、召喚武装が使えないわけではないのだ。そのことは、ルヴェリスとテリウスが知っているし、彼らが報告していないはずもなかった。

 そもそも、ルヴェリスの屋敷に置かれているという時点で、監視下にあると考えるべきだ。しかし、ルヴェリスの屋敷での日々は快適極まりなく、監視下に置かれているということをついつい忘れてしまいがちだ。ルヴェリスも、シャノアも、屋敷のひとびとも、皆、セツナたちに優しいのだ。その優しさがときに癪に障るし、苛立ちを深めるのだが、彼らに当たり散らすことほどみっともないことはなく、セツナは、いかんともしがたい焦燥感の中で、悶々とした日々を過ごしていた。

 そのとき、部屋の扉が強く叩かれた。

(ったく)

 乱暴な叩き方から、なにか緊急の事態でも起きたのかと思わせるが、そうではないことは明白だった。ここのところの日常的な光景とさえいっていい。

 セツナは寝台から降りると、叩かれ続けている扉に近づき、無造作に開いた。すると、扉を殴りつけようとする女の手が空を切り、そのまま、その女の顔がこちらを見て、少しばかり憮然とした表情を見せる。ぼっさりとした翡翠色の髪が特徴的な美女。宝石のように美しい瞳に睨まれるが、迫力もなにもあったものではない。ラグナだ。ラグナシア=エルム・ドラース。類稀な美女めいた容貌も、もはや見慣れてしまった。

「なんだ?」

「なんだとはなんじゃ。わしがせっかく尋ねてきてやったというに」

 彼女が、憤然といった。彼女の挙措動作は、どこかミリュウを思い起こさせた。本質的にドラゴンたるラグナが人間らしく行動する上での参考としたのが、ミリュウを始めとする周囲の女性陣なのは明らかだ。セツナに平然と抱きついてきたり、腕を絡めてきたりするのも、ミリュウの影響のようだった。ただ、ラグナの場合は、ミリュウとは違って、セツナの顔に触れてくることが多かった。ドラゴンのころからの癖のようなものだ。

「少々扱いがぞんざいではないか?」

 胸を張るように睨めつけてきた彼女が身に着けているのは、女性物の衣服だ。長袖の白い服に丈の長いスカート、革靴。それら衣服を提供してくれたのはルヴェリスであり、ラグナとセツナが身に着けている衣服はすべて、ルヴェリスの作品であるということだった。

 ルヴェリスは、本質的には芸術家であり、衣服の意匠さえも自分で考えるという。

「おまえだからいいだろ」

「む……」

「下僕だしな」

「ぬう……確かにのう」

「納得するのか」

「下僕じゃからのう……」

 しょんぼりと肩を落とすラグナの姿にセツナは、なんともいえない気持ちになった。小飛竜のままならばそこまで感じるものもなかったかもしれないが、人間形態だと妙にいたたまれなくなるのはどういうことなのだろう。ラグナはドラゴンであり、人間ではない。が、人格を持つ生き物であることは確かで、感情もある。そのことは、ドラゴンだったころからわかっていたことなのだが、人間の姿になり、表情や全身で感情を表すようになったことでより顕著になっていた。それが大きいのかもしれない。

 ラグナがここのところ人間形態を維持しているのは、人間形態のほうがなにかと都合が良さそうだから、らしい。そのうえで、人間の体に慣れておきたいというのもあるようだ。人間形態に変身した当初は歩きまわることさえ困難だった彼女も、いまではルヴェリスの屋敷内くらいならば自由に歩き回れるくらいには慣れていた。

「……それで、なにか用事があったんだろ?」

「特に用事はないが……おぬしの様子を見に来ただけなのじゃ」

「そうか」

「御主人様をお護りするのが下僕の使命……じゃろ」

「ま、そうだな」

 うなずいて、セツナは彼女を室内に招き入れた。

 ルヴェリスの屋敷で生活するようになってからというもの、セツナとラグナは個々に個室を与えられていた。ラグナとしてはセツナと同室が良かったようだが、ルヴェリス曰く、妙齢の男女を同じ部屋に入れておくのは道徳的に問題がある、ということで、別室にされてしまったのだ。小飛竜の姿のままなら同室でも構わないというルヴェリスの提案に対し、ラグナは悩みに悩んだ末、別室を受け入れたようだった。別室とはいえ、隣の部屋だ。いざとなればいつでも助けに行ける、と彼女はいった。頼もしい言葉だ。セツナとて自分の身を護るくらいはできるが、相手が相手だ。セツナひとりならばルヴェリスの能力に完封される恐れもある。謎めいた能力で拘束されればどうすることもできない。それに、また声を封じられる可能性もある。封印がルヴェリスの能力なのかは不明なものの、十三騎士のいずれかの能力なのは間違いない。そんなとき、ラグナがいればそれだけで解決できた。

 ラグナの魔法は、万能に近い。

 ラグナは、セツナの部屋に入ると、当然のように寝台に向かい、寝転がった。彼女は、セツナの寝台で寝るのが好きらしく、たびたびセツナの部屋を訪れては、昼寝をした。ラグナの昼寝は魔力補給のためのものであり、そのためにもセツナが側にいてやらなければならなかったが、どうせやることもない以上、彼女の昼寝に付き合うのも悪くはなかった。ラグナの魔法を頼りにしているのだ。そのための魔力を供給するのは当然のことだろう。

 そんなことを考えながら、セツナは寝台に腰掛けた。寝台に寝転がったラグナが、這うようにしてセツナに近づいてくる。そして、セツナの太腿と腰に手をかけると、慣れた動作で頭を腿に乗せた。いわゆる膝枕であり、ラグナはそうしてセツナの体に密着することにより、セツナの体内から魔力を吸収するのだ。

 魔力を吸収するには頭の上が一番効率がいいといい、小飛竜のころはセツナの頭の上を定位置にしていたものだが、人間形態となるとそういうわけにもいかなくなったということだ。セツナが寝転がっているときなどは、頭の上に顎を乗せてきたりするのだが、セツナが寝る素振りを見せなければ、頭以外の部位に自身の体を密着させることで、多少なりとも魔力を吸収しているようだった。

 そんなラグナの横顔を見下ろしながら、翡翠色の髪を撫で付ける。ラグナは目を閉じており、いまにも寝入ろうとしているようだった。暇な午後。昼寝をするにはちょうどいい時間帯だった。平和で、穏やかな時間が流れている。時計の針が刻む旋律だけが聞こえるような静寂の中で、セツナは、ラグナの寝顔を見ていた。

 どれくらい時間が経過したのだろう。

 セツナがうつらうつらとしていると、部屋の扉が軽く叩かれた。ラグナのように乱暴にではなく、軽く、室内にいる人間を気遣っているような叩き方だった。

「はい?」

「開けてもいいかしら?」

 ルヴェリスだ。

「どうぞ」

 セツナは、ラグナの髪を撫でていた手を止め、扉が開くのを待った。寝台から扉まで間仕切りがあるわけでもなく、余裕で見通すことができた。室内の見通しの良さは、監視のためもあるのかもしれないし、そんな理由があるわけでもないのかもしれない。いずれにしても、なにも隠しようない空間ではあった。

 扉が開くと、相変わらず女物の派手な衣装を身につけた十三騎士が姿を見せた。

「あら、見せつけてくれるわね」

「別にそういうつもりじゃあないんですが」

「わかっているわよ。ただの冗談じゃない」

「はあ」

 セツナは、くったくのない笑顔でいってくるルヴェリスに対し、生返事を浮かべるしかなかった。

 ルヴェリス・ザン=フィンライトという人物には、そういうところがあった。ベノアガルドが誇る騎士団の幹部、十三騎士のひとりであり、ベノアガルド有数の貴族フィンライト家の当主でありながら、飾ったところも気取ったところもなく、セツナとラグナは、そんな彼の元だからこそ、監視下にあるということを深く考えずに済んでいるといってもいいのかもしれない。それくらいの気安さが、彼にはある。

 彼と、彼の許嫁であるシャノアは、ともにセツナとラグナのことを良くしてくれていた。それこそ、監視対象であるはずの相手に対する触れ合い方ではなく、最初こそ警戒していたセツナも、彼らに対しては警戒する意味もないと思うほどだった。それがルヴェリスや騎士団の計略なのかもしれないが、そうやって警戒するのも馬鹿馬鹿しくなるほどに、ふたりは親身になってくれている。

「あなた、暇でしょ?」

「……まあ」

 などといいながら、セツナは、ふと視線を落とした。そして、ラグナの長い睫毛がぴくりと動いたのを見た。どうやらルヴェリスとの話し声によって眠りから目覚めたらしい。目覚めたが、すぐには話に入ってこない。警戒してくれているのだろう。

「これから買い物に行こうと思うんだけど、ついてこない? 暇つぶしにはなるかもしれないわよ」

 予期せぬ申し出に、目を瞬かせる。

「買い物……っていいんですか?」

「なにが?」

「俺、逃げ出すかもしれませんよ」

「……逃げないでしょ」

 ルヴェリスの一言は、冷ややかだ。

「黒き矛のセツナが、黒き矛を取り戻しもせず逃げるなんてこと、あるとは思えないわ」

「一旦逃げて、奪還の機会を伺うかもしれない」

「そうね……その可能性もあるわね」

 ルヴェリスが盲点を突かれたとでもいうように、面白そうに笑った。ひとしきり笑った後、冷静に告げてくる。

「でもね、あなたにそんな器用な真似ができるとは思えないわ」

 否定出来ない。

「ま、したいのならしてもいいけれどね。どうせ、このベノアから出ようとはしないでしょうし、監視下にあろうとなかろうと、同じことよ」

(同じこと……)

 随分、自信のある物言いだが、実際自信があったとしても何ら不思議ではなかった。これまでのところ、セツナが十三騎士たちを出し抜ける要素は見出だせない。黒き矛に匹敵する力を持った十三人の騎士。その真の実力は、いまのセツナを軽く凌駕し、その上、ルヴェリスの話によれば、シドがあのとき使った力は十三騎士全員が行使可能だというのだ。

 ここで一旦逃れたとしても、なんの意味もない。

 彼がいう通り、黒き矛を取り戻せない限り、ベノアから抜け出すことなどできないのだ。実際問題、監視されていようと監視されていなかろうと、そこが解決しないかぎりは同じことだ。黒き矛の在り処がわからないのだ。黒き矛の所在地は、ルヴェリスも知らないという。騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースのみが知っているということであり、取り戻すには、フェイルリングと直接対面する機会が来るのを待つしかなかった。

 監視下を逃れたのち、騎士団本部たる王城に乗り込み、黒き矛を探すという方法も考えたが、冷静になればなるほどありえないことだった。

 現状、持ちうる力では十三騎士に対抗しながら黒き矛を見つけ出すことは不可能のように想えたからだ。

 だから、というわけでもないのだが。

 セツナは、ルヴェリスの買い出しについていくことにした。


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