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第千三百九十五話 愛にこの手を

「ハルベルクッ! ハルベルク……!」

 リノンクレアが地面に崩れ落ちたハルベルクを抱え起こすのを、彼は、つとめて冷ややかに見下ろしていた。ハルベルクは腹を剣に貫かれ、血を流している。致命傷だ。応急手当をすれば、まだ間に合うかもしれない。まだ助かる可能性はある。ハルベルクは息をしているのだ。生きているのだ。致命傷こそ与えたものの、即死させてはいなかった。

(甘いのだな、わたしは)

 レオンガンドは、自身の体を見下ろした。差し伸べたまま空を切った手を握りしめて拳にする。左手の水晶球がわずかに輝きを帯びているのは、その能力を発動しているからにほかならない。水晶球が生み出す幻像の手が、レオンガンドの体の中から外に向かって伸びていた。そして、その幻像の手が握る虚像の剣こそがハルベルクの腹を貫いたのだ。

「どうして、どうして……!」

 リノンクレアの悲痛な声が耳に刺さり、心を揺らす。いや、心は揺れない。痛みもない。これが答えだ。ハルベルクの出した答えの結末がこれだ。ハルベルクが望んだ末路。レオンガンドにとっては望んでもいない結果だった。

「どうしてこんなことに……」

 リノンクレアは、ただただ抱き抱えたハルベルクを見ていた。レオンガンドを見ようとはしない。見れば、なにかしらの感情を抱かざるをえない。ガンディア王家は、情の深い一族だ。王家に連なるもの皆そうだった。リノンクレアも例外ではない。彼女のハルベルクへの愛情の深さは、想像するまでもなかった。

 彼女とハルベルクの関係は極めて良好だった。レオンガンドの前では凛然とした態度を取ることの多いリノンクレアだったが、リノンクレアの侍女たちの話によれば、ハルベルクとふたりきりのときは、周囲がとろけるほど甘い空気に包まれるほどだという。彼女がそのような空気感を出すのは、ハルベルクとふたりきりのときだけなのだろう。レオンガンドには想像もつかなかったものの、ふたりが仲睦まじいことには素直に喜んだものだった。

 だというのに。

「どうして……」

「リノン……クレア……」

 ハルベルクが、目を開き、身じろぎした。リノンクレアの顔を覗きこむかのように。リノンクレアは叫ぶ。

「ハルベルク!」

「済まない……」

 ハルベルクの声は、小さい。なんとか絞り出しているという風であり、聞いているだけでも辛かった。リノンクレアの表情も、見ていられないほどに悲しみに満ちていた。

「なぜ謝られるのです。謝られるのなら、最初から……義兄上に……」

「それは……できなかった」

「どうして」

「君を愛していたから」

「なにを……」

「君を愛しているからこそ、わたしは義兄上を越えなければ――」

「なにをいっているのですか」

 リノンクレアが、呆然と、いった。確かに、ハルベルクの言葉は要領を得ないものだった。リノンクレアを愛することが、愛していることが、どうしてレオンガンドを越えなければならないということに繋がるのか、レオンガンドにも皆目検討がつかない。

「義兄上を越えたとき、ようやく、わたしは君を振り向かせることができる……」

「なにを馬鹿げたことを」

 リノンクレアは、理解できないというような表情で、いった。実際、理解できないに違いない。

「わたしは、わたくしはいつだって。いつだってあなたのことを――」

「はは……嘘だろう」

「嘘なものですか……!」

「でも、君はいつも、義兄上を……」

 ハルベルクの虚ろな目がリノンクレアの目を見ていた。リノンクレアの目は、いまにも消え入りそうなハルベルクの顔を見つめている。

「ああ……そうか。そういうことか」

 ハルベルクがなにかを理解したかのように、なにかに納得したかのように、いった。レオンガンドには、彼の心境を想像するしかないのだが、想像したところでわからないことだらけだった。

「わたしはなんて馬鹿なことをしてしまったんだ。なんて馬鹿な……」

「ハルベルク……?」

「リノン……どこにいるんだ? 君の声が……聞こえ……」

 ハルベルクの手が虚空を探り、そして、地面に落ちた。力尽きたのだ。リノンクレアの叫び声が響く。

「ハルベルク!」

 レオンガンドは、ハルベルクの亡骸を抱きしめ、嗚咽を漏らす妹から目を背けた。リノンクレアがむせび泣いている姿など、見ていられるわけもなかった。声を聞いているだけでも苦しい。実の妹であり、最愛の妹の泣いている声など、それだけで痛みを覚えるものだ。そして。

(ハルベルク)

 義理の弟であり、ともに戦い抜いてきた戦友の死もまた、辛いものだ。

 殺したのが自分の手だというのも、迫ってくるものがある。

(大馬鹿者だよ、おまえは)

 そうつぶやくしかない。

 本当に愚かとしかいいようのない戦いだった。

 ハルベルクの最期の言葉を信じれば、彼の個人的な感情が引き起こした戦いだったのだ。彼がもし、賢しい人間であれば、いや、国王としての理性が働いていれば、起こるはずのない戦いだったのだ。王として、国と民を第一に考えるのであれば、レオンガンドと敵対することなど考えず、ジゼルコートの謀反にも同調しなかっただろう。むしろ、レオンガンドとともにジゼルコートを討つべく協力したはずだ。そうすることで、ガンディアとルシオンの紐帯を更に深くすることができたのだから、そうしないはすがない。

 だが、彼はそういった理性には従わず、感情の赴くままに行動した。

 結局、人間とは感情の生き物ということなのかもしれない。感情に左右され、感情に支配され、感情に従うしかなくなる。理性で抑えることができるのは、ある段階までであり、感情がその段階を振り切ったとき、どうしようもなくなるものなのだろう。

 レオンガンドは、なんとも言いようのない寂しさや虚しさに包まれながら、ファリアが歩み寄ってくるのを見ていた。オーロラストームを携えた彼女も、悲しみに満ちた表情を浮かべている。彼女にとって、リノンクレアは友人だった。リノンクレアは、ファリアとは対等な友人たろうとし、ファリアも彼女の期待に応えた。つまり、ファリアにとってハルベルクは友人の夫であり、その友人の夫を射抜かなければならなかったこともそうだが、彼が死ぬ一因となってしまったことに心を痛めていたとしてもなんら不思議ではなかった。

 いや、心優しい彼女のことだ。深く傷ついていることだろう。

「終わったよ」

「はい」

「終わってしまった」

「……はい」

「嫌なものだな。弟を手にかけるというのは」

 その言葉には、彼女はなにもいわなかった。いえなかったのだろう。なにかをいえば、角が立つかもしれない。立場を考えれば、迂闊な発言はできない。それだけのことだが、それだけのことでも、気を使われていると感じられた。

 ファリアは、レオンガンドにとっても友人だった。だから、というわけではないが、レオンガンドは話題を変えるべく、質問を投げかけた。

「……戦況はどうなっている?」

「我が方が優勢のようです」

「だろうな」

 レオンガンドは、ファリアの言葉に静かにうなずいた。

 ハルベルク率いるルシオン軍は、レオンガンドを倒すための戦術を展開した。強引なやりかたで突破口を開いたのだ。それに対し、解放軍側は、圧倒的な戦力で制圧戦を繰り広げた。レオンガンドが死なない限り負ける要素などはなく、レオンガンドがこうして生き残ったということは、解放軍が優勢を維持しているということにほかならない。

 そして、優勢のまま、解放軍が勝利することになるのも時間の問題だ。

 ハルベルクが死んだのだ。

 総大将戦死の報せは、ルシオン軍に敗北を悟らせることになる。ルシオン軍の目的は、ハルベルクの勝利にあった。ハルベルクがレオンガンドを降すこと。それこそがこの戦いの目的であり、おそらくそれ以外に勝利条件はないだろう。ルシオンがジゼルコートに付き従うつもりならばまだしも、ハルベルクの言を思い返す限り、それはありえなさそうだ。

 やがて、ログナー方面南部森林地帯に破壊の爪痕を刻んだ戦いは、レオンガンドの想像したとおり、ガンディア解放軍の勝利で終わった。

 元々ガンディア解放軍の優勢で進んでおり、各地の戦闘が解放軍側の勝利で終わる中、ハルベルク戦死の報せがルシオン軍の勢いに止めを刺した。ハルベルクの勝利こそが目的であった軍勢にとって、その目的の人物にして総大将を失ったことほど痛撃はなく、戦意は低下、士気も失われ、将兵のほとんどが解放軍に投降した。中には徹底抗戦を訴えるものたちもいて、それらは小部隊を率いてバルサー要塞に駆け込んだものの、待ち受けていた白聖騎士隊によって制圧された。

 白聖騎士隊は、リノンクレアの命令により、解放軍についていたのだ。

 ルシオン軍との戦闘によってガンディア解放軍は多数の死傷者を出しているが、ルシオン軍の損害のほうが大きかったのはいうまでもない。それでも半数以上は生存しており、それら三千強のルシオン兵を配下に加えることで、解放軍は失った戦力以上の戦力を得ることができた。 

 かくして解放軍は、バルサー要塞を奪還することに成功した。

 ついに解放軍の戦いは、ガンディア本土へと至ったのだ。



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