第千三百九十四話 愛をこの手に(十四)
「わたしはようやくここまで来たのだ。ようやく。やっとの想いで、ガンディアをここまで大きくできたのだ。だが、まだまだ道半ばだ。こんなところで、こんな半端なところで足踏みしている場合でもなければ、同盟国に足を引っ張られている場合でもない。ジゼルコートの謀反こそ、国内から敵を一掃するために必要なものと起こさせたが、おまえまでも敵に回るとは想定外だった。おかげで余計な手間がかかった。多くの兵を失うことになった。おまえはそれだけのことをしてくれたのだ。しでかしてくれたのだ。許すわけにはいかぬ」
レオンガンドは、冷ややかに、続ける。
「わたしが敗れたとしても、おまえが手を差し伸べてきたとしても、わたしはおまえを許さなかっただろう。たとえほかに道がなかったとしてもだ。裏切り者を許すほど、わたしは寛容ではない。寛容ではいられない。裏切り者を滅ぼすための戦いを起こしたのだ。おまえも、滅ぼさなければならない」
それでいい、と彼は想った。
レオンガンドの立場に立ってみれば、当然の、道理とさえいっていいようなことだ。ルシオンはガンディアにとって重要な同盟国であるが、いまや強大な国となったガンディアからしてみれば、なくなったとしてもなんら問題のない国でもある。ルシオンとの関係が崩れ去ろうと、軍事力で解決しうるほどの国力をガンディアは得ている。レオンガンドにしてみれば、そんな国と同盟を続けるためにハルベルクを許す価値などないと考えて当然だった。
望むところでもあった。
許されようなどとは想ってもいない。
許す側に立たなければならなかった。
レオンガンドを出し抜き、打ち勝てば、そうなれたのだ。
たとえレオンガンドがそれを認められなくとも、彼は生きなければならない。ガンディアの王として、小国家群統一の夢を追うものとして、生を享受しなければならないのだ。だから、ハルベルクが勝てば、それはそれで終わったのだ。だが、逆にいえば、勝たなければ意味がなかった。勝たなければ、負けてしまえば、それまでのことだ。
「……だがな、ハルベルク。我が戦友にして義弟よ。わたしはこれからも、おまえとともに歩んでいきたいとも考えている」
「……義兄上?」
「戦いは、終わろうとしている。我が方の圧倒的勝利でな。土台無理な話だったのだ。兵力差が違う。我が解放軍のほうが圧倒的に多い。空間転移によって本陣を突いたのはいいが、わたしを打倒するには戦力が足りなかった。運もなかった。多くの兵を失ったが、それはいつものことだ。裏切られたが、それも、いい。おまえがわたしとともに歩むというのであれば、それでいい」
(甘い)
胸中で、つぶやく。
レオンガンドは、やはり、甘いのだ。ガンディア王家の人間特有の甘さが、彼にはある。情が深く身内に優しすぎるくらいに優しいというガンディア王家の血は、レオンガンドにも色濃く受け継がれている。その結果が王宮の腐敗を招き、ジゼルコートの跳梁を許し、謀反を起こさせることになった。身内への甘さが破滅を呼ぶ。
「義兄上。それは本心でしょうか?」
「ああ。わたしは、おまえを許そう」
レオンガンドは、微笑みさえ浮かべて、こちらを見ていた。
畏怖は消え、代わりに包容力を感じさせた。寒気を覚えるほどの威圧感の中から、穏やかな日差しに包まれているような感覚へと変化する。
(なんだ……)
体が震える。
受け入れがたいものだった。受け入れては、これまでの自分のすべてが嘘のように消えて失せるだろう。馬鹿馬鹿しいくらい鮮やかに消滅し、なにもかもが茶番に終わる。この戦いに投じたのは、数多の命だ。ハルベルクの命令に従わざるを得なかったものたちの数えきれない命を投じ、勝利を掴まんとした。結局、勝利は掴みきれなかったものの、そのために数多の命が消費された。多くのものが死に絶えた。ハルベルクの知らぬところで。ハルベルクの目の前で。ハルベルクのために。ハルベルクの夢のために。
「さあ、ハルベルク。ともに行くのだ。ともに王都へ向かい、ジゼルコートを討とう」
手が、差し伸べられた。利き腕の右手。甲冑に覆われながらも無防備なその手を見つめながら、ハルベルクは、レオンガンドがなにを考えているのか、理解できないでいた。いや、わかっている。なにもかもわかりきっている。レオンガンドは、飲み込んだのだ。ハルベルクの裏切りも、その結果起こった戦いも、戦いによる犠牲も、なにもかも飲み込み、受け入れ、消化したのだ。
その上で、ハルベルクに手を差し伸べた。
甘いのではない。
ガンディア王家の情の深さからくるものなどではない。
レオンガンドの人間的成長、度量の深さからくるものであり、ハルベルクは、彼に王としての器の差を見せつけられたような気がした。
「おまえの裏切りがジゼルコートを欺くためのものだったと証明するのだ」
レオンガンドの手から、顔へと視線を移す。隻眼の獅子王は、その異名に相応しい姿をそこに表している。敵わない。敵うはずがない。膝をつくべきだ。ほかに道はない。膝をつき、手に縋り付けば、それで終わる。少なくとも、レオンガンドとルシオンの間の関係は修復されるだろう。ハルベルクは、彼と肩を並べることはできなくなるが、それでいいのではないか。ルシオンという国と民のことを考えれば、それこそ最善の道なのではないか。
レオンガンドが許すというのだ。許されるのも悪くはないのではないか。
ハルベルクの中で逡巡が生じたそのときだった。
「義兄上! ハルベルク!」
声が聞こえた。
予期せぬ声。
想像だにしない乱入者。
右手を見やる。草木をかき分けるようにして、女が駆け寄ってくるのが見えた。その女は鎧も身につけず、武器も手にしていなかった。よく知っている。美しい外見も鋭い声も蒼白な表情も、なにもかも、彼がよく知る女のものだった。リノンクレア・レア=ルシオン。
彼にとってこの世で最も愛しい女性。
(どうして?)
バルサー要塞にいるはずの彼女がどうしてここにいるのか、ハルベルクにはわからなかった。理解したくもなかった。彼女はここにいるべきではなかったのだ。彼女にとっては辛い戦いになる。どうころんだとしても、だ。
(どうして君がここに)
問うたとき、彼女の後ろにいる人物の姿で把握した。理解したくはなかったが、理解した。ハルレイン=ウォースーンとシャルティア=フォウス。ハルレインがリノンクレアに押し負け、シャルティアが彼女の願いを聞き届けたのだろう。シャルティアの召喚武装オープンワールドの能力を用いれば、この戦場のいずれかに転送できる。転送地点からここまで走りぬいてきたに違いなかった。
(そうだ)
ハルベルクは、リノンクレアを一瞥して、そしてすぐさま柄を握る手に力を込めた。リノンクレアを認識した瞬間、彼の中でなにかが弾けた。
(わたしは、あなたを超えなくてはならないんだ)
剣を地面から抜くと同時に踏み込み、振り上げる。レオンガンドとの対峙は、多少なりとも体力を回復させる時間をくれた。それでも全身全霊を込めなければ振り上げるのも困難ではあったが、振り上げることさえできれば、あとは力に任せればよかった。
レオンガンドは、間合いに入っていた。そして、彼は右手になにも持っていなかった。こちらに手を差し伸べているのだ。当然だろう。左手は水晶球で塞がれていた。剣で身を守ることはできない。ハルベルクの剣がレオンガンドに迫る。
「それが答えか」
レオンガンドの声は、冷ややかだった。ぞくりとするほどの冷たさ。まるで氷の刃のようだった。
「ハルベルクッ!?」
絶叫が聞こえて、ハルベルクは、激痛の中で意識がのたうつのを認めた。
(なにが……?)
なにが起こったのか。
腹を貫く痛みと、無傷のまま立ち尽くすレオンガンドの様子に、彼ははっとした。どうやらハルベルクの刃はレオンガンドには届かなかったらしい。
ハルベルクは、レオンガンドに完敗したのだ。