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第千三百八十八話 愛をこの手に(八)

 トランは、上空にいた。

 常人には持ち得ない跳躍力で上空に達した彼は、天から落下中だった斧槍兵の胸を手刀で貫くと、絶命を確認するまでもなくその手から斧槍を奪い取り、すぐさま地上へと落下した。落下による衝撃をどう和らげたのかはわからないが、ともかく、華麗に着地したトランは、斧槍を片手に持つと、苦境に陥いる味方の救援へと向かった。

 一足飛びに傭兵団の元へと到達すると、斧槍を無造作に振り回して狂戦士たちを薙ぎ倒していく。即死させることもあれば、致命傷止まりの場合もあり、致命傷で済んだ狂戦士は、動きの鈍った体でトランに襲いかかるが、彼はだれかから奪ったのであろう直剣を閃かせ、首を刎ねてみせた。超人的な剣速は、グレイブストーンを手にしたルクスでようやく追いつけるほどであり、常人の目では追うことすらできないだろう。

 トランは止まらない。瞬く間に四、五人の敵兵を直剣と斧槍で切り伏せ、血飛沫を上げさせた。肉塊となった兵士たちは悲鳴すら上げなかった。いや、そもそも狂戦士と化したルシオン兵は、凶暴な雄叫びを上げることでしか意思表示することもできないようなのだから、断末魔の悲鳴も上げようがないのかもしれない。

「さすがは“剣聖”の名は伊達じゃあねえな!」

 シグルドが賞賛する間にも、トランの猛攻が狂戦士の群れを襲い、つぎつぎと物言わぬ亡骸へと変えていく。直剣と斧槍の二刀流による目にも留まらぬ連続攻撃は、狂戦士化したルシオン兵にも対処しようがないのだ。まさに暴風のような斬撃の数々は、彼に召喚武装など必要ないと思わせるものであり、ルクスですら唖然とせざるを得なかった。

 圧倒されるのだ。

 常人でありながら超人的な力と技を見せつける“剣聖”の姿は、ルクスが目指すべき姿に重なった。

 ありふれた武器で数多の敵を殺戮し、武器が使い物にならなくなれば、死体から武器を奪い取っては犠牲者を増やしていく。敵の攻撃は掠りもしない。完全に見切っている。彼を捕捉するのはルクスでさえ至難の業かもしれない。

 鼓動が高鳴る。

 体温の急上昇を感じる。

 背後から迫ってきた気配を振り向きもせずに切り捨てたときも、ルクスの目は、トランに注がれていた。トラン=カルギリウス。“剣聖”の二つ名に相応しい戦いぶりだが、同時に疑問も生まれる。シールウェールにてルクス、エスクと戦ったとき、彼はなぜ、いまのような戦い方をしなかったのか。少なくとも、あのときの召喚武装の能力に頼りきった戦い方は、いま目の前で繰り広げられる殺戮劇に比べると何倍も生温い。

「これじゃあまるで手を抜かれていたみたいなんだけど」

 ルクスがぼやくと、トランが彼の背後で足を止めた。戦場を蹂躙し、数多の狂戦士をただの肉の塊に変えてしまった男は、息ひとつ切らしていなかった。そして、平然と告げてくるのだ。

「相性の問題だよ」

「相性?」

「アークセイバーに坤龍。いずれも強力な召喚武装だが、能力を使うにはそちらに意識を割く必要がある。一歩間違えれば味方を巻き込むからな。この闘法とは相性が悪い」

「なるほど」

 確かに、彼が使っていた召喚武装は少しでも使い方を間違えれば味方を巻き込みかねない強力なものだ。嵐を起こす剣と、大地を揺るがす刀。それらの制御に神経を集中させなければならない以上、現在彼が駆使している闘法を用いることはできなかったのだろう。つまり、それだけ意識を集中させなければならない戦い方をしているのだ。そしてそれはおそらく、彼の奇妙な呼吸法に起因するものであり、ルクスは、トランが一足飛びに敵陣に切り込み、複数名の狂戦士を殺戮する様を魅せつけられながら、震えるような感動を覚える自分に気づいた。

 自分も彼のように戦えはしないものか。

 想像する。

 そうすれば、シグルドやジンはもっと喜んでくれるのではないか。

 そうすれば、さらなる高みへと至れるのではないか。

 名ばかりの“剣鬼”も、本物になれるのではないか。

 そう思ったとき、彼は地を蹴っていた。トランを猛追し、彼の闘法を見て、学ぶ。躍動する肉体が描く深紅の軌跡に目を奪われる。無数の斬撃が数多の敵兵を切り刻み、戦況を赤く塗り替えていく。傭兵団にとって圧倒的不利だった局面が彼一人の活躍によって、有利な状況に変わっていく。ルクスも敵兵を倒していくのだが、トランの戦果には遠く及ばない。速度も力も技も、なにもかも彼に遅れを取っている。彼は常人だ。召喚武装を用いないただの人間だというのに、グレイブストーンを手にしたルクスの上を行っているのはどういうことなのだろう。

(どういう……)

 トランの息吹きが聞こえる。

 深く鋭くなにもかもを貫くような呼吸音。

 それこそが彼の力の源泉なのだろうということはわかる。彼は、その闘法を用いるまで、そのような呼吸音を発したことはなかった。呼吸法を変えたのは間違いないのだ。つまり、その呼吸法を体得すれば、ルクスも同様の力を得ることができるのだろうか。

 狂戦士のひとりを切り倒し、足を止める。戦場を蹂躙する“剣聖”の姿を目で追いながら、彼の呼吸音のみに意識を向ける。息を切らしていないのも、その独特な呼吸法が影響しているのかどうか。

 飛来する無数の矢の尽くを切り落とすなり、矢を放った弓兵の元へと殺到したトランは、一刀の元に弓兵を斬り殺し、さらに複数の敵兵の首を切り飛ばした。既に百人どころではない数の狂戦士が彼の手によって絶命している。鳴り響く弦楽器の音色が、一層激しくなっていくのは、トランの活躍が想定外のものだったからに違いなかった。武装召喚師が恐れを成したのだ。

(深く……鋭く……)

 ルクスは見よう見まねで、息を吸い、吐き出した。ただの真似事にすぎない。が、力を欲するのに貪欲なルクスは、だれかの真似をすることにも疑問ひとつ抱かなかった。そして、何度となくトランの呼吸法を真似る内、全身に力が漲っていくような感覚に襲われた。最初、錯覚かと思ったルクスだったが、やがてトランの姿を完全に捉えることができるようになると、動体視力そのものが向上しているという事実を悟った。呼吸法を真似ただけだ。真似ただけでそれなのだ。本格的に学べば、もっと変わるのではないか。

 ルクスは寒気を覚えるほどの高揚感の中で、敵陣に切り込んでいた。

 狂戦士たちが雑兵に見えた。

 いや、狂戦士化したルシオン兵は相変わらず強いのだが、ルクスの相手にならなくなっていた。鋭い斬撃も、より強力な一閃の前では意味をなさず、痛みを無視する強靭な肉体も、圧倒的な暴力の前では無意味だ。蹂躙し、殺戮する。胴を真っ二つに断ち切り、頭蓋を割り、首を刎ね、胸を貫く。大量の返り血を浴びながら、ひたすらに前進する。後方は“剣聖”に任せておけばいい。ルクスは、前進し、狂戦士の源泉たる武装召喚師を討つべきだった。いかに闘法を用いるトランが凶悪で、真似をしたルクスも強力とはいえ、狂戦士を殲滅するのは、多少、骨が折れる。それならば狂戦士の源泉を断つほうが余程楽だろう。

「なぜだ……なぜ、狂化したルシオンの戦士を圧倒できる……!?」

 愕然とする武装召喚師の声が聞こえた。悲鳴にも似た叫びは、彼の本心だったのだろうが、ルクスは構わず、敵を倒しながら彼に近づいた。呼吸法を乱さず、グレイブストーンを振るう。トランは、召喚武装を用いながらこの呼吸法を維持するのは困難といった。それは、召喚武装の能力の制御と呼吸法の維持を同時に行うのが困難なのであり、能力を用いないのであれば、大きな問題はなさそうだった。少なくともルクスは、トランの呼吸法を使いながらグレイブストーンを用いることになんの問題もなかった。むしろ、呼吸法による強化と召喚武装を手にしていることによる強化で、さらに強くなっているといっても過言ではなかった。

 それでもトランに肉薄する程度というのは、見よう見まねに過ぎないからに違いなかった。

 そんなことを考える余裕さえルクスにはあった。怒涛の如く襲いかかってくる狂戦士たちをグレイブストーンの一閃でつぎつぎと切り倒し、敵武装召喚師への道を開く。すでに百人どころではない数の狂戦士を殺戮し、全身、血みどろになっている。大量の返り血で体の動きが鈍るということさえなかった。呼吸法さえ維持していれば、いくらでも戦える気がした。

「な、なにをしている!? わたしを護れ!」

 弦楽器の武装召喚師が情けなくも取り乱す様を認め、ルクスは、苦笑したくなった。だが、呼吸法を乱さぬよう、笑うこともできない。ただつぎつぎと迫り来る狂戦士を無意味に殺戮し、武装召喚師に近づく。武装召喚師は後ずさりする。弦楽器は鳴り止まない。手を止めることができないのだろう。つまり、この戦場に満ちた音色が狂戦士化させているのであり、音色さえ止めば、狂戦士化は解除されるということだ。彼は、傭兵たちのことを考え、さっさとこの戦いを終わらせるべきだと判断した。飛ぶ。武装召喚師に向かって。武装召喚師は、蒼白に引きつった顔をさらに歪ませた。笑み。音色が止む。指先が弦を弾いた。音波が衝撃波となってルクスの体を貫く。肉体表面ではなく、内側に激痛が生じた。が、それだけだ。ルクスは止まらない。武装召喚師の眼前に着地し、再び弦に指を走らせようとした瞬間には、楽器ごと武装召喚師の体を切り裂いていた。

「なぜだっ……」

 名も知らぬ武装召喚師は、そのような断末魔を上げながら崩れ落ちた。すぐに動かなくなる。絶命したのだ。召喚武装たる弦楽器を壊してしまったが、問題はないだろう。どうせ簡単には使いこなせないような召喚武装なのだ。破壊してしかるべきだ。

 狂戦士化の音色は、武装召喚師自身が止めた。ルクスを迎撃するためにであり、それが意味をなさなかったとはいえ、ほかに方法はなかっただろう。体の内側に生じた痛みは、鋭く、強烈だ。数回同じ攻撃を喰らえば、ルクスといえど戦闘不能状態になっていたかもしれない。それくらい強力な攻撃だったのだ。おそらくは武装召喚師の奥の手であり、一撃必殺の攻撃だったに違いない。それがほとんど効果がなかった。彼が愕然とするのも当然だ。

 そして、意味をなさなかったのは、呼吸法のおかげといってもいい。

 ルクスは、呼吸法を維持しながら、戦場を見回した。狂戦士化を解除されたルシオン兵の多くはその場に崩れ落ちており、彼らがもはや戦闘続行不能であることを示しているようだった。狂戦士化による反動なのか、それとも戦況を理解してのことなのか。いずれにせよ、ルクスたちは窮地を脱することに成功したようだった。

 グレイブストーンを鞘に収め、呼吸法を戻す。全身、どっと疲れが出てくるのだが、心地良い疲れといえばそうかもしれない。しかし、普段とは比べ物にならない負担を強いたのは間違いなく、しばらくは筋肉痛と戦わなければならないのではないか、と思ったりもした。

 シグルドたちの元へ戻る。傭兵たちは、狂戦士集団との戦いで数多くの仲間を失っていた。ただでさえ強力なルシオン軍が狂化し、痛みも感じぬ化物と成り果てたのだ。いくら歴戦の猛者の集まりといえど、圧倒されざるをえない。この戦いにトランがいなければ、大敗を喫していた可能性も低くはなかった。

 壊滅することはないだろうし、最悪、最終手段がある。

(使いたくはないけれど)

 そんなことを考えていると、シグルドの大きな手がルクスの頭を撫でた。

「ルクス! よくやった! さすが俺の突撃隊長だ!」

 手放しで褒められて、ルクスは、なんとも気恥ずかしくなった。もちろん、嬉しいのだ。心の底から歓喜が湧いてくる。ついで、ベネディクトがルクスの腕に腕を絡めてくる。

「本当にさすがよ、わたしのルクス。恐ろしくて堪らなかったわ」

 ベネディクトは、いつものようにルクスを抱きしめたかったのだろうが、重武装ということもあってかそれを諦めたようだった。人前ということもあるかもしれない。ベネディクトはミリュウ=リヴァイアほど状況をわきまえなくはないのだ。

「なにもかも“剣聖”のおかげなんだけどね」

「“剣聖”の?」

 シグルドが怪訝な顔をした。シグルドには、ルクスがいつもどおり戦っているように見えたのかもしれない。遠目には、普段のルクスと大差がなかったのか、あるいは、シグルドは傭兵たちの指揮で忙しかったのか。おそらくは後者だろう。シグルドがルクスの変化に気づかないわけがない。

「あのひとの呼吸法を真似したんだよ」

「呼吸法ねえ」

「一朝一夕に真似できるものではないのだがな」

 トラン=カルギリウスが、呆れたように肩を竦めてきた。少し離れた場所にいる彼も大量の返り血を浴びている。数多の狂戦士を殺して回ったのだ。返り血も浴びよう。

「こいつを誰だと思ってんだ? “剣鬼”様だぜ」

「ふむ……“剣鬼”の名に違わぬ才能の持ち主なのは間違いない」

「だろうよ」

「まるで自分のことのように自慢しますね」

「俺が才能を発掘したんだ。当然だろ?」

「まあ、そういうことにしておきましょう」

 ジンがどこかおかしそうに笑ったのは、ルクスのことを自慢気に語るシグルドなど、そう見れるものではないからなのだろう。ルクス自身、驚きでいっぱいだった。嬉しくもある。シグルドがここまで自分のことを褒めてくれることなど、一年に一度あるかないかといったくらいだった。天にも昇る気持ちとはまさにこのことであり、しばらくはその余韻に浸りたかった。が、それよりも気になることがあり、ルクスはシグルドの手とベネディクトの腕から離れると、トランに歩み寄った。

 トランは、傭兵たちから少し離れた場所に立っていた。ルシオン兵を注視しているようなのだが、ルシオン兵たちはもはや戦う気力も失っているように見える。それでも一応は警戒しておくべきなのだろう。半数以上は死体となっているとはいえ、数の上では、敵のほうが多い。

 ルクスは、トランに歩み寄ると、彼に問いかけた。

「あの呼吸法……一体なんなんです?」

「竜の呼吸法だよ」

「竜?」

 ルクスは、予期せぬ返答に驚くしかなかった。竜が実在するのは知っている。子供の頃目の当たりにしたこともあれば、弟子の従者にドラゴンがいて、身近な存在になってもいた。だが、実際は、人智を越えた存在であり、このような話で言及されるとは想像もできなかった。

「そう、竜。以前いっただろう。ドラゴンを相手にしていたことがあると」

「そういえば……でも俺はてっきりただの冗談かと」

 シールウェールでの戦いの最中のことだ。

「冗談なものか。わたしは子供の頃、竜とともにいた。龍の庭で育ったのだ。そして龍の庭で体得した呼吸法は、竜の呼吸法そのものだ。人間の体で再現するのは至難の業だ。人間の体は、ドラゴンとはまったく異なるものだからな」

「そりゃあそうだ」

「ましてや、見よう見まねで再現できるものではないはずなのだが……」

 トランがなんともいいがたい目でこちらを見てくる。いいたいことがありそうな視線だった。

「できちゃったね」

「ありえん」

「ふふん」

 笑うと、トランは肩を竦めてため息を浮かべた。そして、静かに告げてくる。

「……貴殿のような才能に巡り会えるなど、想像もしていなかったよ」

「才能……か」

「才能だよ」

 トランに肯定されると、否定しようがなかった。トランは“剣聖”と謳われる実力者であり、その実力に関しては疑いようがなかった。竜の呼吸法とやらも、彼だからこそ体得できたに違いなく、それは紛れもない才能と実力があったればこそのものだ。

「竜の呼吸を聞いただけで再現できる人間など、いるはずがない。それがいたのだ。それが貴殿だ。貴殿はまさに才能の塊なのだろう。素晴らしいことだ」

「そんなに褒められると、なんか照れるな」

「そうか。わたしも弟子に怒られそうだ」

「弟子に?」

「他人を褒めるくらいなら自分たちを褒めてくれ、とな」

 難しい顔で告げるトランではあったが、まんざらでもなさそうではあった。


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