第千三百八十七話 愛をこの手に(七)
髑髏の弦楽器が掻き鳴らされるとともに戦場に響き渡ったのは、苛烈といってもいいような旋律であり、けたたましい音色は耳を塞ぎたくなるほどのものだった。特にルクスの場合は召喚武装によって聴覚が強化されているということもあり、余計に耳に痛く、彼は顔をしかめながら、地を蹴った。弦楽器を掻き鳴らす男は、まず間違いなく武装召喚師だろう。武装召喚師でなければ楽団の人間ということになるが、いくら尚武の国ルシオンとはいえ、楽団を従軍させ、戦場に連れ出すなんてことは考えにくい。となれば、武装召喚師以外には考えられなかった。
あるいは、ルクスと同じ召喚武装使いか。
いずれにせよ、髑髏の弦楽器が召喚武装だということは疑いようがなく、ルクスがその男に飛びかからんとしたのは、弦楽器の能力次第では戦況が覆されるのではないかという懸念があったからだ。そして、現代戦闘の鉄則として、敵武装召喚師は真っ先に落とすべし、というものがあるからでもある。武装召喚師の戦闘能力というのは、召喚武装に依存している。召喚武装の能力次第ではなんの役にも立たないこともあるが、総じて、厄介だ。召喚武装の補助によって常人以上の能力を引き出せるというのもあるし、場合によっては複数の召喚武装を操る可能性だった有りうる。放っておけば、どうなるものかわかったものではない。
召喚武装の能力を発揮される前に、さっさと始末するべきだった。
だからこそ、ルクスはその場違いな男に飛びかかったのだが、彼が弦楽器の男に到達することはできなかった。空中にいるとき、足を引っ張られた。はっとしたときには地面に叩きつけられ、全身を強打していた。受け身を取る暇もなかった。
「ルクス!」
シグルドの叫びに、彼は瞬時に足首を掴む手を剣で切りつけ、拘束が緩んだ瞬間に飛び起きた。眼前から敵兵が飛びかかってくる。飛び退き、やり過ごしながら剣を振り下ろす。受け止められる。別方向から飛び込んできたルシオン兵にだ。刀身を受け止められたのではない。グレイブストーンの切れ味は凄まじく、並の武器ならば武器ごと切り裂くのだ。それを理解しているのだろう。ルシオン兵は、グレイブストーンの鍔に得物を叩きつけて、ルクスの斬撃を防いでいた。
(なんだ?)
ルクスが違和感を覚えたのは、敵兵の反応が常人のそれではなかったからであり、手から血を流す兵が、平然と彼に突っ込んでくるさまを目撃したからだ。ルクスの足を掴み、地面に叩きつけた兵だろう。手の傷はルクスが斬りつけたものであり、血はまだ流れているにもかかわらず、兵は、気にする様子もなく、突進してくるのだ。ルクスは受け止められていた剣を離すと、瞬時に体を捻って突進兵を切りつけようとしたが、やめた。飛び退き、やり過ごす。斬撃を取りやめたのは、別の兵士が受け止めようとしたからだ。ルクスの斬撃を封じ、突進をぶちかまさせようというのだろうが。
「なんだこいつら!」
シグルドが戦槌を振り抜き、敵兵のひとりを吹き飛ばしながら叫んだ。戦鎚の直撃を受けたルシオン兵は、木の幹に激突したが、何事もなかったかのように立ち直り、シグルドに向かう。いや、何事もないはずがない。骨がいくらか粉砕されたのだろう。兵士の動きはいびつだった。いびつながらも、シグルドに肉薄し、ベネディクトに首を刎ね飛ばされて絶命する。
「急に強くなったわね。どういうことかしら」
ベネディクトが周囲を見回しながら、疑問符を浮かべる。戦場は、一変していた。元々、数の上で不利だった戦況は、ルシオン兵に起きた変化によってさらに傭兵団が不利なものへと変わっていた。ルシオン軍の包囲陣は崩れ去ったものの、全兵士が一斉に攻撃を開始し、各所で戦闘が始まったのだ。《蒼き風》、《紅き羽》の傭兵たちが応戦しているものの、そこかしこで押し負けている様子が見えた。
ルクスの斬撃にさえ対応するような敵なのだ。常人揃いの傭兵たちでは、対応しきれないかもしれない。ルクスは突進兵の胴を薙ぎ、援護兵の手首を切り飛ばしながら、戦況の悪化を認識した。このままでは、こちらが壊滅するかもしれない。
「あれか?」
「あれでしょうね」
「召喚武装の能力!」
シグルドたちが目をつけたのは、もちろん、弦楽器の男だ。鳴り響く激しい音色こそ、この戦況を作り出したのは疑いようもない。彼が弦楽器を掻き鳴らした瞬間から、ルシオン兵の動きが変わったのだ。
「そう、これこそ我が召喚武装ウォーロッカーの力。味方を鼓舞し、血に飢えた狂戦士へと生まれ変わらせる……!」
赤い外套の男は、数名の重装兵に守られながら、弦楽器を掻き鳴らし続けていた。破壊的な旋律は、まさに狂気といってもいい。
「鼓舞して狂戦士?」
「意味がわかりませんが、まあ、召喚武装の能力に意味を問うても仕方ありませんね」
「それに楽器が召喚武装なんざ、聞いたこともねえ」
「門が召喚武装になるんです。なんだって関係ないんでしょう」
門とは、アズマリアのゲートオブヴァーミリオンのことだ。門が召喚武装になるのであれば、弦楽器が召喚武装になったとしても、なんら不思議ではない。むしろ、門よりも納得しやすいかもしれない。門は武器にならないが、楽器ならば武器として扱うこともできなくはないからだ。
「狂戦士……ねえ」
つぶやいて、なるほどと思う。だから、彼らはいくら斬りつけても怯まず、どれだけ血を流しても攻撃を止めようともしないのだ。狂戦士。つまり、戦い、敵を倒すことだけを考えるようになっているのだろう。そうなるような音色を、あの男が奏でているのだ。あの男を殺すか、無力化し、音色を止めないかぎり、ルシオン兵が全滅するまでこの戦いは終わらないということだ。そして、そうなれば、圧倒的に不利なのがこちらだった。
胴を切り裂かれてなお攻撃してくるルシオン兵の頭に剣の切っ先を突き入れて絶命させると、ルクスは、弦楽器の武装召喚師を見遣った。全身で楽器を掻き鳴らしているかのような男は、目を閉じ、自分の世界に入り込んでいるようにも見えるが、その実、周囲の状況を把握しているに違いなかった。鳴り響く破壊の旋律がルシオン軍兵士たちに作用し、狂戦士化した兵士たちがだれから構わず襲いかかり、血祭りにあげていく。《蒼き風》も《紅き羽》も、狂戦士と化したルシオン兵には押されまくっている。ルシオン兵は元より精強で知られている。そんな強兵が痛みを知らず、恐れも抱かぬ狂戦士となったのだ。いかに歴戦の猛者といえど、敗北を喫するのは当然といえるかもしれない。
(それだけじゃないな)
ルクスは、狂戦士化したルシオン兵の相手をしながら、狂化の音色がただ凶暴化させるだけのものではないことを確認した。身体能力も向上しているようだった。でなければ、ルクスの斬撃に反応できるわけがない。自負でも勘違いでもなんでもなく、事実だ。常人がルクスの剣速に対応できるはずがないのだ。それなのに、狂戦士たちは当然のように反応し、受け止め、あるいはかわしてみせるのだから、ウォーロッカーの作用と考えるほかない。
(狂戦士化に能力強化……とんでもない召喚武装もあるものだ)
そして、武装召喚師がウォーロッカーを最初から使わなかった理由も、なんとはなしに理解した。狂戦士化したルシオン兵は、彼の命令通りに動いているようには見えなかった。ただ、眼前の敵に襲いかかるだけであり、それ以上の思考はないように思えた。連携こそすれ、それも目の前の敵を倒すためだけのことであり、陣形を整えたり、隊伍を組むというわけではなかった。そこが付け入る隙となるかというと微妙なところだ。数の上で押され、力でも押されている以上、指揮系統が乱れていようと関係がない。
狂戦士化したものたち敵味方の区別なく攻撃するのであれば別の話だが、残念ながら、最低限、敵と味方の認識くらいはできるようだった。
「ルクス、てめえなんとかしやがれ!」
「なんとかって」
「そうよ、ルクス! わたしとの未来のためにも!」
シグルドに続いて、ベネディクトまでもが叫んでくる。ふたりとも、傷を負っていた。狂戦士との戦いは、団長たちですら困難を極めるようだった。
「えーと」
「義兄上」
「だから」
ルクスが狂戦士の猛攻を捌きながらうんざりしていると、背後に気配が湧いた。敵意ではなかった。ほっとする。
「“剣鬼”も大変だ」
低く渋い声には、当然、聞き覚えがある。トラン=カルギリウス。“剣鬼”“剣魔”の由来とでもいうべき、“剣聖”。
「あ、“剣聖”みーつけた」
「……なんだそのいいざまは」
トランが、狂戦士の斧槍を見切ってかわすと、嘆息を浮かべた。そこへ矢が飛来したが、彼は素手で掴み取ると、無造作に投げ返した。返し矢は見事に命中したものの、即死には至らず、死ななかったということは、攻撃が止まないということだ。狂戦士は、殺さなければ戦闘行動を止めないのだ。どれだけ重傷を負っても、強引に体を動かし、敵を求める。シグルドの鉄槌の直撃を食らい、骨という骨が粉砕されても戦い続けようとするのだ。
戦場に流れる狂気の旋律の恐ろしさは、そこにあるのかもしれない。
「“剣聖”らしいところ、見せてくれない?」
「“剣聖”らしいところ……か」
トランが再び返し矢を放ち、首に命中させると、こちらを一瞥してきた。振り下ろされた斧槍を右手で受け止めながら、告げてくる。
「良かろう。わたし本来の戦い方、見せてやろう」
「本来の戦い方……」
ルクスは、ルシオン兵の猛攻を捌きつつ、反芻した。トランが“剣聖”と呼ばれるようになったのは、ずっと昔のことだ。それこそ、ルクスが剣を握る前のことであり、トランが弟子として連れている武装召喚師たちと出会う以前のことだという。つまり、トランが“剣聖”と謳われるようになったのは、召喚武装のおかげでもなんでもないということだ。その点で、ルクスとは大きく違う。ルクスは、グレイブストーンの恩恵によって“剣鬼”の異名で呼ばれるようになったといってよかった。
もっとも、それが悪いことだとは一切思わない。
グレイブストーンは、父から受け継いだ召喚武装であり、ルクスにとってはすべてといっても過言ではない代物だからだ。
ともかく、ルクスはトランの戦い方に注目せざるを得なかった。
彼が“剣聖”と呼ばれた所以を目の当りにすることができるのだ。これほど興奮し、高揚感を覚えることなど、そうあるものでもあるまい。
トランは、狂戦士の斧槍を捌き、狂戦士の肉体を天高く放り投げると、無手のまま深く腰を落とした。
破壊的な旋律が反響する中、トランの息吹きがルクスの耳に聞こえた。
深く、それでいて鋭い呼吸法は、さっきまでのそれとは大きく異なるものであり、トランは、つぎの瞬間、ルクスの視界から消えた。