第千三百八十六話 愛をこの手に(六)
当初、戦況は、解放軍に有利に動いていた。
バルサー要塞に篭もるルシオン軍の兵力は六千。
対して、ガンディア解放軍の兵力は三倍以上であり、たとえルシオン軍が籠城したとしても終始優勢に推移することは明らかだった。兵力差は戦力差に直結する。個の力が戦局を左右することなど、通常あるものではないからだ。
数多くの戦場を経験してきたルクスだが、彼が数多くの敵を斬り殺しながら負けた戦いも少なくはなかった。戦争とは個による戦いではない。群による戦いなのであり、兵力が多ければ多いほど有利なのは当然の道理といってもいい。本来ならば覆しようのない摂理であり、絶対的な真理だった。それが崩れ去ったのは、武装召喚術が出現し、強大な力を秘めた召喚武装が現れるようになってからだ。
それでも、武装召喚師、召喚武装使いには武装召喚師、召喚武装使いをぶつけることで、ある程度の均衡は保てたし、武装召喚師の力も絶対的ではなかった。
彼が現れるまでは。
セツナだ。
黒き矛のセツナの出現が戦場を変えた。
彼は、たったひとりで戦局を覆し得た。たったひとりで勝利を呼び込み、たったひとりで窮地を脱しうる。それほどの武装召喚師は、そういるものではなかった。少なくとも、小国家群にはいなかっただろう。
ルシオンが彼ほどの武装召喚師を有していない以上、ガンディア解放軍の勝利は確定しているといってもよかった。
つまらない戦いになるだろう。
メレド軍とともに混成部隊として解放軍右翼に配置された《蒼き風》の中でも、そのような声が聞かれた。数で圧倒するのだ。無残でつまらない戦いになるのは、だれの目にも明白だ。数の暴力。激流の如く押し寄せる数倍の兵に飲み込まれ、ルシオン軍は為す術もなく壊滅するだろう。メレド軍も傭兵たちも、だれもがそう思っていた。もちろん、そのためにはルシオン軍が打って出てこなければならないのだが、籠城したとしても、大差はなかった。城門を破壊する方法はいくらでもあった。マルスールのようにウルクに破壊させてもいいし、ミリュウ・ゼノン=リヴァイアかルウファ・ゼノン=バルガザールに任せてもいい。
難攻不落のバルサー要塞も、いまとなっては少し硬い城壁都市でしかないのだ。
そして、ルシオン軍が籠城する可能性は限りなく低いだろうという考えが圧倒的だった。籠城するのは、援軍を期待してのことだ。援軍は、期待できるだろう。しかし、援軍を待っている間にバルサー要塞を突破されては意味がない。籠城するのであれば、最低限、こちらの攻撃に対抗できる召喚武装を用意しなければならず、用意できないのであれば、打って出て、奇跡的な大勝利を掴み取るしかない。
奇跡。
まさに奇跡という他ない。
これほどの戦力差を覆し、ルシオン軍が勝利することができたとすれば、歴史的な快挙というほかなかった。大陸史に刻まれるであろう大勝利であり、つまるところ、十中八九、ガンディア解放軍の勝利が約束されているといっても過言ではなかった。
とはいえ、傭兵たちにとって、そのようなつまらない戦いこそが手柄の稼ぎどころといってもよく、《蒼き風》にせよ《紅き羽》にせよ、だれよりも戦功を上げるべく、息巻いていた。
ルクスは、そんな傭兵たちの中にいて、つまらない戦いがつまらないまま終わらぬことを望み、シグルドやジンに怒られたりしたものの、ベネディクトにはそれでこそルクスだと褒められたりした。“剣聖”トラン=カルギリウスも、ルクスと同様の想いを抱いているといい、ルシオン軍が精強で知られているという話を聞き知ってからは、戦いのときを待ちに待っている様子だった。トランのふたりの弟子は、マルスールに待機中であり、参戦しておらず、彼は召喚武装を用いず戦うつもりらしかった。
そうするうち、突如として戦いが始まった。
リノンクレア・レア=ルシオンによる説得も虚しく、ルシオン軍が解放軍の前線部隊を攻撃、戦いの火蓋が切って落とされると、尚武の国ルシオンの面目躍如とでもいうべき戦いぶりでザルワーン方面軍を瞬く間に蹴散らした。圧倒的な攻撃力、突破力はさすがはルシオン軍というべきものであり、ザルワーン方面軍はその破壊力に恐れをなしたかのように後退、予定通り、敵軍を指定地点へと誘導した。
ザルワーン方面軍による誘導が開始されるとともに、メレド軍白百合戦団を主力とする混成軍は、包囲陣に参加するべく移動を開始。ログナー方面南部森林地帯に巨大な包囲陣が形成され、ルクスたちがルシオン軍の側面を攻撃しようとしたちょうどそのときだった。
混成軍後方からルシオン軍が迫っているという報せがあり、混成軍に衝撃と驚きが走った。
「はあ!? いったいどういうこった!?」
敵軍接近の報せが届いた瞬間のシグルドの第一声は、素っ頓狂なものだった。
「どこに隠れてやがったってんだ!」
「隠れていたわけではないでしょう」
「転移ってやつか」
「だとしても、あれだけの数の人間を転移させる召喚武装なんて聞いたことはありませんが」
ジンのいうとおりだった。
つぎつぎと飛び込んでくる情報によれば、混成軍後方から接近中のルシオン軍部隊の兵数はおよそ一千人だという。メレド混成軍の相手ではないが、それはそれとして、一度に千人もの人間を別の場所に移送する召喚武装など、聞いたこともなかった。
空間転移能力を持つ召喚武装というだけならば、いくつか聞いたことがある。ひとつはセツナの黒き矛であり、ひとつはニーウェ・ラアム=アルスールが使用したエッジオブサースト、そしてもっとも有名な空間転移能力を持った召喚武装といえば紅き魔人アズマリア=アルテマックスのゲートオブヴァーミリオンだろう。ゲートオブヴァーミリオンは多人数を別空間に移動させることができるようだが、それでも千人規模の軍勢を移送させられるかどうかは不明だ。
つまり、ルシオン軍の武装召喚師には、それだけの実力者がいるということであり、油断はできないということだ。
「《蒼き風》および《紅き羽》、転進し、後方のルシオン軍に対応せよ!」
と命じてきたのは、メレド軍白百合戦団の人間であり、傭兵たちは顔を見合わせた。無論、指揮権があるからこその命令であり、反論の余地もないのだが。
「俺達だけでか?」
「いいじゃないですか、存分に手柄を上げられますよ」
ルクスがいうと、シグルドが凶暴な笑みを浮かべた。
「そりゃあそうだ」
前方のルシオン軍にも対応しなければならない以上、後方から接近中の部隊に割ける人数は限られている。《蒼き風》、《紅き羽》の二傭兵団を合わせても千に遠く及ばないものの、戦力的には千人程度ならば対応できるはずだった。《蒼き風》も《紅き羽》も歴戦の猛者ばかりで構成された強力な傭兵集団だ。
「結婚資金も稼げるってものね」
「それはいい」
《紅き羽》団長ベネディクト=フィットラインの言葉を肯定したのは、副団長にして実弟ファリュー=フィットラインだ。ファリューは姉がルクスと結婚することを望んでいるらしい。なんでも、早く結婚して傭兵から身を引いて欲しいというのがファリューの願いらしく、そういう話を聞くと、彼女の想いを受け入れるのもやぶさかではないかもしれない、などと考えてしまうのだ。
もっとも、ルクスは当面、結婚するつもりなどはなく。
「冗談も程々にね」
告げて、ルクスは後方の敵軍に向き直っていた。ルクスの視界には、まだ、敵兵の姿はない。が、感知範囲には入り込みつつあった。召喚武装グレイブストーンを手にしていることによって強化された感覚が、敵の接近を脳裏に映像化し、伝えてくれる。
「ルクスってばひどーい」
「義兄上、お手柔らかに」
「だれが兄なんだ」
ファリューが当然のように弟顔をしてくるので、ルクスは憮然とした。
「突撃隊、続け!」
《蒼き風》突撃隊長として部下たちに命じ、反応を待つでもなく駈け出した。黎明の森の中を疾駆する。グレイブストーンの補助によって強化された身体能力を駆使すれば、だれも追いつけない速度で敵軍へと至ることができるだろう。単騎で突出するのは必ずしもよくないことではあったが、彼は構いはしなかった。敵の数が上回っている以上、ひとりでも多くの敵をルクスの手で倒す必要がある。でなければ数で押されることになり、さすがの傭兵団も数の暴力で蹂躙されれば、敗走することだってありうるからだ。両軍激突までにできるだけ多くの敵兵を倒すか手傷を負わせることで戦力を低下させておきたいというのが、ルクスが突出した理由だった。そして、周囲に味方がいなければ、いくらでも暴れられるというものだからだ。
味方を斬りつける可能性を考慮する必要がなくなる。
それだけで、ルクスの動きは変化した。
(見つけた!)
前方、敵部隊が見えた。
白を基調とした軍勢はルシオン軍の精兵たちに違いなかった。黎明の森の中白く塗り潰すかの如く、猛烈な勢いで侵攻している。両軍が激突するまで時間はない。そのわずかな時間でどれだけの敵戦力を無力化できるのか。すべて、ルクスの腕にかかっている。飛び、敵陣へと至る。ルクスを視認した敵兵が口をあんぐりと開けた。瞬間、彼は、剣をその兵士の額に突き刺し、脳を貫いた。そのまま敵兵の体を地面に押し当てるように着地する。敵兵の見開かれた目が最後に見たのは、殺到する“剣鬼”の姿であり、自分の死を理解したに違いない。ルクスは死体から剣を引き抜きながら立ち上がり、体を捻るようにしながら周囲のルシオン兵を斬りつけ、眼前の兵の首をも刎ねた。わっ、と、周囲に声が上がる。
「敵襲! 敵襲!」
悲鳴じみた声がルシオン軍を緊張させたときには、ルクスは敵陣に切り込んでいる。いかにルシオン軍が精強であり、ガンディアの近隣国の中で最強と謳われる軍勢を構築していようと、ルクスには関係がない。目につく敵兵を手当たり次第斬りつけ、突き刺し、切り飛ばしながら敵陣の奥へ、奥へと突き進む。
「敵は単身乗り込んできている! 包囲陣を形成せよ」
「包囲! 包囲!」
ルシオン兵の声が幾重にも響くと、ルクスの周囲から兵士たちの姿が消えた。いや、実際には消えていない。ルクスから距離を取り、大きく包囲するように展開したのだ。ルクスの周りには、肉塊と成り果てた十人ほどの敵兵しかいなくなっていた。木々が乱立する森の中とは思わせないほどの素早い反応は、さすがはルシオン軍というべきだろう。包囲陣が構築されると、無数の矢が殺到してきた。それらを剣で撃ち落としたルクスは、ルシオン軍の指揮官がそれなりに考えていることに満足した。
(こうじゃなきゃ)
雑兵を無暗に切り捨てるだけでは、戦いでもなんでもない。ときには苦境に陥り、それを打破することにこそ、戦いの意味というべきものがある。一方的な殺戮など、虐殺にすぎない。虐殺になど興味はない。戦うことにこそ、意義があるのだ。
包囲陣が一段狭まったころ、包囲陣の一角に《蒼き風》の突撃隊が殺到し、包囲陣が崩れた。そこへさらに後続部隊が続き、包囲陣の傷口が開いていく。敵軍はすぐさま包囲陣を解き、傭兵団の突撃に対応するべく態勢を整える。その隙に傭兵団がルクスの元へと雪崩れ込み、合流に成功する。
「まったく、てめえは早過ぎるんだよ」
「でも、追いつきましたよね?」
「ふっ、当然だろ」
シグルドが愛用の戦槌を担ぎながら笑う。獅子の尾と名付けられた戦槌は、既に敵兵の血を吸い、赤黒く染まっていた。包囲陣を突き破る際、敵兵を粉砕したに違いなかった。そこへ、ベネディクトがあきれたようにいってくる。
「どれだけ格好つけても、全然格好良くないわよ」
「うるせえ、てめえの審美眼がイカれてるっていい加減気づけよ」
「ははっ、笑わせるわね」
「冗談じゃねえぞ」
憤慨するシグルドを鼻で笑うベネディクト。そんなふたりの様子を見遣りながら、ルクスは、剣を構え直した。傭兵団都の合流により、戦況は大きく変わった。しかし、敵軍の数のほうが遥かに多いことに変わりはない。ルクスが撃破した敵兵の数は二十人、無力化できたのは三十人程度といったところであり、敵兵総数は自軍の倍ほどだ。その上、包囲が形成されている。包囲陣の一角を突き破り、ルクスとの合流を優先したのだ。敵軍が包囲を再構築するのは目に見えていた。数の上では相手が有利であり、陣形においても、相手のほうが優勢というほかない。
それでも負ける気がしないのは、シグルドたちが頼もしすぎるからだ。当然、“剣聖”も、傭兵団と行動をともにしている。“剣聖”も、召喚武装を持たざる敵を相手にするのであれば、召喚武装がなくとも十二分にその実力を発揮できるというものだろう。
「なかなかやるじゃあないか。“剣鬼”に《蒼き風》……だったかな」
「ん?」
妙に甲高い男の声に目を向けると、白の軍団の中でひとりだけ場違いの色彩を帯びた人物がいることに気づく。真紅の外套を纏い、羽根付き帽子を被った長身の男は、戦場にありながら弦楽器を抱えていた。それもただの弦楽器ではなさそうだった。髑髏が飾られた禍々しい弦楽器には違和感を抱かざるをえない。
「それならば、これではどうだ?」
その男は、獰猛な笑みを浮かべると、突如として弦楽器を掻き鳴らし始めた。激しい旋律が戦場の森の中に反響する。
そして、戦況は一変する。