第千三百八十四話 愛をこの手に(四)
レオンガンド軍本隊後方への転送に成功したハルベルク率いるルシオン軍本隊の目には、敵本陣しか見えていなかった。
マルスールを発したレオンガンド軍は二万に近い大軍勢。対するバルサー要塞のルシオン軍は六千そこそこの軍勢。まともにぶつかり合えば勝算はなく、籠城したところでいつまで持ち堪えられるかわかったものではない。バルサー要塞がいかに難攻不落の堅城とはいえ、武装召喚師が普及した現在、それほどの意味があるとは思えなかった。攻城兵器と比較しても凶悪な攻撃能力を持っているのが召喚武装なのだ。そして、ガンディアの武装召喚師――中でも王立親衛隊《獅子の尾》の武装召喚師たちは優秀かつ強力であり、その圧倒的な火力の前にはバルサー要塞の防御力も意味をなさないだろうこと請け合いだった。マルディアでの戦いの情報も届いている。レオンガンド軍が中核を成したマルディア救援軍は、その絶大な破壊力でもってマルディアの各都市を奪還し、中でも堅牢な要塞として知られたヘイル砦に壊滅的な打撃を与えたという情報は、バルサー要塞に籠城することの無意味さを伝えていた。
籠城は、援軍を期待して行うものだ。
援軍は、期待できるだろう。
時間さえ稼ぐことができれば、ガンディア本土からジゼルコートが援軍を寄越してくれるに違いない。ジゼルコートとて、レオンガンド軍にバルサー要塞を抜かれ、ガンディア本土に到達されるようなことは望んでもいないのだ。バルサー要塞で食い止めたいというのが本音だろうし、そのためにもルシオン軍に援軍を差し向けるのも吝かではあるまい。
クルセルク方面軍のみならず、アザーク、ラクシャの軍勢を糾合したジゼルコート軍の戦力は、潤沢といっていい。しかし、ハルベルクは、ジゼルコートの援軍を待つよりも、打って出ることを選んだ。
前述の通り、レオンガンド軍の火力の前では、数日の籠城も叶わないという結論に至ったからであり、ジゼルコート軍の戦力を頼りに戦うなど、ハルベルクの願望に反しているからでもあった。
ハルベルクは、みずからレオンガンドと戦い、レオンガンドを下したかった。
そうでなければ、レオンガンドを越えたことにはなるまい。
森林地帯を疾駆しながら、彼は全周囲に展開する自軍戦力を把握するとともに、南に進攻していた敵軍戦力が一斉に北へと転進し初めたのを理解した。常人には持ち得ない広大な感知範囲が、ルシオン南部の森林地帯に展開する自軍戦力と敵軍戦力の現状を認識させるのだ。ハルベルク率いるルシオン軍本隊の兵数はおよそ一千人に過ぎず、レオンガンド軍本隊どころか本陣を守備する戦力にさえ遠く及ばない。圧倒的な戦力不足。多勢に無勢。だが、ハルベルクの脳裏には勝利への軌跡が描き出されており、彼はそのあざやかな軌道を信じ、邁進した。
本隊千人のうち、二百人がハルベルクの先を行く。木々の緑の中を突っ切り、敵軍本陣へと殺到していく。敵軍はハルベルクたちの転送と接近に気づき、対応を始めている。それでも、ハルベルクたちは止まらない。止まれないのだ。止まった瞬間、この奇襲作戦は失敗する。
レオンガンド軍は、戦術の基本通り、本隊後方に本陣を置いていた。戦闘そのものは本陣以外の各部隊に任せ、本陣から戦場全体の情報を把握し、状況に応じて指示を送る。ありふれた戦術。基本通り。定石といっていい。そしてレオンガンド軍には本陣を守るための戦力も潤沢に存在していた。が、それらは基本的に南に向かって展開しており、北側は手薄だった。当然だろう。レオンガンド軍が布陣した森林地帯の北にはマルスールがあり、マルスールはレオンガンド軍によって奪還されていた。マイラムこそルシオン軍支配下だが、マイラムからの攻撃を懸念する必要はなかった。マルスールが受けとめてくれるからだ。北から襲撃される可能性はないと考える。バルサー要塞を攻略するにあたって、周辺を索敵してもいるだろう。それらの情報を総合した結果、レオンガンド軍はバルサー要塞に注力していいと判断したはずだ。そして、それは正しいのだ。
本来であれば、それでいい。
武装召喚術――それもオープンワールドのような空間転移能力を持つ召喚武装がなければ、バルサー要塞の戦力でレオンガンド軍の後方を衝くことなど不可能だった。武装召喚師の存在と召喚武装の能力を予測して戦術を立てるなど、たとえ軍師ナーレス=ラグナホルンであったとしても簡単なことではあるまい。つまり、エイン=ラジャール、アレグリア=シーンの落ち度などではない。ハルベルクが幸運に恵まれていただけのことだ。
そして、その幸運こそが、レオンガンドとハルベルクの勝敗を決定づけるものになると彼は認識していた。
木々の狭間を突き抜けながら、レオンガンド軍本陣がまるで急速旋回するかのように部隊を展開するのを認識する。後方に出現した敵軍に対応するためだ。素早い対応はさすがはレオンガンドと思わざるをえない。
前方、森林地帯にガンディア軍の派手な鎧が見えた。盾兵の群れ。展開が早い。想像以上の対応速度にハルベルクは目を細めた。
(だが……!)
ハルベルクは、腰に帯びていた剣を抜き、掲げた。
「突撃!」
ハルベルクの号令に、前列の二百名が怒号の如き喚声を上げながら進軍速度を上げた。それはまさに侵攻といってもよかった。木々を薙ぎ倒すほどの勢いで敵陣へと迫っていく。後方からは弓兵隊の矢が前線部隊を支援し、さらに前線部隊の中の武装召喚師が敵軍盾兵たちを吹き飛ばす。レンウェ=ザーナーンの召喚武装イグニスサインが吐き出した火球が敵兵たちを飲み込み、消し炭にしたのだ。そこへ前線部隊が突っ込み、敵本陣防衛部隊の傷口を広げていく。
「ガンディアの弱兵などおそるるにたらず!」
「我らルシオンが武、見せつけるはいまぞ!」
「我らこそが上に立つべきであると知らしめよ!」
ガンディア軍への不満を吐き出しながら、猛然と突っ込む将兵たちに続き、ハルベルクも敵陣へと突入する。右にバルベリド、左にクロードがいる。バルベリドは斧槍を手にしており、クロードは自前の召喚武装を手にしている。奇妙な形状の刀身を持つ剣は、クロードがこの日のために編み出した術式によって召喚されたものだが、能力はよくわからない。彼がこの大事な一戦に召喚している以上、有用なのは間違いない。ハルベルクは、クロードを心から信頼していた。
奇襲ということもあって最初こそルシオン軍が優勢だったものの、レオンガンド軍とて黙ってやられているわけではなかった。すぐさま盛り返し、ルシオン軍に反撃してきたのだ。ガンディア軍本陣を守るのは、生粋のガンディア人がほとんどだ。以前よりは強くなったとはいえ、ルシオン兵に比べれば依然弱兵のままであり、一対一ならば負ける要素はなかった。しかし、多勢に無勢の言葉通り、弱兵といえど、数を頼みに戦いを始めれば状況は一変する。弱兵たちが隊伍を組んで応戦し始めたことで、強兵たるルシオン兵は押され始めた。本陣に穿たれた穴から押し出されかける。そこへレンウェが特攻をかけ、火球とともに血路を開く。爆炎が吹き荒れ、何十人もの敵兵が吹き飛ぶ中、ハルベルクは数十名の供回りとともに本陣の奥に向かって突き進んだ。吹き荒れる熱気に煽られ、全身から汗が吹き出す。殺気を感じ、足を止める。目の前を走っていた兵の首が飛んだ。炎を反射する剣の破片が残光となって視界を過る。さらに風圧が周囲の兵を吹き飛ばし、炎をも巻き上げてしまった。
「これ以上行かせないわよ!」
「右に同じ!」
ハルベルクの進路上に颯爽と現れたのは、赤毛の女と金髪の貴公子であり、それぞれ召喚武装を装備していた。ふたりのことはよく知っている。王立親衛隊《獅子の尾》の隊士ミリュウ・ゼノン=リヴァイアと同副隊長ルウファ・ゼノン=バルガザールだ。ふたりの召喚武装についても、把握している。ミリュウの召喚武装ラヴァーソウルは、刀身を無数の破片とすることで様々な応用を見せる魔法の剣。ルウファのシルフィードフェザーは翼型の召喚武装であり、大気を操り、空を翔る。
「征くさ」
ハルベルクが告げるが早いか、クロードがミリュウに飛びかかり、レンウェがルウファに火球弾を発射した。ミリュウはクロードの斬撃を破片を集めることで受け止め、ルウファは火球弾をどういう方法でか掻き消して見せる。こちらの攻撃が瞬時に無力化されたということだが、ハルベルクが前に進むにはそれで十分だった。ミリュウもルウファも、それぞれの敵を無視することもできず、ハルベルクの侵攻を押し留められない。
「行かせないっていってるでしょ!」
ミリュウが柄だけの召喚武装を薙いだ。中空を漂っていた刀の破片が、ハルベルクに襲い掛かってくる。
「征くといっている」
ハルベルクは、それら破片がクロードの奇妙な剣によって叩き落とされるのを気配と音だけで認識しながら、前進した。爆音と熱衝撃波がレンウェの召喚武装の威力を物語り、ルウファたちをその場に釘付けにする。レンウェを放置することは、レオンガンド軍の被害が甚大になることを示すのだ。少なくともルウファは、レンウェの相手をせざるを得ない。そしてそれはミリュウも同じだ。クロードを無視することはできない。
ハルベルクは、自由になった。
(まだ、いる)
《獅子の尾》の武装召喚師があとひとり、どこかにいるはずだ。ファリア・ゼノン・ベルファリア=アスラリア。彼女の召喚武装オーロラストームは弓のような武器であり、射程は極めて長い。武装召喚師ならば、この鬱蒼と生い茂る森林地帯の中を移動する目標物を狙い撃つことくらい、容易いかもしれない。油断はできない。