第千三百七十三話 死神は聖印を切るか(三)
ナダ=ラージャは、武装召喚師だ。
元々空中都市リョハンに生まれ育った彼は、物心ついたときには武装召喚師としての教育を受けており、武装召喚師として生きていくことを定められていたといってもよかった。リョハンは、武装召喚術発祥の地であり、武装召喚師にとっての聖地であり、《大陸召喚師協会》の総本山でもある。リョハンのひとびとにとって武装召喚術は慣れ親しんだものであり、数多の武装召喚師が生活し、武装召喚師を育成するための教育機関が無数にあった。
それら教育機関は、武装召喚師によって開かれ、教室と呼ばれることが多かった。有名どころでは、戦女神ファリア=バルディッシュの娘ミリア=アスラリアとその夫メリクス=アスラリアが開いていたアスラリア教室がある。アスラリア教室出身の武装召喚師は優秀で有能な人材が多いことで知られているが、それは、教室の主催者であるメリクスとミリア夫婦が優秀な武装召喚師だったからにほかならない。
ナダは、残念ながらアスラリア教室ではないものの、四大天侍を輩出したカレン=ゴドウィンの教室に通い、カレン=ゴドウィン直々に武装召喚術の手ほどきを受けた。
武装召喚師としての才能には恵まれていたのだろう。子供のころから才能を発揮し、一時期、神童ともてはやされたものだ。アスラリア教室の天才ファリア・ベルファリア=アスラリアが現れるまでは、リョハンは彼の天下といっても過言ではなかった。持て囃されたのだ。それこそ、彼の人生観が変わるほどの持て囃され方であり、彼は、自分が武装召喚師として大成するものだと信じ、日々、武装召喚術の研鑽を積んだ。幼いころの話だ。
やがて時が流れ、状況は一変する。
アスラリア教室に天才が現れ、彼の人気が一瞬にして消えていったのだ。
ナダは、なにが起こったのかわからなかった。自分を神童と持て囃していた人々が、一斉に別の子供を持ち上げ始めたということを理解したとき、世の無常さを知った。そして、それがファリア・ベルファリア=アスラリアのことだと知ったとき、彼はリョハンという狭い世界の実情を認識した。
この世は、血と家柄がすべてなのだ。
ファリア・ベルファリア=アスラリアは、その名から分かる通り、リョハンの戦女神の孫娘であり、アスラリア教室主催者の実の娘だった。だれもが彼女を持て囃した理由は、それだけで十分だろう。戦女神の孫娘であり、その名を受け継がされている。つまるところそれは、彼女こそが戦女神の後継者ということだ。いまのうちから彼女に取り行っておこうと考えるものがいても、なんら不思議ではない。いや、むしろ当然といえる。
そのような状況下、リョハンにおいてなんの力もないラージャ家の末弟など、だれが期待してくれるものか。だれが持て囃してくれるものか。
神童からただの子供に戻ったナダは、それでも武装召喚師としての研鑽と修練の日々を過ごした。武装召喚師として大成することだけを夢見て。
いつかリョハンの人間を見返してやる。
それだけが、彼の励みとなった。
だというのに――。
(なぜ、こうなった……!)
ナダ=ラージャは、目の前で起きた出来事に愕然としていた。いま、目の前で一人の人間が死んだはずだった。全身、至る所を矢と槍に貫かれ、即死したはずだった。鎧も兜も身に着けず前線に出てきた死神を名乗る少女も、所詮は人間だ。心臓を貫かれ、頭蓋を破壊され、腹を抉られれば死ぬだろう。死なないはずがない。彼は勝利を確信し、死神部隊の名が完全に自分たちのものになったのだと想った。
死神部隊とは、ジベルにおける伝説的な特務部隊だという。
先の国王アルジュ・レイ=ジベルの肝いりによって結成された特務部隊は、将軍ハーマイン=セクトルとともにアルジュ政権を盛り立て、いつしかジベルになくてはならないほどの存在になっていたという。
クルセルク戦争という人類と皇魔の最大の決戦とでもいうべき戦いの中で、前代の死神部隊は壊滅状態に陥り、戦後、レムを隊長として再結成されたものの、レムが解隊を求めたため、ハーマイン=セクトルはそれを受け入れ、死神部隊は歴史から消えることとなった。だが、ハーマイン=セクトルは、ジベルには死神部隊が必要不可欠だと判断し、ひそかに新たな死神部隊を作り始めた。それが真死神部隊であり、ナダ=ラージャが真零号として任命され、真死神部隊の隊長となったのは、彼の召喚武装ホーリーシンボルこそが真死神部隊の根幹を成すからだ。
というより、ハーマインは、ホーリーシンボルの特性を知り、その能力を利用することで新たな死神部隊が作れるのではないかと考えたことが、真死神部隊結成の要因だったのだ。ナダ=ラージャが隊長に任命されるのは当然といっていい。ナダ以外にはホーリーシンボルは使えず、ホーリーシンボルがなければ真死神部隊は成立し得ない。
旧死神部隊は、クレイグ・ゼム=ミドナスの闇黒の仮面の能力によって成り立っていたという。その能力は強力で、死神部隊の強さの根幹を成していた。ナダ=ラージャとホーリーシンボルがクレイグとマスクオブディスペアの役割を果たすということなのだ。
ハーマイン=セクトルの思惑は、当たった。
少なくとも、真死神部隊は、上手く機能していただろう。
旧死神部隊のように隊員それぞれが“死神”を使うといったことはできないものの、隊員の数は激増し、それぞれがホーリーシンボルの補助によって強化されている。百人の擬似召喚武装使いがいると考えていい。それだけの戦力を運用できるのがホーリーシンボルの強みであり、彼が真零号に任命された最大の理由だ。
ホーリーシンボルの能力があれば、常人を死神の如き力の持ち主に変えることが可能なのだ。
そして、その死神たちの力があれば、旧死神部隊以上の活躍ができるものと彼は証明したかった。証明しなければならなかった。でなければ、真死神部隊結成の意味がない。ジベルに仕官した意味がない。
リョハンを飛び出してきた意味がないのだ。
真死神部隊は、順調に実績を積み上げ、彼の立場もジベル国内で並ぶものがいないほどのものとなった。いまでこそハーマイン=セクトルの指揮下にあるものの、いずれはハーマインすら出し抜き、ジベル最大の権力者になることを目標としていた。いや、ジベル国内にとどまってなどいられない。リョハンの人々を見返すには、それだけでは足りないのだ。
圧倒的に。
もっと、もっと功績を積み上げ、積み重ね、名を上げていかなければならない。
そのためには、まず、真死神部隊の名を世にしらしめる必要がある。
そう考えていた矢先、ジベルの同盟国ガンディアにおいて、ジゼルコートの反乱があり、ハーマイン=セクトルはそれに呼応するように軍を動かした。そして真死神部隊が初めて表立って軍事行動に従事する機会が与えられのだ。それこそが真死神部隊によるスルークの制圧であり、ナダたちは、あっけないほど簡単にスルークを制圧することに成功した。
この調子でゼオルを落とし、龍府を落とせば、真死神部隊の名は、世に轟き渡るだろう。
そうやって名を上げ続ければ、いつしか彼の夢も叶うものだと信じた。
そんなおり、スルークの彼の元に新たな情報が飛び込んでくる。マルディアに遠征中だったレオンガンド軍がアバードに入り、直に龍府に到達するだろうという報せは、むしろナダ=ラージャを歓喜させた。レオンガンド軍の撃破こそ、ハーマイン=セクトルの望むところだったからだ。
そしてなにより、レオンガンド軍に損害を与えることができれば、真死神部隊の雷鳴は留まることを知らず、世に響き渡ること間違いなかった。
ホーリーシンボルと真死神部隊があれば、レオンガンド軍など取るに足らない相手だ。
ナダ=ラージャには、確信があった。勝てる、と、彼は想い、レオンガンド軍がザルワーン方面に入ったという情報が届いたとき、龍府を襲撃する計画を練った。反対するものはいなかった。真死神部隊の隊員は、だれもが彼に心酔している。なぜならば、彼とホーリーシンボルのおかげで、いまの地位にいられるからだ。彼とホーリーシンボルに見放されれば、ただの一般兵に逆戻りになる。だれもがその事実を知っているから、ナダ=ラージャには意見しないし、ナダの意見にはうなずくのみなのだ。
ナダは、レオンガンド軍を撃滅しよう、とまでは考えてはいなかった。さすがに戦力差は大きい。ある程度損害を与えることができれば、それだけで十分だろうと考えていた。それだけでも、歴史に残る活躍となる。
ジゼルコートが勝利し、ガンディアがジゼルコートのものになれば、真死神部隊の活躍は、それこそ国をあげて賞賛されるだろう。
ナダの夢は、広がるばかりだった。
(夢……これは夢だ)
それも、悪い夢というべきだろう。
死んだはずの女が平然と言葉を発し、周囲の死神たちを無造作に切り捨て、さらに自身の体から槍や矢を引き抜く異様な光景を目の当たりにして、彼は愕然とするほかなかった。常人ならば死んでいるはずだ。いや、超人であろうとも、武装召喚師であろうとも、死なないわけがなかった。彼女がたとえ死神としての能力を有しているとして、人間であることに変わりはない。人間は、心臓を破壊されれば死ぬものだ。心臓だけではない。全身を破壊され、大量の血を流している。死んでいて当然の状態。むしろ、死んでいなければならない。死ぬべきだ。
だが、血まみれの死神は、全身の傷口を立ち所に復元させると、“死神”ともども得物を構え、こちらを見て、冷笑した。
「わたくしを相手にするということは、死を相手にするも同じ。そのことをゆめゆめお忘れなきよう」
冷ややかな声が、耳朶に突き刺さる。
「馬鹿な……!」
ナダは我を忘れて叫び、同時に後ろに飛んでいた。死神が飛躍し、猛追をかけてくる。彼はホーリーシンボルを振るい、部下を呼び集めた。真死神部隊の死神たちがナダとレムの間に入る。が、それら肉壁は、死神と“死神”の大鎌によって瞬く間に切り刻まれ、大量の肉片と血が彼の視界を彩った。闇の中、血の雨が降りしきる。
「馬鹿な馬鹿な馬鹿な!」
「馬鹿げているのは、あなた様でございます」
ひとり、またひとりと彼の部下が斬り殺されていく。肉壁は意味をなさず、彼とレムの間に入ったものは、例外なく細切れにされた。彼は叫ぶしかなかった。
「なぜ死なない……!」
「死神を相手に勝ち誇るなど、無意味なこと」
「なぜ、生きている!」
「わたくしは死神。死神レム」
「なぜ、なぜだ!」
「死とともにあるもの」
死神が、眼前に迫っていた。部下はもはやほとんど残っていない。部下の数が減るたび、ホーリーシンボルの印が消えるたび、彼は自分が不利になっていくのを実感するしかない。それがホーリーシンボルの能力であり、特性なのだ。残すところ十人。これでは、彼自身の力も最大限発揮することなどできるわけがない。敵は肉薄している。血塗れの大鎌の切っ先が、月光を浴びて鈍く光っていた。
「まだだ……! まだ終わらん!」
叫び、ホーリーシンボルを振り下ろす。激突。火花が散った。死神の大鎌とホーリーシンボルがぶつかり合ったのだ。死神が冷ややかな目でこちらを見ていた。赤い瞳。まるで血の色のようだった。凄まじい膂力を感じるが、ナダも負けていない。
ナダは、“死神”が背後に迫るのを感じて、透かさずホーリーシンボルの能力を発動させた。
「見よ、これがホーリーシンボルの力!」
ホーリーシンボルの光輪がまばゆく輝き、視界を白く染め上げた。