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第千三百七十二話 死神は聖印を切るか(二)

『あなたは、どなた?』

 血の雨が、降っていた。

 血の雨の中で、彼女は、その女と出逢った。女は、血の雨を浴びて、絶望的なまでに美しく見えた。だから、というわけではないが、彼女はその女に話しかけたのだ。同類だと想った。同じ、死神なのだと。

『わたし? わたしはカナギ。カナギ=ラハン』

『変わった名前ね』

 少なくとも、ジベルで聞くような名前ではなかった。どこの出身だろうと、血に濡れた髪を見ながら考えたことを覚えている。そして、その名前の響きが気に入って、胸中で何度となく言葉にしたことも。

『でも、綺麗な名前』

『綺麗? そんなこといわれたの、初めてだわ』

 カナギと名乗った女は、そのときはじめて、彼女に微笑んでくれた。その微笑みのあざやかさは、闇の中に星を見出したのと同じくらいに輝かしく、眩しかった。

『あたしの名前はレムよ。レム=マーロウ』

『レムね。覚えたわ。あなたの名前も、可愛らしくて、素敵だと想うな』

『そうかな』

 気恥ずかしかったのは、他人に名前を褒められたことがなかったからだ。自分では気に入っていたが、他人がどう感じるかなど、考えたこともなかった。

『そうよ』

 カナギが笑うと、レムもつい笑ってしまう。

 彼女にはそんな力があって、だから、レムは彼女のことを一瞬で好きになってしまったのだろう。

『よろしく、レム』

『うん、よろしくね、カナギ――』

 血飛沫の中、なぜ、そのようなことを思い出したのか、わからなかった。

 いや、血飛沫の中だからこそ、思い出したのかもしれない。

 あの日、あのとき、絶望の夜明けはこなかった。薄明るい絶望の中で、ただひたすら、夜が明けるのを待ち続けなければならなかった。十年近く、待たなければならなかったのだ。そうなのだ。十年近く前のあの日、夜が明けるはずもなかった。永遠の夜の中を歩いていたも同じだったのだから。

 死神は、夜明け前に姿を消さなければならない。

 夜の闇の中でしか生きられなかったのだ。

 だから、夜が明けるとき、皆、消滅してしまった。

 彼女だけが残った。

 取り残された。

 光ある世界でも滅びることのできない存在となって。

「あなたたちが死神?」

 レムは、降り注ぐ血の雨を避けようともせず、冷ややかに笑った。

 ジベル軍兵士たちの攻撃は鋭く、激しく、猛烈だ。猛攻といってもいい。精確に、かつ間断なく射ち込まれる矢は、レムを持ってしてもかわしきれるものではなかったし、何度となく掠め、服を切り裂き、肌を痛めた。中には突き刺さった矢もある。後方に陣取った弓兵たちの腕前は、中々のものといっていい。乱戦の中、敵だけを射抜くなど、至難の業だ。そしてそれが厳しい鍛錬の末に得られる能力ではないことくらい、レムにもわかっている。

 補助を受けている。

 召喚武装かそれに類似したなにかによる補助。

 でなければ、考えられない。

 シドニア戦技隊の隊士たちが実力で押されるなど、そうあることではない。ましてやジベル軍の兵士なのだ。そこまで強いとは思えない。無論、レムが知らない間にそれだけ強くなった可能性もあるが、弓の腕前だけは、隠しようがない。人間業ではないのだ。

「なんなんだこいつら!」

「真死神部隊ってのは、本当かもしれませんな!」

「いいえ」

 レムは、エスクとドーリンの会話に割り込んで、否定した。ドーリンはともかく、エスクが毒づくほどの相手ということは、相当な実力があるという証明ではあるのだが、だからといって死神と認める訳にはいかない。死神たちは、自分ひとりを残して消滅してしまったのだ。

「死神とは名ばかりの連中ばかりにございます」

「だとしても、つええだろ、こいつら」

「はい。そこは、間違いございません」

 とはいいながら、ソードケインの一閃で複数人を切って捨てるエスクの剣の冴えは、見事という他なかった。エスクとレムだけで制圧できそうな勢いもあるが、エスクの場合、乱れ飛ぶ矢を警戒し、攻勢に出るには厳しい場面も多かった。負傷を気にせず戦えるのはレムくらいのものだ。

「ですが、わたくしの相手ではございませぬ」

「どういうことだ?」

 不意に飛び込んできた声は、見知らぬ男のものであり、レムは警戒とともにそちらを振り向いた。凄まじい速度で飛びかかってきた男の大上段からの打ち下ろしを軽くかわす。男が振り下ろした長柄の武器が地面に激突し、破壊する。小さな穴だが、破壊力は十分だ。まともに喰らえばひとたまりもない。

「死神とは名ばかり、だと?」

 男が透かさず体勢を整え、こちらに向き直る。二十代後半くらいの男だ。短めに刈り上げられた髪と切れ長の目が印象的な人物で、鍛え上げられた肉体と手にした長杖から、武装召喚師だということがわかる。武装召喚師は、肉体の鍛錬が義務付けられる。召喚武装の使用に耐えうる肉体の構築こそ、武装召喚師の基礎中の基礎なのだ。

 そして、手にした長杖は武器に不向きな装飾が多用されており、それは召喚武装の特徴といっても過言ではなかった。長杖は、光を象徴するような装飾が施されており、鮮やかに発光する様子は神々しいとさえいっていいだろう。長杖から発せられる光は強く、夕闇の中、存在感を発揮している。それこそ奇襲や夜襲には不向きに思えるのだが、この状況下で使わざるを得ないところをみると、その杖こそ真死神部隊の強さの秘密なのだろう。

「そのことでございますか」

 レムは、一笑に付すと、“死神”とともに周囲の兵士を切り伏せ、一瞬にして肉塊へと変えた。斬殺したのは、“死神”が三人、レムが三人の合計六人だ。

「言葉のままの意味にございます」

 長杖の男が目を細めた。

「話に聞いているぞ。貴様が前任者レム=マーロウか」

「……その名はとうに捨てました。わたくしの名はレムにございます」

「同じことだ」

「いえ、違います」

 名は、存在を表す言葉だ。

 マーロウという家名を捨てることに意味がある。家名とは、つまり家に属する名なのだ。そして、その属性こそ、彼女にとってはジベルの呪縛そのものといってもいい。だからマーロウ姓を捨て、ただのレムとなった。ただのレムとなったからこそ、彼女はジベルから解き放たれ、主とともに生きることができるようになったといってよかった。

 シーラがアバード王家を出るに当たってその家名を捨てたのも、同じような理由だろう。もちろん、シーラの場合は、レム以上にその名が意味することが大きいのだが、結局は、属性を変えるための儀式にほかならないのだ。

「どうでもいいさ」

「よくありません。わたくしの名は、レム。それ以上でも、それ以下でもありません」

「こだわるな」

「こだわります」

 レムは、相手を見据えながら、周囲の状況を確認した。敵はもはや半数にまで落ち込んでいる。長杖の男と、五十名の部下たち。こちらはというと、こちらもまた、戦力が半減していた。負傷者が多数出ており、負傷者たちは、エスクの命令で後退させられたからだ。負傷者ともかく、死者は出したくないというのがエスクの考えらしい。傷は治っても、死者が蘇ることなどありえない。

「……まあいい」

 男が肩をすくめたのは、益体もないやりとりに辟易したからだろうが。

 レムは、相手の心情などお構いなしに尋ねた。

「あなたが、この偽りの死神部隊を率いておられるのですね?」

「真死神部隊だ。将軍閣下の肝いりで結成された、な」

 彼は訂正すると、長杖を軽く振るった。偽りの死神たちが一斉に動く。杖の動きに合わせて行動するよう、ある程度の訓練はしているということだろう。それも付け焼き刃の訓練ではないらしく、偽りの死神たちの機敏な動きは、激しい渦のようであり、レムだけを包囲するように布陣した。エスクたちシドニア戦技隊の事を黙殺したのは、まずレムを撃破することを優先するべきだと判断したからだろう。

 そしてそれは、必ずしも間違いでははない。

 間違いではないが、不可能だ。

「そして、わたしの名はナダ=ラージャ。いずれジベル軍の頂点に立つものの名だ」

「過ぎたる野心は身を滅ぼすものでございますよ」

「ふん……感傷の末、死神部隊を解散させたものがなにをいったところで」

「その感傷を踏みにじったこと、後悔してももう遅うございます」

 レムが笑顔のまま告げると、ナダ=ラージャと名乗った男は、長杖を高く掲げた。光輪のような装飾が一層激しく輝く。

「はっ……我がホーリーシンボルの力、思い知れ」

(ホーリーシンボル?)

 胸中で反芻して、レムは苦笑とも失笑ともつかない笑いを浮かべた。死神部隊を構築する召喚武装がホーリーシンボルという名称というのは、どうにも不思議だった。死神部隊とは、要するに死を司る神々だ。それは確かに神聖な存在なのかもしれないが、だとしても、皮肉めいて聞こえるのは気のせいではあるまい。

 レムがそんな風に考えていると、彼女を包囲するように布陣した敵兵が一斉に動いた。何十本もの矢が同時に飛来し、続けて、手槍を持った兵士たちが突っ込んでくる。矢のいくつかは切り裂き、叩き落としたものの、そのすべてを無力化することは敵わない。常人の膂力では放てないほどの速度の矢。レムと“死神”を持ってしても、捌ききれないのだ。もちろん、かわそうと思えばいくらでもかわせたのだが、彼女は、あえて、回避行動を取らなかった。

 撃ち落とせなかった矢がつぎつぎと体に突き刺さり、激痛が走る。矢は、人体急所を狙ったものばかりであり、常人ならば確実に死んでいるだろうものばかりだった。特に心の臓を狙い澄ました一矢のあざやかさは、偽りながらも神を名乗るだけのことはあるといってもよかった。それほどの弓の腕前を持っている。そして、そこへ無数の槍が伸びてきて、レムの体をずたずたに貫いた。胸、腕、喉、腹、太腿――様々な箇所を激痛が貫く。脳が感じるのを拒絶するほどの痛み。意識が途切れるのではないかというほどのものでありながら、レムは、自分がその程度で意識を失うことなどありえないことも知っている。死なないのだから、意識が途切れることもありえない。

「かつてジベルを席巻した死神も、我らの敵ではなかったな」

 ナダ=ラージャがこちらを見つめながら、笑った。

「死神の座は、我らのものだ」

「そのようなもの、どうでもよろしいのですが」

 レムは、喉から溢れる血に苦しみながら、告げた。ナダ=ラージャの表情が一変するのを見届けながら、無造作に大鎌を振り回し、周囲の偽神どもを切り捨てる。手槍ごと、それこそ適当に切り刻み、肉塊へと変える。“死神”とともに自分の体に突き刺さったままの槍と矢を引き抜き、そしてすぐさま肉体が復元する様子を見せつけると、さすがのナダ=ラージャも顔面を蒼白にさせた。

 彼は、ようやく自分が相手にしているものがどういった存在なのか、理解したのだろう。

「わたくしを相手にするということは、死を相手にするも同じ。そのことをゆめゆめお忘れなきよう」

 レムは、微笑みを浮かべると、“死神”とともにナダ=ラージャと対峙した。


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