第千三百七十話 生きてこそ
「ベノアは広いし、見どころもたくさんあるわよ。歴史も古いしね」
馬車での移動中、ルヴェリスが窓の外を眺めながらいってきたのは、まるで観光案内のようなことだった。窓の外、古めかしい町並みが流れていく。ガンディオンの旧市街や古都龍府のような古錆びた町並みは、ベノアの歴史を感じさせるとともに、ベノアガルド様式の建築物の数々は、どこか整然として見えた。
「はあ」
「気のない返事ね。どうせしばらくベノアに留まらなきゃならないんだから、楽しむくらいの余裕を持っておくべきよ」
「楽しむ……」
そんなこと、できるわけがなかった。
焦燥感がある。
一日も早く、一秒も早く、一瞬でも早く、黒き矛を取り戻し、ガンディアに戻らなければならない。いまもガンディア解放軍は戦っているのだ。ジゼルコートの反乱を鎮圧するため、戦い続けているのだ。激戦が繰り広げられているかもしれない。困難な戦いを強いられているかもしれない。相手は未知数。どれほどの強敵が待ち受けているのかもわからないのだ。
無論、皆を信用してはいる。
《獅子の尾》の部下たちも、セツナ軍の配下たちも、親衛隊の同僚たち、大将軍以下ガンディア軍の皆も、信じている。きっと、勝って勝って勝ち続けて、謀叛人ジゼルコートを討ち果たしてくれるだろう。レオンガンドの勝利を掲げてくれるだろう。それは、わかっている。だが、できるのであれば、自分も反乱軍との戦いに参加し、ガンディアのために戦いたいというのが、セツナの心情だった。ガンディアとレオンガンドにとって大事な戦いなのだ。その戦場に自分がいないというのは、どうにも哀しいものがある。
もちろん、騎士団をあの場で押し留めるのも大事な役割だったし、セツナ以外のだれにもできないことではあったのだが。
「俺は、いち早く黒き矛を取り戻して、ガンディアに戻りたいんですよ」
「あなたの気持ちはわかるわ。でも、焦らないことよ。焦って結論を急いだところで、状況はなにひとつ良くならないわ。あなたはいま、あなたにとって最低最悪の状況にいるということを理解しなければならない」
ルヴェリスの冷ややかな言葉は忠告そのものであり、セツナは、彼がなぜそこまでいってくれるのかと思ったりした。ルヴェリスは、さらに続けてくる。
「黒き矛も、生殺与奪の権利も、わたしたちの手中にある。いまは、わたしたちに従いなさい。従うふりをしていなさい」
(え……?)
セツナは、ルヴェリスの発した言葉が聞き間違いではないかと思った。まるでセツナが黒き矛を奪取することを望んでいるような、そんな口ぶりだったからだ。
「そうすることで、状況を変えられる機会が訪れるかもしれないわ」
ルヴェリスは窓の外に目を向けていて、セツナの位置からは表情をうかがい知ることもできなかった。
「さて、ついたわよ。降りましょう」
ルヴェリスに促されるまま馬車を降りると、そこは大きな門の前だった。門前には当然、門番がいて、門番たちはルヴェリスの姿を見るなり、緊張した面持ちで敬礼した。ルヴェリスは門を開けさせると、セツナたちを門の中へと案内する。セツナはラグナを気遣いながらルヴェリスの後に続いて門の中に入り、そして、足を止めた。
「ここが……?」
「そう、ここがあなたたちの拘留場所」
ルヴェリスがこちらを振り返り、満面の笑みを浮かべながら、両腕を広げた。まるで門内に広がる風景を誇示するかのように。
「わたしの家よ」
ルヴェリスが誇る風景は、奇妙な芸術が爆発したとしか言いようのない光景であり、セツナはただただ唖然とした。堅牢そうな塀に囲まれた敷地内そのものを芸術品と見立てているような、そんな景色。広大な敷地内に点在する建物の数々が様々に彩られており、立ち並ぶ庭木はそれぞれなにかを模したかのように剪定されている。なにを模しているのか想像もつかないくらい奇妙な形状ではあったが。
極彩色の建物群は、ルヴェリスが上流階級の人間で、ベノアガルドにおいてそれなりの権力者なのだろうということを窺わせた。十三騎士なのだ。騎士団が支配する国において権勢を誇るのは当然の古都のように思える。屋敷がここまで豪華絢爛なものとは想定していなかったものの、ルヴェリスが住んでいてもおかしくはない。
「どう? 気に入ってくれたかしら?」
「えーと……」
「わしにはよくわからんが、広くて過ごしやすそうではあるのう」
期待に満ちた目で見られ、セツナが返答に窮すると、まるでそれを見計らったかのようにラグナがいった。ラグナは立っているのもしんどいのか、セツナにもたれかかるようにしている。いや、表情を見る限り疲れている風ではない。セツナから魔力を補給するために接触しているだけなのかもしれない。あるいは、ドラゴン形態からの癖なのか。いずれにしても、豊かな胸を押し当てられているような感覚は、少しばかり頂けないものだ。
「そうでしょ。敷地内なら自由に歩き回ってもらっても構わないわ」
ルヴェリスが期待はずれの返答に肩透かしを食らったような表情を浮かべたときだった。彼の背後に聳えていた邸宅の正面玄関の扉が開け放たれたかと思うと、なにものかが飛び出してきて、ルヴェリスに迫った。
「ルヴェリス!」
彼に肉薄し、大声を発したのは、女だった。赤みがかった髪が特徴的な女性。北方人特有の白い肌を持つが、その綺麗な肌を隠すように黒い衣服を身に着けている。それも男性物の衣服のように見え、女性物の衣服を身に纏うルヴェリスと並ぶと、色々と間違っているのではないかと感じられた。長身痩躯。鋭い目がルヴェリスを睨みつけている。
「帰ってくるのなら、連絡を寄越せ!」
「帰ってきたわけじゃないの」
ルヴェリスが困ったような顔をして、女を迎えた。女は、ルヴェリスの返答が想像とは違っていたからか、鼻白んだ。
「なんだと? どういうことだ……いや、それ以前に、そのふたりはなんだ?」
セツナとラグナを睨む視線も鋭い。疑わしいものを見る目つきであり、気の強さを窺わせた。
「わたしの新しい助手よ」
「……ひとりは女に見えるが?」
「たまには女の子もいいじゃない?」
ルヴェリスが笑いかけると、女は、表情をさらに険しい物にした。
「よくない。よくないぞ。よくない!」
憤慨する女に対し、ルヴェリスが肩を竦め、なだめるように告げる。
「……冗談よ」
「ルヴェリス!」
「怒らないでよ。会議でね、決まったのよ。この子たち、うちで預かることになったのよ」
「預かる? 会議……?」
「話は中でしましょう。立ち話もなんだし」
「それはそうだが……」
女が困り果てたような顔をして、こちらを見てきた。セツナとラグナがどのような人間なのかわからないから困っているのか、それとも、ほかに理由があるのか。
「えーと……」
困惑するのは、女だけではない。セツナも、ルヴェリスと女の関係がわからず、どのような反応をするべきか困っていた。ルヴェリスと彼女が親密な間柄であるということは、ふたりのやり取りからも一目瞭然だ。女はルヴェリスが別の女性を連れ込んできたことを許せなかったようだし、そんな彼女の反応に多少なりとも嬉しそうな顔をしたのがルヴェリスなのだ。きっと、深い関係なのだろう。そんな風に勝手に考えるしかない。
「ああ、紹介が遅れたわね、彼女はシャノア=ウェルクール。ベノア初の女性騎士で、わたしの婚約者でもあるの」
「こ、婚約者!?」
セツナは、ルヴェリスの想像だにせぬ一言に素っ頓狂な声を上げた。ルヴェリスが苦笑する。
「あら、そんなに驚くことかしら」
「そうだぞ。失礼な奴だな、君は」
シャノア=ウェルクールという名の女性騎士は、厳しいまなざしでセツナを見据えてきた。厳粛そうな表情、言動は、彼女が騎士であるということも関係しているのかもしれない。それも、ベノアガルド初の女性騎士だという。ベノアガルドという長い歴史を誇る国で初めてだというのだ。つまり、彼女が騎士として認められるまで、女性が騎士になったことはないのだ。彼女が騎士になるためにどれだけの努力をしてきたのか、想像を絶するものがあるに違いない。厳しい表情が多くなるのも、当然なのかもしれなかった。
「いや、その……すみません」
セツナが咄嗟に謝ると、ルヴェリスは微笑みを浮かべてきた。
「素直でよろしい」
「そうだな。好感度高いぞ」
「……はは」
愛想笑いを浮かべながら、彼女がルヴェリスの婚約者という言葉が嘘ではないと思った。言動からルヴェリスに影響を受けていることがわかる。それに、ルヴェリスがラグナを助手といったことを怒っていたことを思い出す。ルヴェリスに自分以外の女が近づくことが許せない質なのだろう。そういうところは普通の女性らしくて、可愛らしいとさえいえるのだが。
「で、こちらはセツナくんにラグナ様」
といって、ルヴェリスがシャノアにセツナたちを紹介する。ルヴェリスがラグナを様付けで呼んでいるのは、彼がノリがいいからに他ならない。ラグナが尊大に振る舞うのを面白がっているのだ。つまり、それだけルヴェリスには精神的余裕があるということだった。器が大きく、懐が深い。セツナがルヴェリスに少しだけ気を許しているのは、ルヴェリスの性格が心地いいからだった。
「セツナくん……?」
「セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドって長たらしい名前があるけれど」
「黒き矛のセツナ!?」
今度は、シャノアが素っ頓狂な声を発した。冷厳な女騎士そのものだった表情も完全に崩れ去り、驚きに満ちたものへと変わった。そのまま、ルヴェリスに詰め寄る。
「どうして!?」
「説明は中でするわ。ラグナ様も長い名前があるけど、まあ、いいわよね?」
「よくはないが……まあ、よい。わしは寛容じゃ」
「ありがたき幸せですわ、ラグナ様」
ルヴェリスが鷹揚なラグナに恭しく頭を下げる。
(なんだかなあ)
セツナは、そんなふたりの様子がとてつもなく奇妙に思えたのだった。しかし、ここはルヴェリスのやり方に従うべきなのだろう。彼の言う通りに過ごしながら、状況が変わるのを待つほかない。
ルヴェリスがいったように、黒き矛を取り戻すし、ガンディアに帰るには、機会が訪れるのを待つしかないのだ。
ガンディアの状況、レオンガンドたちのことも大いに気になるし、一日も早く帰還し、できるならば反乱軍鎮圧に協力したいところなのだが。
(そううまくいくもんでもないか)
手を見下ろす。
生きている。
ただそれだけで儲けものと想うしかないのだろう。