第千三百六十九話 囚われのセツナ(六)
「なぜじゃ……なぜ戦わなかったのじゃ。わしがついておるというに!」
ラグナが憤然と足をばたつかせたのは、ルヴェリスたちによって移送されてからのことだった。
移送先は、最初に幽閉されていた部屋ではなく、隣の部屋だ。なぜかといえば、セツナが扉を破壊したからであり、部屋に入る際、今度は破壊しないで欲しいとルヴェリスに懇願されたのが妙におかしかった。実際、入る部屋入る部屋扉を破壊されては、修理費用も馬鹿にならないということもあるだろうが、セツナもそこまで愚かではない。騎士団に従うと宣言した以上、無理に抗おうとは想わなかった。
抗ったところで、黒き矛が取り戻せるはずもない。
自由は、ない。
当然だ。
セツナたちは、騎士団兵士――従騎士というらしい――による監視下に置かれていた。当初、幽閉されている間は監視する必要はないということで、自由にさせていたというのだが、声の封印が解除され、再度封印しても無意味だということが判明したこともあって、監視下に置くしかないと判断されたようだった。セツナとラグナを隔離して幽閉することも考えたようだが、ラグナが魔法を使うことを考慮した結果、隔離しても無意味だということになったらしい。その結果、セツナはラグナとともに閉じ込められることになったのだ。
「勝てる見込みがあるなら、戦ったさ」
セツナは寝台の上で足をばたつかせる美女を眺めながら、告げた。美女らしからぬ仕草は、ラグナが自分の容姿や性別と一致した言動を取る気がないことが原因だろう。人間らしい仕草、挙措動作ができるのは、彼が長年人間を見てきたということもあるだろうが、特にセツナの下僕となって以来、身近に多数の人間がいたことが影響しているようだ。ドラゴンのままでも人間染みた仕草をすることが多かったことを思い出す。
「なかったというのか?」
「なかっただろうな」
「なんと不甲斐ない。おぬしはそれでもわしの主か!?」
ラグナが寝台からむくりと起き上がると、寝台の端に座っていたセツナに向かって、這うようにして詰め寄ってきた。上衣の胸元から覗く胸の谷間がなんとも色っぽいのだが、ラグナにそのような感情を抱くことがどうにも不可解で、混乱さえ覚える。視線を逸すことでなんとか対処するのだが。
「不甲斐ない主で申し訳ないな」
「むう……なにもそこまでいうておらんぞ」
「いってるじゃねえか」
突如として気を使ってきたラグナに、セツナは苦笑するしかなかった。
(ベノアで……か)
セツナの脳裏には、ルヴェリス・ザン=フィンライトの言葉が残っていた。
『十三騎士全員を、しかもこのベノアで倒すというのは、黒き矛を持ってしても至難の業よ?』
ベノアで、と彼はいったのだ。ベノア。ベノアガルドの首都であり、騎士団の本部がある都市のことであり、セツナたちが現在いる場所でもある。彼の発言は、まるでベノアでならば十三騎士がさらに強くなるとでもいっているようだった。ベノアでならば、十三騎士の本当の能力が発揮されるとでもいうのだろうか。十三騎士全員が、シドのように変異するとでもいうのだろうか。
だとすれば、勝ち目はない。
勝てない戦いはするものではない。
勝てる見込があるというのならば戦えばいいが、黒き矛も使えない上、そもそも眠っている黒き矛では十三騎士全員と戦って勝てるとは思えなかった。いや、黒き矛が目覚めたとして、十三騎士全員を倒せるのかどうか。
ただ、黒き矛が目覚めれば、空間転移能力を使うことができるのだ。空間転移を駆使すれば、このベノアから脱出することも難しくはない。なにも十三騎士と戦う必要などはない。騎士団の足止めに成功した以上、もはや彼らと戦う理由はなかった。
ベノアガルドに逃げ込んだマルディアの反乱軍のことがあったが、マルディアがレオンガンドを裏切り、敵になった以上、気にする必要もない。気にするとすれば、最後までセツナのことを考えてくれていたスノウ・ザン=エメラリアのことであり、ユノ・レーウェ=マルディアとユリウス・レウス=マルディアのことだ。いまセツナにできるのは彼らの無事を祈ることだけであり、その事実がなんとも歯痒かった。
黒き矛さえ取り戻すことができれば、いろいろとやりようがあるというのに、だ。
「しかし、困ったことになったのう」
ラグナがそのまま寝転がり、セツナの太腿を枕にした。見下ろすと、長く量の多い翡翠色の髪が、目にも鮮やかに映る。
「黒き矛が奪われてはどうしようもないではないか」
「だから取り戻すんだろ」
「どうやって取り戻すというのじゃ」
「機会を待つしかないな」
「そのような機会が訪れればよいのじゃが……」
「訪れるだろう」
根拠はないが、確信を持って、いった。
「騎士団――いや、十三騎士は俺に話があるらしい」
だから、セツナを生かしたまま、ベノアガルドくんだりまで連れてきたのだ。話がなければ、用事がなければ、セツナなどとっくに殺していただろう。殺さず、生かし、拘束するだけに留めたのには、それだけの理由がある。理由もなく強敵を生かす道理はない。騎士団は、救いを是とするが、救いの障害となるものには容赦をしない。セツナは、彼らの障害となって立ち塞がった。殺されても仕方がなかったのだが、殺されなかったということは、生かす価値があるということだ。
生かした理由も察しがつく。
シドだ。
シド・ザン=ルーファウスが、セツナを生かしたに違いない。
「シドは……あいつは、俺を騎士団の仲間に引き入れたいらしいからな」
「あやつか」
ラグナが思い出すようにして、いった。彼女も、あの瞬間を見ていたはずだ。シドが雷神のように変容し、絶大な力を見せつけた瞬間を目の当たりにしたはずだ。ラグナの魔法で以ってしても対抗しきれなかったのが、シドのあの姿なのだ。
「あれは……なんじゃったんじゃろうな」
「おまえにもわからないのか」
「わしにもわからんことはある。ひとの子の保つ力ではないのは確かじゃがな」
「そうか」
ラグナはどこか遠い目をしていた。そのまなざしから、彼女が何万年もの記憶の中を探っているように想えて、セツナはそれ以上なにもいえなかった。ラグナは。何万年ものときのなかで、生と死を繰り返してきた稀有な存在だ。転生竜。死しても再び生を得るドラゴン。しかも、転生以前の記憶を失うことはないという。膨大な記憶の海の中から必要な情報を探しだすのも簡単なことではないのかもしれない。
セツナがラグナの髪を撫でようとしたときだった。
突如として部屋の扉が叩かれ、返事を待たずして開かれたのだ。
「はあい、元気にしてるかしら?」
極めて明るい調子で話しかけてきたのは、ルヴェリスだ。ルヴェリス・ザン=フィンライト。つい二時間ほど前に見た格好のままだった。彼は、こちらの様子を見るなり、はっとした。
「あら、取り込み中のようね」
「どうやったらそう見えるんですか。いっときますけど、こいつはただの下僕ですからね」
「そうじゃぞ。わしはセツナの下僕弐号なのじゃ」
ラグナが膝枕から頭を離すと、上体を起こしてその場に座り込んだ。どことなく胸を張っているのは、下僕としての自負のようなものがあるかららしい。
「でも、男と女よね?」
確かに、ラグナの見た目は女なのだが。
「ドラゴンですよ」
「ドラゴンじゃぞ」
「……まあいいわ」
またしても、胸を張るラグナに、ルヴェリスが困り果てたような顔をした。ラグナのことがまるでわからないといった反応だ。それはそうだろう。ラグナがどういう人格の持ち主なのか、知る由もないのだ。ラグナの言動は、その美しい容姿からは想像もつかないものばかりであり、外見から期待していると肩透かしを食らうこと間違いない。
「それで、なんの用事なんです?」
セツナが問うたのは、このままでは話が進まないと思ったからだ。
「あなたたちの拘留場所が決まったから、伝えに来たのよ」
「拘留場所……? ここじゃだめなんですか」
「よくよく考えてみると、あなたたちみたいな危険人物を本部に置いておくのは問題だということになったのよ。声の封印さえ解かれなかったら、ここでも良かったのだけれど……ねえ」
ルヴェリスがラグナを見る。ラグナは、座っているのが疲れたのか、またしてもセツナの太腿を枕にしていた。人間化したのはいいものの、ドラゴンのころとは勝手が違うのが疲れるらしい。筋肉がないわけではないだろうし、身体能力が低いわけでもないはずだが、慣れの問題だろう。
それはそれとして、ルヴェリスたちの判断は妥当なものだと想う。確かに、セツナとラグナを騎士団の本部施設に野放し同然においておくのは危険極まりない。監視はしやすいかもしれないが、火種を抱えるのと同じことだ。
「なるほど」
「じゃあ、ついてきてくれるかしら。あなたたちの荷物は既に運んであるわ」
「荷物?」
「あなたの服と鎧兜よ。ルーファウス卿が破壊したせいで使い物にはならないけれどね」
「だったら処分しておいてくださいよ」
「でも、勝手に処分したらしたで怒るでしょ?」
「……そうかも」
ルヴェリスの苦笑にセツナは小さく納得した。
「ところで」
セツナがルヴェリスに問いかけたのは、騎士団本部内を移動中のことだ。幽閉されていた部屋から拘留場所まで移動するには、騎士団本部をでなければならない。なんでも、ベノア内の一等地にあるとのことだが、どのような場所なのかは教えてくれなかった。ついてからの楽しみだというのだが、無論、セツナは楽しみになどしていない。拘留されるのだ。監視下に置かれ、自由に動き回ることもままならないだろう。楽しみにすることなどなにひとつなかった。
セツナにしてみれば、一刻も早く黒き矛を取り戻したいだけなのだから。
「ん?」
「あのとき、シドが使った能力、あなたも使えるのですか?」
「……ええ。もちろん。十三騎士は皆、使えるわよ」
ルヴェリスは、隠そうともしなければ、当然のように肯定してきた。そしてその答えは、セツナの想像通りだった。十三騎士全員が、シドと同じ能力を持っている。黒き矛さえも圧倒しうる形態。神の如き威容と絶大な力を誇る姿。そんな能力を行使できるのが十三人もいるというのか。
セツナは、少しばかり絶望的な気分になった。
「あなたの判断、間違いじゃなかったわよ」
ルヴェリスが、セツナの心情を理解したかのようにいってくる。
「このベノアで十三騎士を敵に回すということは、十三人の真躯と戦わなければならないということなのだから」
十三人。
シドひとりでさえ手に負えなかったのだ。
それこそ、絶望というものかもしれなかった。