第千三百六十八話 囚われのセツナ(五)
「わたし、十三騎士よ?」
ルヴェリス・ザン=フィンライトが、面白がるような目でこちらを見てきていた。茶褐色の髪を腰の辺りまで伸ばした男。年齢は、二十代半ばから後半くらいだろうか。中性的な顔立ちに女物の衣服は似合っていないわけではないが、声色は男のそれであり、男としか認識できない人物ではあった。声を発さなければ、女性と見紛うこともあるかもしれないが、隠しようのない喉仏が男性であることを主張していた。
二つ名は”極彩”だったか。
何度か交戦したものの、その能力は、いまだ謎に包まれている。
(セツナ……どうするのじゃ?)
(どうするもこうするもだな)
セツナは、ラグナの囁きに囁きで応じながら、ルヴェリスの出方を窺った。ルヴェリスは、武装していない。それどころか、騎士団の制服を身につけてさえいないようなのだ。女物の派手な衣服は、騎士団の制服には見えない。武器も、携帯していない。
(勝ち目は……ある!)
判断したときには、セツナはルヴェリスに向かって踏み込んでいた。漆黒の槍を振り翳し、一足飛びに間合いを詰める。ルヴェリスは、こちらに微笑みを浮かべたままだ。その微笑がいかにも作り物染みていた。偽りの微笑。セツナは構わず槍を振り下ろし、ルヴェリスの首筋に突きつけた。突き刺しはしない。攻撃はしない。殺しはしない。それでは、意味がない。黒き矛の奪取。それこそがセツナの目的なのだ。
「あら、残念」
ルヴェリスが微笑みを浮かべたまま、その姿を消した。溶けるように。セツナが驚嘆するよりも早く、彼の声が、セツナの耳朶を震わせた。
「そのまま攻撃してくれたほうが楽しかったのに」
振り向こうとしたが、なにかに縛り付けられたかのように動けなかった。手も足も微動だにしない。見ると、銀色の流体のようなものがセツナの腕や足に絡みつき、それがセツナの動きを抑制しているようだった。おそらく、ルヴェリスの能力なのだろうが。
「なにを……した」
セツナは、背後の気配に向かって問うた。ルヴェリスは、いつの間にかセツナの背後に移動していたのだ。さっきまでセツナの目の前に立っていたのはルヴェリスの幻像であり、本物はセツナたちの死角にいたのだろう。
「敵に能力の解説なんてするわけないでしょ?」
「……くっ」
「まあ、ひとつ教えてあげるとすれば、全部が全部、わたしの能力じゃないってことくらいね」
「なんだと……」
それはつまりルヴェリス以外の十三騎士がこの近くにいるということであり、セツナたちは、まんまと十三騎士の警戒網に引っかかったということになる。
「ところで、あなたはだれなのかしら?」
ルヴェリスが問いかけたのは、ラグナに対してだろう。身動きひとつ取れないセツナには、ルヴェリスとラグナの様子を伺うことはできなかった。
「騎士団本部で働いている子じゃないわよね? あなたみたいな派手な子を見逃すわけないものね。そもそも、騎士団本部の子が、セツナ伯に協力するわけもないし……」
「わしか? わしはセツナの下僕弐号じゃ」
「下僕弐号……?」
「ラグナシア=エルム・ドラースという名もある」
「ラグナなんとか……って、セツナ伯が飼っているドラゴンの名前じゃなかったかしら」
「そのドラゴンがわしなのじゃ」
「……だいじょうぶ?」
「なにがじゃ!」
「いやだって、あなた、どうみても人間じゃない」
ラグナに対するルヴェリスの反応は、セツナの想像した通りのものだった。ラグナの現在の容姿は、人間以外のなにものでもないのだ。しかも美女と呼べる容姿であり、そんな女が自分のことをドラゴンだなんだといいだせば、心配するのもわからないではなかった。セツナ自身、彼女がラグナだと認識できたのは、ラグナの性格をよく知っているからにほかならないのだ。
「しかも美人で、体つきも素晴らしいわ。ああ……!」
「ど、どうしたのじゃ……」
「創作意欲が湧いてきたわ!」
「そ、そうさくいよく……?」
「また、始まってしまった……」
突然飛び込んできた声に、セツナは、さらなる緊張を覚えた。もうひとりの十三騎士なのだろう。いまのいままでどこに身を潜めていたのかわからない。ルヴェリスの能力か、その騎士の能力か。いずれにせよ、どちらかが幻覚を操る能力の使い手なのは間違いなさそうだった。
幻覚。
だから、セツナもラグナも彼らの接近に気が付かなかったのだ。
「あら、テル君。随分な物言いね」
「本部でその呼び方はやめてくださいよ、フィンライト卿」
「じゃあ、ケイルーン卿」
「なにがじゃあなのかわかりませんが……まあ、いいでしょう」
やれやれとでもいいたげに、ケイルーン卿と呼ばれた人物がいった。
(ケイルーン?)
聞き知った名だ。そして、ガンディアが最初にベノアガルドを警戒するようになった人物の本当の名前でもある。テリウス・ザン=ケイルーン。かつて、アルベイル=ケルナーを名乗り、ガンディアに潜り込んできた人物だ。
「テリウス・ザン=ケイルーン……か」
セツナがテリウスの名前を発すると、後ろで反応があった。
「ええ。わたしがテリウス・ザン=ケイルーンですよ、セツナ伯。ガンディオンではあなたの従僕に殺されかけたのですが、知っておいででしょうか」
「知っているさ。あんたが俺のことをこそこそ嗅ぎまわっていたこともな」
「こそこそ? わりと堂々としていたはずですが」
テリウスの苦笑には、余裕が混じっていた。セツナが拘束されている状況。彼が余裕を持つのも当然だろうが、その態度がセツナには気に入らなかった。テリウスの言動には、敵愾心が感じられる。ほかの十三騎士の言動からは感じられないものであり、彼だけがセツナに対してなんらかの感情を抱いているということなのだろうが、セツナは彼と面識があるわけではない。
「まあ、それはともかく、セツナ伯。あなたは、我々に従っておくべきだ」
「従う?」
「当然でしょう。まさか、この状況を脱せるとでも?」
テリウスが皮肉交じりに失笑するのを聞いて、セツナは目を細めた。セツナの体こそ拘束されているものの現状は絶望的とはいえない。十三騎士ふたりが相手で、時間が経てば経つほど不利になるという状況ではあるが、覆せないというわけでもない。告げる。
「脱せるさ。ラグナ」
「任せよ」
ラグナがふたつ返事で言い切ったつぎの瞬間、セツナの体は自由になった。銀色の流体による拘束が解かれたのだ。その結果、セツナは振り下ろそうとしたままだった漆黒の槍を勢い良く床に叩きつけることになり、槍の穂先が石床に激突し、破壊音を響かせた。石床が小さく陥没する。やはり、漆黒の槍は強力だ。さすがは黒き矛の眷属といったところだろう。
「あら、どういうことなの?」
「なにをした?」
ルヴェリスとテリウスが驚きの声を上げ、同時に警戒したのがわかる。
「いうたじゃろう。わしはドラゴンじゃとな」
「ドラゴンの魔法……」
「わしがおる限り、セツナには手出しはさせん」
ラグナが胸を張って宣言したのがなんとはなしにわかった。彼女ならばそうするだろう。
「だったらもっと早く解放しろよ」
「おぬしが迂闊だっただけじゃ」
ラグナの正論には、ぐうの音もでない。
そこでようやく、セツナはラグナを振り返り、テリウスを視界に収めることができた。テリウス・ザン=ケイルーン。彼の顔は、晩餐会のときに見ている。レムと踊っているときの貴公子然とした姿そのままに、彼はいた。北方人特有の白い肌が印象的な美男子。十三騎士に名を連ねるだけあって、立派な体格をしている。
「なるほどねえ。だから、声の封印も解かれていたってわけね」
「声の封印……あなたの仕業か」
「そうなの。セツナ伯、あなたの声を奪ったのはわたしよ。まさか、あっさりと解除されるとは思わなかったけれど」
ルヴェリスは冷ややかに認めると、ラグナを見た。ラグナは、尊大な態度で立っている。豊かな胸を強調するような姿勢は、小飛竜のころのラグナを想起させた。ラグナらしいといえば、ラグナらしい。
(声の封印に、肉体の拘束……厄介な能力だな)
ルヴェリスは、ほかの十三騎士とは異なり、攻撃そのものではなく、支援に特化した能力を持っているようだった。幻覚を操る能力を持っているらしいテリウスも、支援系ということになるのだろう。本当のところはわからないが、知りうる限りの情報からそう判断する。
(支援系っていったところで、十三騎士は十三騎士だがな)
十三騎士の戦闘能力に格差がないことは、これまでの戦いでわかりきっていることだった。能力にこそ一長一短あれど、実力そのものに大きな差はなく、だれもかれも以前の黒き矛に匹敵する力を持っていた。だからこそ、複数の十三騎士との戦いは防戦一方とならざるをえないのだし、十三騎士の真の力を前にすればセツナといえど窮地にならざるを得なくなる。シドが行使した真の力がほかの十三騎士にも使えるのであれば、戦力差は絶望的といえる。
「とはいえ、この状況下で立場が逆転した、などとは思わないことです」
「そうね。セツナ伯。あなたも、自分の立場がわかっていないわけではないでしょう?」
「俺の立場……」
「わしの御主人様じゃな」
「そういうことじゃねえよ」
「そうよ。そういうことじゃあないのよ」
ルヴェリスが、苦笑交じりにセツナの言を肯定した。そして、静かに告げてくる。
「あなたは、わたしたちに従うしかないの。ここでわたしたちの手を逃れたところで、あなたは失うだけなのだから」
失うという言葉が耳に残る。ここから抜けだして失うものなど、ひとつしかない。
「……黒き矛か」
「ご名答」
「黒き矛は、わたしたちが預かっているわ」
テリウスが肯定し、ルヴェリスが続ける。
「あなたが目覚めたとき、力ずくで逃げられたりしたら困るから」
「セツナ伯。あなたが黒き矛を手放すというのなら話は別だが、そんなことはありえないでしょう?」
「……ああ」
うなずくしかない。
黒き矛を手放すという選択肢などありえない。黒き矛の眷属を召喚することができたとして、黒き矛そのものではないのだ。漆黒の槍、闇黒の仮面、深黒の双刃――どれも強力な召喚武装だし、エッジオブサーストに至ってはその能力も強力無比だ。だが、完全化したカオスブリンガーには及ぶべくもない。そんなことはわかりきっている。だからこそセツナは黒き矛を取り戻さんとしたのだし、十三騎士から黒き矛の在り処を聞き出さんとしたのだ。
「黒き矛を取り戻したければ、わたしたちに従うことよ」
「あんたたちを組み伏せて、取り戻すっていうのは?」
「できるかしらね。十三騎士全員を、しかもこのベノアで倒すというのは、黒き矛を持ってしても至難の業よ?」
「どうしても戦いたいというのであれば、まずはわたしたちが相手となりますが」
といって、テリウスが右手を軽く掲げた。彼の右手の周囲の空間がねじ曲がったかと思うと、一振りの剣が出現した。幻覚で見えないようにしていたのか、それとも、剣そのものが幻覚なのか。いずれにせよ、戦う意志を示してきたということだろう。
ルヴェリスは武器こそ持っていないものの、戦う姿勢を見せている。能力を発動するための準備でもしているのかもしれない。その後方でラグナまでもが戦闘態勢に入っていた。いつでも戦いに臨めるというような表情。小飛竜のころとは段違いの頼もしさだ。実際のところ、人間化したラグナがどの程度戦えるものかはわからないが。
セツナは、緊張感に満ちつつある空間で、頭を振った。
「……やめよう」
「セツナ!?」
ラグナが愕然とした声を上げたが、黙殺し、セツナはルヴェリスとテリウスを順番に見た。
「ここは、あんたたちに従うよ」
「素直なのは好感度高いわよ」
「なんですか好感度って」
テリウスがあきれたようにいいながら、剣を消失させてみせた。どうやら、剣そのものが幻覚だったらしい。とはいえ、あのまま戦闘に入ったとして、セツナたちに勝機があったとは思いがたい。
セツナは、漆黒の槍を送還した。
この状況下、十三騎士ふたりを相手に大立ち回りを演じるのは愚行だろう。勝てる見込みがあるのならばまだしも、漆黒の槍では十三騎士を圧倒できるとは思えない。ふたりの能力も問題だ。ルヴェリスは声を封印することや、体を拘束する能力を持ち、テリウスは幻覚を見せる能力を持つ。攻撃力そのものはなくとも、戦いにくい相手なのは間違いなかった。ルヴェリスの拘束も封印もラグナの魔法でなんとでもなるとはいえ、拘束された瞬間は無防備にならざるをえない。そして、その瞬間を見逃すテリウスではあるまい。
負ける可能性が強い。
ルヴェリスひとりならばラグナの魔法を頼りに押しきれただろうが、テリウスが参戦した時点でそういう戦い方はできなくなった。そして、黒き矛の奪還が目的である以上、相手を殺してはならないのだ。殺さず、在り処を聞き出さなければならない。ということは、戦い方にも工夫がいるということであり、十三騎士がふたりに増えた時点で、それも不可能となった。さすがに十三騎士ほどの実力者ふたりを屈服させるのは、黒き矛でなければ困難だろう。
なんとしてでも黒き矛を取り戻し、早急にガンディアに帰らなければならない。
だからこそ、ここは彼らに従うという選択をするしかなかった。
生きて帰るためだ。
現状、生還こそすべてに優先する。