第千三百六十七話 囚われのセツナ(四)
「ベノアか……」
着替えのあと、セツナはここがどこなのかをラグナから聞いた。
ラグナが耳に挟んだ話によれば、ここはベノアガルドの首都ベノアであり、騎士団本部ということだった。十三騎士たちは、セツナが目覚めるまでに、その身柄の扱いについて検討すると言い合っていたという。シドはセツナを騎士団の味方に加えたがっていて、何人かはそれに賛同しているが、反対するものもいたらしい。賛成派と反対派の議論が白熱した結果、神卓会議にかけるという結論に至ったのだといい、神卓会議の結果如何では、セツナの身柄がどうなるものかわからないという。
無論、このようなところに留まり、会議の結論が出るのを待つつもりもない。
「どうするのじゃ?」
ラグナに目を向けると、彼女は寝台の上で胡座をかいていた。女性のするような座り方ではないが、彼女に女性らしさを問うても意味はない。転生竜たるラグナに性の別はないのだ。
「当然、脱出するさ」
「おぬしならばそうするじゃろうと思っておったわ。わしが人間に変化したのも、おぬしと力を合わせるためじゃ」
うんうんと頷くラグナの様子に、セツナは、あきれる思いがした。
「慣れるためとかいってなかったか?」
「それもある」
「……まあいい」
腕組みするドラゴン女から視線を移し、室内を見回す。警備も監視もないようなものだ。広い一室。高級そうな調度品ばかりが揃えられており、大きな窓がひとつ、外の景色を覗かせている。寝台に寝ているときはよくわからなかったものの、青空が見え、その下には庭園が広がっているようだった。
「さて、さっさと脱出して、ガンディアに戻ろう」
窓に近づき、庭園の様子を伺うと、四方を壁に囲まれていることがわかった。同じような形状の窓が並んでいるところを見ると、セツナたちがいる部屋と同じような部屋が庭を囲むように配置されているのだろう。つまり、中庭だということだ。窓から外に出ても意味がないということになる。
「っても、俺達がガンディオンに辿り着くころには、反乱も終息してるだろうがな」
「じゃが、ここにとどまっているわけにはいかぬのじゃろ?」
「当たり前だろ。皆の元に帰るんだ」
「うむ」
ラグナが鷹揚に頷く。美女の姿になっても尊大な態度は相変わらずなのだが、小飛竜のころの愛嬌がなくなったこともあって、受ける印象は大きく変わった。小飛竜のころはラグナがどのような言動をしたところで、愛嬌に満ちた外見に騙されたものだが、美女になるとそうはならない。
そんなことを考えつつ、右手を見下ろす。
「そのためには、まずは黒き矛を召喚しないとな」
「そうじゃな。あれがなければ話にならん」
「だろ。武装召喚」
ラグナの言葉を否定することもなく、セツナは、呪文の末尾を唱えた。ラグナが封印を問いてくれたおかげもあって、喉に痛みが走ることはなく、武装召喚術は完成する。優秀な武装召喚師たちから見ても卑怯といわざるを得ないような簡素な呪文。術式を完成させるための結語。たった一言。その瞬間、セツナの全身から爆発的な光が生じ、右手の内に収束する。そこまでは想像通り、予定通りの出来事だ。いつも通りの召喚手順。このまま光の中から黒き矛が現れればセツナの勝利は確定する。少なくとも、このベノアから抜け出すことは難しくなくなるだろう。
だが。
「は?」
セツナは、光の中から具現した召喚武装の有り様に、ただただ唖然とした。
セツナの右手に収束した光から現れたのは、一本の槍だった。漆黒の巨大な槍は、セツナの記憶に強く焼き付いている。
「なんじゃ?」
ラグナが驚愕するのも無理はなかった。
螺旋を描く巨大な穂先が特徴的な漆黒の槍は、黒き矛と似ても似つかない代物だった。ただし、その禍々しさは黒き矛に匹敵するものがあり、柄を握る手からセツナに流れ込んでくる力も黒き矛と遜色なかった。
ランスオブデザイア。
ファリアが術式を考案し、ルウファが召喚し、そしてなぜかウェイン・ベルセイン=テウロスのものとなった召喚武装。
黒き矛の眷属。
「黒き矛を召喚するのではなかったのか?」
「ああ……そうだよ」
セツナは、漆黒の槍の重量を感じながら、流れ込んでくる力に目を細めた。黒き矛の眷属であり、黒き矛と一体化したそれは、黒き矛と同等の力を持っているということなのだろう。
(いや……)
胸中、頭を振る。
漆黒の槍は、漆黒の槍に過ぎない。黒き矛とは違うのだ。本体たる黒き矛と同等の力を有しているとは考えにくい。ウェインと戦ったとき、拮抗していたのは、黒き矛が分かたれた状態だったからにほかならない。いまは、違う。黒き矛は、もっと凶悪だ。
「俺は、黒き矛を、カオスブリンガーを召喚したつもりだ」
「ならばなにゆえ、別のものが召喚されたのじゃ?」
「わからねえ」
漆黒の槍を送還し、もう一度、呪文を唱える。再び、セツナの肉体が光を発し、光の中から召喚武装が出現する。またしても、ランスオブデザイアだった。
「遊んでおる場合ではないぞ?」
「遊んでねえよ」
もう一度試すべく漆黒の槍を送還する。光の粒子となって消えるのを見届けてから、告げる。
「こんな状況で遊ぶわけねえだろ」
召喚の光は、眩しい。おそらく窓から中庭に至り、中庭から周縁部の部屋に届いただろう。異変に気づくものが現れる。そして、それがセツナを幽閉している部屋から発せられたことも、すぐにわかるだろう。時間はない。早く黒き矛を召喚し、ここを脱出しなければならない。
だが。
「武装召喚」
呪文の末尾を告げた瞬間、三度、体が光を発し、光の中から漆黒の槍が具現した。
「どうなってんだよ!」
セツナはランスオブデザイアを握りしめたまま、叫んだ。
「……黒き矛も囚われているのやもしれぬな」
「囚われ……」
ラグナが険しい表情で告げてきた一言を反芻し、そして、納得する。それならば、すべてが理解できる。どういう方法かはわからないが、きっと、そうなのだ。十三騎士たちは、セツナから黒き矛を取り上げた後、送還できないようにしたのだ。送還できなければ、再召喚などできるわけもない。そして、再召喚できないということは、黒き矛を持ってガンディアに帰ることなどできないということだ。
「そうか。そういうことか。なるほどな。理解したぜ」
「なにを理解したのじゃ?」
「騎士団が俺を野放しにしている理由をさ」
ここまで監視が緩い理由。
中庭の見える一室に放置しているといってもいい状況なのは、セツナが為す術もないからなのだ。黒き矛を確保している上、喉に封印を施していた。対策としては完璧といっていい。ラグナがいなければ武装召喚術を使うことさえかなわなかったのだ。そして、なんらかの方法で喉の封印を解いたとしても、黒き矛を召喚することはできず、途方に暮れるほかない。
「黒き矛を確保している以上、俺が逃げられないって想ってるんだよ」
そしてそれは間違いではなかった。
黒き矛あってのセツナであり、黒き矛がなければなにもできないのが自分なのだ。
「どうするのじゃ?」
「もちろん、奪還する」
なんとしてでも、取り戻さなければならない。
もし、万が一、騎士団が黒き矛を利用できるようになれば、目も当てられない。
「そうこなくてはな。わしも力を貸すぞ」
「頼りにしてるぜ、ラグナ」
「うむうむ。存分に頼るがよいぞ」
ラグナは嬉しそうに笑うと、おもむろに抱きついてきた。そしていつものように頬ずりしてくるものだから、セツナは反応に困った。ドラゴンのままならばまだしも、美女の姿で頬ずりされるのは、なんとも言い様がない。
しばらくラグナのされるがままにされたのち、セツナは行動を開始した。
部屋を抜け出すのは、難しいことではなかった。
扉の外にだれもいないことを確認し、それからランスオブデザイアで扉を破壊したのだ。
ランスオブデザイアは、黒き矛ほどではないにせよ、強力な召喚武装なのは間違いなかった。ランスオブデザイアは、特徴的な螺旋状の穂先を回転させることで破壊力を飛躍的に向上させるという能力を持つ。しかし、回転させると轟音を撒き散らすという欠点もあり、身を潜めて行動しなければならないときには厄介だった。もちろん、回転させなければいいし、回転させなくとも通常武器よりも遥かに強い。扉を破壊するのも楽なものだった。
扉の破壊音が建物内に響き渡り、警戒を呼んだのは当然の結果だったが、幸い、セツナたちが幽閉されていた部屋は監視下に置かれておらず、すぐさま廊下を走り抜けることで部屋の周辺から抜け出すことに成功した。騎士団の兵士たちが駆け抜ける音や声を聞きながら、息を潜める。セツナの部屋が監視下に置かれていなかったのは怠慢ではないだろう。セツナの喉の封印が解けることがなければ、セツナが部屋から脱出することなどありえないのだ。そして、たとえ喉の封印が解けたとしても、黒き矛を取り戻すために動くだろうことは想定済みのはずだ。
セツナは、騎士団側の想定通りの行動をしているに過ぎない。そのことを自覚した上で、それでも黒き矛の奪還には拘らざるを得なかった。
(ここまでは上手くいったな)
物陰に隠れたまま、声を潜めてつぶやく。
ラグナいわく騎士団本部という建物の中は、まるで城の中のような作りになっていた。石造りの城だ。石畳が敷き詰められ、石の壁や天井が周囲を覆っている。もしかすると、本当に城なのかもしれない。ベノアはベノアガルドの首都であり、ベノアガルド王家の城があったはずだ。そして、騎士団は革命によって王家を滅ぼしている。王城を騎士団本部としていても不思議ではない。
(そうじゃな。あやつら、慌てておる)
ラグナのいうとおり、兵士たちの慌てふためく声が遠くから聞こえてくる。セツナが扉を破壊し、脱走したのだ。慌てるのは当然だろう。監視をつけておかなかったのが悪いのだ。
(しかし、問題もある)
(なんじゃ?)
(黒き矛の在り処がわからねえ)
(むう……それは困ったのう)
ラグナが心底困ったような顔をした。
(十三騎士なら知ってそうだが……)
(ならば、十三騎士を捕らえ、聞き出すしかあるまい)
(……ほかに方法はなさそうだな)
ラグナの提案に首を横に振る理由もなく、セツナは、静かにうなずいた。周囲を警戒しながら、ゆっくりと立ち上がる。迷宮のように入り組んだ通路の中、セツナたちは物陰に身を潜めていた。兵士たちの視界に入らないよう、細心の注意を払っている。
(その十三騎士を探すのが、厄介だが……)
ここが騎士団本部という話が本当であれば、十三騎士がどこかにいるのは間違いないだろう。そして、セツナを幽閉する場所に騎士団とは関係ない建物を選ぶとも思えない。ここはラグナが聞いたとおり騎士団本部なのだ。
「十三騎士が――」
不意に背後から突きつけられたのは、刃のように鋭い声だった。背筋が凍るとはまさにこのことであり、セツナは、喉から心臓が飛び出るのではないかと想うほどの驚きを覚えた。
「――どうかしたのかしら?」
振り向くと、十三騎士ルヴェリス・ザン=フィンライトがこちらを見て、微笑んでいた。