第千三百六十三話 死神には死神を
「真……なんですって?」
ミリュウが疑問を発したのは、エイン=ラジャールの発した名称が聞き知ったものだったからなのだろう。
エインが部下のひとりをつれて彼女たちの元を訪れたのは、四月十五日夜半のことだった。龍府に到着した日のことであり、その日の内に軍議を終えたエインは、大急ぎでレムたちのいる天輪宮の一室に足を運んできたのだ。軍議自体、天輪宮で開かれたようではあるが、彼が忙しなく動き回っているのは傍目にも明らかだ。彼もアレグリア=シーンも、軍師ナーレスの不在を埋めるべくがむしゃらに働いている。
室内には、彼女のほか、ミリュウ、ファリア、ルウファ、エスク、レミル、ドーリンがいる。ウルクはミドガルドによる定期検査を受けていて不在で、マリアとエミルは休息中だった。彼女たちも龍府に到着して以来働き詰めだった。
「死神部隊ですよ。真死神部隊」
「だって、レム。聞いてる?」
「……え?」
不意に話しかけられて、レムはミリュウを見た。赤い髪の美女は、なぜか心配そうな表情でこちらをみていた。彼女が何を心配するのか、レムにはわからない。
「レム?」
「さっきからぼーっとして、どうしたの?」
「しっかりなさいよ。あんたはセツナの無事確認用存在なんだから」
「なんか酷いいい様ね」
「本当のことじゃない」
「そういう部分もあるけれど、それだけじゃないでしょ」
「あたしにとってはそれだけよ。それだけで十分じゃない」
「……はあ」
ファリアが大きく嘆息するものの、ミリュウはまったく気にも止めていないようにレムに話しかけてくる。
「それて、レム。ちゃんと聞いてた?」
「もちろんでございます。真死神部隊……でございますね」
口にしたくもない言葉を紡ぐのは、労力が必要だった。表情が変化しないようにするための努力。努めて平静を装い、笑顔を浮かべ続ける。いつもならなんのことはないことでも、その名を突きつけられれば、事情は変わる。
死神部隊。
彼女にとってこの上なく大切な名前だった。
死神部隊。
彼女にとって、存在理由そのものといっても過言ではなかった。
死神部隊――。
「はい。レムさんには、スルークの死神部隊を撃退して頂きたいのです。もちろん、レムさんおひとりに、ではなく、シドニア戦技隊の皆様にも同行して頂くつもりですが」
説明によれば、真死神部隊と呼称されるジベルの小隊がスルークのガンディア軍を撃破、スルークを制圧したのだという。
「俺達はついでってわけね?」
「そういうわけじゃないんですけど」
「なんかそんなふうに聞こえるなあ」
エスクが不満そうにいうのもわからないではない。
「仕方ないでしょ。死神部隊なんて聞いたら、レムが話の中心にならざるをえないわ」
「そういや、確か死神部隊ってジベルの特務部隊で、レム殿が所属していたんだっけ?」
エスクに問われて、レムは一瞬、ぎょっとした。が、すぐさま取り繕い、笑顔で応える。
「はい。わたくしが御主人様とめぐり逢うきっかけとなった部隊でございます」
死神部隊としての思い出そのものは、悪いものばかりではない。むしろ、愛おしい記憶のほうが多い。死神部隊の一員だったからこそ、いまの自分が存在するのだ。その事実を否定するつもりもない。
「めぐり逢うってあんたねえ」
「ハーマイン将軍には、解散するよう要請し、受理して頂けたはずなのですが」
「我々のあずかり知らぬところで結成されていたようですね」
エインが困り果てたような表情を浮かべた。ジベルの暴挙に次ぐ暴挙が彼を困らせているのだろう。
ジゼルコートに同調しただけならばまだしも、レオンガンドに立て突き、あろうことかザルワーン方面へと侵攻してきたのだ。暴挙というほかあるまい。
ジベルは、レムの生まれ故郷だ。だが、望郷の念というようなものはなく、むしろ、ジベルのそういった小賢しさには反吐が出る。
「……まったく」
「レム?」
(度し難いわ)
レムは、ふつふつと湧き上がる感情を押さえつけるようにして、拳を握った。
(ハーマイン=セクトル)
ジベルの将軍は、死神部隊の存続に拘っていた。クルセルク戦争後、クレイグ・ゼム=ミドナスを始めとする死神部隊の隊士たちが全滅したことで、死神部隊の存続は危ぶまれた。いや、存続など不可能になったといってもいい。クレイグがいないのだ。死神を新たに作ることなどできなかったし、レムにはクレイグの真似事をするつもりもなかった。そもそもできるわけもない。だが、ハーマインは死神部隊こそジベルの象徴だとでもいわんばかりに、死神部隊の存続に動いた。レムを隊長に任命し、部下である隊士を見繕った。即席の死神部隊。レムは憤りを感じたものだ。死神部隊とは、彼女にとっては擬似的な家族のようなものだったのだ。その家族が皆、ようやく眠りにつけたいま、その安眠を妨害するようなハーマインの暴挙を許すことはできなかった。だから、レムは死神部隊の解散を要求した。ハーマインは、レムとレムの後ろ盾を恐れてなのか、その要求を受け入れたはずだった。死神部隊は解散され、レムはジベルを去った。
もう二度と、ジベルと関わることはあるまい。
そう思っていた。
思っていたのだが、どうやらそれは、レムだけの想いのようだった。ハーマイン=セクトルは、未だに死神部隊に拘りを持ち続けていたのだ。
それはおそらく、ハーマインにとって死神部隊の存在こそ、彼の人生を輝かしいものにしたからなのではないか。
ハーマインがジベルで確固たる地位を築きあげることができたのは、死神部隊の暗躍によるところが大きい。死神部隊を用いて政敵の弱みを握るようなことは日常茶飯事だったし、場合によっては暗殺さえ行った。かくしてハーマインの敵はジベルからいなくなり、彼の独裁政権ができあがるのも時間の問題だった。先王アルジュがハーマインに依存したのも、そういう風にしてアルジュの周辺からハーマインに疑念を抱くものを排除していった結果なのだ。
ハーマインが死神部隊に拘るのも無理からぬことだったのかもしれない。
だからといって、死者の墓を暴くような行為は許されるべきではないし、許すつもりもないが。
「レム? ねえ、聞いてるの?」
「本当にだいじょうぶ?」
「え、ええ。もちろんだいじょうぶにございます」
レムは、慌てて肯定すると、ミリュウとファリアに笑顔を見せた。いつもどおりの笑顔を創り出すのは、なにも難しいことではない。死神部隊としてジベルにいたころから、表情を偽るのは大得意だった。もっとも、ガンディアにきて、セツナの従僕となってからというもの、偽りの笑顔を浮かべたことはほとんどなかったが。
それくらい、充実した日々を送っていた。
「それで、わたくしめがその真死神部隊を殲滅すればよろしいのですね?」
「スルークを奪還してもらえればそれで十分ですよ」
エインが引きつったような笑顔を見せたのは、どういう理由なのだろう。レムにはわからない。
「わかりました」
レムは、エインの言葉にうなずくと、席を立った。すぐにでもスルークに向かいたい気分だった。死神部隊の名を汚す偽りの死神たちをこの手で抹殺しなければ、気が済まない。
「では、殲滅してまいります」
レムが満面の笑顔を浮かべると、なぜかエインが凍りつき、彼の部下も唖然としたような表情を見せた。
レムは構わず、ふたりに一礼し、そして、ファリアたちにも頭を下げて、席を離れた。
「え、あの、聞いてました? っていうか、俺、ちゃんといいましたよね? 撃退って」
声が背後から聞こえてきたが、レムは振り返りもしなかった。
彼女の心は、既にスルークに向かっている。




