第千三百六十二話 目には目を
「ジベル軍がスルーク、ナグラシアを占拠している……か」
ガンディア解放軍は、龍府に入ったその日の内に軍議を開いた。軍議に用いた情報の数々は、龍府で働いている参謀局員らが事前に収集したものだった。
参謀局は、ガンディア国内各地に情報収集のための人員を手配している。ガンディア国内に入ればそれら情報網が機能している限り、迅速に情報を収集することができるようになっていた。
ナーレス=ラグナホルンが構想し、エイン=ラジャールとアレグリア=シーンが実現させた情報網は、日々、確実に完成度を高めている。
軍議には、もちろん、レオンガンドをはじめとする解放軍首脳陣が参加している。
「ジベルがジゼルコート伯についたのは、マルディアでの動向を見れば明らかですし、ジゼルコート伯がザルワーン方面をジベルに任せるのは、予想できたことではあります」
ガンディア本土からザルワーン方面を掌握するには、まずログナー方面を制さなければならず、迅速にガンディア全土をジゼルコート軍の支配下に置くためには、多方面を同時に攻略するのが一番だろう。ジゼルコートとしてはレオンガンドたちがガンディアに戻ってくるまでに決着をつけたかったはずであり、そのための多方面作戦だったのだろうが、成功することはなかった。なぜならば、ジゼルコートの予想より遥かに早く、レオンガンドたちがマルディアを抜け出し、ガンディア領内に戻ってこられたからだ。
まさに神速といっていいほどの行軍速度だった。
「ジベルはスマアダ、ガロン砦周辺の、かつてのザルワーン領を支配しており、ジゼルコート伯がザルワーン方面を任せるには打って付けですからね」
エインが地図を指し示しながら、説明する。ザルワーン方面の地図には、ザルワーンの各都市名が記載されており、それぞれ小さな駒が置かれていた。赤い駒が自軍であり、青い駒が敵軍であるらしい。赤は、ガンディア方面軍の象徴色でもある。ザルワーン方面龍府、ゼオル、バハンダールに赤い駒が配置され、スルークとナグラシアに青い駒が置かれている。
ザルワーンの東半分がジベルに掌握されているということになる。
「ザルワーン方面は手薄でしたから、ジベル軍にとっては簡単なものだったでしょう」
ザルワーン方面軍は、アバード動乱での兵力の損失から、マルディア救援には消極的だった。そのこともあり、マルディア救援軍には参加させず、ザルワーン方面とログナー方面の防備に当てたのだ。ログナー方面も担当させたのは、ログナー方面軍がマルディア救援軍に参加したこともあり、がら空きになってしまうからだ。その結果ザルワーン方面が手薄になるのは、仕方がなかった。
無論、マルディア救援軍にジベル、メレド、イシカが参加を表明していたからこその判断だ。まさか、救援軍に参加した国々がレオンガンドを裏切るとは考えられなかった。ジゼルコートと繋がっていることがわかっていなかったことも、大きい。もし、ジベルとイシカがジゼルコートと繋がっていることがわかっていれば、多少なりとも対策を取ることもできたのだが。
いや、ジゼルコートがルシオンと繋がってさえいなければ、状況は大きく違っていたはずだ。ハルベルク・レイ=ルシオン率いるルシオン軍がジゼルコートを打倒し、ジゼルコートの野望は瞬く間に潰えさり、彼の謀叛に呼応するはずのものたちも意気消沈して取りやめざるを得なかったか、行動を起こした末、孤立したことだろう。
だが、ルシオン軍はジゼルコートに同調し、レオンガンドと敵対する道を選んだ。
ハルベルクがジゼルコート軍とともに行動していることの真偽については、解放軍がガンディア本土に近づくに連れて明確なものとなっていっている。当初こそ否定していたリノンクレアも、もはや受け入れざるをえない状況にまで追い込まれており、彼女の心中は察するに余りあった。愛する夫に裏切られたも同じなのだ。
彼女は、ハルベルクがジゼルコートと繋がり、ジゼルコートの謀叛に同調し、レオンガンドと敵対するということを知らされてはいなかったのだ。
リノンクレアは、ハルベルクに真意を問い質したいといっているが、それはレオンガンドも同じ気持だった。ハルベルクがなぜレオンガンドを裏切り、ジゼルコートに与したのか。レオンガンドとともに歩むと誓い合ったのは嘘だったのか。それとも、心変わりしたのか。彼から直接聞かなければならないことが山程ある。
そのためにも早くザルワーン方面からログナー方面へと至らなければならない。
ハルベルク率いるルシオン軍は、ジゼルコート軍の主力としてログナー方面に展開し、マルスール、マイラムを制圧したという情報が入ってきていた。いまのところ、レコンダール、バッハリアは無事ということであり、どうやらエンジュールも害が及んでいないらしいのだが、それもいつまで持つかはわからなかった。安全を確保するには、いち早くログナー方面に入り、ルシオン軍を撃退するなり、ハルベルクとの間で交渉を持つなりしなければならない。
ここまで明確な敵対行動を取っている相手が交渉に応じてくれるとは、到底思えないのだが。
しかし、レオンガンドはハルベルクを諦めきれなかった。
ジゼルコートとは、違う。
ハルベルクは、弟だ。義理の弟であり、血の繋がり以上に濃い信頼関係で結ばれていると信じていたし、いまでもその気持ちは変わらない。だからこそ裏切られたことの衝撃は強く、深く、心の奥底へと至っている。本当は裏切ってなどいないのではないか、と想いたいのだが、飛び込んでくる情報の数々、状況証拠は、ハルベルクをレオンガンドの敵と断定する。
敵ならば、倒すほかない。
そう決めた。
夢のためだ。
もはや立ち止まってなどいられないのだ。
だからこそ、レオンガンドは、ハルベルクの裏切りが一時の気の迷いで、レオンガンドたちの説得に応じてくれることを願った。それならば、またやり直すこともできる。ハルベルクの裏切りをジゼルコートを出し抜くための策だったということにしてしまえば、ルシオンを味方に引き入れる大義名分にもなるのだ。そうすればなんの問題もない。
もちろん、ハルベルクがレオンガンドの説得に応じてくれなければ、戦う以外の道はなくなるのだが。
「それで、どうするのだね?」
「ここで部隊を二手に分けることにします」
レオンガンドの質問に対し、エインが導き出した結論がそれだった。戦力の分散。解放軍ができるだけ避けたかったことだが、アバードでも既に別働隊を出している。アバード解放軍の戦いは既に終わっている頃だろうか。
「ナグラシアはまだしも、スルークのジベル軍を無視すると、龍府を攻撃されかねませんからね」
「スルークだけは奪還する、と」
「その上で、スルークに滞在し、ジベル軍への牽制となって頂きます」
彼は、いう。
「その間に、陛下率いる本隊はバハンダールから南下し、レコンダールへ入っていただきます。マイラムは黙殺し、マルスールを奪還、バルサー要塞を突破すれば、いよいよガンディア本土です」
地図上、赤い駒が龍府からバハンダール、レコンダールへと移動し、青い駒の占拠するマルスールへと至る。マルスールはルシオン軍に占拠されており、マルスールに入るということは、ルシオン軍と戦うということになる。ログナー方面北部のマイラムはまだしも、バルサー要塞のルシオン軍とも戦わなければならない以上、マルスールの軍勢を無視することはみずから窮地を創り出すことにほかならない。バルサー要塞攻略中、マルスールの軍勢に後背を突かれることになりかねないからだ。バルサー要塞は難攻不落。後顧の憂いを立った上でなければ、攻めこむことなどできはしないのだ
「そう上手くいくだろうか」
「いかなくては、なりません」
エインが、強い口調でいった。
「とにかく急がなければ。時間が経てば経つほど我々は不利になります。ジゼルコート伯は地盤を固めるでしょうし、アザークやラクシャの戦力を呼び寄せるでしょう。本隊の戦力で押し切るには、速やかにガンディア本土へ至り、ジゼルコート伯を討つしかないのです」
それは、わかりきったことだ。
ジゼルコート軍は、彼の私設軍隊のみを戦力としているわけではない。ルシオンをはじめ、多数の国が彼の謀叛に同調し、行動している。マルディア、イシカ、ジベル、アザーク、ラクシャ――彼がその凄まじいまでの外交手腕によって得たのであろう協力者たちが、彼の謀叛を成立させるために惜しみなく戦力を投入してきた場合、ガンディア解放軍の戦力を持ってしても苦戦を強いられるのは疑いようがなかった。
だからこそ、急いだのだ。
強行軍でここまできたのだ。
敵戦力が完全に整い切るよりも早くガンディア本土に辿り着くことができれば、十二分に勝ち目はある。
逆に、ジゼルコート軍の全戦力が整ってからでは、ガンディア解放軍を持ってしても勝利を得るのは困難になるかもしれない。
「バハンダールにはザルワーン方面軍第六軍団が待機しています。龍府の第一軍団は防衛上、残しておきますが、第六軍団は解放軍に加え、さらにレコンダールに入っている第七軍団も解放軍に加わることになります。これで戦力は大幅に増加しますが、問題は」
「スルークだな」
「はい。スルークを制圧したのは、ジベルの真死神部隊を呼称する戦闘部隊だそうです」
「真……死神部隊だと?」
レオンガンドは、予期せぬ言葉に怪訝な顔になった。死神部隊といえば、ジベルの特務部隊として知られている。存在そのものは知られていても、実態のつかめなかった部隊であり、ザルワーン戦争からクルセルク戦争に至る間に実在が確認された謎めいた組織だった。だが、その死神部隊も、隊長クレイグ・ゼム=ミドナスの暴走によって壊滅し、唯一の生き残りであるレム以外はこの世から消滅していた。クルセルク戦争後、ジベルはすぐさま死神部隊を再結成したが、隊長に任じられていたレムが要求したこともあって、解散されたということだった。
「死神部隊は解散されたはずだが」
レオンガンドの言葉に、エインが困ったような顔をした。
「どうやら、我々のあずかり知らぬところで新たに作られていたようですね」
「……ハーマインめ」
レオンガンドは、ジベルの猛将ハーマイン=セクトルの顔を思い浮かべて、険しい表情になるのを自覚した。ハーマイン=セクトルはジベルの将軍でありながら、国政の一切を取り仕切っていた人物である。軍事も政治も一手に担う傑物といってもいい。先のジベル国王アルジュ・レイ=ルシオンにもっとも信用されていた人物であり、アルジュによって国のことを一任されていたのだが、アルジュが死に、セルジュが王位を継いだ後も、ジベルの一切を仕切っているという話だった。つまり、真死神部隊とやらにも彼が絡んでいるのは疑いようがない。彼の素知らぬところで結成された部隊が前線に出てくるわけもない。
軍事も、彼の管轄だ。
「真死神部隊は、クレイグの死神部隊とは異なり、少数精鋭ではないようです」
「ほう。つまり別物ということか」
「ええ」
それはそうだろう。
クレイグの死神部隊は、クレイグが召喚武装の能力を用いて結成し、運用していたのだ。クレイグの召喚武装が黒き矛に取り込まれ、この世から消え去った以上、まったく同じ部隊を作りなおすことなど不可能だ。似たような召喚武装を使っている可能性もないとはいいきれないが、そもそも、同じような召喚武装などありうるのかどうか。
クレイグの用いた闇黒の仮面は、黒き矛の眷属という話だったのだ。まったく同じ性能を持った召喚武装など存在し得まい。もちろん、真死神部隊とやらが死神部隊を再現しているとは限らない。
「報告によれば、隊員の数は百名程度だそうです。しかしながら、その数でスルークの部隊を撃破したのですから、戦力としては十分なのでしょうね」
「スルークの防衛戦力はどうだったのだ?」
問うたのは、アスタルだ。当然、ザルワーン方面軍なのだが、ザルワーン方面軍は、がら空きになったログナー方面にも戦力を分散させなければならないこともあり、全戦力が待機していたわけではないのだ。
「ザルワーン方面軍第二軍団の分隊五百名が守備についており、真死神部隊と交戦して半壊、スルークからの撤退を余儀なくされたとのこと」
「百対五百か」
「ふむ……」
「たかが百とはいえ、死神部隊と名付けただけのことはあるのでしょうね」
「それで、どうする?」
その百名あまりの精鋭部隊をどう対処するのか。それだけではない。真死神部隊を撃破したあとのこともある。真死神部隊を撃破したあと、ナグラシア、ガロン砦のジベル軍を牽制するという役目も負ってもらわなければならないのだ。
ある程度の戦力を割く必要があるだろう。
「目には目を、歯には歯を――などと申します」
エインは、そんな風にいってきた。
つまり――。
「死神には、死神を」
軍議の場に揃ったものたちの脳裏には、あの少女じみた死神の顔が浮かんだに違いなかった。