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第千三百六十一話 龍府に至り

 レオンガンド率いるガンディア解放軍がガンディア領ザルワーン方面龍府に入ったのは、大陸暦五百三年四月十五日のことだった。

 快晴が続く気候の中、龍府に乗り入れた解放軍の馬車の群れは、龍府の人々によって歓迎された。それは即ち、龍府にはジゼルコート軍の手がまだ及んでいなかったということであり、その事実を理解したとき、レオンガンドは心底安堵したものだった。龍府はガンディア国内でも最大規模の都市であり、ガンディオン、クルセールに次ぐ大都市なのだ。龍府までジゼルコート軍の手に落ちていれば、レオンガンドたちは苦戦を強いられたに違いなかった。

 それだけではない。

 龍府に辿り着いたレオンガンドは、天輪宮に急いだ。龍府の中枢たる天輪宮には、彼にとってこの上なく大切なひとたちが待っているはずだったからだ。

 何を隠そう、レオンガンドは、ジゼルコートが謀叛を起こした場合のことを考え、妻にして王妃たるナージュ・レア=ガンディアと、娘にして王女レオナ・レーウェ=ガンディア、そして母であり太后グレイシア・レイア=ガンディアを龍府天輪宮に匿わせていたのだ。その事実を知っているのは、レオンガンドとごく一部の人間だけであり、ジゼルコートさえ知らなかっただろう。だれもがナージュたちはガンディオンの後宮にいると思っているはずだ。事実、王宮がジゼルコートの手に落ちたという報せがあったとき、真っ先に心配されたのが、ナージュやレオナの安全だった。王宮が落ちたということは、後宮も落ちたということであり、謀叛人たるジゼルコートがナージュたちを丁重に扱うかどうかなどまったくわからないからだ。ジゼルコートがガンディア王家の人間としての誇りを持ったままであれば、王妃や王女の身柄は丁重に扱うだろうが、そうでなければ無造作に殺されるかもしれない。

 謀叛なのだ。

 王家への反逆。

 王妃や王女の血を革命の祭壇に捧げんとするかもしれない。

 だからこそ、レオンガンドは、ナージュたちを龍府天輪宮に移送するとともに、後宮を固く閉ざさせ、ナージュたちがいるという風に偽らせた。後宮はグレイシアの支配下にある。ジゼルコートの手が及ばぬ唯一の領域であり、王宮が掌握されるまで、ナージュたちの不在が知られることはなかったに違いない。もっとも、不在が知られたとしても、龍府にいるということがわかったとしても、ジゼルコートが龍府に軍を差し向けることなどありえない。王宮を制圧するのがやっとだ、というのが、レオンガンドたちの策だったからだ。

 実際には、ガンディア本土はおろかログナー方面の大半がジゼルコート軍に押さえられてしまっているのだが、それでも、龍府に彼の勢力が及ぶには至っていなかった。マルディアに長らく足止めされていればその限りではなく、やはり、あのとき、サントレアでのセツナの判断は正しかったというべきかもしれない。

 セツナがひとり殿軍を買って出てくれたから、レオンガンドたち万全の戦力でここまで強行軍で走ってこられたのだ。

 セツナを解放軍の主力に据えるという手も当然考えられた。セツナと黒き矛ならば、ジゼルコート軍など相手にならないだろう。だが、そうなると今度は騎士団の追撃を食い止めるために多大な戦力を投じなければならなくなる。それら戦力は全滅を覚悟する必要があるだろう。

 多大な戦力を失うか、セツナひとりに任せるか。天秤にかけた結果、セツナに任せることにしたのだが、それで正しかったと想うしかない。

 信じるしかないのだ。

 

 天輪宮に入ったレオンガンドは、ナージュ、グレイシアに出迎えられ、母と妻の無事を声もなく喜んだ。そして、レオナが元気にしている様子をその目で見て、本当の意味で安心した。ナージュやレオナがいてくれるからこそ、レオンガンドは戦えるのだ。

 しかし、なんの事件も起きなかったわけではないという話を聞き、背筋が凍る想いがした。ナージュの話によれば、ジゼルコートの手のものと思われるものたちが、天輪宮に襲撃してきたのだが、龍宮衛士が身を挺して守りきり、撃退したというのだ。それも一度や二度ではないという。

 おそらく天輪宮にナージュたちがいることが露見したのだろう。だからナージュたちの身柄を確保しようとしたに違いない。幸いにも襲撃者たちは龍宮衛士によって捕らえられ、現在も拘束中とのことだが、口を割らないらしい。ガンディア人でなければ、ウルに任せればいいのだが、ガンディア人であれば粘り強く尋問するだけのことだ。

 ウルは、ガンディア人を支配したがらない。そして、レオンガンドにウルに強制することはできなかった。アーリアも同じだ。だからといって信頼できないわけではないのが奇妙なところだ。

 レオンガンドは、しばらく家族の無事を喜ぶことに時間を費やした。それから、ナージュとふたりきりになったのは、グレイシアが気を利かせてくれたからだ。あるいは、グレイシアには辛い話にならざるを得なかったからというのもあるだろう。

「ジゼルコート様が謀叛を起こされるだなんて……」

「叔父上がなにを考えておられるのか、皆目見当もつかないな」

 レオンガンドは、哀しみに満ちた表情をするナージュに、そういうほかなかった。ジゼルコートは、ナージュにとっても義理の叔父に当たる人物だ。ジゼルコートが国政に復帰して以来、ナージュとの間にも交流が持たれるようになり、ナージュはジゼルコートの人柄や気遣いにガンディア王家の人間とはなんたるかを知った、といったものだった。ナージュはジゼルコートを慕い、ジゼルコートもナージュと上手くやっていたようなのだ。

 そんな彼が突如としてレオンガンドを裏切り、ガンディアの敵となった。

 ナージュとしてはやりきれないだろうし、信じられ無いだろう。

 そして、やりきれないのはグレイシアも同じだ。いや、ナージュよりも余程深刻な衝撃を受けていることだろう。グレイシアにとってジゼルコートは信頼のおける家族のひとりだった。グレイシアの夫、つまりレオンガンドの父シウスクラウドの実弟がジゼルコートなのだ。グレイシアは、シウスクラウドと結婚してからというもの、政務に多忙なシウスクラウドよりも、ジゼルコートと話をする機会が多かったという。シウスクラウドが病に倒れてからはそうでもなかったというが、シウスクラウドが病室にグレイシアを遠ざけるようになってからは、ジゼルコートに相談を持ちかけることが増えたという。ジゼルコートを心の底から信頼し、信用していたのがグレイシアなのだ。ジゼルコートがケルンノールに篭もるようになったときも、しばらくは塞ぎこんでいたくらいだ。

 ジゼルコートが謀叛を起こしたという報せを聞いたときの心痛はいかばかりか。

 想像するに余りある。

「叔父上は、この国のことを愛されておられた。この国のことをだれよりも知ってもおられる。にも関わらず、謀叛を起こされるなど――」

「陛下は、どうなされるおつもりなのです?」

「……わたしは、ガンディアの国王だよ」

「存じあげております……」

「討つ」

 告げると、ナージュは目を伏せ、みずからの胸に手を当てるようにした。

「そうするよりほかあるまい」

 でなければ、示しが付かない。

 ガンディア王家の人間だからといって、謀叛を起こしたものを許すようなことがあれば、レオンガンドの存在は軽んじられるようになるだろう。ガンディアの王といえどもその程度のものか、と。他国に厳しく、自国に甘い――そのような評判がたてば、小国家群統一の夢が遠のくかもしれない。軍事力で制圧していくだけならば、どのような評判が立とうとも気にする必要はないのだが、それ以外の方法も視野に入れなければならない以上、くだらないことでレオンガンドの、ガンディアの評価を下げたくはなかった。

 謀叛人には厳正な処罰を下さなければならない。

 たとえそれが血の繋がった相手であっても。

 母が親愛してやまない相手であっても。

 この国にとって必要不可欠な人物であったとしても。

 家族であったとしても。

「わたしはね、そうやってここまできたのだ」

 ふと、自分の手が震えていることに気がついて、レオンガンドは目を細めた。内心の恐怖が現れている。馬鹿げたことだ。いまさらなにを恐れるというのか。父殺しという大罪を犯したのが最初だ。父をこの手にかけ、王としての道を歩み始めた。伯父も殺した。レオンガンド自身の手によるものではないが、彼の夢を叶えるための障害だった。いずれ、彼自身の手で殺さなければならなかったのだ。結果に変わりはない。

「いまさら、歩みを止めるわけには行かないのだ」

 ここで足を止めれば、ここで道を違えれば、これまで手にかけてきたものたちに申し訳が立たない。

 敵であれ、味方であれ、何千、何万という命が散った。

 その数えきれない死の上にいまのガンディアがあるのだ。

 その事実を忘れてはならないし、忘れないからこそ、立ち止まってはいけないのだ。

 そして、立ち止まらないためにも、ジゼルコートを討つ。

 その結果、なにかを失うようなことになったとしてもだ。

「わたくしは、どのような道であれ、陛下についていくだけです」

「ありがとう」

 レオンガンドは、ナージュの肩に手を置き、そのままゆっくりと引き寄せた。彼女は、無論、抗わず、むしろ体を委ねるようにしてくる。

「君がそういってくれえるだけで、俺は俺でいられる気がするよ」

 囁き、抱きしめ、目を閉じる。

 道を進むには、支えがいる。

 前人未到の道だ。

 そして、血と死の溢れる道でもある。

 ひとりでは、到底、前に進むことなどできない。

 臆病者のレオンガンドならなおさらだ。

 だから、彼女のような妻を得ることができたのは幸運以外のなにものでもないのだと、レオンガンドは、ナージュの体温を感じながら想った。


 龍府天輪宮は、龍宮衛士と呼ばれる戦闘部隊によって警備されている。

 龍府領伯セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドによって組織された戦闘部隊は、リュウイ=リバイエンを隊長とし、リバイエン家を始めとする五竜氏族の子女や郎党が参加、天輪宮の警備を主な任務として機能していた。龍宮衛士の結成以来、天輪宮の警備は龍宮衛士のみに任されており、都市警備隊が干渉することはなくなっていた。

 都市警備隊は、現在、ゼルバード=ケルンノールが管理している。ゼルバードはジゼルコートの次男であり、ジゼルコート率いる反乱軍に属している。龍宮衛士が結成されず、都市警備隊によって天輪宮が警備されていたのであれば、天輪宮に匿われていたナージュやグレイシアの身に危険が及んでいたかもしれない。

 実際、龍宮衛士の隊長リュウイ=リバイエンは、そのことで負傷したというのだ。

 天輪宮は、ジゼルコートの手のものと思しき連中に襲撃され、龍宮衛士は天輪宮を護るために応戦、死傷者が出るほどの戦闘が起き、龍府中が大騒ぎになったらしい。

「あなたのお兄さん、活躍だったそうね」

 ファリアは、憮然としているミリュウを横目に見ながら、そんな風にいった。天輪宮の一室。室内には、ファリアとミリュウのほか、ルウファ、レム、ウルクがいる。もちろん、マリアとレミルも天輪宮にいるのだが、ふたりは龍宮衛士の負傷者を見舞いにいっていた。天輪宮にも専属の医者がいるのだが、マリアは龍宮衛士に死傷者が出たと聞くと、いてもたってもいられなくなったようだった。そんなマリアについていかざるを得ないのがエミルであり、エミルと離れ離れになったルウファは静かだ。

「まったく、ろくに戦えもしないくせに、張り切るからよ」

「ですが、リュウイ様が身を挺して天輪宮を守ってくださったからこそ、王妃殿下や太后殿下が御無事なのでございましょう?」

「そう……かもしれないけどさ」

 ミリュウが困ったような顔をした。それから、また難しい表情に戻る。ミリュウの兄弟に対する感情というのは複雑なものなのだろう。詳しくは知らないものの、ミリュウ個人の事情だけを鑑みても、彼女が兄弟を心良く思わないのもなんとはなしにわかる。

「隊長なんだから、どーんと構えてりゃいいのよ」

 毒づくものの、その声音には棘がなかった。

「隊長が死んだら、どうするのよ」

 喜んでいいものやら怒っていいものやら、よくわからないといった様子のミリュウを見遣りながら、彼女と兄弟の関係が少しでも良くなっていくのであれば、それでいいのではないかと想ったファリアだった。



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