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第千三百五十九話 タウラルの背約者(三)

 彼の元につぎつぎと飛び込んでくる報告は、裏切りの報せであり、ガンディア軍の凄まじいまでの侵攻速度だった。数多ある城壁城門が瞬く間に突破されているのは、すべての城門が開放されたからでもあるが、ガンディア軍の戦力がザイード軍を凌駕しているからでもあった。

 ザイード軍の純粋な意味での兵数はおよそ千五百程度。本来ならばタウラル要塞を落とすなど不可能な数字だった。それでもタウラル要塞を制圧することができたのは、ザイード軍がタウラル要塞内に平然と入ることができたからであり、入ってから駐屯軍を攻撃したからにほかならない。それにタウラルの住民を味方につけることができたというのも、大きい。

 対して、シーラ率いるガンディア軍はおよそ四千の兵数を誇っており、難攻不落の要塞を利用してようやく戦えるといった戦力差だった。その要塞が内部の裏切りによって丸裸同然の状態になってしまったのだ。対抗できようはずもなかった。そして、相手はアバード政府軍ではなく、ガンディア軍なのだ。タウラルの住民が役立つわけもない。

 要塞の防衛力が機能しない以上、純粋な戦力差が勝敗を分かつことになるのは当然であり、倍以上の兵力差が戦力差そのものとなってザイード軍に圧倒的な敗北という現実を叩きつけてきたのだ。さらには、ザイード軍から離反する兵士が続出し、戦線が崩壊したことは敗因のひとつにあげてもいいだろう。

 ガンディア軍から要塞内に射ち込まれた矢に括りつけられた書簡には、ガンディア軍の圧倒的有利な状況が説明されるとともに、兵士たちにガンディア軍への投降を促す文面が記されており、それら書簡を目にした兵士たちがつぎつぎとザイード軍を離反、ガンディア軍に投降していったのだ。

 いくつかの矢は部隊長たちによって回収されたのだが、要塞内の各所に無数に射ち込まれており、すべてを回収することは物理的に不可能だった。

 その結果がこれなのだ。

 離反者の続出がザイード軍を追い詰め、ガンディア軍の勝利を決定づけた。

 要塞の幾重もの城壁城門が突破され、ついにはタウラル要塞天守が包囲されるという事態へと至った。指揮所として利用している天守内の一室で、彼は、背中を伝う嫌な汗を感じながら、震える拳を見つめていた。指揮所に飛び込んでくる報告は、兵の離反か部隊の敗走に関するものであり、一部隊でも勝利したという報せはなかった。

 戦いには、勢いというものがある。

 一度勢いづいた軍勢を押し留めるのは、さらに勢いのある軍勢が、数の上で圧倒する軍勢でなければ不可能に近い。相次ぐ離反と城門の開放による要塞の無力化は、ザイード軍の戦意を大幅に低下させただろうことは疑うまでもない。戦意、士気の低下がザイード軍の連戦連敗を呼び、敵軍を勢いづけるに至ったのだろう。

 すべては、状況判断を見誤った自身の責任に違いない。

 彼は席を立ち上がると、側近たちが緊張の面持ちをこちらに向けるのを意識した。ザイードの決断を支持し、ここまでついてきてくれた側近たちの表情は、暗い。謀叛を支持し、ザイードの戦いを応援してきた彼らにしても、ここまで絶望的な現実を叩きつけられれば、目も覚まそうというものかもしれない。甘い夢を見たのだ。だれもかれも、夢を見てしまった。

 野心を抱いた。

 愚かにも、身の丈に合わない野望を持った。

 その結果がこのザマなのだ。

 彼は、壁に掛けてあった異形の槍を手に取った。

「ゆくぞ」

 それだけをいって、ザイードは、己が最期の戦いに歩を進めた。


 ハートオブビーストの能力を駆使するまでもなかった。

 天守を護っていたザイード軍兵士を粗方片付け終えたシーラたちは、天守への突入準備に入っていた。

天守の護衛に当たっていた敵兵の数はおよそ三百人。敗色濃厚ということもあってか、敵軍の士気は極めて低く、シーラたちが投降を促すと、三分の一ほどが応じた。ザイード軍としてここまで戦ってきたものが、この土壇場に来て投降してくるのだから余程だった。それほどまでに追い詰められていたのだ。

 残り二百人ほどの敵兵を相手に十倍以上の戦力を叩きつけるのだから、圧勝するのは当然の結果だった。一方的かつ圧倒的な暴力。理不尽極まりない戦いであり、ザイード軍の兵士たちは為す術もなく敗北し、多くが死に、生き残ったわずかばかりはアバード解放軍に投降するに至った。

 天守周辺の攻防というのは、星弓兵団による一斉射撃に始まり、黒獣隊の突撃によって終わった。星弓兵団は、弓聖サラン=キルクレイドの弟子が主力をなす弓の名手の集まりなのだ。その弓射の正確さは素晴らしいものであり、ザイード軍兵士たちを瞬く間に無力化し、そこへシーラたちが飛び込み、制圧していったのだ。召喚武装の能力など不要な戦いだったのは、そういう理由もある。また、サランの剛弓は何人もの兵を一度に射抜く威力を持ち、やはり規格外の弓だった。常人には扱えない特別製の弓だからこその威力なのだが。

「残すところ天守のみ。気合入れていくぜ」

 シーラが部下たちに注意を促したときだった。

 天守の扉が開いたかと思うと、武装した兵士たちが飛び出してきたのだ。天守内に残っていた戦力だろう。身構えていると、その戦力の中に反乱軍首魁の姿を発見して、彼女は目を細めた。

「ザイード=ヘイン」

 仰々しい鎧兜に身を包んだかつてのアバードの猛将は、供回りのものどもに守られながら、シーラたちの前に現れ、槍を構えた。異形の槍。穂先が鳥の嘴を想起させるような形状をし、穂先と柄の間に羽飾りがある槍は、一見して召喚武装を連想させた。

「どうしてこうなった、なぜだ、話が違う――などとはいいますまい。すべてはわたしの見込み違いから生じた結果。誤算の産物。なにもかも、わたし自身の判断が間違っていたが故の現状。投降した兵士たちが悪いわけでも、敗れた兵士たちが悪いわけでもない」

 ザイードは、そんなことをいってきた。

「なぜだ」

 シーラは、冷ややかな目で、ザイードを見据えた。猛将のまなざしは、冷静そのものだった。敗色濃厚故に自暴自棄になって飛び出してきたわけではないのだ。勝算があっての行動。つまり、彼はなんらかの方法でこの状況を打開することができると踏んでいるのだ。だから、シーラは一切の油断を禁じた。

「あなたほどの将がなぜ、アバードを裏切ったのだ」

「シーラ様。あなたは相変わらずだ。相変わらず、アバードのことを想っておられるようだ。だが、アバード王家という責任ある立場から逃れ、ガンディアで想うままに生きているあなたには、わたしを責める権利などありますまい」

「……そうだな」

 冷ややかに、認める。

 シーラは、アバードの女王になることができた。本来ならば、自分がアバードの女王となり、ガンディアの傀儡にならなければならなかった。それが、あの動乱の結果だったのだ。だが、シーラは重責から逃れた。様々な理由を考え、理屈をつけて、女王になる道から逃れた。責任を取らなければならないという理由で、責任から逃れたのだ。

 女王となることでも、責任を負うことはできたはずだ。アバード王家の務めを果たせば、結果的にアバード動乱の責任を取ることになったはずだ。

 だが、それをしなかった。

 できなかったといってもいい。

 あのときのシーラには、ほかに選択肢などなかった。

 その結果、セイルにすべてを押し付けることになってしまったのだが。

「だがな。だからといって、あなたの暴挙を咎めないわけにはいかないのだ」

「それも、そうでしょう。あなたはどう転んだところで、アバード王家の人間なのだ。血が結ぶ縁を消し去ることなど出来はしない」

 ザイードが、静かに、そして冷静に告げてくる。血が結ぶ縁。シーラは、己の体に流れる血のことを想った。リセルグとセリスの血。アバード王家の血。やはり自分はアバード王家の人間で、だからアバードのことはいまも好きなのだろうということは、考えるまでもなく理解している。弟に王を任せてしまったという負い目もあるが、負い目以上に、セイルの力になりたい、ならなければならないという想いもある。

「わたしはね、シーラ様。あなたも、セイル陛下も嫌いではなかった。あなたにしても、セイル陛下にしても、この国のことを心から愛しておられることがわかっていたからだ。あなたが女王となったとしても、セイル陛下が王として君臨なされたとしても、この国はきっと良くなっていくだろうと思えた。あなたがたは、アバード王家の体現なのだから」

「……だったらどうして陛下を裏切った」

「理由など、いまさらいったところで仕方ありますまい」

 彼は、頭を振った。嘆息が漏れる。嘆息は、このどうしようもない現状に対するものなのか、どうか。

「ひとつだけ、いえるとすれば、夢を見た――ただそれだけだ」

 そう言い切る直前、ザイードの気配が変わったのをシーラは認識した。そして、飛び退くのではなく、前に向かって踏み込んでいた。ザイードが飛ぶ。隆々たる体躯が猛然と突っ込んでくる中、シーラもまた突っ込み、ハートオブビーストを叩きつけるように振り抜いていた。ザイードもまた、槍を叩きつけてくる。激突。斧槍と槍の柄がぶつかり合い、激しい音を立てた。その激突が開戦の合図となった。

「隊長に続けえ!」

「おおー!」

 クロナが叫び、ミーシャが続く。

 サランの剛弓がうなれば、イルダ=オリオンの弓も矢を放つ。星弓兵団による一斉射撃と黒獣隊の猛攻がザイードの供回りを圧倒する中、シーラは、ザイードとの激闘を繰り広げていた。

「知っているかシーラ! ただのシーラよ!」

 ザイードが横薙ぎの斬撃を放ちながら、叫んでくる。

「セレネ=シドールの死に様を、知っているか!」

「センセの死に様だと……!?」

「あのものは、あなたのために死んだ! レナ=タウラルをあなたに仕立てあげるために、無意味に死んだのだ! そのことを忘れてはいまいな!」

 無意味に。

 その一言が、シーラの胸に突き刺さり、動きが一瞬だけ鈍った。それを見逃すザイードではない。彼は肩からぶつかってくるなりシーラを吹き飛ばし、さらに槍を振り上げた。体重の乗った体当たりによって体勢を崩されたシーラに追撃を浴びせるつもりだったが、シーラはすんでのところでそれを見切り、上体だけを捻って斧槍を叩きつけた。槍の軌道を逸すことに成功する。それから数回、斧槍を叩きつける。

「無意味だと」

「そうだろう、彼の死にどのような意味があったというのだ。あなたの死を偽装しきれなかった時点で、レナ=タウラルの死も、ラーンハイル伯の死すらも無意味となった。違うか!」

「……違わねえよ」

「認めるか」

 ザイードが目を細めた。槍の一閃がシーラの眼前を薙ぐ。牽制の一撃。見切っている。無視し、後ろへ。距離を開くのは、シーラのほうが間合いが広いからだ。腕はザイードのほうが長いのだが、得物の長さが違う。同じ長柄武器だったが、ハートオブビーストのほうが明らかに長い。距離を取れば、それだけこちらが有利になる。それを理解できないザイードではないのだろうが、彼は追随してこなかった。

「ならば、お教えしよう」

 彼は、槍を構えてみせた。異形の槍の刀身が、わずかに光を帯びているように見えた。陽光を反射しただけなのかもしれない。

「これは、セレネ=シドールがエンドウィッジの戦いに用いた召喚武装」

 その言葉は、彼が唐突にセレネの名を持ち出してきた理由だったのだろう。

「ソウルオブバード」

 その名を聞いた瞬間、ハートオブビーストが反応したように思えた。


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