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第百三十五話 国境付近

「全軍停止」

 グラード=クライドの命令に、先頭集団が足を止め、後続の部隊もつぎつぎと停止した。

 九月七日。

 セツナは、二千名に及ぶ軍勢とともに、ザルワーン南部の都市、ナグラシアを目指して北進していた。空は曇天。雨が降り始めており、時折、雷鳴が轟いた。

 明朝から街道をひたすら進み、夕刻を過ぎるころには国境付近にたどり着いていた。国境を越えれば、ザルワーン領である。明確な境界線というのは地図上でしか見ることはできないが、国境付近には両国の防衛部隊がいるものだ。

 ガンディア側の防衛部隊の拠点は、既に通り抜けている。通過する際、防衛部隊の軍人たちはセツナたちの武運を祈ってくれた。大半がログナー人だったが、いまや同じ国の人間なのだ。

「国境を超え。防衛隊を叩いたら、休む間もなくナグラシアまで駆け通す。いまのうちに休憩しておきましょう」

 彼は、セツナたちに気を使うようにいってきたが、この軍集団の指揮権は第一軍団長グラード=クライドにあるのだ。セツナに否やはないし、なにより、彼の仕事は敵を倒すことだけだ。戦術や作戦を考えるのは他人に任せていればいい。単純な思考だが、だからこそ、力を振るえるともいえる。

 国境の遙か手前で停止した軍勢は、国境近くの森に身を隠した。雨宿りにも最適だったし、国境防衛隊の視界から逃れるという名目もあった。

「ようやく休憩かあ」

 手頃な木に馬を繋ぎ止めると、ルウファが息をついた。朝から休みなしに駆けてきたのだ。嘆息のひとつやふたつもしたくなるだろう。昼食も馬上で携行食を食べるだけだった。ゆっくり休む暇もなかったのは、今回の作戦に起因している。

 電撃的にナグラシアを叩き、ザルワーン攻略の橋頭堡にするのだ。

 そのために動員された兵力は二千と三人。ガンディア軍ログナー方面軍第一軍団千名、第四軍団千名、そしてガンディア王立親衛隊《獅子の尾》隊三名である。ログナーの敗因たる黒き矛との共同作戦に、ログナー人の兵士たちはなにか思うところはあったのだろうが、食って掛かってくるようなものはいなかった。敵意も憎悪も、たまにしか感じない。多くの軍人にとって、戦争とはそのようなものなのだろう。

 第一軍団長グラード=クライドは、気遣いのひとだった。常にセツナたちのことを気遣う様は、武人の面影からは想像もつかないほど丁寧で、親切だ。

 第四軍団長ドルカ=フォームは、終始へらへらとしていて、ファリアに話しかけては黙殺されるというのを繰り返した後、自分の部隊に戻っていった。いろんな人間がいるものだと思う反面、軟派な男に対してはとことん冷酷なファリアの様子がおかしかったりもした。

 それは昼ごろの話で、いまは関係ないのだが。

「ずっと馬に乗っていて疲れなかった?」

「問題ないよ」

 ファリアの質問に答えながら、セツナは馬の背を撫でた。ここまで走り通してきたのだ。疲れたとすれば、馬のほうだろう。この休憩で疲労が取れればいいのだが。

「それならよかったわ」

 ファリアがほっとしたのも束の間、森の中を軽装の兵士が走ってくるのが見えた。

「カミヤ殿、軍団長が相談があるとのこと!」

「わかった、すぐ行く」

 セツナが答えると、兵士は敬礼して別の場所へと走っていった。ほかにも呼びに行かなければならない相手がいるのだろう。

 息つく暇もないが、休憩できないわけでもあるまい。セツナは、馬をぽんぽんと叩くと、ファリアに視線を戻した。ルウファも隣に立っている。

「隊長だけ、ですかね?」

「ついてきてくれるとありがたいかな」

 セツナは自嘲気味に苦笑した。自分には、難しい話は無理だ。



 森の中に設営されたテントの中で、グラード=クライドが待っていた。仮設本部と銘打っているものの、あるのはテーブルと椅子くらいのものだ。どれも馬車で運んでいるのだろう。そして、森の中をどこからともなく漂う芳しい匂いは、そこかしこで晩御飯の用意を始めたからだ。昼食が簡素な携行食だったためか、腹が鳴った。ファリアに笑われたが、彼女のお腹も鳴ったので引き分けになった。

「お待ちしておりました」

 テントに入ると、グラードが立ち上がってセツナたちを迎え入れた。セツナは、彼の気遣いに心苦しさを覚えるほどだった。彼は軍団長であり、この混成部隊の指揮官でもあるのだ。セツナたちに対して、そこまで気を使う必要はないのだが、ログナー人の立場を考えると、そういう政治的配慮もいるのかもしれない。

「お待たせして申し訳ない」

「いえ、全軍休憩中ですので、お気になさらず」

 グラードに促されるまま、セツナは彼の対面の席に腰を下ろした。ファリアはセツナの右に、ルウファは左の椅子に座った。と、テントにもうひとり入ってくる。いや、ひとりではなかった。

「いやー、待たせたねー。ってファリアちゃんも一緒だったのか。どうだい、俺の隣にでも」

「結構です」

「相変わらずお固いねえ」

 入ってくるなり流れるようにファリアに声をかけたのは、第四軍団長ドルカ=フォームだ。金髪碧眼の絵に描いたような美丈夫で、隣に美女を侍らせているのだが、それだけでは物足りないらしい。へらへらとした態度は軽薄にしか思えないのだが、アスタル=ラナディースによって軍団長に選び出されたのだから、実力はあるのだろう。そして、グラードも彼の態度を気にしていない。ドルカの実力を知っているからなのか、アスタルへの忠誠によるものなのか。

 ドルカは、グラードの左にひとつ席を開けて座った。彼の部下らしい美女は、席にはつかず、ドルカの背後に立っていた。軍服の上からも肉感的な肢体が想像できそうな美女の目は、ただただ冷ややかだ。

「さて、雁首揃えてどんな悪どい話をするのかね」

「悪どい話ではないが、今後の方針について説明しておきたい」

「あー。だいたいわかってるけど、まあいいや。ファリアちゃんの顔も眺められる」

 ドルカが微笑を送るが、ファリアの顔は仮面のように凍りついていた。こういうタイプの人間が心の底から苦手なのが、反応を見ているだけで伝わってくる。しかし、ドルカは懲りないのか、ウインクを飛ばしたり、投げキッスを送ったりして、セツナの精神にさえ深い傷を与えてくるのだった。

 ドルカの部下もまた、そんな彼を見慣れているのか、眉ひとつ動かさなかった。

 グラードは、話を進めるためか、軽く咳をした。が、ドルカは居住まいを正したりもしない。

「我が方の戦力は約二千。これは、わかっておりますな?」

「正確には二千三、だよねー」

「《獅子の尾》は少数精鋭ですから」

 ファリアが冷たく告げると、ドルカがにやけた。反応してもらえたのが嬉しかったのかもしれない。セツナがファリアの横顔を見ると、目だけで救いを求めてきたのだが、この状況ではどうすることもできなかった。そういう嗜好を持った人間が権力を持つと、下の人間が苦労するのがよくわかる。

「そのうち、我が第一軍団が千」

「うちの第四軍団も千。で、おたくら三名。ま、数が重要じゃないのは知っているよ。特に黒き矛の実力は、よーく、知ってる」

 セツナを見るドルカの目が、一瞬、ぞくりとするほど冷たくなったのは、セツナのしてきたことを思い出したからかもしれない。ドルカはログナー人で、セツナはログナーの兵士を数えられないほどに殺している。

「俺も死にかけた」

「……ドルカ殿」

「わかってますよー、グラードさん。恨んじゃあいませんとも。ログナーが負けたおかげで、軍団長なんてやってられるんだから。感謝しているくらいだ」

 どこまでが本心でどこからが嘘なのか。ドルカの普段の飄々とした態度は、本心を隠すには持ってこいかもしれなかった。

 グラードが、ドルカを睨む。

「言葉を慎みたまえ。君の発言は危うすぎる」

「あー……そうか、グラードさんの責任問題にもなりかねないか。失礼。反省します」

「わたしがどうなろうと知ったことではないがな。君には将来がある。無駄に敵を作る必要もあるまい」

「……将来、グラードさんにだってあるでしょう?」

「さあ、な」

 グラードは、ドルカから視線を外した。彼にはなにか思うところでもあるのだろう。

 テント内の空気が重くなったが、グラードは構わず話題を戻した。

「話を戻しましょう。以前の情報によれば、ナグラシアの防衛戦力は千五百とのこと。ザルワーンの政変によって配置転換が行われるのは明白ですが、我々はそれが実施される前に叩くので、関係はありません」

「ナグラシアの防壁を盾とする千五百を相手に、たった二千かー。数の上では有利だが、拠点を落とすとなると話は別ですよねー」

 ドルカの話を聞いて、セツナはファリアに小声で尋ねた。

(そうなの?)

(拠点を攻めるなら防衛戦力の二倍から三倍は欲しい、っていうのが定説よ)

 ファリアの耳打ちに感心していると、グラードが口を開いた。不審な態度に受け取られたとしても不思議ではないが。

「どうかされましたか? 疑問があるのならばなんでも聞いてください」

「そうですそうです、ファリアちゃんを独占なんてずるいですよ、カミヤ殿ー」

「そこ?」

「もちろん! そこが一番大事なことですよー!」

「また話が逸れそうなので戻しますが、この戦力で拠点を攻めるための鍵となるのは、やはり、セツナ殿をおいてほかにありません」

 ドルカの力説をグラードが華麗に流し、セツナに注目を集める。セツナは、この場にいる皆の視線が自分に集中するのを認めて、静かにうなずいた。妙な緊張や気恥ずかしさはなかった。自負がある。それは自他ともに認める力だ。

 黒き矛。

 カオスブリンガー。

 セツナの力の源泉であり、力そのものだ。セツナは、その力を振るうための媒介に過ぎないといってもいい。武装召喚師は多かれ少なかれそういうものだろう。強大な力を行使するための装置。それが武装召喚師だ。その事実を嘆く必要はない。それだけの力を行使できるのもまた、実力なのだ――と、思い込むことができたならば、セツナも少しは気楽になれるのだろうが。

 セツナは、そこまで楽観視はしていない。黒き矛の力を使いこなせていないという現実がある。あまりに強大過ぎる力は、いつか制御を失い、暴走するかもしれない。そう思うと、気楽ではいられないのだ。だから肉体も精神も鍛えなければならない。早急に。

 セツナがうなずくのを見ると、グラードもまたうなずいた。それから、彼は一枚の紙を取り出し、テーブルに広げた。セツナを含め、みんな一斉に身を乗り出し、紙を凝視した。国境以北の地形が簡素に描かれた地図で、ナグラシアの街は丁寧に書き込まれている。分厚い壁に囲まれた街。

「ナグラシアは四方を防壁に囲まれた街です。この時代、城壁のない町のほうがめずらしいですが」

「野盗や皇魔から身を守るための城壁は、戦時に街を強固な砦と変える……か」

 ルウファがつぶやくと、グラードがうなずく。

「籠城されれば、この戦力では突破も困難になりましょう」

「籠城されたらうちらの負けですよ。戦力もなければ、兵糧も持たない。ま、後続はすぐに来るみたいですけどね」

「後続が来るまでに決着を付けたい」

 グラードが告げると、ドルカが黙った。後詰の部隊が到着するまでに街を陥落させるということがどれほど困難なことなのか、セツナには想像もつかなかった。

「それに、後続が来たところで籠城戦に持ち込むのは得策ではないよ」

「わかってますとも。時間がかかればかかるほど、こっちに不利だ。包囲していたと思ったら包囲されていたなんて、洒落にもなりませんぜ」

 ドルカがあきれたようにつぶやいた。ナグラシアだけに気を取られるわけにはいかないのは、セツナにだってわかっている。

「門は北と南にふたつだけ。つまり、西と東に戦力を展開する必要はない」

「北側も手を付けないんでしょう?」

「そうだ。北門は放置する。敵軍の退路を確保しておくということです」

 グラードの説明は、セツナにもわかるように、だろう。彼は、セツナが話についていけていないことを察しているようだった。セツナは自分の頭の悪さを認め、卑下こそしないものの、こうやって気を使ってくれるひとには恐縮してしまうのだった。

 ファリアが尋ねる。

「それだと、情報がもれませんか?」

「ナグラシアを落とせば、いずれ発覚することです。早いか遅いかの違いしかない。それに、空を渡る情報までも制することはできませんよ」

「なるほど」

「伝書鳩のことよ」

 ファリアの耳打ちにセツナはようやく納得した。たとえ一兵も討ち漏らさず殲滅したとしても、街の人間が情報を飛ばすことは十分に有り得る。敵国からの侵略なのだ。こちらに対して協力的なわけがない。そして、伝書鳩を追いかけて捕まえるなんて普通はできない。レオンガンドは射落としたことがあったはずだが。

「我々は南門から攻め込みますが、まず間違いなく閉門されるでしょう。そうなれば門を破壊して突入するよりほかはありません」

「ルウファなら上空から攻められるんじゃ」

 セツナは口にしてから、案外悪くない策ではないかと思った。ルウファの召喚武装シルフィードフェザーは、翼に変化させることで空中を飛び回ることも容易だった。城壁を飛び越えることだってたやすいだろう。ふと、彼の反応がないことに気づき、セツナが視線を向けると、ルウファが冷ややかに笑ってきた。

「的になれと、弓の的になれというのですね、隊長」

「じょ、冗談だよ……」

 セツナはルウファの迫力に気圧されながら、ファリアの嘆息を聞いた。

「空から侵入しても、ひとりではどうにもなりますまい」

「それもそうか……」

 グラードに諭され、セツナは間違いを認めた、ルウファの召喚武装でも、ある程度は戦えるだろう。しかし、敵陣に乗り込んで戦い抜けるほどの力があるかどうかは疑問だ。ルウファはそれを試したいとも思うまい。僅かな隙が命取りになる。

「では、門は黒き矛殿に突破していただく、ということで」

 ドルカが冗談めかしくいったが、セツナは、その場限りの冗談とは受け取らなかった。ほかに方法がなければ、そうするしかなくなるだろう。

 風穴を開けるのが、黒き矛の役目だ。

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