第千三百五十八話 タウラルの背約者(二)
ザイード=ヘインは、アバードの武将だ。
アバードが誇る二大将軍のひとりであり、双牙将軍の位を与えられていた。
かつて双角将軍ガラン=シドールとともにアバードの双璧と謳われ、アバード国民、アバード軍将兵から絶対的信頼を得ていたのは記憶に新しい。いや、そもそも、信頼が失われることなどありはしなかった。シーラ派による内乱が起き、ガラン=シドールがシーラ派の筆頭として立場を明らかにしてからも、彼への信頼が損なわれることなどなかったはずだ。
シーラの人気は圧倒的だった。国民の多くはシーラ派であり、故にシーラ派筆頭である双角将軍の人気もまた、凄まじいものとなったものの、だからといってザイードが蔑ろにされることはなかった。ザイードは、どちらの派閥に与することなく、ただ、双牙将軍としてアバードに在ったからだ。
エンドウィッジの戦いの結果によって内乱が終息へと向かったのちも、彼の立場は変わらなかった。
アバードの双牙将軍として、在り続けたのだ。
不動の存在として在り続けるザイード=ヘインに対し、アバード王家のひとびとをはじめ、多くの臣民が信頼を寄せてくれていた。
だからこそ、ザイードは双牙将軍として立ち続けることができたのかもしれない。
だが、そんな彼の足場を揺らす事件が勃発する。
アバード動乱である。
アバードという国そのものを震撼させた大事件は、ザイード=ヘインの立場すら危ぶませるほどのものであり、ザイードは己の存在価値を考えなおさなければならなくなった。
双牙将軍という位に変わりはない。
しかし、アバードがガンディアに従属したことで、双牙将軍の価値は暴落した。
アバードは、ガンディアのいいなりにならざるを得なくなったからだ。
まず、動乱によってアバード王家そのものが甚大な損害を被っている。国王、王妃夫妻が命を落とし、王弟も死んでいる。動乱のきっかけとなったシーラは、アバード王家を離れると宣言し、それによって幼きセイル・レウス=アバードが王家の代表者となった。十歳にも満たない王子が国の頂点に立つことなど、ありえない。後見人がいる。大臣か将軍が務めるべきはずの後見人を、支配国ガンディアから派遣された参謀局の人間が務め、ガンディアの右眼将軍が後任した。
双牙将軍の立場が軽いものとなった瞬間だった。
ザイードは、己の位にこそ誇りを抱き、その誇りと自負、自尊心こそがアバード王家への忠誠となっていた。
その位が揺らいだのだ。
アバードはガンディアの属国と成り果てた。
ほかに道はなかったのか。ほかにやりようがあったのではないか。様々な想いが、ザイードの中で交錯し、膨れ上がった。
そんなおり、ジゼルコート・ラーズ=ケルンノール・クレブールから接触があった。ガンディア最大の権力者である彼からの接触は、ザイードにある決意を促させるものだった。
つまりは、アバードからの独立であり、ザイード=ヘインみずからが小さな国の主となるというものだった。
位が、ザイード=ヘインという人間を形作っている。
将軍という位がいまの自分であるのならば、王という位になれば、どのように変容するのか。
彼の想像力は旋回し続け、ジゼルコートが謀叛を起こすときを待ちかねたものだった。
そしてついに彼からの連絡があった。
ガンディアがマルディアを救援するために軍勢を派遣したのち、王都ガンディオンを制圧するという。
彼は戦力を整えた。
事前の予定通り、タウラル要塞を掌握し、そこからセンティア、ランシード、ゴードヴァンを手に入れていくつもりだった。要塞と都市を合計四つも手中に収めることができれば、小国としては十分だろう。ガンディアも最初はその程度の国だった。そして、ザイードの国は、その程度の規模で十分だ。戦力に関しては、ジゼルコートがガンディアを掌握すればなんの問題もない。ガンディアという大国がジゼルコートのものになれば、ザイードの国の戦力不足も解消されるのだ。
そう、考えていた。
実際問題、ここまでは上手くいっていた。
なにもかも、彼の思い通りにことが運んだ。
タウラル要塞は、苦もなく落ちた。落としたのではなく、落ちたのだ。双牙将軍ザイード=ヘインの威名は、未だ健在だったということだ。また、タウラルの住民感情を煽り、タウラル要塞の駐屯軍を混乱させることに成功したのも大きいだろう。タウラルのひとびとのアバード政府への恨みは深い。ザイードは彼らの恨みを晴らすと約束し、それにより住民たちの信頼を得たのだ。
かくしてタウラル要塞は、ザイード軍のものとなった。
タウラルの駐屯軍はわずか五百名あまりだったが、それらがザイードの配下に加わることはなかった。謀叛を起こしたのだ。政府に忠誠を誓う駐屯軍がザイードの傘下に入るはずもない。が、それも状況次第で変わるだろう。たとえば、アバード政府の置かれている状況が悪化すれば、ころりと立場を変えるものも現れるかもしれず、ザイードはそれら五百の兵を捕虜とした。
その時点では、籠城するつもりなどなかったからだ。
ザイードは、タウラル要塞制圧後、センティアを落とすための策を練り始めていた。
センティアはウィンドウ一族が支配する都市だ。かつてシーラ派だったキーン=ウィンドウの死後、セイル派の台頭によってシーラ派の弾圧が始まったことで、ウィンドウ一族の影響力は地に落ちたかに思われたが、アバード動乱後、ゼーレ=ウィンドウが上手く立ち回ったことで、再び支配者としての力を取り戻していた。以来、センティアはアバード国内でも特別な都市として存在感を見せている。なんでも、ゼーレは、動乱当時、シーラの手助けをしたということであり、その事実を背景にアバード国内での発言力を得たという。
シーラ派が発言力を取り戻したのが、動乱後の大きな変化のひとつであり、ザイードが納得出来ないことでもあった。
シーラは、動乱のきっかけだったはずだ。
頭では、理解している。
アバードの内乱、動乱に至るすべての原因は、イセルド=アバードの野心だった。そう説明されている。納得しなければならない。それがすべてなのだ。だが、彼にはどうにも納得しきれない部分がある。
すべての元凶は、シーラという存在ではなかったか。
だというのに、ガンディアが結果的に勝利したからといって、シーラの悪行が帳消しにされ、イセルドがすべての責任を被せられるのは、正しいことなのか。
そういう想いもまた。彼にアバード王家を裏切らせる理由となった。
センティアを掌握する際、ウィンドウ一族を根絶やしにしよう。
ザイードはひそかに考え、センティア攻略作戦の構築に没頭した。
そうこうするうちに、ザイードを取り巻く状況が変化した。
激変といっていい。
レオンガンド率いるガンディア軍がマルディアを脱し、アバード領内に辿り着いたというのだ。
その報せがザイードの耳に入ったのは、四月十日のことだ。ザイード軍がタウラル要塞を制圧したのは三月二十八日。十日余りしか経過していないのだ。想像を絶する速さでのガンディア軍のアバード到着に、ザイードは頭の中が真っ白になった。
話が違う、と彼は思ったが、詰るべき相手もまた、そう想っているかもしれなかった。
ジゼルコートは、レオンガンドたちガンディア軍をマルディアの地に長期間留め置くつもりだったはずだ。少なくとも、ガンディアの大半を支配下に収めるまでの時間を稼ぐ必要がある。ザイードの反乱から十日程度でアバードに辿り着くなど、想定外でなければならない。
ザイードは、センティアへの進軍計画を取り止め、ガンディア軍がタウラル要塞に軍勢を派遣してくることを想定しなければならなくなった。
ガンディア軍がマルディアを脱したのは、当然、ジゼルコートら反乱軍を討つためだろう。ジゼルコートを討ち、反乱を終息させなければ、レオンガンド政権に未来はない。だから一刻も早くマルディアを脱したのだろうが、それにしても早過ぎる。
ジゼルコートの話によれば、複数の国が彼の謀叛に協力しているということであり、マルディアもそのひとつという話だったはずだ。マルディア軍では、足止めにすらならなかったというのだろうか。
そうなのだろう。
ガンディア軍は、マルディア軍など容易く蹴散らし、ヴァルターへと至ったのだ。そして、ヴァルターでザイードの謀叛を知ったはずだ。アバードはガンディアの属国だ。レオンガンドとしても、ザイードの反乱を捨て置くことなどはできまい。必ず、軍勢を寄越してくる。
ザイードが考えたとおりになった。
ザイードが、ガンディア軍から別れた軍勢がタウラルに向かっているという報せを聞いたのは、十二日のことだ。そして、情報の遅さは、報せを聞いた数時間後にはガンディア軍をタウラル要塞から目視できたことから理解できるというものだった。
タウラル要塞からヴァルターは遠い。
情報が遅れるのも仕方のないことだ。
無論、仕方がないといっている場合ではなかった。迎撃しなければならない。だが、どうやって、迎撃するというのか。敵戦力の内訳は、ある程度判明している。シーラ率いる黒獣隊、イシカ星弓兵団を主力とする約四千の軍勢。大軍勢といっていい。
対して、ザイード軍の全兵力はおよそ千五百。タウラルの住民は、戦力には成り得ない。要塞の駐屯軍を混乱させることこそできたものの、それは、駐屯兵が住民に手を出すことができなかったからにほかならない。ガンディア軍となれば話は違うだろう。
もっとも、シーラやアバード軍の兵士たちには、同じことかもしれないが。
どう戦うべきか。
取るべき道はふたつにひとつ。
打って出て、敵軍指揮官を討つか、あるいは閉じ籠もって援軍を待つか。
(籠城しよう)
ザイードの決断は早かった。門を閉ざさせ、弓兵を手配した。タウラル要塞は難攻不落。地形的にも、構造的にも、攻め難く、護りやすい。幾重にも張り巡らされた城壁と堀は、敵の侵攻を食い止めることを容易にしている。
通常、この要塞を攻略するには、城壁ひとつひとつを順番に突破していかなければならず、要塞が完全に陥落するには数日を要するだろう。
ジゼルコートがガンディア軍の急速転進を把握しているのであれば、ザイードに援軍を寄越してくれるはずだ。ジゼルコートにとっても、ザイード軍の存在は利用価値があるからだ。
そう、信じていた。
だからこそ彼は籠城し、要塞のすべての門を閉ざさせたのだ。
数日、持ちこたえればいい。
いかにシーラが相手であっても、この要塞を陥落せしめるのは骨が折れるだろう。簡単なことではないのだ。
そんな彼の想いが打ち砕かれる事件が起きる。
閉ざしていたはずの門が突如として開き、ガンディア軍を招き入れたのだ。
その報せが入ったとき、ザイードは血の気が引く想いがした。
「なにがあった……!?」
反射的に叫んだものの、すぐさま彼は悟った。
内応者が現れたのだ、と。
「全員が全員、こっちについてくれるって気配じゃあねえな」
要塞内に突入したシーラたちは、城壁をふたつ越えたところで反乱軍兵士たちによる出迎えを受けた。そこに至るまで一切の迎撃を受けなかったのは、マリノ=アクアの策によるところが大きい。城門が内側から開かれたのも、つぎつぎと並び立つ城壁のすべての門が開かれているのも、マリノの策謀が効いているからだ。
マリノは、内応を煽った。
ザイード=ヘイン率いる反乱軍の中に、反乱そのものを疑問視するものがいたとしても不思議ではなかったし、ガンディア軍がマルディアから戻ってきたことで、反乱が鎮圧される可能性を抱いたものもいるだろう。そこで、マリノは、タウラル要塞内に書簡括りつけた矢を何本も射ち込ませたのだ。その書簡には、ジゼルコートの謀叛そのものがレオンガンドの策であるということ、ジゼルコートの謀叛は失敗に終わるということ、レオンガンドは謀叛人には容赦しないが、投降し、協力するのであればその限りではないということが記されていた。特に最後の話は、サランらの実例を挙げることで信憑性を増しており、内心動揺している兵士たちの心を動かすには十分な力があるように思えた。が、実際に効果があるのかはわからなかった。
効果はあった。
城門が開くとともに、兵士たちがつぎつぎと投降してきたのだ。
それはつまり、ザイード=ヘインの人望が必ずしも高くはなかったことを示すとともに、反乱軍に強制的に参加させられた兵士も少なくないということを表していた。ザイードの持ち前の兵など、数が知れているのだ。
アバードは、たとえ将軍であっても、私兵を持たせることを禁じている。アバードの兵はすべて王家の兵であり、政府の兵でなければならないのだ。
「当然です。中にはザイード将軍に心酔しているひともいるでしょうし、アバードの現状を嘆いているひとがいたとしても、なにもおかしくはありませんから」
マリノの言葉を否定することもできず、シーラは、ハートオブビーストを構えた。マリノが前線にいるのは、彼女が元々ログナー方面軍において部隊長を務めていたという経歴があり、戦う力があるからだろう。エイン=ラジャールやアレグリア=シーンとは違う点だ。しかし、シーラは彼女を戦力として期待していなかったし、それは彼女自身が認めるところでもある。
戦力として期待されるのは、シーラたち黒獣隊であり、サランや星弓兵団なのだ。
「現状を嘆く……ねえ」
「わかりませんね!」
「いや、わかるけど」
「わかるの!?」
「なんで驚くのよ」
部下たちの会話が聞こえるが、シーラは無視した。アバードの現状について、様々な意見があるのは当然のことだ。考え方はひとによって異なる。アバードがガンディアの属国になったことを良しとしないものがいたとしても、不思議ではない。むしろ、独立独歩で歩んできたアバードが突如として大国に従属するようになったことに違和感を覚えないほうが不思議かもしれない。しかし、いまはそのようなことを考えている場合ではない。
シーラは、立ちふさがる敵を倒すことだけを考えた。投降者は受け入れるが、敵対するのであれば、容赦はしない。出来る限り殺したくはないという想いはあるものの、無理に生かせば、味方に害が及ぶ可能性も高い。味方の被害を極限まで抑えるのであれば、遭遇した敵はすべて殺すほかない。気絶させ、拘束させるという手もあるが、拘束させる手間を考えると、良いものではない。乱戦中ならなおさらだ。
同じアバード人同士、殺し合いたくなどなかった。だが、事情がそれを許さない。彼らがアバード王家と敵対し、レオンガンドと敵対する道を選んだのであれば、戦うよりほかないのだ。
殺すしか、ない。
シーラはハートオブビーストで反乱軍兵士を切り倒しながら、要塞の中を圧倒的速度で侵攻した。
幾重もの城壁のすベての城門が開かれていた。それらを開門したのは投降兵たちの一団であり、天守付近で合流した彼らはところどころに傷を負っていたが、名誉の負傷だと笑った。そして、シーラに対し、平謝りに謝った。ザイードに従ったことが結果的にアバード王家を裏切ることになり、このような事態を招いてしまったことを謝罪する彼らに、シーラはむしろ感謝した。
彼らがザイードを見限ってくれたからこそ、タウラルはすぐにも落ちるからだ。
天守に至る頃には、ザイード軍の半数以上がアバード解放軍に投降しており、残るザイード軍の半数ほどが解放軍との戦闘で負傷するか死亡していた。つまり、四分の一程度が天守を護るか、天守の中にいるということになる。
もちろん、解放軍側も無傷ではない。多数の死傷者が出ているが、黒獣隊からは死者は出ず、星弓兵団からも死者は出ていなかった。いずれも牙獣戦団、爪獣戦団からだった。喜ぶべきことではないが。
「残すは天守ですね」
「ザイードが投降しれくれりゃあそれで終わりなんだがな」
「将軍が投降したとしても、極刑ですよ?」
「わかってるよ」
シーラは、マリノの一言に苦い顔をした。わかりきったことだ。ザイードは反乱を起こした。それもみずからの意志でだ。暗殺未遂事件を起こしたサランとは、何もかもが違う。サランの場合は王命だったのだ。従うよりほかはない。対して、ザイードは自分の意志だ。謀叛を起こさないという道もあった。いまさら投降したところで、なにもかもが遅すぎるのだ。
「まあ、将軍ほど自尊心の高い方が、投降するとは思えませんが」
とは、サラン。彼なりにザイードのことを分析した末の発言だろう。そして、それはおそらく間違いない。ザイード=ヘインは頑固で融通が効かず、その上自尊心の高い人物だった。その自尊心をくすぐってやればいかようにも使えるという点で、使い勝手のいい人物だというのがシーラの父リセルグのザイード評だった。馬鹿にしているのではなく、そういう誇り高さこそ、将軍に相応しいといっているのだが。
「だろうな」
天守を前にして、シーラは気を引き締め直した。
天守は、数百人のザイード軍兵士によって守られていた。




