第千三百五十七話 タウラルの背約者(一)
「タウラル要塞は、攻め難く護り易い作りになっています」
ガンディア参謀局第一作戦室長付補佐官マリノ=アクア主導の下で軍議が開かれたのは、アバード解 放軍がタウラル要塞の真西に位置する平原に到着した夜のことだった。
ヴァルターからまっすぐ東へ進むと、一日半ほどでエンドウィッジと呼ばれる地域に到達する。かつて、タウラルに籠もったシーラ派と、ヴァルターから派遣されたセイル派の軍勢が激突し、苛烈な戦闘が繰り広げられた地は、アバードの将兵の血を大量に吸っていた。シーラは、エンドウィッジの戦い後、はじめてエンドウィッジに訪れたこともあって、エンドウィッジの荒野を眺めながら、この戦場で命を落としたものたちの魂が安らぐよう、祈りを捧げた。
シーラの侍女たちに、セレネ=シドール、双角将軍ガラン=シドール、シドニア傭兵団長ラングリード・ザン=シドニアなど、有名無名問わず、数多くの将兵が命を散らしたのだ。シーラが望んだ戦いなどではないし、勝手に始まったことだ。だが、無視することはできない。シーラの振る舞い次第では止められた可能性だってあったのだ。無駄に血を流す必要もなかったかもしれないし、セレネやガラン、ラングリードといった有能な人材を失わずに済んだかもしれなかった。
もっとも、シーラの一存では止められなかった戦いだということは、わかってはいるのだ。シーラを生かすにはシーラ派を滅ぼすよりほかはなく、シーラ派を滅ぼすには戦いを起こすしかなかった。愚かで救いようのない末路。だれかが利益を得ることもない、ただ失うだけの戦い。
エンドウィッジの地で喪失感と無力感に苛まれながらも、振り切り、タウラル要塞に向かうことができたのは、シーラの中で自分がどういう立場なのか確立しつつあったからだ。
自分は、セツナのものであり、セツナのために戦わなければならない。
過去に囚われ、いまを見失ってはならないのだ。
タウラル要塞は、エンドウィッジからさらに東へ一日半ほど馬を飛ばした先にある。
とてつもなく巨大な要塞は、アバード動乱時、シャルルム軍との戦いに敗れ、攻め落とされている。それは、当時のタウラル要塞が無防備だったことも大きい。ラーンハイル・ラーズ=タウラルの死後、タウラル要塞はザイード=ヘインの管轄に置かれたというのだが、そのザイードが姿を見せることはなく、部将に任せきりだったらしい。そのため、シャルルム軍の猛攻によって攻め落とされることとなったというのだが、そのことでザイードを責めることはできまい。動乱時、ザイードは王都において全軍の指揮を取らなければならなかった。タウラル要塞だけに専心しているわけにはいかなかったのだ。
その結果、タウラル要塞はシャルルム軍によって蹂躙され、略奪され尽くしたといい、タウラル要塞の住民たちのアバード政府に対する感情が悪化したという。シャルルム軍を憎悪するのは当然として、戦力を出し惜しんだアバード政府を憎むのも道理だ。そのタウラルの住民にザイードが歓迎されたのは腑に落ちないが、ザイードが住民たちに自分の立場をよくするような説明でもしたのかもしれない。そうでもなければ、ザイードが歓迎されるのは理屈に合わない。
「御存知の方もおられるでしょうが、四方を幾重もの城壁で覆われており、堀も何重にも巡らされています。しかも、要塞の門は西側の一箇所しかなく、護る側としては戦力をそこに集中すればいいわけです」
マリノ=アクアが小さいながらもしっかりとした声で、状況を説明する。
野営地の天幕内には、アバード解放軍の幹部連中が顔を揃えていた。解放軍の総大将にはなぜかシーラが任命されていたが、だれからも不満の声は上がらなかった。シーラがアバードの元王女ということもあるだろうし、レオンガンド直々の任命とあれば、異論など出ようはずもない。
黒獣隊からはクロナ=スウェン、ミーシャ=カーレル、リザ=ミード、アンナ=ミード、ウェリス=クイードら幹部が顔を揃え、星弓兵団からは団長のイルダ=オリオンと弓聖サラン=キルクレイドが参加している。爪獣戦団と牙獣戦団からもそれぞれ団長が参加していた。爪獣戦団長セイドリック=ファークスはアバードの外務大臣エイドリッド=ファークスの実弟であり、牙獣戦団長レイグ=カーレルは、ミーシャ=カーレルの従兄だ。
ミーシャが真面目極まりない従兄の前で粗相のないようにと妙に緊張しているのが、シーラにはおかしかった。レイグはカーレル家の代表であり、ミーシャにとって頭の上がらない数少ない人物なのだ。
「攻める側としてもそこに戦力を集中しなければならないわけですな」
「はい。そして、城門を突破するまでに集中攻撃を浴びせられるわけですから、攻めるのは困難となります」
「周囲の地形を利用して、というわけにもいかないしねえ」
「はい。タウラル要塞は丘そのものを要塞化しており、地形を利用して攻めるということは不可能です。むしろ、要塞こそ地形を利用しているといっていいでしょう」
「じゃあ、どうするんだ?」
「力押しに攻め立てるなんて、いうんじゃないだろうねえ?」
「報告によれば、反乱軍の総兵力はおよそ千五百。我々はその二倍強の四千近い兵力を有しています。数の力を頼みにしても勝てはするでしょうが」
「相手はタウラルに篭もっているのだ。無駄に犠牲をだすだけではないのか?」
「ですから、力押しの策は取りません」
マリノが、レイグの疑問に答えた。
「反乱軍は籠城していますが、籠城とは本来、援軍を期待して行うものです。反乱軍に援軍をもたらす勢力があるとすれば、それはジゼルコート軍ですが、ジゼルコート軍が援軍を寄越したとして、タウラルに到達するまで相当な日数が必要でしょう」
「既に派遣しているかもしれないぜ?」
「そうでしょうか?」
シーラの考えにマリノが疑問を浮かべてきた。
「ジゼルコート軍は、ガンディア国内を掌握することに全力を注いでいるはずです。まずは地盤を固める必要がありますし、足元が不安定な状態では、陛下率いる解放軍と戦うことなどできませんからね。そして、陛下との戦いを想定していると仮定した場合、無駄に自軍の戦力を削減するような行動は取らないでしょう」
「じゃあザイードはなんのために反乱を起こしたんだ? ジゼルコートに内応したんじゃないのか?」
「ジゼルコート伯にとってザイード将軍など捨て駒に過ぎないのでしょう」
マリノの言葉に、ぞくりとする。冷ややかで、刃のように鋭い言葉。
「陛下の戦力を少しでも削ぎ落とすことができればそれでいいという考えなんですよ、きっと」
「……なるほどな。理解したぜ」
シーラは、マリノの考えこそ正しいに違いないと思った。事実、ジゼルコートがザイードに援軍を寄越したという話はないのだ。つまり、ザイードは見捨てられているということにほかならない。捨て駒であり、ガンディア解放軍の戦力を削ぐための手段に過ぎない。
「ザイード将軍がそこまで把握した上で内応したとは思えないので、ジゼルコート軍から援軍が来ると信じていることでしょう。でなければ籠城戦など行えるはずもありませんからね」
「それはわかったが……だからといって攻略できるものじゃあないだろう?」
「……ザイード将軍はジゼルコート伯を信頼しているのでしょうが、彼の配下の全員が全員、ジゼルコート伯を信じているでしょうか? 中には、ジゼルコート伯を疑い始めているひともいるはずです」
「内応したにも関わらず、こうも援軍を寄越してこないとなると、不安を抱きもしましょう。不安は疑念を生み、疑念は疑惑へと変わります。我々は、それを煽ってやればいいのです」
「疑惑を煽る?」
「ここはアバード」
卓の上に広げられた地図を指で押さえつけるようにして、彼女は告げた。
「ガンディア本土でなにが起こっているのかなど、わかるはずもありませんから」
マリノはそういって、タウラル攻略のための戦術を話し始めた。
軍議が終わるころには、皆、マリノ=アクアという人物を見直していた。参謀局といえば、エイン=ラジャールとアレグリア=シーンだけしか以内という印象があったのだが、それも勝手な思い込みにすぎなかったのだということがわかって、参謀局そのものを見直すきっかけとなった。
そして、参謀局から彼女がアバード解放軍に参加した理由も、なんとはなしに理解できた。エイン=ラジャールが彼女の実力を把握し、タウラル攻略にこそ必要だと判断したからだろう。
翌朝、つまり大陸暦五百三年四月十三日、午前。
アバード解放軍によるタウラル要塞攻略戦が開始された。
空は晴れ、風が出ていた。風が砂を運び、目や口に入るほどだったが、戦闘そのものに支障はなさそうだった、
広く大きな丘を長大な城壁で囲み、さらに幾重もの城壁を張り巡らせることで要塞化したタウラル要塞は、近づけば近づくほど圧倒される想いがした。同時に、懐かしくも苦い気持ちがシーラの中に生まれる。タウラルは、シーラが一時期匿われていた地であり、また、シーラにとって思い出深い地でもあった。
かつてのタウラル領伯ラーンハイルとその娘レナには、実に親しくしてもらっていたし、ラーンハイルもレナも、シーラが原因となって命を落とすことになったからだ。
レナは、シーラを偽ってエンドウィッジに赴いて捕らえられ、刑死。ラーンハイルもまた、反乱の咎で刑死した。シーラがラーンハイルの死を知ったのは、動乱の末期のことではあったが、ふたりの死は、彼女の心に暗い影を落とすことになったのはいうまでもない。
ふたりだけではない。
数多くの死が、シーラを原因としている。
その結果、アバードは戦力の大半を失い、弱小国と同程度の戦力にまで落ち込んでしまった。それもこれもなにもかもシーラのせいだった。
だからこそ、アバードには、平穏を続けてもらわなければならなかった。ガンディアという大国を後ろ盾にして得た仮初の平穏を維持し続ければ、いずれ戦力も回復し、実力を取り戻すこともできるだろう。せめてそのときまでは、平穏無事にあってほしいと考えていた矢先の出来事だった。
ザイード=ヘインの反乱。
ザイードがジゼルコートになにをいわれ、なぜ王家を裏切ったのかはわからない。
わからないが、どのような理由があれ、ザイードの裏切りは許せるものではなかった。双牙将軍――アバード軍の代表者である彼の謀叛がアバード全体に与える衝撃は大きく、アバードそのものを揺るがしかねない。実際、アバード解放軍として行動をともにしているアバード兵の中にも、ザイードと戦わなければならなくなったことに困惑しているものや、思い悩んでいるものも少なくなかった。そういった兵士たちを戦場に出したところで戦力になるとは思えず、ここはシーラたちが率先して戦うしかないのだろう。
シーラ自身、かつての自国の将兵を相手に戦わなければならないというのは、必ずしも良い気分ではない。しかし、反乱者であり、セイルの信頼を裏切り、踏み躙ったものたちに容赦するつもりはなかった。
万死に値する。
タウラル要塞の城門は、軍議での話通り、西側にひとつしかない。巨大で壮麗な城門は固く閉ざされており、破城槌を用いても簡単には突破できないこと請け合いだ。敵兵はひとりとして要塞外には出てきておらず、籠城の構えを見せている。
「城壁上に居並ぶ弓兵は百人あまり」
サラン=キルクレイドが遠眼鏡を覗き見ながら、告げてきた。
「近づくのも至難の業ですな」
城門に接近する前に矢の雨を浴びせられるということをいっているのだ。
アバード解放軍は、既に戦闘配置についていた。
タウラル要塞の城門を目前に控え、最前線には黒獣隊とサラン、星弓兵団の混成部隊が布陣した。後方左翼に爪獣戦団、右翼に牙獣戦団が展開しており、前線部隊が城門を突破した後、残る二軍団が後に続くというのが基本的な戦術だった。
「近づくまでもないって話だろ?」
「本当にうまくいくのかねえ」
クロナが長柄の斧を肩に担いだまま、半信半疑といった顔を見せた。身に纏うのは黒獣隊の隊服と、黒の新式鎧だ。隆々たる体躯が、彼女が男顔負けの膂力の持ち主であることを示すかのようだった。
ちなみに、サランと星弓兵団の団長、団員たちが身に着けているのは、イシカ印の鎧兜であり、ガンディア製の新式防具とは形状の大きく異るものだった。また、サランには、ガンディアに降ったあと、ベイロンの剛弓を与えられていた。その常人には決して扱えないであろう剛弓の威力は、通常弓を遥かに凌ぐものであり、召喚武装並みとは言い過ぎにしても、それくらいの攻撃力はあった。もちろん、弓聖が使うからこその威力と精度なのは間違いない。
「きっとだいじょうぶですよ!」
ミーシャ=カーレルがいつものように元気いっぱいに断言すると、アンナ=ミードがやれやれと頭を振った。ミーシャは鉄甲拳と呼ぶ武器を用い、アンナは剣の達人だ。鉄甲拳とは、大型の手甲のような武器であり、拳を叩きつける近接武器だ。ミーシャ特注の武器であり、彼女以外の人間が使っているところを見たことはなかった。
「あんたの能天気っぷりには呆れるわね」
「能天気だから元気いっぱいなんだなー、これが!」
「否定しないんだ……」
リザ=ミードがミーシャを横目に少しばかり驚いたようだった。彼女は弓を用いるのだが、弓聖との共同戦線に緊張気味といった面持ちだ。彼女が弓聖に憧憬のまなざしを向けているのは、クルセルク戦争のおりからわかっていたことではある。
「ご心配なく」
不意に後方から声がかかって、シーラは驚きとともに振り向いた。マリノ=アクアが参謀局の局員を伴って近づいてくるところだった。
「すぐにわかりますよ」
マリノは、確信を込めてタウラル要塞を見遣った。
シーラはクロナと顔を見合わせると、それからタウラル要塞に視線を向けた。
しばらくすると、マリノの宣言通り、タウラル要塞に変化があった。
固く閉ざされていた城門が、突如として開いたのだ。
シーラは再びクロナと顔を見合わせ、同時にマリノを振り返った。
「効果覿面だったようですね」
マリノ=アクアは、心底ほっとしたような表情を浮かべていた。彼女も策が上手くいくかどうか、多少なりとも不安だったということだろう。
「突入!」
城壁上の弓兵たちまでもが姿を消したのを確認すると、シーラは吼えるように号令した。