第千三百四十九話 マルディアの騎士
四月五日になった。
セツナたちがサントレアにて殿軍を務めることとなって既に七日が経過している。
その間、セツナたちは三度、騎士団と戦闘し、漏れなく撃退に成功していた。一度目は、ドレイク・ザン=エーテリア率いる四人、二度目は、シド・ザン=ルーファウス率いる四人、三度目は、カーライン・ザン=ローディス率いる四人。どの戦いも熾烈を極めたものであり、特に三度目ともなると疲労の蓄積などもあって、セツナの肉体は限界に達しようとしていた。
それくらい、複数の十三騎士との戦いは苛烈だ。
「よく生き延びてるよな、俺」
仰向けに寝転がったまま。ラグナを両手で掲げながら、つぶやく。宿所の一室。セツナとラグナ以外だれもいない。ひんやりとした空気が火照った体に心地良いのだが、一向に取れない疲労感にぐったりとくる。
「当たり前じゃ。おぬしはわしを倒したのじゃぞ。あのようなものどもに負けるわけがなかろう」
「そうかなあ」
「そうじゃ」
「なんでそんなに自信たっぷりなんだか」
セツナがあきれたようにいうと、ラグナは当然のようにいってきた。
「わしがついておるからのう」
「へえ」
「なんじゃその気のない返事は」
「ま、おまえのおかげで命拾いしてるのは認めるよ」
「うむ。素直が一番なのじゃ」
「ありがとう」
「そ、そこまでいわれるほどではないのじゃ……」
飛竜の人間臭い仕草に笑みが溢れる。
ラグナとの触れ合いの時間は、戦いが苛烈なものになるほど必要不可欠になりつつあった。ラグナのなにげない一言、なにげない仕草が荒みかけた心を癒やしてくれるのだ。動物に癒やしを求めるのと似ているかもしれない。ただひとつ確実に違うといえるのは、ラグナには確かに人格があり、人間と同じように接しなければならないということだ。他人との触れ合いというのは結構疲れるものだが、ラグナにはそういったことはなかった。ラグナが適当な性格をしているからかもしれない。
適当なことを言えば適当に返してくれる。
セツナにとって彼ほど気安い存在はなかった。
だから、というわけではないが、セツナはラグナと戯れるのが嫌いではないのだ。
(シド……か)
ラグナを額の上に置いて、考える。ラグナの体温は低く、常にひんやりとしている。火照った体には心地よすぎるくらいであり、どうせなら大きくなってもらうのもありかもしれない、などと思ったりもした。
シド・ザン=ルーファウス。
第二陣を率いた十三騎士の印象が鮮烈なのは、ほかの十三騎士よりも関わりがあるからというのもあるだろうし、ほかの十三騎士に比べて饒舌というのも大きいに違いない。シドは、お喋りだった。なにかにつけ、セツナに話しかけてきた。セツナを騎士団の仲間に引き入れようと考えているらしいのだが、セツナには当然、その気はない。
騎士団の理念。
救済。
ベノアガルドのみならず、この世を救うという。
彼らは、そのために自分たちが犠牲になることも厭わないのだから、そこに欺瞞も虚偽もあるまい。本当にそう信じて、そのために行動しているのだろう。
セツナなどより余程、立派で、世界のためになるのかもしれない。
だからといってガンディアの、レオンガンドの邪魔をするというのは頂けないし、立ちはだかるというのであれば、倒すよりほかはない。敵は倒す。敵は殺す。敵は滅ぼす。それがセツナの正義だったし、セツナに与えられた役割だ。
もっとも、サントレアにおいては、騎士団を撃退することが目的であるため、倒すことよりも、凌ぎきることを念頭においた戦い方をしているのだが。
それもあって、十三騎士を追い詰めることはできていない。
深手を負わせることさえできておらず、できて、軽傷を与えることくらいだった。
シドには、傷ひとつつけられなかった。雷光の如く戦場を蹂躙する十三騎士は、ロウファ・ザン=セイヴァスの光の矢を気にしながらでは追い切れない。光の矢をラグナに任せきるのは、魔力の無駄遣いなのだ。できるかぎり、セツナ自身の力で回避するべきだった。その結果、シドに手傷ひとつ負わせられないまま、騎士団の撤退という状況になったのだ。得られるものはなく、ただ無駄に体力と精神力を消耗しただけの戦いだった。
第三陣も似たようなものだ。カーライン・ザン=ローディスの光の槍とドレイクの大剣を相手にしなければならなかった。十三騎士は、これまで以上に強くなっていた。どういう理由かはわからない。十三騎士が本気を出したからなのか、どうか。
「なにを考えておるんじゃ?」
「シドのことだよ」
「あの白髪雷男子か」
「……ああ」
目を覗きこむようにしてきたラグナの言葉の意味を理解するのに多少の時間がかかった。が、わかれば納得できるものだ。確かにシドは白髪であり、雷を用いていた。
「あのもののいうたこと、気にしておるのか?」
「気にしてなんていないさ。考えはするけどな」
「それを気にしておるというのじゃ」
「そうかもな」
ラグナのムキになったような一言に苦笑する。
「……なにが気になるのじゃ?」
「奴らの目的だよ」
「救済……じゃったかな」
ラグナが思い出すようにいってきた。彼にとっては興味のないことなのかもしれない。
「この世を救うってのは、つまりどういうこった?」
「さあのう」
「奴らの親玉に話を聞けば、なにかわかるのかな」
「逢いにゆくのか?」
「まさか」
セツナは、苦笑とともにラグナを片手で掴み、額から引き剥がした。
「そんなわけないだろ」
それから上体を起こして、ラグナを頭の上に乗せた。彼が定位置に戻るのを待ってから、寝台から降りる。と、部屋の扉が軽く叩かれた。
「またあやつらか?」
「さあな」
敵襲の可能性は少なくなかった。なにせ、騎士団は、サントレア北部に野営地を構築しており、その野営地に結集する戦力は、日に日に増加していた。今朝の段階で、十三騎士のうち、十騎士の隊旗が翻っているという状況だった。そのうち十三騎士全員が揃うのではないかと、サントレアは凄まじいまでの緊張感に包まれていた。一方で、セツナとグリフを賞賛する声も聞こえる。セツナたちは三度に渡り騎士団を撃退することに成功している。騎士団の目的がセツナであれなんであれ、サントレアのひとびとにしてみれば、サントレアが攻撃されているのは疑いようがなく、セツナたちが撃退しているからこそサントレアの平穏が守られていると考えるのは、至極真っ当だった。もちろん、そういった賞賛の声がセツナの耳に届いたところで、なにも嬉しくはない。
「セツナ様、居られますか?」
扉の向こうからの声は、スノウ・ザン=エメラリアのものだった。敵襲の報せではないらしいことがわかる。マルディア最高位の騎士である天騎士が、わざわざ敵襲を報せに訪れることなどありえない。
「はい、なんでしょう?」
セツナは返事をしながら扉まで急いで向かった。声に緊張感があったからだ。扉を開くと、天騎士はただひとりで立っていた。供回りもつけず、だ。天騎士たるもの、常に側近や護衛を手配しているはずであり、セツナは、異様さを感じずにはいられなかった。
「予期せぬ事態が出来したのです」
スノウは、白い顔をことさらに青白くしながら、囁くように問いかけてきた。
「部屋に入っても、よろしいか?」
「え、ええ」
「なんじゃ、どうしたのじゃ?」
問いたいのは自分のほうだと想いつつ、セツナは、室内にスノウを招き入れた。
マルディア軍の制服を着込んだ騎士は、室内に入ると、セツナが扉を閉めるのを確認するかのような反応を見せた。それから、セツナが扉から離れると、扉に耳を当て、しばらくしてようやく安堵したような顔をした。
「どうされたんです?」
「おかしな動きをするものもいたものじゃな」
「おまえは黙ってろ」
「……むう」
「予期せぬ事態といったはずです」
「ですから、それがなんなのか、聞いているんですが」
「……失礼。がらにもなく取り乱してしまいました」
「なんなんです? なにがあったんです?」
セツナが問うと、スノウは言い出しにくそうに目線を落とし、少しの間をおいてから口を開いた。
「つい先程、王都から陛下直々の命令が届いたのですが――」
スノウは、秀麗な顔をことさら険しくして、言葉を続けた。
「セツナ様を拘束し、騎士団に差し出せと」
「……へえ」
セツナは、スノウの目を見つめながら、急速に自分の意識が醒めていくのを認めた。マルディア政府がセツナたちを裏切り、ジゼルコート側についたということを理解したのだ。だからセツナを捕らえ、騎士団に差し出せという命令を出した。でなければ説明がつかない。
ジゼルコートは、騎士団のみならず、マルディアとも繋がっていた、ということなのだろう。そしてその場合哀れなのは反乱軍であり、無意味に死んだものたちだ。
「なんじゃと!?」
「黙れ」
頭の上で暴れる飛竜にセツナは冷ややかな言葉を投げた。
「じゃが!?」
「いいから黙ってろ。スノウさんが困るだろ」
「むむむ……」
「なんでまた、それを俺に知らせるんです? そんなこと知らされちゃあ、俺、逃げ出しますよ?」
逃げる先などあろうはずもない。
サントレアは南北にしか道はなく、南に行くというのは、論外だ。騎士団をマルディア領内に進ませることになれば、せっかくの時間稼ぎが無意味になる。まだあれから七日。解放軍がマルディア領を脱することができたかどうかもわからない。ここで騎士団を野放しにすることはできないのだ。となれば北に逃れるよりほかはないのだが、そうなれば、騎士団との戦闘後、休息を取ることも難しくなるのではないか。
(なに、一日二日ならなんとかなるさ)
楽観的に決めつける。
「セツナ様には、恩義があります。マルディアの天騎士として、その恩義に報いることこそ、正義」
「その結果、国王陛下を裏切ることになったとしても、ですか?」
「陛下を裏切るつもりはありません」
彼は事も無げに言い放ってきた。
「わたしは、あなたを拘束しにきたのですから」
スノウが、透かさず腰に帯びていた剣を抜き、セツナに突きつけてくる。鋭利な刃の切っ先がセツナの意識をさらに凍てつかせる。
「さあ、黒き矛殿、この状況、どう突破される?」
まるで試しているかのような彼のまなざしに、セツナは、彼の考えを理解した。