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第百三十四話 先陣を切れ

「貴殿とこうして肩を並べて進軍することになるとは、運命というのはわからぬものですな」

 そういって笑いかけてきたのは、グラード=クライドだった。ログナーの元騎士は、いまはガンディア・ログナー方面軍の軍団長を務めている。象徴たる真紅の甲冑は、ウェイン・ベルセイン=テウロスの青い鎧によく似ていた。青の鎧は流線型だったような記憶があるが、赤の鎧はやや刺々しい。

 グラード=クライド。壮年の男だ。鍛えあげられた肉体は彼が戦士として長年戦場に立っていたことの証明なのかも知れず、並々ならぬ気迫は、常在戦場の心構えのようにも思える。騎士というよりは、武人といったほうが相応しいような面構えだ。しかし、笑うと、武人の表情はどこかへ行ってしまうようで、ものすごく人好きのする顔になった。

 だから、セツナは話しかけられても物怖じしなかったのかもしれない。

「本当にそう思います」

 セツナは、多少の感慨を覚えた。

 グラードとは、彼が赤騎士と呼ばれていたころに敵対したものだ。バルサー要塞奪還戦においては、敵軍の将という立場に彼はあり、セツナは初陣の狂躁の中でもがきながら戦っていた。そして、ログナーを戦場とした戦いにおいても、グラードは当然敵としてガンディア軍に立ちはだかった。が、どちらの戦いでもセツナが直接刃を交えたことはなかった。バルサー平原での戦いではグラードは目立っていなかったものの、ログナー戦ではカイン=ヴィーヴルと激闘を繰り広げたらしい。カインのような化け物と戦い、生き残ったのだ。その実力は推して知るべし、といったところかもしれない。

 戦後、彼の立場も変わった。彼は、アスタル=ラナディースが右眼将軍となると、すぐさま彼女の麾下に迎えられた。ガンディア軍ログナー方面軍第一軍団長というのが、グラードに与えられた肩書らしい。いわば一軍の将であり、千名の部下を従えている。

「将軍から聞いておりますよ。貴殿が、ウェインの最期を看取られたと」

「その通りです」

 そう答えたとき、セツナの心は揺れなかった。殺したことを認め、受け入れている。彼の人生を踏み躙り、将来を摘み取ったという事実を認識している。言い訳も、欺瞞もいらない。ただ、現実として殺したのだから、それ以上の言葉は不要だった。

「彼は子供の頃から知っておりました。騎士になることを夢見ていた子供が、騎士として果てることができたのです。本望でしょう」

 グラードはこちらを気づかってか、そんなことをいってきたが、セツナはなにもいわなかった。

 本望であるはずがない、と叫びたかったが、堪えた。ウェインの死の際に紡いだ言葉は、彼が生き抜こうとしていた証だったはずだ。彼は死ぬ気などなかった。死にたくなどなかった。それでも、死ななければならなかった。セツナが生きるためには、ガンディアが勝利するためには、彼はあそこで死ぬ必要があったのだ。

 街道を、進んでいる。

 ログナー地方の主要都市マイラムから北へ伸びる街道は、ザルワーンの天地へと続いている。その長い街道をひたすらに進むのは、当然、セツナとグラードのふたりだけではない。そもそも、セツナはひとりで馬に乗ることもできないのだ。騎馬の訓練はまだ始めたばかりであり、乗りこなせるようになるにはもっと訓練が必要だった。その時間を捻出することも難しいのだが、それはまた別の話だ。

 セツナの乗っている馬を操るのは、《獅子の尾》副長ルウファ・ゼノン=バルガザールだ。戦闘用の服装だったが、甲冑は身につけてはいない。彼には防具は不要だった。セツナは、ルウファの腰にしがみつくようにして馬に揺られていた。なんとも不格好だったが、ファリアに抱きついて移動するよりはマシに違いなかった。

 最初、ファリアの操る馬に乗せられるところだったのだ。ファリアも乗り気だったのも謎だが、ルウファや周りの兵士たちまで囃し立ててくるのには困ったものだった。ルウファの馬に乗せてもらえることになったのは、セツナが、ファリアに抱きついて行くくらいなら徒歩で行くと言い出したからだが。

 ファリアも冗談だったのだろう。別段機嫌を悪くするようなこともなく、彼女の馬をルウファの馬と並走させていた。

 そこへ、グラードが声をかけてきたのだ。

 彼が同行していたのは、グラード率いる第一軍団とともにザルワーンに乗り込むことになったからだ。

 話は、前日に遡る。


「ガンディア国内の兵力がマイラムに集うには最低でも四日はかかる。無論、事が手際よく運んだ上での話だ。さらに二・三日は見ておく必要がある。ルシオンやミオンからの援軍の到着にはそれから一日二日かかるだろう。全戦力が集結しきるのはおよそ十日後」

 会議の席上、レオンガンドが告げる言葉を、セツナは頭に叩き込むことに集中していた。自分の頭のできが悪いのはわかっていたし、無理に理解しようとしても破綻するだけなのも知っていた。そういう小難しいことを考えるのは、副長か隊長補佐にでも任せておけばいい。そういう意味では気楽ではあったのだが、楽観的ではいられない。

 九月六日。日中の気温はまだまだ高く、真夏といっても過言ではなかった。ここが日本ではないのだから当然だが、よく似た気候風土ではあった。それは、セツナが生活する上でありがたいことのひとつだ。まったく異なる気候の中で生活するのは、慣れるまでに時間がかかるだろう。そういう時間さえ、もったいない。

 レオンガンドの話を纏めると、全軍がマイラムに集うのは九月十三日頃ということになる――というのは、すぐ隣りにいたファリアの言葉だ。そこからザルワーンに侵攻するまでに数日を要するとして、本格的な戦争に発展するのは二十日以降になると、ファリアは見ているようだ。耳打ちの時にかかる息が少し、こそばゆい。

「やはり、時間がかかりますね」

「当然だ。予定外の事態だからな」

 レオンガンドは、険しい顔をしていた。彼がそのような表情をしているのを、セツナはいままでほとんど見たことがなかった。といって、セツナはレオンガンドの顔を常に見ているわけでもない。主君の顔を直視していられるほど、肝が据わっているわけでもない。

 マイラム宮殿の一室には、レオンガンドとその側近を始め、将軍や軍団長が顔を並べており、セツナたち《獅子の尾》は肩身の狭い思いをせざるを得ない。そもそも、新設の王立親衛隊と正規軍は成り立ちも違えば、一緒にいることなどほとんどなかった。そのうえ、この場に詰めている軍人の多くが旧ログナーの将官であり、セツナにとってはとても居づらい空間とさえいえる。もっとも、彼らも軍人だ。右眼うげん将軍アスタル=ラナディースの手前、迂闊なことをしでかすとも思えないが。

 アスタル将軍の隣には、グラード=クライドがいたが、彼もセツナに対して敵愾心をむき出しにしてくるようなことはなかった。彼の相棒ともいえるウェインを殺した相手だというのに。

(これが軍人なのかな)

 恐らくは、そうなのだろう。戦場での恨みを日常に持ち込まないのが、戦場で戦うことを生業とするひとたちの生き方なのだ。しかし、軍人ではない人間には、理解のできない生き方であり、例えばエレニア=ディフォンは、セツナへの殺意を隠そうともしなかった。といって、それを軍人失格と笑えはしない。彼女の憎悪も痛いほどわかる。いや、実際にはわからないのだが、理解はできる。

「ザルワーンはこちらがナーレス捕縛の情報を掴むのはまだ先だと思っているはずだ。レルガ兄弟の秘密を知っているはずもない。時間的猶予は与えられている」

 レルガ兄弟の秘密とはなんなのか、セツナにはわからない。だが、それがガンディアにとって有利に働いたことは確かではあるようだ。キースが死んだという報告だけで、レオンガンドは全軍の集合を命じた。なにかがあるのだろう。セツナには想像もできないなにかが。

「が、マイラムに全軍が集結するころには、こちらの動きも伝わっているだろうな」

「ザルワーンは目と鼻の先ですからな」

 ゼフィルが口髭を撫でた。彼が真剣に考えるときの癖なのだろう。この会議中、彼が口髭に触るのをセツナは何度か見ていた。

「こちらの動きもよく見えよう。だが、それはこちらも同じだ。ザルワーンの動向を探らせているが、いまのところ大きな変化は見えないようだ」

「ナーレス軍師殿を捕縛したところ、即座に方針転換できるわけもなし……ですな。とはいえ、それもたいした時間稼ぎにはなりますまい」

「そうだな……もって五日といったところか?」

「そしてそのころには、こちらの動きもザルワーンに届いていることでしょう」

 バレットが、テーブルに広げられた地図を睨みながらいった。地図は、セツナも何度も見たが、ザルワーンの広さに驚いたのが最初だった。ガンディアとログナーの戦力を足しても、大差がつくわけがわかった気がする。ザルワーン領は、旧ログナー領の三倍以上の面積を誇っていた。

「五日以内に動員できる兵力は?」

「マイラムに到着済みの第一、第四軍団はいつでも出撃可能です。レコンダールの第二軍団は明日にはマイラムに到着します。第三軍団が二日後到着予定」

「ふむ……」

 レオンガンドはアスタルの報告を聞いて、思案顔になった。テーブルには、大陸全体の地図だけでなく、ガンディア周辺が克明に描かれた地図もある。そちらを見れば、ガンディアやログナー、ザルワーンなどの主要都市の位置関係がわかった。

 まず目につくのはザルワーンの首都・龍府だ。ザルワーン領土の中央からやや北側に位置する都市の周囲には、五つの砦が配置されていた。ビューネル、ライバーン、リバイエン、ファブルネイア、ヴリディア――五竜氏族の名を関する砦による防衛網を突破するのは、素人のセツナから見ても簡単ではなさそうだった。

 レオンガンドは、手元にあった木製の駒をザルワーン南部のナグラシアに置いた。マイラムからは北東に位置する街であり、地図上では、国境を越えればすぐといった風に見える。

「電撃的にナグラシアを急襲、制圧し、ザルワーン攻略の足がかりとする」

「それでは、ザルワーンを刺激しましょう」

 レオンガンドの宣言に、アスタルが反応した。ほかの将校は、一応に渋い顔をしている。

「無論、ナグラシア制圧は敵の目を釘付けにするという意味もある」

「後続がなければ、敵中に孤立するも同然ですが」

「もちろん、第二、第三軍団は到着次第、ナグラシアに向けて出発させる」

 第二軍団は明日、第三軍団は明後日、このマイラムに到着するということだが、到着と同時に出発することはできないだろう。

 アスタルの目が、鈍く光った。

「なるほど……ここが我々の見せ場ということですね」

「ログナーの兵は精強だと聞く。期待してもよいのだろう?」

「お任せを」

 レオンガンドの挑戦的な言葉に対しアスタルが不敵に笑ったのは、彼女にとっても望むところだからかもしれなかった。ログナーの飛翔将軍は、ガンディアに取り込まれたとはいえ、その輝きを失っているようには見えない。

「では、陣容はどのように」

「ログナー方面軍第一・第四軍団と……セツナ」

「はい!」

 レオンガンドに名を呼ばれて、セツナの全身に緊張が走った。その緊張は、ファリアとルウファにも伝染したのかもしれない。後ろで、少しばたついていた。

 レオンガンドの眼光は鋭く、セツナさえも射抜くようだった。

「我らの先陣を切るのは、君の役目だ」

 そして翌九月七日明朝、王立親衛隊《獅子の尾》とガンディア軍ログナー方面軍第一軍団、第四軍団はマイラムを出発したのだ。

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