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第千三百四十八話 マルディアの王族(二)


「王女殿下……なぜここに?」

 レオンガンドは、ユノに問うた。彼女は、普段とは異なる格好をしていた。無数の宝石を身に纏ったような衣装ではなく、ごく普通の、一般市民が身に付けるような衣服であり、だからこそ、彼女が目の前に来るまで、ユノだということに気が付かなかったのだ。マルディアの王女ユノ・レーウェ=マルディアといえば、可憐な容姿と華々しい衣装が個性といってもよかった。その個性の半分が失われれば、関わりの少ないレオンガンドに見分けられるわけもない。

 しかし、目の前にすれば別の話だ。相変わらず美しいというよりは可憐な容貌を持った少女は、レオンガンドの問いに、表情を強張らせたまま、囁いてきた。

「話は移動しながらのほうがよろしいかと」

「ふむ?」

「急がなければならないのでございましょう?」

「しかし……」

 レオンガンドは、橋の方を見やりながら、躊躇った。マルディアがレオンガンドを裏切り、ジゼルコートについたのは間違いなかった。シールダールの話や、レコンドールでもサランたちへの要請、シール川東大橋の封鎖などを鑑みれば、当然そうなる。ユノは、平然と解放軍の前に現れたものの、彼女が敵ではないという保証はなかった。

 橋を渡っている最中、攻撃される可能性は十二分にある。

「陛下がわたくしをお疑いになられるのも当然ですが、いまは、どうかわたくしを信じてください。わたくしは、マルディアの王女として、正しきを成すためにここまできたのです」

「正しき……」

「わたしは、セツナ様を裏切りたくなどありません」

 目を伏せ、囁くようにいってきたその言葉こそ、彼女の本音なのだろうか。ユノは、どういうわけかセツナに熱烈なまでの好意を抱いているのだ。そこに嘘偽りは見えなかった。少なくとも、彼女のセツナに対する言動は、セツナを虜にするためのものではなく、セツナに虜にされたものの証明だった。

 だから、というわけではないが、レオンガンドは頷いた。

「わかりました。殿下の御厚意を無駄にせぬため、まずは橋を渡り、川を越えましょう」

 ここで足を止めていても、仕方がない。

 橋の解放がユノの罠であり、マルディア軍が攻撃を仕掛けてきたのであれば、迎撃するという大義名分ができる、とも考えられる。もちろん、マルディア軍が攻撃を仕掛けてくる状況次第では、レオンガンドが窮地に陥る可能性もあったが、王宮特務と王立親衛隊に守られている以上、レオンガンドが命を落とす可能性は極めて低い。

 そういうことを考えた上で、レオンガンドは、ユノの進言通り、解放軍の歩を進めた。

 

 橋を渡る間、マルディア政府軍は、敵意を向けてくるどころか、敬礼さえしてきた。さっきまでとは打って変わった態度に困惑するものが続出する中、ユノは、レオンガンドの疑問に答えるようにいってきた。

「皆、救援軍の皆様には感謝しているのです。当然でしょう。だれも、我が国がジゼルコート伯に通じ、陛下に仇なしているなど、知らなかったのですから」

「知らなかった……?」

「信じていただけないかもしれませんが、わたくしも、兄様も、将兵の多くも、我が国がジゼルコート伯と同調していたことなど知らされていなかったのです。父様と、そのわずかな側近だけが知っていた。わたくしどもが命がけでガンディオンに向かい、セツナ様や皆様方に救援をお願いしたのも、本心からなのです」

 ユノがマルディアへの救援を求めて王都ガンディオンに現れたときのことを思い出すと、確かに彼女は必死だった。マルディアが存亡の危機に晒されているのだと信じて疑っていなかったのだ。そもそも、王女でありながらセツナへの好意すら隠せない正直者の彼女に、策謀の片棒を担ぐことなどできるわけもない。だから、だろう。ユグスは彼女にはなにも知らさなかったのだ。それだけユグスが彼女の性格を知っているということでもあるのだが。

「それなのに、このような状況になってしまった」

 馬車の中、ユノの手が震えていた。

「わたくしは、陛下に、皆様に、セツナ様に、どうお詫びすればいいのか、そればかりを考えていました」

「殿下。殿下も知らぬことなれば、お詫びなど不要でしょう」

「いえ。必要でございます。わたくしはマルディア王家の人間。マルディア王家の人間たるもの公明正大であらねばならぬのです。であるのにも関わらず、父様は、陛下を裏切っていた。マルディア王家の人間にあってはならぬこと」

「それが……マルディアが生きる道と判断なされたのでしょう」

 レオンガンドは、ユノが目に涙さえ浮かべている様子に胸を打たれた。彼女は、実の父親であり名君と謳われるユグス王を心から尊敬し、誇ってさえいたのだ。その誇りを本人によって踏み躙られたという想いが、彼女の心を打ちのめしたのだろうことは、想像に難くない。

「だとしても、わたくしには父様のしたことを許すことはできません!」

 ユノの慟哭に、レオンガンドは、彼女の心の美しさを見る想いだった。

「たとえそれがマルディアにとって最良の選択だったのだとしても、わたくしは、皆様を、陛下を、セツナ様を裏切りたくなどなかった……!」

 公明正大がマルディア王家の人間に求められるものだと、彼女はいった。

 公明正大だからこそ、ユグスは名君になれたのかもしれないし、マルディアのひとびとがユグスや王家を支持したのは間違いないだろう。彼女がマルディア王家に誇りを持ち、自分もその一員であると胸を張っていられたのも、これまで公明正大であれたからなのだ。

 それが、ユグスの裏切りによって音を立てて崩れ落ちた。

 いや、ユグスにしてみれば、裏切りでもなんでもないのかもしれない。ユグスにしてみれば、マルディアが生き残るための一手なのかもしれない。確かに、ジゼルコートの謀叛が成功すれば、マルディアとガンディアの関係は大きく変わるだろう。少なくとも、尽力したマルディアをジゼルコートは放ってはおけまい。マルディアはガンディアという後ろ盾を得ることができるということだ。そうなれば、マルディアはさらに平穏な国となるかもしれない。

 だが、そのためにマルディア全土を戦場にすることはない。

 レオンガンドは、そう考える。

 そして、レオンガンドたちの推測がほぼ正解だったということを、道中のユノとの会話の中で思い知るに至った。

 ユノが、ジゼルコートの謀叛を知ったのは、レオンガンドが知る四日前、三月二十五日のことだという。報せは、ジゼルコートの元からユグスに届けられたものであり、その時点で、ジゼルコートとユグスの繋がりが確定的となった。推測した通りだ。

 ユグスはすぐさま全軍に命令した。その命令とは、救援軍への協力体制を解除し、救援軍が現れれば攻撃しろというものであり、明確な敵対行動だった。ユノは驚き、ユリウスとともにユグスに理由を問うた。ユグスは、それがマルディアの生きる道だといったという。それでも食い下がるユノは、ユグスの命令によって私室に幽閉されることになったらしい。

 幽閉されている間、ユノはいてもたってもいられなかったが、なにもできないまま時間ばかりが過ぎていった。そんなとき、ユノを解放してくれた人物がいる。それは彼女の双子の兄ユリウスであり、ユリウスから詳細な話を伝え聞いたユノは、近習を連れてマルディオンを脱出、シール川までやってきたということだった。シール川に至ったのは、ガンディア本土の奪還に動くだろうガンディア軍が足止めを食らうとすれば、シール川だろうというユリウスの助言からであり、そのおかげでユノはレオンガンドと合流出来たということだった。

 また、ユリウスから聞いた詳細な話というのは、聖石旅団による反乱そのものがジゼルコートとユグスの仕組んだ策謀であり、ガンディア軍をマルディアまで引きずり出す名目のため、引き起こさせたものだということだった。ゲイル=サフォーが反乱を起こした理由である、マルディアとガンディアの繋がりというのは、そこにあったのだ。ゲイル=サフォーら反乱軍は、ユグスらマルディア王家がマルディアという国をガンディアに売るため、ガンディアと繋がり、なにかを企んでいるといっていた。しかし、真実は少し違っていたのだ。ガンディアにマルディアを売るのではなく、ガンディアの支配者を変えるためにガンディアと繋がりを持ち、謀略を巡らせていた、ということだ。

 反乱軍が騎士団に救援を求めるように誘導したのもユグスであり、反乱軍が圧倒的な戦力を得ることで、マルディアがガンディアに援軍を求める正当な理由としたのだ。

 果たしてレオンガンドたちは、なんの疑いもなくマルディアに援軍を派遣することを決めた。だが、ただ援軍を派遣しただけではない。レオンガンドたちもまた、ジゼルコートの反乱を誘発させるために、主力をマルディアに向かわせたのだ。

 ジゼルコートの反乱に伴う国内敵対勢力の一掃。

 それこそレオンガンドたちのマルディア救援の真実であり、ジゼルコートの反乱そのものは織り込み済みのものだった。

 だから、ジゼルコートの反乱そのものには衝撃を受けることはなかった。その後、様々な情報のおかげで精神的苦痛を覚えたりしたものの、いまは立ち直りつつある。

「殿下、どうかお気を確かに。我々がこうして川を無事に渡ることができたのは、殿下のおかげです。殿下が手を貸して下されなければ、いまごろここは戦場になっていたでしょう」

 無事、橋を渡り終えてから、レオンガンドはユノに告げた。

「いえ……マルディアの王女として、当然のことをしたまでです。それに、戦闘となればマルディアの将兵の数多くを失うことになったでしょう。無駄に血を流すことなど、あってはなりません」

「ええ。まことに」

「わたくしこそ、感謝したいくらいですわ」

 ユノが穏やかに微笑んだ。

「陛下が安易に攻撃命令を下されなかったからこそ、わたくしが間に合ったのですから」

 シール川を越えたガンディア解放軍は、南東へと進路を変え、ただひたすらに前進を続けた。

 マルディア王都マルディオンに立ち寄ることも、マサークに立ち寄ることもなく、アバードとの国境へと到達するのは、四日後、四月七日のこととなる。


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