第千三百四十七話 マルディアの王族(一)
レオンガンド暗殺未遂事件の翌朝、ガンディア解放軍は、緊張感に包まれる中、野営地を後にした。シール丘陵を越えれば、すぐさまシール川へと至るのだが、問題はそこだ。マルディアを脱するには、マルディアを南北に分断するシール川を越えなくてはならないからだ。シール川は、大きな川だ。川幅も広く、水量も多い。橋を渡らなければならないのだが、その橋はマルディア軍によって封鎖されていた。橋を渡るには、マルディア軍と一戦交える必要があるということだ。
解放軍の戦力から見れば、マルディア軍などおそるるに足りない。しかし、戦闘のために時間をかけたくもなければ、わずかな損害さえ出したくないというのがあった。せっかくセツナが単身殿を務めることで得られた戦力だ。出来る限り無傷のままガンディア方面まで辿り着きたいというのが、解放軍の本音だ。
「とはいえ、あそこまで厳重に封鎖されていると、戦って追い散らすしかなさそうですが」
「ここはファリアさんとルウファさん辺りに攻撃を打ち込んでもらって、ですね」
「橋を壊さない程度に、な」
「もちろんです」
「しかし……マルディアのみならず、イシカまで通じていたとはな」
レオンガンドは、嘆息とともに話題を変えた。イシカがジゼルコートに通じていたことが明らかになったのは、昨夜のことだった。
夜中、レオンガンドたちが軍議を終え、それぞれ寝床に向かおうとしたとき、シーラとエスク=ソーマがサラン=キルクレイドを連れてきたことによって、ある事実が明るみとなった。その事実とは、イシカ国王ラインゴルド・レイ=イシカの命によって、サランがレオンガンドを暗殺しようとしていたということだ。それはつまり、イシカががジゼルコートに与していたということを示している。
サランの証言によって、ラインゴルド王がガンディアがマルディアに援軍を送ることを認識していて、その最中に謀叛が起こることさえ把握していたということがわかったのだ。これにより、イシカがジゼルコートと通じ、レオンガンド政権の転覆を図ったことは疑いようのないものとなった。もっとも、レオンガンド暗殺計画がジゼルコートの企みによるものかどうかまではわからない。そもそも、サランにもそこまで詳しくは知らされていなかったようなのだ。
サランは、マルディアで異変が起き、ガンディア軍が混乱に陥ったときにレオンガンドを暗殺しろと命じられただけだというのだ。サランが虚偽の証言をしていないことは、ウルの異能を用いることで確定している。サランを“支配”することができたのは、ウルいわく、サランが様々なことを諦めていたからであり、精神的に弱っていたからだということだった。本来のサランならば“支配”できたかどうか疑わしいという。もちろん、それは彼女の“支配”力の大半をカインに注ぎ込んでいるからであり、カインの“支配”を解けば、サランくらいならば容易く掌握できるらしいが。
詳細な情報を与えられなかったのは、なにもサランだけではない。星弓兵団長イルダ=オリオンは、暗殺計画自体知らされていなかったのだ。イルダを始めとする星弓兵団の団員たちは、同盟国ガンディアに協力するために派遣されただけだと思いこんでおり、暗殺計画が明らかになったあと、むしろ国に裏切られたという想いのほうが強いようだった。それはそうだろう。暗殺が成功するにせよ、失敗するにせよ、サランもイルダも星弓兵団も、無事では済むまい。最悪死ぬだろうし、生き残れたとしても、拘束され、自由を奪われるのは間違いなかった。イルダたち星弓兵団員がラインゴルド王のやり方に反発を覚えたとしてもなんら不思議ではない。命令されたのであればいざしらず、なにも知らされないまま命の危機に直面するなど、考えられることではない。
サランたちの処遇に関しては、シーラから助命の嘆願があったが、それは却下された。当然だ。サランはレオンガンドを暗殺しようとしたのだ。助命などできるわけもない。しかしながら、弓聖サランと星弓兵団という貴重な戦力をいま失うわけにはいかないという問題があった。弓聖も星弓兵団も、解放軍がジゼルコート軍を打破するには必要不可欠な戦力だった。そこで、レオンガンドはサランに問うた。
暗殺未遂の罪で星弓兵団ともども死ぬか、それとも、イシカを裏切り、レオンガンドに従うか。
サランは、考えさせて欲しいといい、レオンガンドは一夜だけ待つことにした。サランの立場を考えれば、ここは待つべきところだろう。彼の決断次第で、星弓兵団千数百人の命数も決まる。イシカの弓聖と謳われるほどの人物であり、ラインゴルド王との関係も深い。イシカを裏切れるわけもない。かといって、なにも知らされていなかった星弓兵団の、彼自身の弟子たちの命を奪っていいものか、どうか。
サランは悩んだだろう。悩み抜いただろう。己自身の命だけならばまだしも、弟子たちの命までも自分の判断にかかっているのだ。翌朝――つまり今朝、レオンガンドの前に引き立てられたサランの顔は、憔悴しきっていて、これがあの弓聖サラン=キルクレイドなのかと衝撃を受けるほどだった。
『陛下に服しましょう』
とだけ、彼はいった。
悩み抜いた末、弟子たちを生かす道を選んだのだ。裏切り者の汚名を被ってでも、なにも知らぬまま暗殺計画の片棒を担がされていた弟子たちの命を奪うことなど、彼にはできなかったということだ。
サランのその決断は、イシカとの決別を宣言したも同じだった。苦渋の決断だったに違いない。王からの密命を受け、死をも覚悟していたのがサランだ。生き恥をさらすどころの話ではない。背信行為であり、裏切り者であり、国賊であり、売国奴の謗りを受けたとしても、なんら反論できないような決断だった。だが、それでも、サランは数多くの弟子たちが無意味に命を落とすよりはいいと考えたのだろう。
ウルの異能を用いれば、彼を支配下に置くことは簡単だった。彼が支配下に入れば、おのずと、星弓兵団もガンディアの軍門に下っただろう。生殺与奪の権利はこちらにある。だが、ウルの異能の今後の活用を考えると、カインとサランのふたりだけを支配し続けるというのは、勿体無いというほかなかった。
だから、サランに苦渋の決断を迫ったのだ。その結果、サランと星弓兵団を失う結果になったとしても、仕方のないことと受け入れるほかなかったが、幸いにもそのようなことにはならなかった。
サランが服したことで、星弓兵団もそのままガンディアの軍門に下った。団員の中にはイシカを裏切ることはできないと、ガンディアへの離反を拒むものもいた。そういう団員たちからは武器を取り上げた上で拘束することにした。無意味に殺す必要はない。ここで殺せば、せっかくイシカを離反したサランたちへの心証を悪くするだけだ。
生殺与奪の権利があるとはいえ、行使した結果、状況が悪くなることだってありうるのだ。
「これで、ルシオン、ジベル、マルディア、アザーク、ラクシャに加え、イシカまでがジゼルコート伯に通じているということが明らかになったわけですけど、これならジゼルコート伯が謀叛を起こすのもわからなくはないですね」
エインの感想にうなずく。ジゼルコートの私設軍隊のみならばいざしらず、五つもの国と繋がりを持ち、それらが自分の謀叛に同調してくれるという確信を得たのであれば、レオンガンド率いるガンディア軍本隊にも打ち勝つことができると思ったとしても、なんら不思議ではない。レオンガンドたちは、それら五カ国と戦わなくてはならないということでもあるのだ。ガンディア本土に辿り着くまでに、どれくらい戦力を減らされるのか。また、ガンディア本土に辿り着いたとして、王都に到達するまで、どれほどの敵を倒さなければならないのか。
やはり、サランと星弓兵団を配下に組み込むことができたのは、大きいというほかない。
戦力は多ければ多いほど、良い。
とはいえ、イシカが敵だということが判明した以上、楽観視してもいられないのが実情だった。
『メレドは、サリウス陛下の命により、レオンガンド陛下の御力になる所存です』
メレド白百合戦団の団長アーシュ=イーグインは、サランの暗殺計画が明るみになったあと、すぐさまそう告げてきた。その上で、疑うのであれば、ウルの異能を用いてくれればいいとまでいってきたのだ。レオンガンドは、アーシュの言葉を信じることにして、彼にはウルを用いなかった。そこまでいってきたのだ。そこでウルを使うのは、アーシュに悪い。
もっとも、イシカとメレドの関係性を考えれば、イシカがレオンガンドの敵に回ったいま、メレドがレオンガンドの敵に回る可能性は極めて低いと思われた。メレドは、北進したがっている。そのうえで目障りなのが、イシカという国だ。イシカがガンディアと同盟を結んだために、同盟国であるメレドもイシカと友好関係を結ぶ運びになったのだが、メレドの本心としては、イシカを攻め滅ぼし、北への進路を開けたいに違いなかった。
ここでレオンガンドに付いておけば、レオンガンドが勝利し、ガンディアを奪還した暁に、イシカを滅ぼすという大義名分が得られるのだ。
アーシュがそこまで考えているかはわからないし、そこまでの決定権があるのかどうかはともかく、サリウス王によってイシカの動向を伺えと命じられているだろうことは、想像に難くない。
それは、逆もまた然り、なのだろう。
イシカにとっては、メレドこそ目障りなのだ。だからジゼルコートの甘言に乗り、レオンガンドと敵対する道を選んだのではないか。
そんなことを考えながら、レオンガンドは参謀たちの指示を聞いていた。
シール川を目前にして、ガンディア解放軍は足踏みをしている。解放軍の進路上には、シール川東大橋という名称の大きな橋がかかっている。その橋を渡ることさえできれば、マルディア領を脱出するのもなんの問題もなくなる。王都マルディオンもマサークも無視し、アバードまで抜ければいいのだ。アバードはジゼルコートの息がかかっていない国だったし、王都からの情報がマルディアまで無事に届いたということは、情報の経由地点であるログナー、ザルワーンも、いまのところ、ジゼルコート軍の手に落ちていないという証明だった。しかし、急がなければログナーもザルワーンもジゼルコート軍によって掌握され、ガンディア解放軍の戦いは困難を極めるものとなる。
だからこそ、早急に大橋を通過しなければならないのだが、その大橋はマルディア政府軍によって封鎖されており、川のこちら側と対岸に無数の武装した兵士が待ち構えていた。
「交渉の余地はないでしょうな」
大将軍が、低くうめいた。
アルガザードは、ガンディアを裏切っていたマルディア軍を許せないという気持ちと、つい先日まで救援に全力を上げてきたことへの複雑な感情を隠せないようだった。
「だろうな」
交渉に近寄ったところを攻撃されかねないのは、マルディア軍の陣容を見れば一目瞭然だ。マルディア軍はいつ戦闘に入ってもいいように準備しており、弓兵は弓を構え、矢を番えてさえいた。射程に入れば射つ、と、警告しているのだ。
「ここは《獅子の尾》に任せるとするか」
レオンガンドは、エインの策を採用した。
無論、殲滅する必要はない。マルディア軍を橋の周囲から追い払うだけでいいのだ。そのためには、王立親衛隊《獅子の尾》の武装召喚師たちに任せるのが一番だろう。派手で強力な召喚武装の能力は、マルディアの兵士たちの度肝を抜くだろうし、追い散らすのに適切だ。
「そうですな……」
大将軍の乗り気でない返事を聞きながら、レオンガンドが指示を出そうとしたときだった。解放軍の先陣が騒がしくなったのだ。
「どうした?」
「はて?」
アルガザードが怪訝な顔をする中、次第になにが起こったのか判明していった。
大橋を封鎖していたマルディア軍の兵士たちが突如として封鎖を解いたのだ。すわ戦闘かと色めきだつ解放軍先陣だったが、大橋を渡り、現れた人物によって開戦目前の緊張は、一旦、霧散した。その人物は、先陣を務めるログナー方面軍大軍団グラード=クライドに案内され、レオンガンドの元へと足を運んできた。
「突然の訪問、失礼致しますわ。陛下」
そういって恭しく頭を下げてきたのは、ユノ・レーウェ=マルディアだった。強張った表情は、彼女の置かれた立場や状況を暗示させるようだった。