第千三百四十三話 シール川をまえに(二)
『また、君に任せなければならなくなったな』
サントレアからの転進を決定し、殿をセツナひとりに任せることになったあと、レオンガンドは、彼とふたりきりで話す時間を設けた。ガンディア軍を始め、解放軍に参加することとなった軍隊が出発準備に追われる中でのことであり、確保できた時間はわずかばかりだった。レオンガンドも、急がなくてはならない。
『今回は、俺の方から言い出したんですから』
気にしないでください、と、セツナは微笑んだ。
『確かに君から言い出したことだがな。君にばかり負担をかけることになるのは、本意ではないのだ』
本来ならば、セツナ配下の部隊だけでもサントレアに残しておきたいところだった。
サントレアに迫るのは、ベノアガルドの騎士団だ。騎士団の兵士たちはとんでもなく強い。中でも十三騎士となると、手をつけられなくなるほど強力で、一流の武装召喚師ですら一対一では戦えないというほどだった。セツナいわく、ひとつ前の黒き矛を手にしたセツナと同程度の力量だというのだ。その見立てが正しければ、武装召喚師ですら手に負えないのは、むしろ当然というべきだろう。ガンディア躍進の原動力たる黒き矛のセツナと同等の力量の持ち主が十三人もいるというのだ。おそるべき国というほかない。そんな国がなんの野心も持たず、他国、他勢力からの救援要請になんの見返りも求めずに応じているということそのものが奇妙であり、奇異だった。
今回の騎士団の行動は、さらによくわからない。
マルディアの反乱軍を救援したかと思えば、ジゼルコートの反乱に同調し、軍を差し向けてきたのだ。一貫性がないように思えたが、どうやらそうでもないらしい。
エイン=ラジャールの考えでは、マルディアの反乱そのものがジゼルコートの謀略であり、つまるところ、騎士団がマルディアの反乱軍に手を差し伸べたのもまた、ジゼルコートの策謀によるものではないか、ということなのだ。
ジゼルコートは、ガンディア軍の主力をマルディア北部にできるだけ長く留めておこうとした。そのためにマルディア国内で反乱を起こさせたと見るべきで、さらにそこに騎士団を介入させることで深刻化させ、マルディアがガンディアに救援を要請することの正当性を付与した。マルディアからの救援要請は至極真っ当であり、レオンガンドたちはなにひとつ疑うことなく救援軍を結成した。もちろん、レオンガンドたちはレオンガンドたちで、ジゼルコートの反乱を誘発させるために救援軍を結成したのだが。
反乱を鎮圧するため転進せざるをえないガンディア軍に対し、騎士団が戦力を差し向けてきた。これは、ガンディア軍の戦力の一部をマルディアに留め置くためのものであり、ジゼルコートがレオンガンドとの戦いに勝利するための一手だった。
騎士団の追撃を振り切るには、殿として大戦力を残していかなければならない。でなければ、騎士団の猛追を振り切ることなどできないからだ。そしてそれこそジゼルコートの狙いなのだ。いくらガンディア軍が強くとも、その戦力の大半を騎士団に割けば、ジゼルコートの反乱を潰すことも難しくなるかもしれない。
ジゼルコートは、謀叛を成功させるため、あらゆる手段を講じ、あらゆる状況を利用したということだ。
そこでセツナが導き出した結論こそ、驚嘆するべきものだった。
セツナひとりがサントレアに残り、殿を務めるというものであり、多くのものが反対した。いくらセツナがガンディア最強の戦士であり、英雄であるとはいえ、ひとりで騎士団に当たるのは無謀という他ない。黒き矛は強い。それを扱うセツナもまた、凶悪というほかない。だが、十三騎士は複数人いて、最大十三人が騎士団領内にいるのだ。それら全員が投入されることはないにせよ、マルディアに投入された五人以上が差し向けられたとしてもなんら不思議ではなかった。
いくらセツナでも複数人の十三騎士を相手にすれば、押され、負傷し、命を落とすことだって十分考えられた。だから、会議の場で反対するものが多かったのだ。だれもがセツナの実力を知っているし、セツナがあってこそのガンディアだということも理解している。だからこそ、セツナの無謀な試みを止めようとしたのだ。
だが、セツナの提案こそがジゼルコートの企みを潰す数少ない方法だという事実を否定することは、だれにもできなかった。
騎士団の足止めをするには、並大抵の戦力ではいけない。騎士団の圧倒的な力に蹂躙されるだけだからだ。武装召喚師を複数名、投入する必要がある。そして、それらが戦死する可能性を考慮しなければならない。そこまでしても、どれほどの効果があるのか、わかったものではない。一時しのぎにしかならないかもしれない。瞬く間にサントレアを抜かれ、追いつかれる可能性もなくはなかった。
セツナなら、どうか。
セツナならば、たったひとりで複数名の武装召喚師以上の戦力となりうる。十三騎士三人の猛攻を耐え凌いだのだ。耐え続けるだけならば、できるかもしれない。
セツナならば――。
『君を失いたくはない。だが、君に頼らざるをえないのが実情だ。君だけが頼りだ。君しかいないのだ。不甲斐ないことにな』
『むしろ、そういって頂けて、光栄という他ありませんよ』
セツナの微笑みが妙に透き通って見えて、レオンガンドは慌てた。そのような笑顔は、死を覚悟したものがするものであり、これからも生き続けなければならないセツナがするべきものではなかった。澄み切った瞳には、濁りのない決意を感じさせる。
『俺には、なにもありませんから』
『なにもない?』
レオンガンドは、セツナの言葉を反芻して、首を横に振った。いいたいことはわからないではないが、考え違いも甚だしいと思ったのだ。
『馬鹿なことをいうものではないよ。君には、大切なひとたちがいるだろう?』
レオンガンドがいうと、セツナはきょとんとしたように目を瞬かせた。レオンガンドがそのようなことを口にするとは、思えなかったのだろう。レオンガンド自身、口をついて出た言葉が自分のものとは思えなかった。
『君の周りには、君を大切に想うひとたちがいる。君は、彼女たちや彼らの存在さえも、ないものとするのか?』
『そ、そんなわけないじゃないですか!』
『だろう。君にはあるのだ。なにもないわけではない。生きて帰ってくる理由がある。なんとしてでも生き延びてくれ。死ぬな。死んではならん』
セツナがガンディアにとって必要不可欠だからそういうのではない。
セツナを失いたくないのだ。ただ純粋に、そう想っている。
セツナは、レオンガンドの英雄なのだ。レオンガンドが得たただひとりの英雄。シウスクラウドとは違う、等身大の英雄。夢を具現化してくれるたったひとりの存在。彼を失うということは、夢を失うのと同義だ。
彼が、レオンガンドの夢を後押ししてくれた。
『死にそうになったなら、逃げろ。それがわたしの命令だ』
『命令……』
セツナが、小さく反芻する。
レオンガンドは、そんなセツナが愛おしくてたまらない。
『王命を順守するのが、君の君たる所以だ。そうだろう?』
『はい!』
『わたしはなんとしてでもジゼルコートを討ち、王都を奪還する』
レオンガンドは、セツナに約束した。
『王都で、君の帰りを待つよ』
そういって、セツナと別れた。
セツナは、いまも騎士団との対峙を続けているだろう。
少なくともあと数日は持ちこたえてくれなくてはならない。逆を言えば、あと数日だけでいい。ガンディア解放軍がマルディア領を突破し、アバード領内に入ることさえできれば、それでいいのだ。騎士団も、アバード領内までは追ってはこないだろう。きたとしても、アバード軍が盾となってくれる。アバードはガンディアの属国であり、アバードの幼き王は、ガンディアに従順だ。
アバードに入ることさえできれば、そこから先はログナー方面まで一直線でいけるはずだ。
そのためにも、まずはシール川を越えなくてはならない。