第千三百四十一話 シドという男
四月一日、夜明け前のことだった。
マルディアの兵によって叩き起こされたセツナは、すぐさま着替え、鎧を着込んで宿舎の外に出た。まだ空は夜と朝の色彩が融け合っていて、絶妙に美しい色合いを浮かべている時間帯だった。気温は低く、風は冷たい。明るくもなければ暗すぎるということもない空の下、グリフはすでに準備を終えていた。巨人、小飛竜とともにサントレアの北門の外へ。当然、ラグナには姿を隠してもらう。ラグナの存在を隠し通すことこそ、この戦いの勝利の鍵となるだろうとセツナは考えている。
騎士団の二度目のサントレア攻撃。
第二陣というべき敵軍の陣容は、第一陣とさほど変わっていなかった。騎士団兵が四千に、十三騎士が四名。兵の数は増えたものの、兵士たちに攻撃の意思は見えない。サントレアそのものを攻撃するための陣容ではないのだ。セツナを攻撃し、この場に引き止めるためだけの戦力。
(エインの考え通りってことだな)
エインは、騎士団の目的が、マルディア反乱軍のためのサントレア攻略ではないと断じた。ジゼルコートの謀叛を援護するためのものであり、ガンディア軍の戦力を割くためのものだ、と。そしてそれは間違いなかった。サントレアを攻略するのであれば、十三騎士でセツナと巨人を抑えたあと、兵士たちをサントレアに向かわせればいい。いや、十三騎士をさらに投入し、セツナたちを圧倒すればいいだけの話だ。
しかし、騎士団は、そうはしなかった。
斥候の調べによれば、サントレア北部に築かれた野営地には、七名の十三騎士が集まっているという。十三騎士の半数以上が、だ。その七名が全員、この戦場に投入されれば、いかにセツナとグリフといえど、対処するだけで困難を極めたことだろう。
十三騎士二人ならばなんとか対処できるのがセツナの現状だ。三人になれば防戦一方となり、四人になれば自身を守り切ることも難しくなるだろう。五人となれば、どうなるものかわからない。押し負け、攻撃を食らうことが多くなるかもしれず、そうなれば、じりじりと死に近づいていくことになる。
無論、それはセツナの実感であり、十三騎士にはわからないことに違いないのだが、だとしても、セツナを倒すためであるのならば、野営地に集まった全十三騎士を投入するはずだ。それをしないということはつまり、この戦いでセツナを殺すつもりはないということだ。
殺さず、ただ引き止める。
それだけが騎士団の目的なのだろう。
だからこそ、セツナは、烈しい苛立ちを覚えずにはいられない。
(感情を昂ぶらせるな。冷静になれ)
セツナは、自分に言い聞かせながら、第二陣の十三騎士たちを確認した。先頭には、シド・ザン=ルーファウスの姿がある。雷光を帯びた剣が彼の存在を主張していた。隣には弓を構えた騎士。おそらくロウファ・ザン=セイヴァス。巨漢もいる。ベインだ。そして四人目は、細剣を構えた人物。ルヴェリス・ザン=フィンライトだろう。ベイン以外そう取っ替えの陣容だった。ほかの三人は野営地で休養中なのかもしれない。
(そういうことかよ)
セツナは、騎士団のやり口に口の端を歪めた。騎士団は、消耗戦を強いてくるつもりなのだ。こちらは、セツナとグリフが常に出張らなければならない。対して、騎士団は常に控えがいて、戦闘のたびに陣容を変えることができるのだ。そうすることで、戦いのたびに十三騎士の体力を温存させる必要がなくなり、常に全力で戦えるということだろう。
生命力も膨大なグリフはともかく、セツナには辛い戦いとなる。今回はまだ、いい。第一陣から一日空いているから、大きく回復してはいる。しかし、つぎ以降はどうなるものか、まったく想像もつかなかった。休みをくれなければ、戦い続けることを強いられれば、いずれ力尽きる。
「くるぞ」
グリフの警告に、セツナは小さくうなずいた、黒き矛を通して、戦場の様子は完璧に近く把握できている。十三騎士たちの動きも手に取るようにわかる。ロウファが弓を掲げ、光の矢を生成するのも視認できていた。シドの声が聞こえる。
「射て」
シドの命令とともにロウファが矢を放つ。光の矢。解き放たれた矢は一瞬後、膨張して太い光芒となって虚空を飛翔した。光の奔流がこちらへと殺到する中、セツナの意識は、シドが雷光の如く飛ぶのを捉えている。セツナは大きく左へ飛び、グリフが右に飛ぶのを認識した。光の矢はかわせたものの、着地の瞬間を狙って、頭上から雷光が降ってくる。矛を振り上げ、斬撃を受け止める。体重と速度を乗せた一撃。重く、足が地面に沈んだ。全身の骨が悲鳴を上げる。そのときには、実体化したシドを見ていた。蒼白の甲冑を着込んだ騎士。兜から溢れる白髪が、セツナの鼻に触れた。剣と矛が触れ合った状態のまま、腕力だけで矛を振り抜き、シドを跳ね飛ばす。
「あいつ、アバードのときより強くなってねえか」
(よくはわからんが、ベインもそのような感じじゃの)
見ると、空振ったベインの拳が大地を貫き、地面に大穴を空けていた。ただの拳の一撃が、だ。とんでもない威力であり、まともに喰らえばただでは済むまい。まさに一撃必殺。武装召喚師の攻撃も、大抵はそのようなものだが、それにしても凶悪だ。遠距離から城壁を破壊したドレイクの斬撃といい、先ほどのロウファの光の矢といい、シドの斬撃といい、どれもこれも、最初に戦ったときに比べて、数段威力が上がっている気がした。
「気のせいじゃねえな」
(うむ)
頭上から降ってきた光の矢を後ろに下がることでかわしつつ、背後から飛びかかってきたシドの斬撃をいなす。今回はどうやら、シドとロウファがセツナの相手のようだった。グリフには、ベインとルヴェリスが当たっているということだ。
(遠隔と近接……厄介な)
吐き捨て、シドが離れた隙を見逃さず、ロウファに接近する。距離さえ詰めれば、ロウファの弓は無力化できるかもしれない。が、着地したロウファに接近しようとした直後、視界に雷光が滑り込んでくる。紫電を帯びたシドの鎧が目にも痛い。まるで雷光そのものの如き移動速度は、シドの二つ名を思い起こさせるには十分すぎた。
“雷光”のシド。
「セツナ伯、相変わらずあなたはお強い!」
「あんたたちだって十分強えよ!」
斬撃をぶつけあいながら、叫ぶ。強い。強すぎるといっていい。武装召喚師など目ではないほどの力量。少なくとも、いまの黒き矛とここまで迫れるのだ。十分過ぎるほどに強いといっていいのではないか。
「まだまだ、この程度では、世界を救うことなどできはしない」
「世界を救う?」
「そう、この世を救うことこそ、我らの使命」
「だったら、人様の国に土足で上がり込んでんじゃねえっての」
セツナは怒声とともに踏み込み、矛を水平に薙いだ。シドは剣を縦にして横薙ぎの一撃を受け止めたが、すぐさま雷光そのものとなってセツナの視界から消えた。光の矢が雨の如く降ってくる。飛び退くと、背後から殺気。振り向く暇もない。屈んで斬撃をかわし、足を払うように矛を旋回させる。飛んでかわされた。
「これもまた、救いのための一歩」
「アバードのあれも、救いのための一歩だったとかいうんじゃねえだろうな!」
「その通りです」
「はっ! 笑わせんな!」
想像通りの返答に、怒りすら湧く。アバードの動乱は、もちろん、騎士団だけのせいではない。セツナたちの存在さえも、アバードの混乱を深刻化させる一因となったのだ。だが、ひとつだけいえることがある。騎士団がアバードに手を貸さなければ、少なくともあのような状況にはならなかったのではないか、ということだ。
騎士団が、アバードに大きな力を与えた。力を得たアバードは、その力を用いて、シーラを抹殺しようとした。力がなければ、シーラの抹殺など諦めていたかもしれない。セリス王妃も、思いとどまってくれたかもしれない。アバード王家は、あのまま存続し続けたかもしれない。もちろん、そうならなかった可能性もある。だが、セツナには、騎士団が救いの手を差し伸べたことが、セリス王妃の背を押したように思えてならないのだ。
もし、セリス王妃がシーラの抹殺を踏み止まっていてくれれば、なにもかも大きく変わっていただろう。
シーラが両親を失うことなどなかったのだ。
涙を流す必要など、なかったのだ。
「笑っても構いませんが、この世のためです」
「この世のため、この世のため――それしかいうことねえのかよ!」
「ありませんね」
シドの声は、冷ややかだ。冷静さを見失ってはいない。雷光となって斬撃を避けた瞬間、彼の後方に待機していたロウファが矢を放ってきた。光の奔流。矛を構える。すると、光の矢は、セツナに直撃することもなく後方にそれていった。ラグナの魔法障壁だ。光が消えると、ロウファが少しばかり驚いたような顔をしていた。が、すぐに気を取り直し、後ろに下がる。セツナは追い縋ったが、シドの介入によってロウファへの接近は断念せざるを得なくなる。
「人の世を――いえ、この世界に生きとし生けるものたちの未来を護るためならば、どのようなことだってしてみせましょう」
鋭い斬撃の数々を凌ぎながら繰り出す攻撃の尽くを捌かれる。光の矢への注意が、セツナの攻撃を鈍らせているのは間違いない。光の矢の対処はラグナに一任するという手もあったが、考えなおす。魔力を無駄にしたくはなかった。ラグナの魔法は強力だが、その分消耗が激しいのだ。現状、どれだけ蓄えられているかもわからない以上、頼り切ることはできない。
「そしてそれは、あなたも同じだ」
「なにが!」
「あなたも、王命であれば、どのようなことだってするでしょう?」
「……そうだな」
肯定する。否定できるはずもない。王命ならば、それが役割ならばどのような相手であっても殺し尽くす。それがセツナだからだ。黒き矛のセツナに求められるのは、結果だ。多くの場合、それは倒した敵の数で計られる。敵を倒せば倒すほど、殺せば殺すほど、賞賛される。血塗られた道。いまさら引き返すべくもない。それこそ、数えきれない命を奪ってきたのだ。
ガンディアのためというお題目を掲げて。
「我々はだれに命じられることもなく、この世を救うために動いている。見返りなどあろうはずもない。だが、この世界を存続させるには、だれかがやらなくてはならないことなのだ」
「だからなんだってんだ」
シドの斬撃を受け止め、叫ぶ。
「俺には関係がない!」
それはセツナの本心だった。騎士団の目的がなんであれ、自分には関係がない。実際そのとおりだろう。関係などあってたまるものか、という気持ちもある。
「あるさ」
「ねえっての!」
「あなたは強い。そして、救済者としての片鱗を見せたのだ。あなたも、我々とともにこの世を救う力となるべきだ」
「知るかよ、んなもん!」
叫び、矛を叩きつける。力任せの一撃。シドは平然とかわしてみせる。矛先が地面を貫き、破壊を起こす。大地が割れ、粉塵が舞う。
『この世には理不尽な力がある』
不意に脳裏を過ぎったのは、アズマリアの声だった。
『その理不尽な力に対抗するために、おまえを召喚したのだよ』
なぜ、唐突にそんな言葉を思い出したのか、セツナにもわからなかった。わからないまま、頭上から降ってきたシドの斬撃を捌き、光の矢を飛んでかわした。シドがさらに攻撃してくるが、それも受け止める。
「我々とともに戦え、セツナ」
「俺は、ガンディアの黒き矛だ!」
「この世を救うということは、ガンディアのためでもあるのだ」
「だったら、ジゼルコートの謀叛に加担してんじゃねえよ!」
「それは違うな」
彼が頭を振るのに合わせて、光の矢が飛来する。連射。立て続けに飛来した光の矢をからくも避けきると、シドの斬撃が迫ってきた。それも体を捌いてかわすが、続けざまに放たれた光の矢がセツナの右肩に直撃した。痛みはない。ラグナだ。
「我々は、ジゼルコート伯の謀叛など、どうでもいい。成功しようが、失敗しようが、我々には関係のないことだ。我々が必要なのは、セツナ伯、あなたなのだから」
「……冗談じゃねえぞ」
セツナは、ふつふつと湧き上がってくる怒りに身を委ねたくなった。
「救いのためだのなんだのほざいてるくせに、謀叛がどうでもいいだと。結果がどうでもいいだと。そのためにどれだけのひとが傷つくと思ってんだ。死ぬと思ってんだ」
騎士団がジゼルコートの企てに同調したことで、本来ならばなかったはずの犠牲が出ること、出たことは疑いようがなかった。もし、騎士団がジゼルコートの企みに応じなければ、状況は大きく変わっていただろう。そもそも、勝算がないということで、謀叛自体起きなかったかもしれない。ジゼルコートの中に叛意が燻っていたとしてもだ。勝算がなければ行動を起こそうとはすまい。これまで、二十年に渡ってガンディアを支えてきた影の王であり、王宮に復帰してからも、そういった片鱗を見せることもなくガンディアのために尽力してきた人物がジゼルコートなのだ。勝てる可能性さえ見出さなければ、レオンガンドへの敵意を隠しつつ、忠臣を演じ続けたのではないか。
そんなことを考える。
無論、ただの妄想にすぎない。たとえ騎士団が同調せずとも、ほかの国や組織を利用して、同じような状況を創りだしたかもしれない。ただし、その場合でも、騎士団以上の難敵などあろうはずもなく、犠牲が遥かに少なかっただろうことは疑いようもなかった。
「救いのためだ」
シドは、にべもなく断言した。底冷えするほど冷ややかな声音。セツナは、黒き矛を握りしめながら、シドの目を見据えた。
「この世を救うのだ。ある程度の犠牲が出ることは仕方がない。そうだろう、セツナ。あなただってわかっているはずだ。前進には犠牲が付き物だ。犠牲を払わずして、代価を払わずして、なにかを得られるほど、この世界は優しくできてはいない」
シドの言葉は、正論だろう。
レオンガンドが常日頃から口にしていることでもある。
前に進むためには、犠牲を払わなければならない。
戦いに勝つためには死者が必要だ。敵を殺さなければ勝利はない。味方の死も、計算に入れなくてはならない場合がある。政治も、すべての国民のためになるものではない。どこかのだれかが犠牲になる。仕方のないことだ。そうしなければ、前に進めないのだ。停滞は許されない。停滞したからといって犠牲が生まれないという保証はない。どちらも同じだ。ならばいっそのこと、前に進むほうがいい、と多くのものは考えるだろう。そのためならば、多少の犠牲には目を瞑るものだ。
そうやって、ここまできたといってもいい。
事実、現在のガンディアは数多の犠牲の上に成り立っている。数えきれないほどの屍の上に築きあげられたといっても過言ではない。敵も味方も、人間も皇魔も、大量に死んだ。殺し、殺された。中でも多くの命を奪ってきたのがセツナであり、だからこそ実感として、その言葉の正しさを理解するのだ。
「できれば、犠牲は最小限に留めたい。それこそ我々の願いだ。だが、願うだけではなにも進まない。犠牲を払わないように行動した結果、世界が滅びてしまってはなんの意味もない。世界を存続させ、ひとびとや数多くの生き物が命を謳歌できるようにするためには、多少なりとも犠牲が必要なのだ」
「だったら、率先して犠牲になって示してみせろってんだ」
「なっているさ」
彼は、笑いもせず、また、怒りもせずに告げてきた。
「十三騎士そのものが、この世を救うための犠牲だ」
雷光の剣を構えたシドの姿は、どこか憂いを帯びていて。セツナは、彼の発言が真実なのだと思った。
だからといって彼の言葉を受け入れるわけではないにせよ、彼らがそれなりの覚悟でもって世界を救おうとしていることはわかった。
それで騎士団を認められるわけでもなんでもないのだが。
セツナは、シド・ザン=ルーファウスという人物が少しだけわかった気がした。