第千三百三十九話 不穏
サントレアを発したガンディア解放軍は、疾風の如く行軍し、一日足らずのうちにレコンドールに入っている。つまり、三十日にサントレアを発し、三十一日にはレコンドールに着いたということだ。通常ならば考えられないような行軍速度であり、この速度を維持することができれば、ガンディア本土に到達するのに半月もかからないのではないかともっぱらの話だった。が、もちろん、そんなに上手くいくわけもない。おそらく二十日前後はかかるだろうし、その間に戦闘が起きないとも言い切れなかった。レコンドールには、不穏な空気が流れていたからだ。
レオンガンドたちは、レコンドール到達直後、レコンドールの防衛に当たっていたイシカ星弓兵団と合流した。星弓兵団を率いるイルダ=オリオンと、弓聖サラン=キルクレイドは、同盟国ガンディアの窮地を無視することはできない、と、解放軍への参加を表明、星弓兵団は即刻解放軍の一員となっている。
サランは国には事後承諾を取るといい、場合によっては責任を取ることも辞さないといい、レオンガンドの心を激しく揺さぶった。
なぜそこまでして力を貸してくれるのかというレオンガンドの問いに、彼は涼やかに笑ったものだ。
「同盟国として、当然のことです」
その上で、彼はこうもいった。
「これまでガンディアには多大な恩義があります。陛下が中心となって行われた魔王討伐の戦、覚えておいでですか?」
「もちろん」
忘れられるはずもない。綱渡りの戦いだった。負けてもおかしくない戦いの連続であり、辛くも勝利することができたのは、セツナをはじめとする皆の活躍と、魔王ユベルの選択のおかげといってもよかった。ユベルがあのような選択を取らなければ、戦いは泥沼化し、ガンディアはクルセルクのために多くのものを失わなければならなかったかもしれない。そしてそれは、ガンディアのみに限った話では、ない。
「あのとき、魔王ユベルが軍を退き、ひとの世から姿を消さなければ、我がイシカも魔王軍の脅威に晒されていたかもしれません、イシカだけではない。小国家群全土が、魔王軍によって蹂躙されていた可能性だってあります」
「だから、ガンディアに力を貸す、と」
「ええ。それに同盟国ガンディアの窮地は、イシカの窮地でもあります」
彼は苦笑したものだ。
「ガンディアという強大な後ろ盾があるからこそ、イシカは大手を振って内政に尽力することができているのですから」
イシカは、南に隣接したメレドと犬猿の仲であり、常に領土争いのための小競り合いを続けているような間柄だった。小競り合いだけならばまだしも、本格的な戦いに発展することもしばしばで、そのためにイシカもメレドも国力を消耗し、内政に力を注ぐことができない日々が続いたという。そんな両国だが、ガンディアと同盟を結んだことで、両国間の争いは一時的にではあるものの停止した。両国は、ガンディアを通じて、一応、友好関係を結んでおり、それによってイシカもメレドも内政に注力することができているという話は、レオンガンドの耳にも届いていた。
メレドの王サリウス・レイ=メレドも、そのことを喜び、レオンガンドにメレド特産の花々を送りつけてきたことがあった。
理由はともかく、イシカ軍が合流したことで、解放軍の戦力はいや増した。
あとは、ベレル豪槍騎士団とジベル軍と合流することさえできればいいのだが、ベレル軍はシクラヒムに、ジベル軍はシールダールに入っているため、すぐさま合流というわけにはいかなかった。サントレア出発時、両軍に合流を願う書簡を届けたものの、それぞれの元に辿り着くのはまだ先の話だ。そして、両軍が合流に応じるかどうかの判断を下すのはさらに先のこととなるだろう。
もっとも、両軍が合流を拒否するとは考えにくい。ベレルはガンディアの属国だ。ベレルは、王女イスラ。レーウェ=ベレルを人質に差し出していることもあってなのか、ガンディアの命令には忠実だった。間違いなく合流してくれるだろうし、戦力となってくれるだろう。また、ジベルは同盟国だ。関係そのものも良好であり、マルディアでの戦いでは消極的だった彼らも、ガンディア本土の奪還においては尽力してくれることだろう。
レオンガンドはそんな風に考えていたのだが、サランからの情報によって、状況は一変した。
「なんだと……」
「なるほど」
「そういうことでしたか」
愕然とするレオンガンドの近くで、エイン=ラジャールとアレグリア=シーンは、ふたり揃って納得してみせるとともに、少し難しい顔をした。
レオンガンドたちがレコンドールに到達する少し前、レコンドールにマルディア政府の使者が訪れ、レコンドールを政府に明け渡すよう要請があったというのだ。イルダはサランに相談し、サランは、マルディア政府からの要請ということで、救援軍首脳陣の会議にかけ、それから判断を下すということで使者に伝えたということだった。使者はそれだけでは納得しなかったものの、引き下がるよりほかはないということで、マルディオンに去ったらしい。
「どういうつもりだ……?」
レオンガンドは、マルディア政府の考えが読めず、サランの目を見つめ、それから参謀局のふたりの室長を見やった。そのときだ。
「報告!」
星弓兵団兵士のひとりが、会議室に入ってきた。
「シールダールがジベル軍とマルディア軍によって占拠されました!」
「なんだと?」
レオンガンドは、愕然とその報告の詳細を聞いた。報告者は、星弓兵団の兵士であり、その兵士は、サランの命令によってシールダールの監視を行っていたのだが、シールダールに掲げられていたガンディア軍旗が突如として燃やされ、ジベル軍旗とマルディア軍旗が打ち立てられる瞬間を目の当たりにしたのだという。ガンディア軍旗は、救援軍の象徴として使われており、それが焼かれるということは、救援軍を離脱したことの表明といってもよかった。いや、離脱などというものではない。ガンディア軍に敵対する意思の現れと見るべきだった。
サランがシールダールを監視させていたのは、ジベル軍の動きが奇妙に思えたからだといい、監視者たちからの報告に、彼は納得の顔を見せた。サランの勘が正しかったということだ。
「まあ、これくらいはしてくるでしょうね」
エインが予想通りとでもいいたげな顔をした。若い軍師候補は、ナーレスが認めるだけあって頼りになる。
「どういうことだ?」
「ジベルもマルディアも、ジゼルコート伯の息がかかっていたのでしょう」
「馬鹿な……」
「つまり、マルディア救援の戦いさえ、ジゼルコート伯が仕組んだということか?」
アスタル=ラナディースが問う。解放軍の行軍の指揮を取っているのは彼女だ。そしてその疾風の如き行軍速度は、飛翔将軍の面目躍如というべきかもしれない。
室内には、アスタルほか、大将軍、副将二名、大軍団長二名に加え、メレド白百合戦団長アーシュ=イーグインなどが顔を揃え、皆、難しい顔を浮かべていた。状況が状況だ。明るい表情などしてはいられまい。
「それどころか、マルディアの反乱さえもジゼルコート伯の手の内だったのかもしれません」
「反乱が起きたのは半年以上も前のことだぞ? そのころから、謀叛を企てていたということか?」
「謀叛自体、もっと以前から企てていたと見るべきでしょう。半年やそこらでジベルやマルディアを籠絡できるとは思えませんしね」
エインが、饒舌に語る。
「ガンディア軍の主力を王都から、いえ、ガンディア本土からできるかぎり遠ざけ、その隙に王都及び本土を奪う。さらに我々に王都で反乱が起こったという情報が入った後の行動も制御するべく、ベノアガルドの騎士団を利用した。騎士団の追撃がなければ、我々は全戦力をガンディア本土奪還に向けることができるわけですからね。そういう状況を避けるべく、巧妙に仕組まれている。ジゼルコート伯は、戦術家としても大成したかもしれませんよ」
エインのジゼルコート評に、レオンガンドは眉根を寄せた。優れた政治家が優れた戦術家になることなど、ありうるのだろうか。逆はあるかもしれない。ナーレスは優れた戦術家であると同時に、優秀な政治家でもあったからだ。しかし、政治家から戦術家に転身した例をレオンガンドは知らなかった。
単純にジゼルコートが例外だということかもしれないし、その可能性は大いにあるのだが。
「ベレル軍も、抑えられているとみるべきでしょう」
アレグリアが、いう。
「ベレルが?」
「王都を抑えられたということは、イスラ姫も抑えられたということ。ベレルとガンディアの関係は、イスラ姫という人質によって結ばれたもの。イスラ姫を抑えられたということは、ベレルが敵に回ってもおかしくはないということです」
「つまり、ベレル軍との合流は考えないほうがいいということだな」
「はい」
「ふむ。では、このままマルディアを脱するか」
ジゼルコートを討つには、この戦力でも十分ではあるはずだった。いくらジゼルコートが私設軍隊を整えているとはいえ、個人で集められる戦力など限りがある。武装召喚師を何名か抱えているということだが、優秀な武装召喚師ならばこちらには数えきれないほど存在する。もちろん、敵はジゼルコートの軍のみではない。デイオン率いるクルセルク方面軍がジゼルコートに与し、ルシオン軍も敵に回った。それらを撃破しなければ、ジゼルコートに到達することなどできないのだ。
そのための合衆軍であり、解放軍なのだ。
「このまま済めばいいのですが、そういうわけにもいかないでしょう」
アレグリアが長い睫毛を伏せるようにして、いった。
「まずはマルディア軍がどう出てくるか」
「ふむ……」
マルディア軍はジベル軍とともにシールダールを占拠し、レコンドールの明け渡しを要求してきている。マルディアがガンディア解放軍の敵となったのは明らかだ。
レコンドールは、マルディア領の中心にあるといってもいい。ここからマルディア領から抜け出すには、南東――つまり、王都マルディオン方面に進むしかない。厳密にいえば、マルディオンとシールダールの間を抜けるということだ。シールダールのジベル軍、マルディア軍、マルディオンのマルディア軍の出方次第では戦闘になるかもしれない。アバード領までの最短距離がそれであり、急ぎガンディア本土を目指すのであれば、そこを進むしかなかった。
王都マルディオンを西に大きく迂回するという手もないではないが、西のシールウェールもマルディア政府軍が入っている以上、同じことだ。ならば、最短距離を突き進むしかない。
解放軍の進路を定めるための会議は、そのように終了した。
(ユグス王……なにを考えている)
会議室にひとり残されたレオンガンドは、瞑目し、ユグスの顔を思い浮かべた。
なにを考え、ジゼルコートに与したのか。
レオンガンドには、皆目見当もつかない。
ユグス・レイ=マルディアは、賢君といわれる。国民の声に耳を傾け、国民にとって必要な政策だけを施すという点で紛れもない名君であり、マルディア国民がマルディア王家、マルディア政府を支持するのも当然というべき状況だった。反乱が起き、反乱軍が王家を糾弾しても支持率に大きな変化がなかったのは、それだけユグス王が国民に支持されていたからであり、ユグス王が積み上げてきたものの大きさ故といってもよかった。
ユグスは、常に国民の目線に立って、物事を見ることができるのだろう。レオンガンドには到底真似のできないことだし、尊敬すらしている。ユグスほど国民のことを第一に考えている王など、そういるものではない。
だからこそ、わからないのだ。
ジゼルコートに与し、レオンガンドと敵対することがマルディアの国民にとって最良の結果になるとでもいうのだろうか。