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第百三十三話 遠雷

「ハルベルクよ。おまえはあの男をどう見る」

 ハルワール・レイ=ルシオンが、あの男という言葉を使ってレオンガンド・レイ=ガンディアのことを語るのは、親子ふたりきりのときだけだった。ほかにだれかがいれば、レオンガンド王やレオンガンド陛下、あるいはガンディア国王、盟主などという言葉で彼を指し示した。

 ハルワールがレオンガンドに並々ならざる嫌悪を抱いているのは、ハルベルクから見れば明らかだった。レオンガンドの幼少期からだ。シウスクラウドの血を引いているとは思えない、思いたくない、というのが毛嫌いする理由らしい。

 ガンディアの先王シウスクラウドは、ハルワールにとっては親友であり、戦友でもあったらしい。轡を並べ、ともに夢を語り合った仲間だった。だからガンディアと同盟を結んだのだという。そして、シウスクラウドに英雄を見た。彼ならば諸国を切り取り、ガンディアという小国を強大な国へと変えていくだろうという確信があったのだ。しかし、シウスクラウドは原因不明の病に倒れ、英雄の夢は終わった。

 跡を継ぐべきレオンガンドは暗愚とされた。“うつけ”と誹られ、ガンディアの未来は闇に閉ざされたというものもいた。

 ハルワールもまた、そんな俗説を信じたひとりだ。ただし、ハルワールの場合は、誹謗中傷に踊らされたわけではない。ハルワールは子供の頃からレオンガンドを知っていたし、彼が利発なのも知っていた。それでも、受け入れられなかったのだろう。親友が倒れ、その跡を継ぐには器が違いすぎたのだ。とはいえ、その器もハルワールの想像上のものでしかない。病床のシウスクラウドしか知らないハルベルクにとっては、レオンガンドの英気溌剌とした姿のほうが印象に強かった。

義兄上あにうえは、夢を懸けるに値する御方です」

 ハルベルクは、父の濁った目を見据えながら答えた。生気を失いかけた目は、しっかりとハルベルクを見ているものの、彼自身を認識しているのかはわかりにくい。

(父も老いた……)

 妄言のように繰り返されるレオンガンドへの悪意に満ちた言葉を聞くたびに、ハルベルクは実感するのだ。ハルワールは年老い、若いころのような溌剌とした風貌からは想像もできないほどの人物になってしまった。しかし、だからといって失望するほどではない。ハルワールはまだ自分を見失ってはいなかったし、立場も理解していた。ルシオン国王である自分を意識していた。

 それが失われ、人々の面前でもレオンガンドへの悪意を口にするようになれば、同盟関係に亀裂が入るかもしれない。リノンクレアがいるとはいえ、その絆もどこまで持つものか。

 国王の意思ひとつで踏みにじられるのが、約束というものだ。

 ハルワールが、眼窩の奥で目を光らせた。

「おまえの夢をか」

「はい」

「こんな時代に生まれたのだ。野心のひとつ、夢のひとつも追いかけてみるのも悪くはあるまい。が、忘れてはならんぞ。王家の務めとは、国を守り、民を安んずること。国や民を犠牲にしてまで夢を追いかけるようなことだけはあってはならん」

 ハルワールは、夢を諦めた男だ。ルシオンという小国を守るために全身全霊を注ぎ、人生を捧げてきた。それはこれからも変わらないのだろう。死ぬまで、父は王として国を守り、民を安んじようとするのだろう。それがハルワール・レイ=ルシオンという生き方なのだ。

「はい。心がけておきます」

 ハルベルクが首肯すると、ハルワールは少しだけ寂しげな表情を浮かべた。その理由は、ハルベルクにはわからなかった。


 遠雷が聞こえるようだ。

 遠く鳴り響く雷音が、まるで終わりの訪れを告げるようでもある。

(いや、始まりか)

 耳朶を叩いた雷鳴によって、ハルベルクは夢から覚めた。夢の中での父との対話は、いつも後味が悪いものを残した。それは、ハルベルクの尊敬するレオンガンドが父によって否定され、拒絶されるからだ。ハルワールのレオンガンド嫌いは筋金入りで、子供の頃からよく聞かされたものだ。

 そんな父ですらガンディアとの同盟を捨てることはできない。感情よりも国益を優先するのだから当然だが、レオンガンドの妹であるリノンクレアとは上手くやっているのがハルベルクには不思議だった。リノンクレアは自他ともに認めるレオンガンド好きだったし、彼女といれば、レオンガンドの話題が出ないことはないはずだった。それなのに、ハルワールはリノンクレアといるときは笑顔を絶やさなかった。レオンガンドを誹るときとは別人のようで、もうひとりのハルワールがどこかにいて、状況によって交代しているのではないかと思うほどだった。

「随分と長い夢を見ていたようで」

 対面に座ったリノンクレアが、たおやかな笑みでハルベルクを見ている。軍用馬車の中。窓の外に流れる景色は、ルシオンの荒野ではなくなっている。空は暗く閉ざされ、いまにも降り出してきそうだった。雷鳴は遠い。が、いずれその地に至るかもしれない。

 揺れは激しく、かなりの速度で走っていることがわかる。そんな中でも寝ていられるのだから、余程疲れが溜まっていたのだろう。

「悪夢だよ」

 ハルベルクは答えると、もう一度まぶたを下した。

 馬車は、一路マイラムに向かっている。ルシオンの首都セイラーンからガンディア領マイラムに向かう最短進路は、アザーク領を通ることだが、もちろん、同盟国であるガンディア国内を通過したほうが安全だし、確実だった。アザークはガンディアに対して敵対心を抱く一派と、和平を望む一派が激しく対立しているらしく、少し前に起きた反ガンディア派の暴走による軍事行動は、アザーク国内を騒然とさせたという。

 そういうことがあろうとなかろうと、ルシオンの人間はガンディアルートを辿るのが普通だ。ガンディアは同盟国だし、治安もいい。国境近くの山賊騒ぎは収まったと聞くし、交通の便は日に日に良くなっている。それにリノンクレアはガンディア王家から輿入れしてきたのだ。彼女の故郷を通るのは、ハルベルクとしては当然の選択だった。

「疲労が溜まっておいでなのです。移動の間くらいは、休んでください」

「ああ、そうさせてもらうよ」

 リノンクレアは、そういいながらも、ハルベルクの身を心配してはいない。いい女だ、と思う。不安も心配も胸の奥にしまい込んでいる。かといって気丈に振る舞うのでもなく、ごく普通にあろうとしている。だからハルベルクは彼女を愛し、妻に迎えた。ゆくゆくはルシオンの王妃となり、国母となって支えてくれるだろうことも見越していた。

 瞑目したまま考えるのは、マイラムにいるのであろうレオンガンドのことだ。彼はガンディアの王でありながら、王都に留まっていられるほど悠長な人物ではない。ハルベルクからすれば、常に動き回っているという印象がある。そうでなければ、国を大きくすることなどできはしないのだろうが。

 その、レオンガンドの元へ向かっている。

『ザルワーンとの決戦に向けて援軍を寄越して欲しい』

 要請は突然だったが、ルシオン側の準備はとっくに整っていた。いつ要請がきても即座に出撃できるように手配していたのだ。リノンクレアの手前もあるし、いつなにが起こるのかわからないというのは、レオンガンドからいわれていたことでもあった。遅れは取りたくなかった。

 白聖騎士隊五百騎に五百名の精鋭、合わせて千名からなる軍勢が、ハルベルクに率いられてセイラーンを出発したのが九月七日のことだ。早ければ十二日にはマイラムに着くだろう。それまではゆっくりとしていられる。政務に追われる心配もない。これも公務のひとつだ。

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