第千三百三十六話 夢護る者(四)
ガンディア解放軍と呼称する合衆軍の最後尾に王立親衛隊《獅子の尾》を当てたのは、なにもその名称からではあるまい。《獅子の尾》の戦闘能力は、他の部隊の追随を許さない。殿軍として持って来いということだ。もし、セツナが倒れ、サントレアが突破され、騎士団が解放軍に食らいついた場合、《獅子の尾》が殿軍を務めるということなのだ。《獅子の尾》には、レムとラグナ、ウルクも組み込まれている。
エミル=リジルとマリア=スコールも、いる。軍医が戦闘部隊を行動をともにするのは危険だが、戦闘状態でもないのだ。部隊として行動したいというマリアたちの考えもわからないではない。
「隊長殿、いっても無駄だろうけど、いわせてもらうよ。無茶はしないでくれ」
マリアは、大柄な体にいつもの白衣を羽織っていた。ひとつに束ねた金髪が揺れ、視界を彩る。
「わかってる」
「はあ……」
「なんだよ……」
セツナは、マリアの深いため息に憮然とした。
「隊長殿のいうわかってるってのは、わかってないのと同義だからねえ」
「んなことねえよ」
「無茶ばかりしといてそんなこというんだから世話ないよ」
「うう……」
セツナがうめいたのは、図星以外の何物でもなかったからだ。無茶ばかりしているという自覚はあるし、体調の管理や傷の手当などを一手に引き受けている彼女には、よくわかることなのだろう。ここのところの戦いでは大きな怪我をすることもなければ、能力を使えないこともあって、自分の体を斬りつけて転移するということもなかったため、それほどマリアに心配をかけるようなことはなかったはずだ。それでも、これまでの積み重ねが彼女を不安にさせ、心配させるのだろう。
「怪我したら、マリア=スコール印の傷薬をしっかりと塗りこむんだよ。なにもしないよりは遥かにましだからさ」
「ああ、そうするよ」
「それだけしかできないのがつらいところだけど、まあ、無事に帰還したときだね」
「なにがだ?」
「秘密」
マリアはなにを企んでいるのか、ほくそ笑んでセツナの前を離れていった。エミルがおずおずと声をかけてくる。
「セツナ様、どうかご無事で」
「エミルこそ、無事でな」
「はい!」
「皆のこと、頼んだ」
「はい、任せてください!」
威勢よくうなずいたエミルの後に続くのは、ルウファだ。《獅子の尾》の隊服を身に纏う彼は、いつもよりも随分と精悍な面構えをしていた。緊張でもしているのかもしれない。
「隊長、どうかご無事で」
「ああ、ルウファこそ。俺のいない間、隊長代理はおまえなんだからな」
それは、いつものことだ。ルウファは《獅子の尾》の副隊長であり、隊長不在の間、隊長の代理を務める立場にある。領伯に任じられて以来、セツナが隊長としての職務を放棄せざるを得ないときがままあり、そういう場合、ルウファが隊長代理として《獅子の尾》を率いたものだ。
「ええ、もちろん、頑張りますよ」
「うん。頼んだ」
「はい。頼まれました」
「じゃあ、ガンディオンで」
「ガンディオンで」
それだけで、ルウファとは別れた。
簡素な、しかし、確かに心の通い合った挨拶だと、セツナは想った。
ルウファがエミルに駆け寄るのを見ていると、ミリュウが近づいてきて、うめくようにいってきた。
「納得できない」
予想通りの反応に内心吹き出しそうになりながら、セツナは彼女の顔を覗き込んだ。不満と不安が入り混じった表情は、彼女の感情をそのまま反映している。嬉しくもあるが、同時に困りもする反応だった。だから、というわけではないが、つとめて優しい声色を出す。
「納得しなくていいさ」
「じゃあ、残る」
それもまた、予想通りの返事だった。首を横にふる。
「それは駄目だ」
「どうしてよ!」
「ミリュウは戦力だからな」
「あたしは!」
ミリュウが、自分の胸に手を当て、叫ぶようにいってくる。感情の激発。彼女が怒るのも無理はない。彼女に一言の相談もなしに決めたことだ。それも、上からの命令ではない。セツナ自身が提案し、決まったことなのだ。話し合う時間くらいならば、設けられたかもしれない。そういうことが、彼女を怒らせているのではないか。セツナはそんな風に考えたのだが。
「セツナがいるから、ここにいるのよ。《獅子の尾》に。ガンディアがどうなろうとしったことじゃないし、ガンディアなんかよりセツナのほうが何倍も、何十倍も大事なのよ」
それは、彼女の本音なのだろう。嘘偽りのない、正真正銘の本心。確かに、ミリュウにしてみれば、ガンディアのことなどどうだっていいのだ。彼女がガンディアに属しているのは、セツナが彼女の心の拠り所であり、居場所だからだ。それは、彼女にいわれずとも知っている。ミリュウがセツナに依存しているのは、だれの目にも明らかだ。そういう想いは、セツナにも痛いほど伝わってくる。
セツナとセツナの周囲以外の人間など、彼女にとってはどうでもいい存在のようだった。だから、国がどうなろうと関係がなく、セツナが無事でさえあればいいというのだ。
セツナが死地に赴くことを許せないのは、そういう理由だ。
「ありがとう」
「へ……!?」
「そういってくれるのは、嬉しいよ。本当に」
「セツナ……」
ミリュウが目を潤ませる。その青い瞳を見つめながら、セツナは言葉を続けた。
「でも、ガンディアが俺の居場所なんだよ。ガンディアがなくなったら、俺の居場所もなくなるんだ。俺の居場所がなくなったら、ミリュウはどうだ?」
「ど、どう……って。困る……かな」
「だろう。だから、ミリュウには俺の居場所を取り戻しにいって欲しいんだ」
「それは……うん。わかるよ。でも、でもさ!」
前のめりになって反論してくるミリュウだったが、横から別の声が入り込んでくる。
「はいはいそこまで。いつまでも愚痴愚痴いってる場合じゃないわよ」
ファリアだ。
ミリュウがファリアを振り返った。ファリアもまた、《獅子の尾》の隊服を身に着けている。
「ファリアだって、納得してなかったじゃない!」
「納得したわよ」
「嘘よ!」
「本当よ。納得して、理解して、認識して……うん、色々いいたいことはあるけど、いまは我慢するわ。だって、セツナが決めたことだもの。決まったことだもの。いまさらなにをいったって、仕方がないでしょ」
ファリアが肩を竦めて、いう。本当に色々いいたいことがあるのだろうということは、彼女の複雑な感情の入り混じった表情を見るだけでわかった。そんな彼女に一瞥されて、セツナは苦笑いを返すしかない。いまは、そう、仕方がないのだ。彼女がいうとおり、決まったことだ。決めたことだ。軍は既に動き出していて、もはやどうすることもできない。
ミリュウが残ることくらいはできるかもしれないが、解放軍の戦力低下を考えると、推奨できることではない。
ミリュウは、信じられないといったような顔をして、ファリアに食って掛かった。
「仕方がないって、そんなことでいいの!?」
「だって、仕方がないことだもの。いまさらよ」
「いまさら……って」
愕然とするミリュウに対し、セツナは回答の予想ができる質問をした。
「ミリュウは、俺のこと、信用できないのか?」
「信用してるわよ! セツナがだれよりも強いってことくらい、わかってるわ。でも、相手は騎士団なのよ。十三騎士の強さは、セツナだってよく知ってるでしょ。それが何人も攻め寄せてきたら、さすがのセツナでも対処しきれないでしょ!」
「四人も五人も同時に相手にするのはきついが、まあ、ひとりふたりならなんとかなる」
「四人、五人が同時に攻め込んできたらどうするのよ」
「そのときはだな、尻尾を巻いて逃げるさ」
冗談めかしく告げると、彼女は半眼になった。
「逃げないくせに」
「はは……」
「笑い事じゃないわよ! もう……」
「ミリュウ。なにをいっても無駄だって、わかってるでしょ」
「うう……納得出来ないなあ。なんでよ」
肩を震わせるミリュウの様子に、セツナはなんともいえない気持ちになる。今日に至るまで、彼女がここまで駄々をこねたことがあっただろうか。セツナの記憶には、ない。セツナの扱いに対する不満や愚痴は散々聞かされたものだが、これほどまでの反応はなかったはずだ。
それだけ、十三騎士が強敵だということを彼女自身がよく理解している、ということにほかならない。
もし、十三騎士と戦ったことがなければ、余裕で持ってセツナを応援し、激励してくれただろう。
「なんでセツナばっかり、こんな目に遭うのよ」
「それは、御主人様がそれだけ信頼を勝ち得ているからでございましょう。そして、御主人様が比類なきお力の持ち主で、ガンディアにおける最大の戦力だからではないか、と」
などといってきたのは、レムだ。いつもの使用人の格好をした死神は、相変わらずの微笑みを湛えていた。レムもセツナのことを心配してくれたものだが、主の命令に従うのが下僕ということもあり、飲み下してくれている。
「レム……あなたは、それでいいの?」
「わたくしは御主人様の命令に従うのみでございます」
「ふーん……その結果セツナを失うことになっても、いいんだ?」
「良くはございませんが、御主人様が望まれることが第一でございます故」
レムは、ミリュウにどのような目を向けられても、いつもの笑顔を崩さない。
「それに、御主人様の命こそ、わたくしの命。御主人様の死はわたくしの死。わたくしのためにも、御主人様には生き残ってもらわなくてはなりません」
「だから、いっただろう。俺は生きて帰るさ」
「……信じてるよ。でもでも、それとこれとは――」
「はい、おしまい」
「おしまい、じゃない!」
話を終わらせようとするファリアに、ミリュウが食って掛かる。
「もう、いいでしょ。セツナも困ってるわ」
「ファリアはなんでそんなに大人なのよ!」
「大人だからでしょ」
「どうせあたしは子供よ!」
「年齢的には一番大人なはずなのにね」
「年齢のことはいわない!」
「はいはい」
ファリアは取り合わず、笑ってみせる。そんな彼女の反応にミリュウは憤然とする。
「あーもう! どうしたらいいのよ!」
「どうもこうもないさ。信じてくれよ、俺を」
「だから、信じてるっていってるでしょ。それに、セツナの居場所を取り戻すっていうのも、わかったわ。でも、あたしは――」
「セツナはひとりではないぞ、レヴィアの末孫よ」
突如として頭上から降ってきた声の迫力に、セツナは身震いした。
「へ?」
きょとんとするミリュウとともに頭上を仰ぐと、グリフの巨躯が南門付近にまで近づいてきていた。成人男性の数倍の巨体を誇る巨人は、ぎょろりとした大きな目でこちらを見下ろしている。端正な顔立ちも、巨大さの中では違和感でしかない。
「我もいる」
「グリフ……?」
「一緒に戦ってくれるのか?」
セツナが問うと、彼は静かにうなずいた。グリフがセツナに協力してくれるというのは、想定外のことではない。彼はサントレア解放後、セツナに向かっていったものだ。旧友との約束故、と。旧友とはアズマリア=アルテマックスのことであり、なぜアズマリアが彼にセツナの援護を要請したのかは見当もつかないものの、彼の助勢がありがたかったのは事実だ。そして、アズマリアとの約束が、セツナの援護ならば、サントレア解放後であっても、セツナとともに戦ってくれるかもしれないという考えは、あった。
だから、ひとりで残る、などと言い放つことができた、というのもある。
もし、巨人というあてがなければ、レムくらいは残すことにしたかもしれない。
「騎士団といったか。あやつらとの戦い、中々に楽しめそうではある」
「ということらしい」
「確かにグリフが力を貸してくれるってんなら頼もしい事この上ないけど、信用できるのかしら」
「するしかないさ」
「そう……ねえ」
「なんだかとても心強いわね」
「最悪、あいつを盾にしてでも逃げなさいよ」
「あ、ああ」
ミリュウの耳打ちに、セツナは、苦笑するしかなかった。本気でいっているわけではないのだろうが、これまでの彼女の様子を鑑みるに、本気でそう考えていたとしても、なんら不思議ではなかったからだ。もちろん、本心ではあるまい。
「納得は、できたか?」
「セツナひとりを犠牲にするってやり方になら納得しないけど、グリフが協力してくれるみたいだし、それなら、まあ、納得してもいいわ」
「そうか。良かった」
「良くはないけどね!」
ミリュウの怒声に、セツナは肩を竦めた。確かに、いいことではないかもしれない。
「では、御主人様。どうか、ご武運を」
「必ず、生きて帰ってきてね」
「そうよ、必ずよ!」
「約束する」
「約束破ったら、承知しないからね!」
「わかってるよ」
セツナは笑いながらうなずいて、ミリュウたちが門を急いで潜るのを見送った。ウルクだけがその場に残っている。ミドガルドは馬車に乗って移動しているはずだ。
「セツナ、護衛できなくて申し訳ありません」
「いや、当然の判断だ」
セツナは、ウルクの目を見つめながらいった。淡く発光する魔晶石の目は、いつ見ても美しい。美しいのは目だけではない。完璧な容姿は、絶世の美女といっても過言ではなかった。ひとの手によって作られた美貌。よく見れば、作り物の美しさだということがわかるが、それもまじまじと見つめてようやくわかるという次元であり、とてもよく作られている。
彼女が申し訳ないといってきたのは、ミドガルドとともにサントレアを離れなければならなくなったからだろう。ウルクの躯体を点検し、調整することができるのがミドガルドだけである以上、ミドガルドがサントレアを去るというのであれば、ウルクもまた、サントレアを去らないわけにはいかない。セツナの護衛を優先したいというウルクの意向は、ミドガルドによって否定された。
ミドガルドは、ガンディア解放軍とともにガンディア本土まで移動することになったのだ。ミドガルドは神聖ディール王国からの客人であり、彼をサントレアに残すことなどできるわけもなかった。そうなれば、ウルクも当然、残れない。
セツナは当初からウルクも解放軍に参加することを望んでいたため、なんとも想っていないのだが、ウルクとしては無念らしい。
やはり、彼女には勘定があるのだろ。
「皆のことを助けてやってくれ」
「命令として認識します」
「ああ、頼む」
セツナが告げると、ウルクは小さくうなずき、セツナの前から去っていった。