第千三百三十四話 夢護る者(二)
ケルンノール・クレブール領伯ジゼルコートの謀叛がサントレア中に広まったのは、軍議が終了した後のことだった。ジゼルコートの反乱によって王宮が落ち、すぐさま王都まで陥落したという話は、瞬く間に拡散し、救援軍中に動揺が広がった。さらにはマルダール、バルサー要塞までもがジゼルコート軍の手に落ちたということが知らされると、ガンディア軍の軍人たちは驚愕し、凄まじい衝撃を受けたのだった。しかも、左眼将軍デイオン=ホークロウ、国王側近エリウス=ログナーがジゼルコートに加担し、ハルベルク・レイ=ルシオン率いるルシオン軍がジゼルコートに同調しているという話まであり、その衝撃たるや想像を絶するものがあったに違いない。
動揺が拡大する中、救援軍の解散が発表され、ガンディア解放軍として再編成されることとなった。解放軍には、ガンディア軍以外にも同盟国ルシオンの白聖騎士隊、メレドの白百合戦団が参加を表明した。白聖騎士隊には、ルシオン軍の動向が伝わってきておらず、故に隊長のリノンクレアの考えのままにガンディア解放軍に参加する運びとなったのだ。メレドは、ガンディアの同盟国ということもあり、また、ガンディアに貸しを作っておきたいということから、そのまま解放軍に参加したようだった。
救援軍にはほかにベレルの豪槍騎士団、イシカの星弓兵団、ジベルの黒き角戦闘団が加わっていたのだが、現在、それぞれマルディアの都市の防衛に当たっており、合流次第、参加を要請する予定ということだった。
そして、サントレアの北から騎士団が迫っているという情報が広まると、サントレアの防衛や殿軍はどうするのかという話になり、物議をかもしかけたが、セツナひとりがそれに当たるということが判明すると、将兵たちはただひたすらに驚いたという。
「まあ、俺も考えてはいたんですけどねえ」
軍施設内を歩きながら、エインが口を開く。
軍議を終え、救援軍の解散と解放軍の結成が発表されたことで、マルディア軍施設内は天地をひっくり返したような騒ぎになっていた。なにせ、今日中にサントレアを脱し、レコンドールに急行しなければならないのだ。兵士たちが慌てふためくのも当然だろう。
「俺に任せるってこと?」
「セツナ様個人に、ではなくて、セツナ軍とか、《獅子の尾》に殿軍を任せようかと」
エインが片目を瞑っていたずらっぽく笑ってきた。軍議の場でも、そのようなことをいってきていたことを思い出す。
「ガンディア方面を取り戻すには、多大な戦力が必要です。敵はジゼルコート軍のみではありませんし。ルシオン軍、クルセルク方面軍まで敵に回ってますからね。それに、おそらくはアザークとラクシャもジゼルコートに同調し、戦力を派遣していることでしょう」
「なるほど」
アザークとラクシャは、ガンディアに従属を誓った国だが、誓わせたのはほかならぬジゼルコートであり、ジゼルコートがこの度の謀叛のためになんらかの約定を交わしていたとしても、なんら不思議ではないように思えた。エリウスやデイオン、ハルベルクでさえ、ジゼルコートについたのだ。ジゼルコートと直接交渉したアザーク、ラクシャが通じていてもおかしくはなかった。
「そのための戦力ならばセツナ様おひとりでも十分なんでしょうけど」
「十分、とは言い難いかな」
敵武装召喚師の数や能力によっては、黒き矛でも押されかねない。黒き矛は圧倒的に強力だが、たかが召喚武装なのは間違いないのだ。戦えば戦うほどセツナは消耗し、消耗し尽くせば、使い物にならなくなる。仲間とともに戦うならばまだしも、ひとりならば、そのような状況にもなりやすい。
「十分、でしょう。おそらく。万魔不当のセツナ様ならば、きっとやってのけますよ」
「うん」
「ですが、そのために何千の将兵、何十人の武装召喚師を犠牲にするのは、考えものなんですよね」
騎士団を足止めするためには、それ相応の犠牲が必要だ。それこそ、解放軍の四分の一でも置いて行かなくてはならないだろうし、多数の武装召喚師を投入しなければ、十三騎士を足止めすることなど不可能だ。一時的に足止めすることができたとして、全滅は必至。損害たるや想像もつかない。
「だから、セツナ様を始めとする皆様方に任せようかとも思ったのですが」
「ジゼルコート伯の軍勢には武装召喚師がいるんだ。ルウファの師匠とかさ。手強い相手なんだ。十分な戦力が必要だ」
ルウファの武装召喚術の師グロリア=オウレリア。ミリュウの知人であり、魔龍窟出身の武装召喚師アスラ=ビューネル。そして、かつてガンディア軍とともに魔王軍と戦った《大陸召喚師協会》のオウラ=マグニス。思いつくだけでも三人の武装召喚師がいて、それがジゼルコート軍の全戦力ではないのだ。ルシオン軍にも武装召喚師はいるだろうし、ほかの軍勢にだっているだろう。王都に残った術師局の武装召喚師たちも敵に回っている可能性も、ないではない。
サントレアに《獅子の尾》やセツナ軍を残すのは、解放軍の戦力の著しい低下を示すのだ。
「だからといって、なにも御主人様おひとりで当たられなくともいいじゃなりませんか」
「そうじゃそうじゃ。わしら下僕をこき使っても良いのじゃぞ?」
「そうです。セツナ」
レムの発言にラグナ、ウルクが追従する。レムたちは、司令室の外で軍議が終わるのを待っていたのであり、ラグナの耳の良さから軍議の内容はすべて筒抜けだったらしい。司令室を出た直後、レムたちに詰られたものだった。
「そうですよ。レムさん、ラグナさんも残されてはいかがです?」
エインがウルクについて言及しなかったのは、ウルクが神聖ディール王国の所属で、ミドガルド=ウェハラムのことが念頭にあるからだろう。ウルクについては、ミドガルドの考えが優先される。
「駄目だ」
セツナは、振り返りもせずに告げた。
「なにゆえでございます?」
「なにゆえなのじゃ!」
「おまえらは貴重な戦力だろ。ガンディアの奪還に全力を注ぐべきだ」
「ですが……」
「むう……」
「それに、レムは俺と命が繋がってんだ。おまえが生きてる限り、俺が生きてることの証明になる。皆を安心させることができるってわけさ」
「それは……そうでございますが」
レムは、渋々と納得したようだった。レムは、セツナから供給される生命力によって生かされている。セツナが死ねばレムも死ぬのだ。逆をいえば、レムが生きているということは、セツナもまた、生きているということであり、彼女の存在がセツナの生存を確信させるはずだ。
セツナは、サントレアで死ぬつもりなどはない。
「ただひとつ、注意してください」
「注意?」
「俺の考えでは、この騎士団の攻撃は、ガンディア軍の戦力を一部でもこの地にとどめておくためのもの。ジゼルコートの策だということです」
「ああ、それは聞いたよ」
ベノアガルドがジゼルコートと通じているのだろうという推察については、軍議の場において聞かされている。謀叛の報せが入るのと騎士団の侵攻の時期があまりにも合いすぎている。前もって示し合わせていたとしか考えられないほどの時機。
「そして、おそらく、ですが、ジゼルコートの狙いは、この地にセツナ様こそ留めておくというものでしょう」
「俺を……」
「ジゼルコートにとっても、セツナ様は恐ろしいんですよ。逆を言えば、セツナ様さえいなければなんとでもなると考えている。それだけの戦力は整えていると考えるべきなんでしょうね」
「だからこそ、俺以外の全戦力で事に当たらなきゃならないってことだろ」
「ええ。そうなります」
エインが静かに頷く。
「そういうことから考えると、騎士団は多分、本気では攻撃してこないでしょう」
「どういうことだ?」
「セツナ様を引き止めることが本命なのですから、セツナ様がサントレアに残留し、ひとりで殿軍を務めていることがわかれば、セツナ様が我々と合流しないよう、適度に攻撃するだけでいいんですからね。騎士団としても、無駄に損害を出したくはないでしょうし」
「なるほどな。つまり、俺が危険に晒される可能性は、低いと見ていいんだな」
「俺の予測では、ですが」
「エインがいうんだ。間違いないな」
「そういわれると、なんともいいようがありませんね」
エインが困ったような笑顔を浮かべた。
「それが事実であれば、わたくしどもも安心なのでございますが」
「そうじゃのう」
レムとラグナはそれでも心配そうにいってきた。ふたりの心配は痛いほどわかる。相手は十三騎士で、強力無比だ。セツナと黒き矛がいかに強いとはいえ、数で押されれば、圧倒されかねない。そういう状況を目の当たりにしているのがレムとラグナなのだ。
セツナは、歯噛みした。彼女たちを不安がらせているのは、結局のところ、自分自身の弱さが原因なのではないか。もっと強ければ、彼女たちにも安心してもらえるはずなのに。
「セツナアアアアアアアアアアアア!」
青空の下、突如として響き渡った甲高い叫び声に、セツナは両耳を塞いだ。前方、セツナたちの宿舎から全速力で駆け寄ってくる人物が見える。赤い髪を振り乱し、胸が弾むのもおかまいなしの全力疾走。ミリュウだ。
「どおおおおおいううううううううううことよおおおおおおおおおおお!?」
あらん限りの大声を発しながら接近してきた彼女は、セツナに激突しそうなところで急停止し、セツナの両肩に手を置いた。強く掴まれる。指先が食いこむほどの握力。彼女の感情の高ぶりが伝わってくるほどだった。予想以上の反応だった。
「どういうこと!? ねえ、どういうことなのよ!?」
「聞いたんだろ? だったら、そういうことだ」
「どうしてなの!? どうして、セツナひとりなのよ!」
ミリュウの叫びは、慟哭に近い。怒りとか悲しみとか、様々な感情が綯い交ぜになった叫び声。間近だ。耳に響くが、今度は、耳を塞いだりはしなかった。
「そこは愛しいミリュウちゃんとふたりきりで、って提案するところでしょ!?」
「そこかよ」
セツナは、ミリュウの発言に肩をこけさせかけた。
「いまの冗談だけど、でも、本当なの?」
「ああ」
「どうしてそうなったのよ……」
セツナの肩から手を離した彼女は、嘆息とともに肩を落とした。それから、エインを睨む。
「エインの仕業ね」
「違う。俺みずからが進言したんだよ」
「なんでよ」
「ほかに妙案がない」
セツナが素直にいうと、彼女は呆れたような顔をした。そして、あっけらかんと言い放ってくる。
「マルディア軍に任せりゃいいじゃない」
「ここはマルディアの土地よ。騎士団に攻め込まれたっていうのなら、マルディア軍が迎撃に当たるべきで、あたしたちには関係ないわ」
「なるほど。そういう考え方もありますね」
「なるほどじゃないわよ。軍師候補っていうんなら、それくらい考えなさいよ」
ミリュウの不満は、セツナにも理解できないものでもなかった。が、エインならばその程度のこと考えていないはずもない。ガンディアのためだけを思うのであれば、マルディア軍にすべてを押し付けるという方法を取れないわけでもないだろう。しかし、それでどうにかなるような状況では、無い。
「あのなあ、ミリュウ」
「なによう」
「俺たちはそのマルディアを救援するためにここまできたんだぞ。都市を全部取り戻したからそれでおしまい、あとは勝手にしてね、なんていう理屈、通るかよ」
「通るわよ」
ミリュウが、ずいと体を前に押し出しながらいってくる。
「通らねえよ。少なくとも、俺の中ではな」
「セツナの中だけで、でしょー!」
「とはいっても、マルディアとの今後を考えると、ここでサントレアをマルディア政府軍に任せて、自分たちは尻尾を巻いて逃げる、なんて真似、そう簡単にはできませんよ」
「こちらも大変な状況なのに、ですか?」
と、口を挟んできたのはファリアだった。隣にはルウファもいる。《獅子の尾》の戦闘要員が勢揃ししたということだ。
「それとこれとは別問題でしょう。確かに我々も大変な状況ですが、それはマルディアも同じ。騎士団が十三騎士ともども攻め込んできたんです。放っておけば、またしても各都市を攻め落とされる。そうなれば、再度救援軍を派遣することになりかねない」
「半ばそういう話に纏まりそうだったけどな」
「えーとまあ、それはそれとして、ですね」
はぐらかすように笑うエインを横目に見て、セツナは肩を竦めた。それから、ミリュウに視線を戻し、告げる。
「要するにさマルディアの政府軍じゃあ、足止めにもならないって話だよ」
複数名の十三騎士と数千人の騎士団兵を相手にマルディア軍がまともに戦えるとは、考えにくい。ガンディア軍ですら全力を上げなくては太刀打ちできないのが、騎士団だ。武装召喚師の数も少ないマルディア軍では、瞬く間に蹴散らされ、言葉通り、足止めにもなってくれないだろう。無駄な犠牲を払うだけであり、それならばいっそ、セツナひとりで事に当たるほうがいい。
「そういうことなら、わかるけど……でも」
「でも、だからといって、なにもセツナひとりで殿を務める必要はないんじゃないの?」
「そうですよ、隊長。いくら隊長が強いっていっても、相手はあの十三騎士ですよ?」
言い淀むミリュウの気持ちを汲むように、ファリア、ルウファがいってくる。ふたりの意見も、そこに集中している。複数名の十三騎士をセツナひとりが受け持つのは、やはり問題だ。
「それも何人投入してくるかわからないんだよな」
「ふたりまでなら捌けるといっても、三人、四人が同時に攻めてきたらどうするのよ」
「そうだな……そのときは、うん」
「うん……ってなに!?」
ミリュウが素っ頓狂な声を上げる。
「まあ、適当にやり過ごすさ」
セツナは笑っていって、ミリュウの真横をすり抜けるように歩き出した。
「ちょっとセツナ!?」
「なにも十三騎士を倒すために残るわけじゃねえ。時間稼ぎ。ただの足止めだ。生き残ることに全力になれば、なんとでもなるだろうよ」
セツナは、適当にいいながら、セツナ軍の宿所に向かった。宿所にはシーラたちとエスクたちが待っているはずだ。配下である彼女たちにこそ、しっかりと説明しなければならない。《獅子の尾》の部下であるファリアたちは、王立親衛隊故、王命に従わざるをえないのだが、領伯配下のシーラたちを支配するのはセツナなのだ。
セツナから命令しておかなければならないということだ。
「話、まだ終わってないんだけど!?」
「納得、してないわよー」
「ああ、わかってるよ。あとでな」
セツナは背後からの声に手を上げて応えつつ、シーラたちを納得させるのにも骨が折れそうだと想ったりした。