第千三百三十三話 夢護る者
軍議が、始まった。
王都ガンディオン及びガンディア方面を奪還し、反逆者ジゼルコート・ラーズ=ケルンノール・クレブール及びその一派を撃滅するため、マルディア救援軍を解散することは既に決定されていた。マルディア政府軍指揮官・天騎士スノウ・ザン=エメラリアからの提案を受け入れた形となる。スノウは、マルディアの地が反乱軍から奪還されたことで、救援軍の役目は終わったのだ、といった。これ以上、救援軍に頼ってはいられない、とも。
もちろん、スノウもわかってはいるのだ。反乱軍指導者ゲイル=サフォーがいる限り、状況はなにひとつ変わっていないのだということも、反乱軍が騎士団と繋がっている以上、マルディアの地が再び戦場になることは避けられず、救援軍の助力がなければ、またしても反乱軍によって各地を奪われる可能性があるということも、理解している。そのうえで、救援軍には、ガンディア本土の奪還に専念するべきだというのだ。レオンガンドやエインたちは、スノウの申し出に感謝し、救援軍の解散を決めた。そして、ガンディア奪還後、改めてマルディアの救援に来ると約束した。
マルディア救援軍は、ガンディアの軍のみならず、ガンディアの同盟国、従属国の軍との合衆軍であり、ガンディア本土を奪還することを目的とする以上、一度解散する必要があった。そのうえで、ガンディア奪還軍として再編し、そこにはメレドの白百合戦団も、ルシオンの白聖騎士隊も参加を表明した。特にルシオンは、ルシオン軍がジゼルコート軍に同調し、バルサー要塞、マルダールを制圧したという情報が入ったこともあり、他人事ではなかった。白聖騎士隊長リノンクレア・レア=ルシオンはなにかの間違いだといい、ハルベルクがレオンガンドを裏切ることなどありえないと言い続けた。レオンガンド自身、信じられない気持ちでいっぱいだろう。
ハルベルク・レイ=ルシオンは、リノンクレアの夫であり、つまり、レオンガンドの義弟なのだ。それもただの義弟ではない。同盟国であり、隣国ということもあって幼い頃からよく遊んだ間柄であり、義兄義弟の関係になる以前から、強い絆で結ばれていたのだという。セツナからみても、ハルベルクとレオンガンドの関係というのは良好そのものに見えたし、ガンディアとルシオンの関係も悪いものだとは思えなかった。
予期されていたジゼルコートの反乱はともかく、ルシオンの裏切りほど衝撃的な報せはなかったのだ。
もちろん、エリウス=ログナー、デイオン=ホークロウのジゼルコートへの同調も、衝撃的だった。ふたりが王都に残ったのは、救援反対派だったからであり、そのときには今回の反乱について考えれていたのは疑いようがない。そして、ジゼルコートが襲撃され、負傷によって王都に残ることになったのも、反乱のための準備だったと考えれば納得がいく。みずから瀕死の重傷を負うほどのジゼルコートの覚悟には、ただただ唖然とするばかりだ。
「敵勢力は現状、ジゼルコートの私設軍隊と、王宮警護、おそらくは都市警備隊も傘下に入っているでしょう。それにクルセルク方面軍が加わり、ルシオン軍が参加しているわけですが、ジゼルコートのことです。これだけとは考えにくい」
「……アザークとラクシャか」
「はい。ジゼルコートが外交手腕だけで従属させたという両国ですが、ジゼルコートの影響下にあるとみてまず間違いないでしょうね。ジゼルコートの一言で援軍を差し向けてくるに違いありませんよ」
「相当な戦力と見ていい、というわけか」
「はい。現状の戦力では、少々心もとない。我々はすぐさまマルディアを出て、アバード、ザルワーン、ログナーを抜けてガンディア本土に向かうわけですが、先触れを出して進軍路の都市に部隊を集めておき、それらを合流することで戦力を増強していくつもりです」
「ログナー方面軍は同行しているのだ。ザルワーン方面軍くらいだろう?」
「そうなりますが、ないよりは遥かにマシです」
「その通りだ」
「問題は、ですね」
「ああ」
レオンガンドが静かにうなずき、卓の上に広げられた地図を見た。広い卓の上には、いくつかの地図が広げられている。ガンディア方面、ログナー方面、ザルワーン方面、アバード、そしてマルディアの合計五つの地図だ。国境あたりで上手く繋がるように重ねられた五枚の地図のうち、アバードとマルディアを除く三枚はガンディア参謀局が自前で作り上げたものらしく、以前の地図よりも多少は精確だということだった。
「騎士団をどうするか、だな」
レオンガンドの視線の先には、マルディア最北の都市――つまり、いまセツナたちがいるサントレアがある。サントレアは東西を山々に閉ざされた地形の中にあり、ベノアガルドのシギルエル、サンクオートからマルディア国内に進むためにはサントレアを通過しなければならなかった。つまり、サントレアさえ護り通すことができれば、問題は解決するだろう。
「騎士団は既にマルディア領内に入り込んでおり、半日以内にサントレアに到達するでしょう。当然、迎撃しなければなりませんが、なにぶん、こちらとしては一刻を争う状況。騎士団――十三騎士たちと戦っている場合ではありません」
「サントレア奪還戦では上手くことが運びましたが、同じ手が通用するとは思えませんし、騎士団がジゼルコートと繋がっているのであれば、騎士団は今度こそ、本気で挑んでくるかもしれませんし」
「つまり、これまで手を抜いていた、ということか?」
「それはわかりませんが、騎士団の目的が、我々ガンディア軍をマルディアに釘付けすることであれば、あるいは……」
「なるほど。それで、いま再び軍を差し向けてきたと」
「ええ。騎士団は強い。特に十三騎士は圧倒的です。ここまで近づかれている以上、背を向けて逃げるなんてことは不可能」
「足止めするための殿軍が必要ですが……」
エインから言葉を継いだアレグリアが言い淀んだ理由は、セツナにもすぐに察しがついた。殿軍。つまり、敵の追い討ちを防ぐための部隊のことであり、今回の場合、このサントレアに留まり、騎士団の追撃を防ぐ役割を持つということになる。それはすなわち。
「殿軍……か」
「死ぬな」
アスタル=ラナディースの冷ややかな一言に軍議の場が凍りつく。だれもが想像し、だれもが理解したことではあっただろうが、実際に言葉に出すとなると、重みが違うものだ。相手は騎士団。騎士団がジゼルコートと繋がっていて、ガンディア軍をこのマルディアに釘付けにすることが目的というのであれば、全力で追撃してくるだろう。そうなれば、殿軍として残った部隊は十三騎士の苛烈な攻撃に晒されるということであり、部隊構成によっては時間稼ぎさえままならないまま殲滅されるだろう。
騎士団は強く、十三騎士は凶悪だ。
「相手は騎士団で、十三騎士が何名か投入されていることは明らかだ。殿軍となったものは死ぬ覚悟をする必要がある。そもそも、殿軍とはそのようなものだ。生存率は極めて低い」
アスタルが冷ややかに続けると、エインが彼女の言葉を継ぐように口を開く。
「それは、だれしもわかっていることだとは想いますが、今回ばかりは全滅必至でしょうね」
「それに、騎士団を足止めするとなると、相応の戦力が必要になります。サントレアを盾にしても、十三騎士が相手ではほとんど意味をなさないと考えるべきです。武装召喚師を相手にするようなものですからね」
軍師候補ふたりの説明に場の空気が重くなる。殿軍に指名された部隊は、死を覚悟しなければならないのだ。いや、覚悟どころではない。死を宣告されるようなものだ。救援軍の首脳陣には直接関係ないこととはいえ、自分の配下の部隊が全滅するかもしれないということになると、気が気でなくなるのも当然だろう。だれもが青ざめた顔で会議の成り行きを見守っている。だれもがだ。リノンクレアでさえ、蒼白になった顔で唇を震わせていた。彼女の場合は、はやくガンディアに戻ってルシオンの動向の真実を知りたいということもあるだろう。しかし、そのために多大な犠牲を払わなければならないとなれば、思うところもあるに違いない。
「かといって、ガンディアでの戦いを考えると、戦力を手放したくはない……か」
「はい」
レオンガンドのつぶやきに、エインがうなずく。騎士団の足止めとして殿軍を残す必要があり、騎士団の戦力を考えると、並大抵の戦力では足りない。相当な数を殿軍として残さなければ、サントレア離脱後、すぐさま追いつかれることになりかねない。
「数だけではなく、質も重要です。雑兵が千人、二千人いたところで、十三騎士の足を止められるとは考えられませんからね」
「最低でも武装召喚師数名の投入は必須」
「しかし、そうすると、今度は本土での戦いが困難となるでしょうね」
「こちらに戦力を割けば本土での戦いが苦しくなり、本土への戦力を重要視すれば、騎士団の足止めも困難となる――痛し痒しだな」
頭をつき合わせて苦悩する首脳陣の顔ぶれを見回しながら、セツナは、静かに拳を握った。セツナの脳裏にある考えが浮かんだのだ。軍議の場。これまで発言らしい発言などしたこともなかったが、このような状況を打開するには、いまこそ口を開くときだと、セツナは思った。そして思った時には、言葉を発していた。
「だったら」
「ん?」
レオンガンドやエイン、アレグリアらこの場にいる全員の視線がセツナに集中した。セツナは数多の苦渋に満ちた視線を感じながら、言葉を続ける。
「だったら、俺が残りますよ」
「セツナ?」
レオンガンドが、目を瞬かせた。怪訝な顔を擦る。
「なにをいうのかと思えば、君が残るというのか? 君が殿を務めると? ガンディアの英雄が」
「ええ、そうです。陛下。俺がひとりで、殿を務めます」
「ひとりで……だと!?」
「なにを馬鹿げたことを……」
「いくらセツナ様でも、ひとりでは無茶です」
「そうですよ。相手は騎士団。十三騎士が何人投入されるのかわからないのですよ?」
「無茶でも無理でも、やらなきゃならないんだ」
セツナは、軍師候補ふたりに向かって言い切ると、レオンガンドたちに向けて、言い直した。
「考えてもみてください。我々はガンディアを奪還しなければならないんでしょう? そのためには戦力が必要なんでしょう? それも、生半可な戦力じゃなく、歴とした戦力が。騎士団を足止めするためにその大事な戦力の大半をつぎ込むなんて馬鹿げている」
セツナは、レオンガンドの目を見つめながら、言い切った。そのために王都を奪還できないなんてことがあれば、笑い話にもならない。
「それこそ、セツナ様の役目では?」
「そのために、どれだけの将兵がここで死にますか?」
「それは……」
「十三騎士は強い。しかも、陛下の話によれば、十三騎士はさらなる力を隠し持っている可能性が高い。彼らが殿軍を蹴散らすためにその力を使えば、全滅は必死。反乱軍を撃滅し、王都を取り戻すためとはいえ、あまりにも損失が大きすぎる」
セツナは、実感を込めて、いった。この席上、十三騎士の力量を知っているのは、もっとも十三騎士と戦ったセツナだけなのだ。十三騎士と呼ばれるベノアガルド騎士団の幹部たちは、かつての黒き矛にも匹敵する力を持ち、魔法めいた異能を使う。対抗できるのは武装召喚師のみだが、それも十三騎士が本気を出せばどうなるものか。レオンガンドは、巨人ほどの巨体に変化するのを見たというのだ。それが十三騎士の真の力ならば、ただの武装召喚師が束になっても勝てないかもしれない。
セツナですら、危うい。
「何人、何十人の武装召喚師を投入すれば足止めができるのか。足止めができたとして、生存率は極めて低いでしょうね。俺にはわかる。だれも、生き残れないでしょう」
反論は、ない。
アスタルがいったことでもあるのだ。サントレアの殿軍は全滅するに違いない。敵戦力を考えれば、火を見るより明らかだ。十三騎士数名と騎士団数千名。持ちこたえられるものではない。武装召喚師を大量投入すれば足止めにはなるだろうが、そうなれば、王都奪還軍の戦力は著しく低下するだろう。
「それならば、俺ひとりで受け持つほうが、いい。俺ひとりで騎士団をここに足止めすれば、王都を、ガンディア本土を奪還する戦力はあまりあるものとなる。そうだな、エイン」
「え、ええ。本当にセツナ様おひとりだけが残られるというのであれば、我が軍の戦力は万全なものとなり、必ずやガンディア本土の奪還は成し遂げられるでしょう。ですが」
「ん?」
「なにもおひとりで残らなくともいいじゃないですか」
「《獅子の尾》やセツナ軍は、奪還軍に帯同させる。させなきゃだめだ。貴重な、重要な戦力だろう」
「ですけど」
「エイン室長のいうとおりです。セツナ様おひとりでは、あまりにも無茶です」
「俺が、死ぬかもしれないって?」
「……端的に言うと、そうです」
「相手は十三騎士ですよ。これまでの戦いを鑑みる限り、セツナ様とはいえ、おひとりでは抑えきれるものかどうか」
「抑えきるさ」
「セツナ様……」
「俺が、なんとしてでも抑えきる」
セツナは、エインとアレグリアを交互に見て、断言した。十三騎士ふたりまでなら同時に相手にできることはわかっている。そして、十三騎士にセツナの攻撃が通用することも。戦い方次第では、なんとかなるのではないか。数で押されればなんともならないかもしれないが、そこは考えないことにした。
「陛下」
レオンガンドを見る。
獅子王は、険しい表情でこちらを見ていた。
「陛下はなんとしてでも王都を、ガンディアを奪還しなければならず、そのためにも反逆者ジゼルコートを討たねばなりません。そして、それが終わりなんかじゃない。ですよね?」
「ああ。終わりでなど、あるものか」
レオンガンドが厳かに頷く。
「ジゼルコートを討ち、反乱を鎮めた後も、我々の戦いは続く。この程度で終わるわけにはいかんのだ」
レオンガンドの夢は、こんなところでは終わらない。大陸小国家群の統一。レオンガンド一代でどこまで行けるのかはわからないが、行けるところまで行かなければならないというのが、レオンガンドの本音だろう。後継者として王女が生まれたものの、王女が女王となるか、王子が生まれ、王として先頭に立つのかはともかく、後継者にレオンガンドの夢を上手く引き継がせるためには、この程度のところで終わってなどいられないのだ。
「そのためにも、このサントレアに多くの戦力を残し、散らせるわけにはいかないはずです」
騎士団の追撃を振り切るためだけに数多くの戦力を失うなど、あってはならないことだ。夢は続く。それらの戦力は、今後の戦いで必ず必要となるはずだ。ここで失うわけにはいかない。
「そこで、俺なんですよ」
セツナがいうと、レオンガンドは、隻眼を細めた。まるで眩しいものでもみるようなまなざし。そんな獅子王の碧眼をじっと見つめると、心の奥底から力が湧き上がってくるかのようだった。レオンガンド・レイ=ガンディア。セツナのたったひとりの主君であり、セツナは、彼のために戦っているのだ。彼のためならば、彼の夢のためならば、どのような地獄だろうと戦い抜ける。確信がある。そうやって今日まで走り抜けてきたのだ。
立ち止まってなど、いられない。
「俺ひとりなら、失ったとしても、補える」
「馬鹿なことをいうものではない」
レオンガンドが激しく怒りをぶつけてきたことに、セツナは驚きを覚えた。
「セツナ。君はかけがえのない存在だ。君に代わるものなどいない。君はただひとりなのだ。君以外、君になれるものなどいないのだ」
レオンガンドの言葉が胸に刺さる。怒りの声。怖くはない。悲しくはない。レオンガンドの本心が聞けたようで、ただ嬉しかった。
「だからといって、ほかのだれにまかせるというんです?」
セツナは、目頭が熱くなるのを認めながら、レオンガンドを見据えた。
「陛下の夢を実現させるには多大な力が必要で、それは俺個人の力などではないでしょう?」
確かに、セツナは、強い。黒き矛とセツナならば、何千人の将兵の価値はあるだろう。しかし、セツナはひとりだ。個人なのだ。戦局を左右する力があるとはいえ、ひとつの戦場にしか使えない。そして、ひとつの戦いが終われば、すぐさま別の戦場に向かえるほど余力があるわけではない。強力なだけ消耗が激しく、猛烈な戦いのあとはある程度の時間、必ず休まなければならない。ずっと戦い続けられるわけではないのだ。無論、それはほかの戦力にも言えることだが、何千の将兵は運用法によっては様々な使い道があり、セツナ個人とは使い勝手が違う。
そこに何十人の武装召喚師がいるとなればなおさらだ。
個人と軍団。
どちらに重きを置くかを考えれば、一目瞭然。考えるまでもなく、結論の出ることだ。
「いや……しかし……」
逡巡するレオンガンドの表情は、辛く、険しい。その瞳には懊悩があり、苦痛がある。セツナは、レオンガンドの迷いが、セツナへの想いそのもののように感じ取れて、それがまた、喜びを倍増させた。だれかに必要される。ただそれだけのことが、これほどまでに嬉しいことだと知れば、それだけで生きる理由になる。ここにいる理由になる。
戦う理由になる。
「俺の夢は、陛下の夢を叶えることなんです」
「……セツナ」
レオンガンドが、顔を上げた。大きく見開かれた右眼に浮かぶ青い瞳の中に、セツナは、自分の顔が映り込んでいることを認めた。どんな表情をしているのかまではわからない。
「陛下の夢を護るため、ここは俺に任せて下さい」
セツナは、握りしめた拳を胸元まで掲げると、吼えるようにいった。