第千三百三十一話 夢追う者(一)
レムとラグナ、ウルクがついてきたが、もちろん、彼女たちには司令室の外で待機を命じた。さすがに軍議の場まで下僕を連れて行くわけにはいかない。
司令室に入ると、救援軍首脳陣が顔を揃えていた。司令室の広い空間の大半を占拠するように配置された大きな卓を囲んでいるのは、大将軍アルガザード・バロル=バルガザール、副将ガナン=デックス、同ジル=バラム、右眼将軍アスタル=ラナディース、参謀局第一作戦室長エイン=ラジャール、同第二室長アレグリア=シーン、ガンディア方面軍大軍団長マーシェス=デイドロ、ログナー方面軍大軍団長グラード=クライド、傭兵局長シグルド=フォリアー、王立親衛隊《獅子の牙》隊長ラクサス・ザナフ=バルガザール、同《獅子の爪》隊長ミシェル・ザナフ=クロウといったガンディアの要人ばかりではない。それに加え、ルシオン王妃にして白聖騎士隊長リノンクレア・レア=ルシオン、マルディア政府軍より天騎士スノウ・ザン=エメラリア、メレド白百合戦団長アーシュ=イーグインが緊張した面持ちをセツナに注いでいた。
そして、一番奥の席には救援軍総大将にしてガンディア国王レオンガンド・レイ=ガンディアが側近のゼフィル=マルディーンを従え、腰を落ち着かせていた。彼の隻眼がこちらを見る。
「君が最後だ、セツナ」
「遅れてしまい、申し訳ありません!」
「いや、遅れてはいないよ。それに急に呼び出したんだ、多少遅れたところで問題はないさ」
レオンガンドの声は、いつになく優しい。
セツナは、促されるまま奥の席に向かった。ラクサスとミシェルに左右を囲まれる席なのは、セツナが王立親衛隊《獅子の尾》隊長だからなのだろう。
「さて、諸君に集まってもらったのはほかでもない。つい昨日、我が王都より急報が入ったからだ」
レオンガンドの一言で室内の緊張が密度をましたのがセツナにはわかった。セツナはエインとアレグリアが急報の内容を理解していることをその表情から察したものの、ほかの参加者がどの程度知っているのかはわからなかった。レオンガンドに近しいものならば知っていそうなものだが、どうか。
「王都ガンディオンから、ですか?」
怪訝な顔をしたのは、リノンクレアだ。ガンディア王家出身のルシオンの王妃にとっても、王都ガンディオンは思い出深い土地なのは疑うまでもない。その王都から戦地に届けられる急報で、なおかつ軍議にかけるようなことなど、なにがあるというのか。リノンクレアの表情は、そんな心情を物語っている。
「ええ、殿下もよくご存知の、王都からです」
「なにが、あったのでしょうか?」
「殿下も諸君も、しっかりと聞いてほしい。ジゼルコートが反乱を起こし、王宮を制圧した」
レオンガンドが告げると、司令室の空気が凍りついたかのように静まり返った。その瞬間、だれひとりとしてなんの反応も示さなかったのは、レオンガンドが発した言葉の内容を理解するのに数秒の時間が必要だったからだろう。それくらい、だれにとっても想定外の出来事であり、昨夜の内に聞かされたセツナからしても衝撃的な話だった。何度聞いても、信じがたいことだ。あれほどまでにガンディアに尽くし、ガンディアのためだけに政治手腕を振るってきた人物が、まさか反乱を起こすなど、到底考えられるものではないし、信じられるものではない。
「い、いま、なんと……!?」
「ジゼルコート伯が反乱!?」
「王宮を制圧……!?」
「そんな馬鹿な……ありえぬ……!」
「陛下、それは真のことなのでございましょうか? ジゼルコート伯が、反乱?」
騒然となる司令室の中で、リノンクレアが腰を浮かせたのは、彼女にとっては他人事では済まないことだったからなのだろう。長い金髪が激しく揺れ、リノンクレアの心のざわめきを映し出すかのようだった。
「そのようなこと、あるはずがありませぬ。ジゼルコート伯が、叔父上が、反乱を起こすなどと……」
「王妃殿下、信じがたいことでしょうが、これは事実です。わたしが特別目にかけているものからの報告。救援軍を混乱に陥れるための虚報などではないのです。ジゼルコートは我らを裏切り、王宮の制圧に乗り出したのは、間違いのない真実。現実です」
「そんな……兄上は、叔父上よりもその報告者を信じるのですか?」
「ええ。いまとなっては、ジゼルコートよりも報告者のほうが信を置くに足るでしょう」
レオンガンドのリノンクレアを見つめる目は、どこまでも優しい。まるで駄々をこねる子供を諭すような、そんな調子ですらあり、レオンガンドが実の妹を思いやり、心中を察しているのが見て取れた。騒然とする首脳陣も、ふたりのやりとりを目にすれば、多少なりとも冷静にならざるをえないのか、室内は静けさを取り戻し始めている。
「ジゼルコートがわたしの敵である可能性は、随分前から判明していたことです。それがいま、この報告書によって確定しただけのこと。哀しいことですが、受け入れるしかない」
「そんな……そんなこと……」
リノンクレアは、悄然と椅子に座り込んだ。肩を落とし、視線をも落とした彼女の姿は、戦場に見る騎士としてのリノンクレアからは想像もつかないくらい弱々しい。リノンクレアにとって、ガンディア王家の人間にとって、ジゼルコートという人物がいかに信頼され、愛されていたのか、彼女の反応と一連の言動でよく理解できた。そして、リノンクレアの心情は、そのまま、レオンガンドの心情でもあるのかもしれないと想い、セツナは痛みを覚えた。
レオンガンドは昨夜から気丈に振舞っているが、本心では相当な衝撃を受けているのではないか。ジゼルコートが反乱するかもしれないということを考えた末での一連の行動だったとはいえ、最後までジゼルコートを諦めきれなかったということは、レオンガンドの言葉からもはっきりと伝わってきていた。ガンディア王家の人間は情が深い。レオンガンドもリノンクレアも、例外ではないのだ。
「陛下、それでは王宮を奪還し、ジゼルコート伯を反乱者として討伐する、ということでございましょうか?」
「当然、そうなる」
ジル=バラムの問いに、レオンガンドが厳かに頷く。副将のふたりもあずかり知らぬことのようだった。一方、ふたりの副将に囲まれて座る大将軍はというと、ジゼルコートの反乱に触れても一切動じておらず、レオンガンドによって事前に知らされていたことが伺えた。あるいは、アルガザードなりに察していたということなのかもしれない。
「我らはこれより取って返してガンディア王都ガンディオンの奪還に向かう。なに、急ぐことはない。我々がガンディオンに辿り着く頃には、決着が付いているやもしれぬ」
「と、いいますと?」
「ジゼルコートの反乱は、想定通りの出来事なのだ。すべては我らが術中。そうだな、エイン=ラジャール、アレグリア=シーン」
「はい。陛下の仰られる通り」
「なにもかも、我々の思惑通りにございます」
エインとアレグリアがそれぞれに首肯する。
「反乱も予期しておられた、と?」
信じられないというような反応を見せたのは、ガナン=デックスだ。副将たちには、いまだ、ジゼルコートの反乱が信じがたいものなのだろう。
それをいえば、この場にいる誰もが、いまだ信じきれていないかもしれない。
ジゼルコート・ラーズ=ケルンノール・クレブールは、ガンディアになくてはならない政治家だった。政治家としての手腕は図抜けており、彼によって現在のガンディアが出来上がったといっても過言ではないくらいだという。それほどの人物だ。軍人たちからも尊敬を集める人格者でもあり、また、軍事行動そのものも、彼の援護なくしては形をなさないものだということを、この場にいるものはよく理解しているのだ。
後方からの支援なくしては、外征などできるわけもない。
「そうだ。だからこそ、わたしはガンディアの主力をほとんどすべて、この地に持ってきたのだ。彼が反乱を起こしやすいように。決断に至るように。彼と、彼の輩が我らの敵として明らかになるように」
レオンガンドの一言一言に軍議の参加者たちは息を呑む。
「そして、敵となった彼と彼の輩を討つべく、軍勢の手配もしてあるのだ。ガンディア軍よりも余程強く、勇ましい戦力をな」
「まさか……」
「そう、そのまさかですよ、殿下」
レオンガンドが、リノンクレアを見つめながら、告げる。
「ルシオン軍の本隊が遅々としてマルディアに辿り着かないのは、なぜか。白聖騎士隊のみを救援軍に同道させたのは、なぜか。ルシオンの後方の安全を確保するため? 違うのだ。わたしみずからがハルベルク陛下にお願いし、ガンディアの護りとなってもらったのだよ」
レオンガンドの説明によって、セツナはようやく納得した。マルディア救援軍には、ルシオンが全力を上げて参加することを表明しており、白聖騎士隊はその先触れのようなものだった。しかし、マルディアでの戦いが始まってからも、ルシオン軍が合流する気配はなく、情報すら入ってこなかったのは不思議というほかなく、疑問に思ったものだった。その疑問が氷解するとともに、昨夜、レオンガンドが余裕を持っていた理由にも納得がいった。
「尚武の国ルシオンが誇る白天戦団ならば、ジゼルコート率いる反乱軍など容易く蹴散らしてくれるだろう」
レオンガンドは、自信に満ちた口ぶりで、いった。白聖騎士隊もそうだが、ルシオン軍というのは、圧倒的に強いことで知られている。
かつて、質のログナー、数のザルワーン、姿のガンディアなどと呼ばれていた時代があったが、そのころからルシオンの兵は、格が違うとさえいわれていた。ガンディアが同じ同盟国であるミオンよりもルシオンを特別視したのもそのためだといい、リノンクレアを嫁がせ、紐帯を強くしたのも、ルシオンの軍事力に期待するところが多かったからだという。それほどまでにガンディアはルシオンを評価していたし、ルシオンもその評価に相応しい活躍を見せてきている。
「無論、ルシオンのみに頼るわけではないがな」
レオンガンドが付け足すようにいったのは、いままでの話では、ルシオン軍頼みになってしまうからだろう。そんなレオンガンドの気遣いが、セツナには少しおかしかった。
「なるほど。我々が王都の奪還に向かっている間にも、ルシオン軍によって奪還されている可能性もあるということですな」
「そういうことだ」
「しかし、そうなると、マルディアはどうされるのです?」
「もちろん、救援軍を解散するつもりはありませんよ」
ラクサスの疑問に答えたのは、エインだ。エインとアレグリアもまた、昨夜のうちにジゼルコートの反乱について聞かされていたのだろう。余裕に満ちた様子はそう思わせる。もちろん、彼らのことだ。たとえ聞かされていなくとも表情ひとつ変えず現状に対応しただろう。
「ガンディオンに向かうのは、一部ガンディア軍のみです。それ以外の方々にはマルディアに残って頂き、反乱軍の掃討に当っていただきます」
「反乱軍指導者ゲイル=サフォーさえ討てば、反乱軍も勢いを失い、形も失うでしょう」
アレグリアが付け足したことは、反乱軍がベノアガルドに逃げ込んでからというもの何度となく議論されたことだった。マルディア全土を解放しただけでは、反乱軍の脅威からマルディアを救ったことにはならない。反乱軍の活動を終わらせるには、指導者を討つしかない。指導者さえ討てば、人望のない反乱軍など、勝手に自壊していくだろう。
「問題はどうやってゲイル=サフォーを討つか、だが、それについてはゆっくり考えればいい。まずはベノアガルド政府との交渉からはじめなければならないのだからな」
「その間に王宮を奪還し、こちらの反乱軍も討滅する、ということですな」
「そういうことだ。ほかになにか質問はあるか?」
レオンガンドが司令室の顔ぶれを見回すと、ジル=バラムが挙手した。
「ガンディアの反乱軍に差し向ける戦力はいかがされます?」
「大将軍以下、ガンディア方面軍と傭兵、それに白聖騎士隊の方々に同行して頂く」
「わたくしどもも、ですか?」
「不満、ですかな?」
「いえ……そういうわけではないのですが」
「ハルベルク陛下も、殿下との再会を心待ちにしておりましょう」
「陛下……」
リノンクレアが微妙な表情をしたのは、こういう場で冗談めいたことをいってみせるレオンガンドの心情が理解できないからなのか。
「セツナ伯は、王都奪還には向かわせない、と?」
そう質問したのは、マルディアの天騎士スノウだ。救援軍の戦力構成は、マルディアにとって死活問題ともなりかねない。
「ベノアガルドが引き渡しに応じないとなれば、十三騎士を相手に戦わなければならなくなるでしょう。セツナなしでどこまで戦えますか? そもそも、対等に戦えるのかどうかも怪しいでしょう」
「……確かに」
スノウが小さく頷く。
もっとも、十三騎士を抑えたのは、セツナひとりの実力ではない。当然、そのことはだれもが理解している。しかし、セツナがたったひとりで十三騎士三人を相手に立ち回っていたことも、だれもが認識している事実であり、セツナなくしては五人の十三騎士を同時に相手にするのは困難だということも、わかりきっているのだ。それに、つぎは五人とは限らないかもしれない。もっと多くの騎士が投入された場合、セツナなくしては対応しきれまい。
「セツナ、君はここに残り、救援軍の主力として奮起してくれ」
「仰せのままに」
「良い返事だ。あとは、我々が王宮を奪還し、反乱軍を殲滅するだけだな」
レオンガンドがいった反乱軍とは、ガンディアとマルディア、両方のことを指しているのだろう。
軍議は、それによって一先ず落ち着いたかに思えた。ジゼルコートの反乱という予測不可能な緊急事態も、レオンガンドが冷静に対応を示すことでなんの問題もなければ不安もないのだということを見せつけるとともに、反乱さえも戦略通りだと明言したことで多大な安心感を与えていた。本来ならば不測の事態であり、狼狽し、取り乱したとしてもおかしくないようなことだ。それなのにレオンガンドや参謀たちはきわめて冷静に、冷酷とさえいえるほどの対応をしてみせたのだ。これほど頼もしく、心強いことはない。
だが、本題は、ここからだったのだ。
突如として、司令室の扉を叩くものがあった。
「なんだ?」
「報告!」
兵が、司令室に入ってきたかと思うと、予期せぬことを報せてきたのだ。
「反乱軍の手によってガンディオンが落ちたとのこと!」
「王宮のみならず、王都も……か?」
レオンガンドが眉を顰め、ふたりの軍師候補が顔を見合わせる。王都陥落は、予期せぬことだったのだろう。セツナは胸騒ぎを覚えた。
「エリウス=ログナー、デイオン=ホークロウ両名ほか、多数の賛同者がジゼルコート伯についた模様! それにより、王都が陥落したものと思われます!」
「デイオン将軍に……エリウスだと?」
レオンガンドが顔をしかめ、アスタル=ラナディースが声を荒げる。
「エリウス様が? 馬鹿な」
「また、マルダール、バルサー要塞までもがジゼルコート軍の手に落ちたとのこと!」
「なんだと……!?」
「どういうことだ? なぜ、マルダールやバルサー要塞がこうもあっさりと落ちるのだ? ルシオン軍が入っているはずなのだぞ?」
レオンガンドが告げると、伝令兵は、青ざめた顔から汗を垂らしていた。司令室内の空気が一瞬にして緊張の最高潮に達する。
「まさか……」
「ルシオン軍、ジゼルコート伯の謀反に参加したということです!」
伝令兵のその一言が、司令室をこれまで以上の衝撃で包み込んだ。