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第千三百二十九話 敗残者たち

「父上……」

 ジルヴェールは、ジゼルコートの姿を見て、唇を噛んだ。ジゼルコートは、片目を失ったままの姿で、傲然と立っていた。そこには王者の風格があり、王家の人間としての威厳と迫力、気高さが備わっていた。彼もまたガンディア王家の一員であり、かつて影の王として王宮に君臨したということが伝わってくるかのようだった。

「親父殿、兄上の確保に成功いたしました」

 ゼルバードに引き連れられるようにして、ジゼルコートの前まで進む。ジゼルコートの周囲の貴族たちがジルヴェールを一瞥して、視線を逸らした。彼らなりに罪悪感でもあるのかもしれない。ついこの間まで議論を交わしていたものもいる。

「その様子だと、手間取らなかったようだな」

「ええ。兄上は争いごとがお嫌いな様子」

「そなたとは違うということだ」

「ですな」

 笑うゼルバードに屈託はない。自分というものを正確に認識し、なにをどういわれたとしてもおそらくなにも感じないのだろう。ゼルバードには、そういうところがあった。

「さて、ジルヴェール。わたしにいいたいことはあるか?」

 ジゼルコートが、こちらに目を向けてきた。レオンガンドとは逆の目を失った老人は、老いを感じさせぬ若々しさでもって、そこに立っていた。生気が漲っているのが見て取れる。ジゼルコートは、いつだってそうだった。彼は、六十代前半の老齢に至っているとは思えぬほどの壮健振りであり、それは襲撃事件の以降もなにひとつ変わっていなかった。

「ありませんよ」

 ジルヴェールは、にべもなく告げた。

「あなたの反乱は、どうせ、失敗に終わる」

 ジルヴェールは、そう、信じていた。信じたかった、というべきかもしれない。ジゼルコートに多数の同調者がいて、それら同調者がつい昨日までは王都の明日について思案し、ジルヴェールと議論を戦わせていた政治家や軍人たちだということに気づいたとき、確信が揺らぎ始めていた。

 そして、同調者の中にエリウス=ログナーを見出し、彼が不安顔のイスラ・レーウェ=ベレルを後ろに控えさせているという状況を確認したとき、さらに衝撃を受けた。エリウス=ログナーは、ジルヴェールと同じくレオンガンドの側近であり、レオンガンドに寵愛されることジルヴェールの比ではなかった。エリウスのなにがレオンガンドをしてそこまで気に入らせたのかは不明ではあるものの、彼がレオンガンドの側近として相応しい能力と人格の持ち主だったことは疑うまでもない。

(まさか……エリウス殿が?)

 ジルヴェールの脳裏には、アーリアからの警告が浮かんだ。王宮特務アーリアは、レオンガンドの側近の中に裏切り者がいると警告してきていた。ジルヴェールを除く五人のうちのいずれかがレオンガンドを裏切り、ジゼルコートに内通しているのだと。四友と呼ばれた四人の側近か、それとも、エリウスか。ジルヴェールは、その五人に裏切り者がいるとは考えたくなかった。だれひとりとして、レオンガンドを裏切る理由がない。四友はもちろんのこと、エリウスにもだ。

 エリウスは、元々ログナー王家の人間であり、ログナー最後の王だった。アスタル=ラナディースの謀叛によって王座についた彼は、ログナーという国の終わりを見届けた人物でもあり、ガンディアへの降伏を認めたのも彼だった。その後、ガンディアの一貴族となった彼は、紆余曲折を経てレオンガンドの側近となり、レオンガンドとの間に只ならぬ信頼関係を築き上げているはずだった。彼がレオンガンドを裏切り、ジゼルコートと通じていたなど、信じたくはなかった。

 だが、現実は非情であり、目の前の事実を否定するほど、彼も愚かではなかった。

「本当にそう想っているのか?」

「わたしは、陛下を信じていますから」

 ジルヴェールは、ジゼルコートの目を見据えながら、告げた。冷淡に輝く目には、一切の変化がない。まるで感情というものが存在しないかのような無反応。無変化。そして彼は、そのなにひとつ変わらない表情で告げてくるのだ。

「ならば、わたしが陛下を討ち倒し、そなたの価値観を壊してやろう」

 ジゼルコートは、そういった。価値観。場が静まり返る。だれもがジゼルコートが発した言葉を聞き、はっと我に返ったかのような一瞬。それは、ジゼルコートの同調者たちの心に渦巻く後ろめたさを突いたような反応に思えたのだが、しかし、すぐさま消えて失せた。当然だろう。レオンガンドを討つための謀叛だということくらい、理解した上での同調であり、行動だったはずだ。いまさら、後ろめたさに翻弄されるような、その程度の覚悟であるはずがない。

 だからというわけではないが、ジルヴェールは、実の父を睨み据えて、問うた。

「なぜです」

「ん?」

「なぜ、いまになって謀叛など……」

 ジルヴェールは、自分に突き刺さる数多の視線を意識した。ジゼルコートだけではない。ゼルバードも、エリウスも、イスラも、それ以外の貴族や軍人も、皆、ジルヴェールを見ている。イスラだけが不安そうな表情なのは、彼女がジゼルコートの賛同者ではないことの証明のように思えた。おそらく、彼女はエリウスによって囚われているだけだろう。イスラはベレルの王女であり、人質なのだ。彼女個人の意思でジゼルコートの反乱に与するとは考えにくい。といって、彼女に利用価値が無いわけではなく、むしろ価値があるからこそエリウスは彼女を支配しているのだ。

 彼女を制圧することで、ベレルの行動を抑制することができる。先にもいったように彼女はベレルの王女であり、ガンディアへの従属の証として捧げられた人質なのだ。その人質がジゼルコートの元にあるということは、ベレルの手綱を握ったも同然ということであり、ベレルはジゼルコートに従うしかなくなるということだ。

 よく、考えられている。

「ガンディアは上手くいっていた。なにもかも、上手く回っていたじゃないですか。国土は拡大し、人口も増え、国力も増大した。従属する国も出てきている。これのなにがいけないというのですか」

「なにもかもだ」

 ジゼルコートが、冷ややかに告げてきた。

「なにもかも。なにもかもが、わたしたちを突き動かす」

 頭を振り、静かに続ける。威圧するでもなく、強く出るわけでもない。淡々と、ただ事実を述べるように、言葉を連ねていく。

「確かに陛下は、陛下のやり方は上手く行っている。度重なる外征に勝利し、国土は急速に拡大した。それこそ、先の王シウスクラウド陛下では不可能だっただろう。ログナーを降し、ザルワーンを降し、クルセルクを降し……ガンディアの国土は、陛下の即位当時に比べ、いまや数倍に膨れ上がった。たった二年足らずでそこまで国土を拡大するなど、常識では考えられないことだ。ありえないことなのだ。それにより国力はいや増し、ガンディアは小国家群でも最強無比の国となった。あの弱小国がたった二年でそこまで上り詰めたのだ。驚くべきことだ。素晴らしいことだ」

 ジゼルコートは、散々レオンガンドを褒め称えた末、小さく付け足した。

「そして、恐ろしいことだ」

「恐ろしい……?」

「そう、恐ろしい」

 うなずくジゼルコートの表情は、相変わらず変化はない。ただ冷淡に輝き、ジルヴェールを見据えている。ガンディアの政治の一切を取り仕切る名政治家としてのジゼルコートの姿がそこにある。いや、それ以上の何かだと、彼は思った。ジルヴェールは、父のそのような姿を初めて見る気がして、寒気を覚えた。

「陛下は、ただ、前を見ておられる。常に前を。遥か先を見据えておられる。将来。未来のことばかりに目を向け、現在や過去のことは置き去りにされることが、多い」

「それは……仕方がないことです。一刻も早く小国家群を統一しようと思うのであれば、前進するしかないのですから」

「それは、そなたらの言い分だろう」

 ジゼルコートの一言が、ジルヴェールの反論を消し去る。

「だれもが陛下やそなたらのように前だけを見ていられるわけではない。だれもが、常に前進し続けられるわけではない。ときには立ち止まり、ときには振り返るものもいる。だが、陛下やそなたらはそれを許さない。立ち止まること、休むことを許さず、ただひたすらに前に進めという。歩き続けなければ、走り続けなければ、立ち止まれば死んでしまうという強迫観念に駆られているかのように」

「それは……!」

「陛下はいう。小国家群をひとつに纏め上げ、三大勢力に拮抗する第四の大勢力をつくり上げるのだ、と。そうすることで均衡状態を作り上げ、恒久的な安定を構築するのだと。夢だ。大それた夢。野心。野望。それほどの夢を抱いたものが、この小国家群に現れたことがあるだろうか。大分断から今日に至るまで、小国家群の統一を掲げたものだと、陛下を除いてはいまい」

 小国家群統一という夢。

 レオンガンドがその夢を掲げたのは、ザルワーンを制したときのことだった。ザルワーン国主ミレルバス=ライバーンと対峙した末にそのような夢を語ったといい、それ以来――いや、それ以前からも、ガンディアという国は、大陸小国家群の統一に向けて邁進し始めた。驀進といってもいい。とにかく、ただひたすら、国土の拡大と国力の強化に勤しんだ。もちろん、内政を疎かにしていたわけではないし、外征中はジゼルコートなどが国政を取り仕切り、ガンディア国内が荒れないように配慮してはいた。だから、大きな問題のひとつも起きなかったのだ。

 そして、ジゼルコートの言う通りでもある。

 大陸小国家群統一を目標として掲げたものなど、小国家群の成立以来存在しないだろう。どの国のどのような王も指導者も主も、目先のことに囚われ、国土の維持や防衛、小競り合いに終止するだけで、小国家群をひとつの勢力に纏め上げようなどと大それたことを考えたことさえあるまい。途方も無いことなのだ。一年や二年で成し遂げられることでもなければ、十年、二十年かけても不可能だろう。

 通常ならば。

「陛下だけが夢を見た。小国家群の統一という途方も無い夢を見、その果てしない夢に向かって歩み始めた。夢。夢を見たのであれば、立ち止まれまい。その夢が形になろうとしているのだ。立ち止まってなど、いられまい。走り続けなければ、夢の形など変わってしまう。変わり果て、残骸に成り果てるのが目に見えている。だからこそ、走り続けるしかない。それが陛下であり、いまのガンディアなのだ」

 ジゼルコートは、言葉を止めない。しかし、広場にいるだれもが、彼の発言に耳を傾けているのがわかる。朗々と響く声。ガンディア最高峰の政治家の話は、ひとを惹きつけるには十分な魔力があり、魅力がある。ジルヴェール自身、ジゼルコートの声には惚れ惚れとしたものだった。内容そのものには異論や反論を抱くのだが、彼の話に割って入るだけの力は失われつつあった。

「だが、だれもが陛下のように、そなたらのように前を見ていられるわけではないのだ。前に向かって進み続けられるわけではないのだ。立ち止まり、足を休めなければ進めないものもいる。過去に囚われ、未来を見ることすらできないものもいる。そういったものたちの居場所が、この国にはない。取り残された者達は、取り残されたままなのだ。一度そうなれば、二度と追いつけない」

 そういって、彼は周囲を一瞥する。ジゼルコートの同調者たち。謀叛人たち。彼らがすべて、ジゼルコートのいう、取り残された者達だというのだろう。確かに、そうかもしれない。反レオンガンドを掲げるもののほとんどすべては、政治力を失い、発言権など与えられもしない。反レオンガンド派は、いまやその勢力を最盛期の十分の一以下にまで落ちぶれているのだから、当然だ。レオンガンド派が主流派となり、セツナ派がそのあとに続きながらも結局はレオンガンド派であることを鑑みれば、少数派となった中立派、最小の反レオンガンド派が政治に介入できなくなり、取り残されるのは、必然といっていいだろう。

 そして、そういったものたちにまで手を差し伸べる道理が、どこにあるのか。

 反レオンガンド派など、現状のガンディアにとって害悪にすぎない。獅子身中の虫であり、滅ぼすべき敵であるはずだった。

 反レオンガンド派のかつての首魁ラインス=アンスリウスがレオンガンドの足を引っ張るためになにをしたか。思い出すだけで総毛立つ。ラインスは、ガンディアの最高戦力たるセツナ=カミヤを暗殺しようとしたのだ。未遂に終わったからいいものの、暗殺が成功していたらどうなっていたか。ガンディアは、とっくに滅びていたかもしれない。少なくとも、クルセルクとの戦いは、クルセルクの一方的なものになっていただろう。

 反レオンガンド派など、そのような連中なのだ。


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