第千三百二十七話 夢の亡者
「存外、呆気ないもので」
ゼルバード=ケルンノールが背後からいってきた。あきれるような、なんとも言い難い声音。彼らしい態度。
ジゼルコートは、そんな我が子に視線を向け、目を細めた。ゼルバードは、若い。若く、血の気が多い。だからこそ戦闘部隊の指揮官として育て上げるのに打って付けだったのだ。彼には軍人としての頂点を目指させようとした。政治家としての頂点は、彼の兄に任せればよかった。ジルヴェールは、ジゼルコートの半身であるかのように成長した。ジルヴェールほど、ジゼルコートが認めた才能はなかった。親ばかかも知れないが、事実なのだから仕方がない。
ふと、ジルヴェールの考えてしまうのは、ゼルバードに物足りなさを感じるせいだろう。ジゼルコートは自分が軍人に向いていないことを物心ついたときから知っていた。なにもかも持っていた兄とは違い、自分は臆病で怯懦で、剣を持つことさえできなかったのだ。軍人として兄を支えるという夢を諦めざるを得なかった。
懊悩の果て、見つかった新たな夢こそ、政治家としての道だった。政治家として兄の夢を支えることこそ、彼の夢となった。夢は、甘美だ。夢に向かって邁進している限り、なにものも恐れることはなかった。それが、彼の政治家人生の始まりであり、終わりの始まりだったのかもしれない。
「そのための準備だ。入念に作り上げたのだ。丹念に練り上げたのだ。呆気なくてはならぬ。簡潔でなくてはならぬ。何事にも想定外の出来事というのはあるがな」
ジゼルコートがいったのは、謀叛に至るまでの道程のことだ。王都がこれほどまでに呆気無く落ち、これ以上ないほどの簡潔さでガンディア方面がジゼルコートの手に落ちたのは、それだけ入念な準備をしてきたからに他ならないのだ。勢力を作り上げ、戦力を揃え、時期を待ち、策謀を巡らせた。当然、レオンガンドたちがジゼルコートを警戒していたことも知っていたし、考慮に入れていた。
今回の反乱も、そうだ。
レオンガンドたちは、ガンディアの主力を率いてマルディアに向かった。クルセルク方面軍こそガンディア方面に入れているものの、王都はがら空きであり、反乱を起こせといわんばかりの状況を作り上げていた。これ以上ないくらいの好機。これを逃せば、つぎの機会などありえないだろうと思わせるほどの絶好の瞬間。空隙。だがそれがレオンガンドたちの狙いであることくらい、ジゼルコートにわからないはずがなかった。
だから、乗ってやったのだ。
レオンガンドたちの策に乗り、踊ってやったのだ。
そして、彼らが想定した以上のことを成し遂げてみせたのだ。
それが、ガンディア方面の制圧であり、ここから始まる大闘争なのだ。
「肝に銘じておきますとも」
ゼルバードは、極めて軽い口調でいってきたものの、彼のことだ。本当に肝に銘じるのだろう。彼のそういうところは、好意に値する。だからこそ、彼を傍に置いているともいえるが。
「そうさな……おまえのそういうところは、兄によく似ている」
「そこだけ、ともいえますが」
「よくわかっているではないか」
「はは……よくいわれましたから」
ゼルバードは、苦笑とともに自分の頭を撫でた。彼の屈託の無さは、特筆に値するといってもいいだろう。彼がジゼルコート軍の将兵に人気があるのも、そういった人格によるところが大きい。
「ところで、親父殿」
「なんだ?」
「玉座には座られないのですか?」
ゼルバードが、愚にも付かぬ事を聞いてきたので、ジゼルコートは険しい顔になった。
「いったはずだ。何度もな」
振り返った先、玉座がある。
ここは王都ガンディオン・獅子王宮の中心に位置する玉座の間であり、王と王妃のための玉座が並べてあった。
輝かしい威光に満ちた玉座は、王家の人間にとっては畏れ多い存在といってもよかった。
「王位などどうでもいいのだ。玉座などな。そのようなもののために謀叛を起こしたわけではない」
では、なんのために? などと問うてくるゼルバードではない。 ゼルバードは、ジゼルコートの謀叛の理由を知っていたし、もっと深いところまで理解している節があった。もっとも、彼が謀叛に賛同したのは、ジゼルコートの下に着く以外、彼には道がなかったからであり、その点では、不憫に思わないではなかった。もっと選択肢があれば、彼はジゼルコートにつかなかったかもしれない。若く、血気盛んではあるが、愚かではない。むしろ、聡明なのだ。自分の運命を理解し、立場を弁えるくらいには、利口なのだ。
そういった賢しさが彼の人生を決定づけてしまったともいえる。
「あれは、どうしておる」
ジゼルコートが問うと、ゼルバードは、苦笑気味に告げてきた。
「相変わらず頑なですな」
「そうだろう。そうだろう」
ジゼルコートは、ゼルバードの報告に少しばかり表情を綻ばせた。ジルヴェールという男は、そうでなくてはならない。頑固でなくては。融通のきかない男でなければならないのだ。でなければ、彼はレオンガンドの側近になどなれなかった。レオンガンドが気にいる男にはなれなかった。
「まったく、兄上にも困ったものです。会いに行くたび怒られる。これでは立場が逆ですな」
ゼルバードは苦笑を交えながら、言葉を続ける。
「ですが、安心もします」
「ふむ」
「兄上は、当分、死のうなどとは想いますまい」
「信じているからな」
「……はい」
ゼルバードが静かに肯定する。
現状、ジルヴェールが信じるものなど、ひとつしかない。そして、それを信じるからこそ、どのような苦境に立たされても生きていられるのだ。
「そして、そういった信頼にこそ応える男だよ、彼は」
「来ますか」
「当然、来る」
レオンガンド・レイ=ガンディアが、ガンディアの状況を放置しているわけがない。王宮のみならず、王都、ガンディア方面そのものがジゼルコートの魔の手に落ちたのだ。なんとしてでも奪還しなければ、大国の王としての立場を失い、威信も威厳もなにもかも喪失することになる。そうなれば、彼の夢も終わるだろう。
彼の夢。
大陸小国家群の統一などという途方も無く巨大な夢。野望といっていい。大それたものだが、不可能とも思えなくなりつつある。彼が王位を継承して二年あまり。ガンディアは加速度的に国土を拡大させた。それこそ、他に類を見ないほどの速度で。黒き矛のセツナや武装召喚師たち、軍師ナーレスの存在や周辺諸国の事情などの要素が上手く絡みあったからこその結果だとはいえ、それはつまるところ、レオンガンドが運に恵まれているということでもある。
運が、彼を見放さない。
ザルワーンという大国の戦いでも、クルセルクの魔王との戦いでさえ、彼は運に守られ、勝利した。まるで天が彼の勝利を約束しているかのような勝利の数々。悪運の強さたるやあきれるほどのものだが、それもこれで終わりだろう。
どれだけ急いだところで、彼がこの王都に辿り着くことはできまい。
「それでは、わたしも準備に入りますかね」
ゼルバードがそういったことで、ジゼルコートは意識を現実に戻した。
「ああ。マルダールを頼む」
「御随意に」
畏まって敬礼すると、彼は、ゆっくりと玉座の間を出て行った。
ひとり取り残されたジゼルコートは後ろを振り返り、主なき玉座を見つめた。本来、そこに座っているべき人物の姿を想像し、瞑目する。
(兄上……)
シウスクラウドの補佐をし、ガンディアをもり立てるという彼の夢は、二十年以上も前に破れた。
シウスクラウドが病を得、倒れたとき、彼の夢は終わったのだ。
それ以降の彼は亡霊のようなものだった。
夢破れし者の亡霊。
ジゼルコートは、瞼を開け、そこにシウスクラウドの残影さえ見つからないことを知り、茫然とした。
あまりに長いときが、玉座に相応しい人物の影さえ消し去ってしまったのだ。
ジルヴェールは、広い部屋の中にただひとり閉じ込められていた。部屋は、王宮二階にある彼の執務室であり、そこに寝るための寝台などが運び込まれ、また、彼のお気に入りの書物なども彼の私室から大量に移動させられていた。幽閉というにはあまりにも待遇がいいものの、だからといって喜べるようなことはなにひとつとしてなかった。
幽閉されて、既に半月が経過している。
つまり、謀叛が起きて半月が経ったということだ。
実の父ジゼルコートの謀叛。
(なんということだ)
半月あまり、彼はなにをすることもできず、ただ、部屋に閉じ込められている。幽閉されているのだ。窓も扉も自分の意思では開けることさえ叶わない。たとえ開けることができたところで、この王宮の中からぬけ出すことなど不可能だろう。王宮はジゼルコート軍の手に落ちている。王宮警護でさえ、ジゼルコートの手中にあった。ゼルバードが管理官となってからというもの、密かに推し進められていた改革が、王宮警護の在り方をも変えてしまったのだ。王宮警護は、王家のために王宮の平穏を護るのが仕事だ。だが、ゼルバードが管理官となり、改革を推し進めた結果、王宮警護はジゼルコートの私兵のような存在へと変わってしまった。王宮警護は融通の聞かない組織だ。上の命令に従うしかない。それが王家のためだといわれれば、首を横に振ることなどできないのだ。結果、ジゼルコートの手先として機能し、ジルヴェールやイスラたちは王宮から一歩も出られないようになってしまった。王宮警護の監視の目は、王宮内のあらゆる場所に光っている。
とはいえ、ジルヴェールは幽閉されているだけで、ジゼルコートに殺されるようなこともなければ、レオンガンド派だからといって害されることもなかった。むしろ、手厚く保護されているというべきかもしれず、日に三度の食事は、普段と変わらぬ質が保たれ、生きる上ではなんの問題もなかった。ジルヴェールには、ジゼルコートの望みがわからず、抜け出すことも叶わない部屋の中で、悶々とした日々を過ごしていた。
外部に連絡を取る手段もない。たとえ連絡を取ることができたところで、王宮が落ち、王都が落ちた以上、状況を覆すことなどできるわけもない。敵は、ジゼルコートの私設軍隊だけではないのだ。クルセルク方面軍がいて、ルシオン軍がいる。それらを撃退するだけの戦力を用意できなければ、王宮をジゼルコートの魔の手から奪還することなど不可能だった。
(どうすれば……)
ジルヴェールは、考える。ただひとり、広い部屋の中で頭を巡らせる。堂々巡り。同じことばかりが脳裏を浮かんでは、消えていく。
考えるたび、謀叛が起きた日のことを思い出すのだ。
それは、三月半ばのことだった。