第千三百二十三話 救いの過程
シギルエルは、ベノアガルド南東の都市だ。
マルディア領サントレアの真西に位置し、直線距離ならば馬で一日ほどの近さだったが、実際の距離はというと二日から三日はかかった。なぜなら、シギルエルとサントレアの間にはネール山脈が横たわっており、両都市間を行き来するには北に大きく迂回しなければならないからだ。険しい山を越えることさえできれば、サントレアからシギルエルまでを直線で結ぶこともできるが、平坦な街道よりも複雑な山道を選ぶものは少ない。そもそも、山道を進み、直線で辿り着いたからといって、シギルエル到達までの時間に大差はない。むしろ余計なことに手間取って時間がかかる可能性さえある。サントレアから北へまっすぐ進み、西へ、そして南へと下っていったほうが遥かに安全で、平易だ。
反乱軍も街道を進み、シギルエルへ辿り着いたことだろう。案内人が無茶をするわけもない。
反乱軍は、マルディアの担当者であるカーライン・ザン=ローディスに案内される形でシギルエルに向かった。おそらくカーラインにより丁重に扱われていることだろう。
反乱軍の反乱に大義はなかったとしても、救いを求められ、応じると採決された以上、反乱軍の扱いには慎重にならざるを得ない。たとえカーラインをはじめとする十三騎士がマルディアの戦いに乗り気ではなかったにせよ、身命を賭して戦ったのは事実なのだ。反乱軍指導者ゲイル=サフォーは度重なる敗北を理由に騎士団の惰弱を詰り、評価しようとはしなかったが。
ドレイク・ザン=エーテリアは、天幕の薄闇の中で静かに瞼を開いた。天幕の中には、シギルエルに向かわなかった四人の十三騎士が顔を付き合わせるようにしている。シヴュラ・ザン=スオールはいつものように仏頂面を浮かべ、ハルベルト・ザン=ベノアガルドは愛嬌を振り撒き、ルヴェリス・ザン=フィンライトは退屈そうに天幕の外に目を向けている。
ドレイクたちは当初、マルディア国境付近の防衛拠点に入る予定だったが、最大収容可能人数など千人足らずの拠点に二千人近い軍勢を滞在させることは不可能であり、仕方なく、拠点近くに野営地を設営していた。十三騎士だけでも拠点に入るべきだという声には耳も貸さなかった。
三月二十八日。
サントレア攻防から三日が経過し、サントレアを奪還した救援軍の動向がドレイクたちにも伝わってきている。サントレアは反乱軍から解放されたことで歓喜に包まれたといい、反乱軍の人気の低さ、支持率の低さを認識させるものだった。
マルディアは平穏そのもの――という神卓会議におけるカーラインの報告は、つまるところマルディアの政情が安定し、国民が高い水準で満足していたということであり、そんな幸福な日常を破壊した反乱軍が人気を得ることなど不可能だったのだ。
「救援軍はどうするつもりなんでしょうね?」
ハルベルトが沈黙に耐えかねたように口を開いた。
「サントレアに留まり、こちらの様子を伺っているということは、だ。我がベノアガルド領に逃げ込んだ反乱軍の対処をどうするか、頭を悩ませているのだろう」
「救援軍としては、反乱軍を根絶やしにしたいところでしょうしね」
「反乱軍指導者ゲイル=サフォーが生存している限り、騎士団が反乱軍への助勢を止めないことは救援軍も理解していよう。となれば、マルディア全土を解放したとはいえ、救援軍を解散するわけにもいくまい」
「だとして、救援軍がベノアガルドの領土を侵そうとするでしょうかね?」
「どうだろうな。わたしは、来ると思う」
「来るかね」
「ああ。救援軍はガンディアを中心に結成された多国籍軍。反乱軍の再起を待っていられるほど、長期間の活動が許されているとは思えん」
ベノアガルド領土に逃げ込んだ反乱軍が軍勢を整え、再起するまでに要する時間は、半年やそこらではあるまい。ベノアガルド領なのだ。ベノアガルド国民にとってマルディアの状況など無関係だし、マルディア王家を打倒するという反乱軍の考えに同調するベノアガルド国民がそう簡単に現れようはずもない。戦力を整えるだけでも相当な時間が必要だろう。一年、二年で済む問題とも思えない。もちろん、反乱軍指導者ゲイル=サフォーの考え次第では、戦力が整い切る前に再度マルディアに攻め込むことだってありえるのだが、それにしたって半年以内のことではない。
ゲイル=サフォーらは、しばらくはシギルエルに身を潜め、反撃の機会を窺わざるを得まい。
「ベノアガルドに攻め込んだとしても、反乱軍を殲滅する、あるいは反乱軍指導者を殺害し、反乱軍の原動力を奪ってしまえば、あとはベノアガルド政府と交渉の席を設け、ベノアガルドとの敵対関係を政治的に終わらせるということも考えられる」
「ま、それが手っ取り早いでしょうね」
「だとすれば、あと一日二日もすれば軍勢を整え、攻め込んでくるのでは?」
「かもしれぬ。しかし、サントレアの状況を見ていると、どうやらそれだけではなさそうだ」
ドレイクは、ルヴェリス、ハルベルトの顔を見回してから、天幕の中心に設置された卓に視線を戻した。卓の上には斥候らの報告書が並べられている。それによれば、サントレアの救援軍は、すぐにでも出撃するような状況ではないという。もちろん、サントレア攻防の戦後処理も考慮すれば、すぐさま動き出せないのは当然のことだ。だが、それにしてもサントレアの救援軍には勢いがないというのだ。
まるでしばらくは戦いが起きないだろうという平穏さが、サントレアの南北に長い都市を包み込んでいるらしい。
シヴュラが、静かに口を開く。
「ゲイル=サフォーの身柄の引き渡しを要求してくるかもしれん」
「そのような要請、騎士団が受け入れると考えている、と?」
「受け入れようが受け入れまいが、建前にはなる」
「なるほど」
建前。
救援軍がベノアガルド領に攻め込むための口実として、ベノアガルド政府――つまり騎士団――に反乱軍指導者ゲイル=サフォーの身柄を要求してくるという可能性は、十二分にありえた。ベノアガルド政府としては、絶対的に受け入れられない要求だ。騎士団が助勢すると決めたのだ。別の目的のために利用することになったとはいえ、一度救うと決めた以上は、最後まで面倒を見てやるべきなのだ。
「騎士団が断固拒絶すれば、それを口実に攻め込んでくるってわけね。そして、反乱軍を殲滅して、騎士団と和解する。まあ、そうしてくれるのであれば、わたしたちとしても問題はない……か」
「ですね。反乱軍の皆様には申し訳ないですが」
ハルベルトは、眉を八の字にして、本当に申し訳無さそうな表情をした。ひとの良い青年なのだ。それこそ、十三騎士という苛烈な立場には向かない性格の持ち主であり、だからこそ選ばれたのではないかと思えた。十三騎士の中で彼ほど好かれている人物もいまい。
「救いの手は、すべからく万人に差し伸べられるべきである――とはいうものの、大義なき者達にはふさわしい末路だろう」
「あとは時間を稼げるかどうか」
「目的が果たせるかどうか」
「なに、慌てる必要はない」
ドレイクは、ルヴェリスとシヴュラの発言に対し、穏やかに言い切った。
「救援軍が騎士団に身柄の引き渡しを要求するのであれば、どうしたところで時間がかかるものだ」
要求のための使者なり書簡なりがサントレアとベノアを往復するだけでも時間が必要だった。ベノアはベノアガルド領の中央北部に位置し、シギルエルから馬を飛ばして四日、サントレアからならばそれに二、三日追加しなければならない。早馬を飛ばしたとしても、必要な日数が半分以下になるはずもない。往復だけで十日はかかるだろう。さらに騎士団が要求の内容を精査し、対応を決めるためにも時間が必要だ。それらを踏まえ、交渉が決裂するまでには最低でも一月は要するだろう。
これから一月もあれば、十分過ぎる、
「一月もあれば、さすがにあのひとも行動を起こしていますよね?」
「……既に起こしているだろう」
シヴュラが、冷ややかに断言した。
「ただ、情報の伝達には時間がかかるものだ。エーテリア卿のいうとおりにな」
「つまり、もう終わっている可能性もある、と」
「あるだろう。失敗に終わっている可能性も、な」
「失敗した場合、どうするのかしら?」
「そのときはそのときだ。我々は反乱軍に協力し、救援軍と戦い、セツナを見極める」
ドレイクは、ルヴェリスの横顔を見遣り、告げた。
それこそ、反乱軍の戦いに十三騎士を五人も投入することになった最大の理由だ。フェイルリング・ザン=クリュースの勅命であり、冬籠りを経た騎士団長は、神卓の望むままに騎士団を動かし、そのためにドレイクは同僚たちとともにマルディアを巡る戦いに参加することになったのだ。マルディアがガンディアに救援を求めたのであれば、絶好の機会が訪れるのはわかりきっていたことだからだ。
ガンディアが、黒き矛のセツナを投入しないはずがない。
「必要とあらば、セツナを会議にかけ、神卓に判断を仰ぐ」
セツナ=カミヤ。
黒き矛の使い手たる青年が救済者に相応しいかどうか。
ドレイクたちが反乱軍のために勝利を優先しなかった理由の最たるものであり、そのために、もうひとつの事情も利用していた。
「すべては大いなる救済のため」
ドレイクが告げると、シヴュラ、ルヴェリス、ハルベルトが静かに首肯した。
この世を救うためには、力が必要だ。
力がなければ、騎士団の目的を果たすことなど、世界を救うことなどできないのだ。
そのためにすべてを利用する。
必要な犠牲も払う。
騎士団騎士たちの死も、反乱軍の敗北も、そのための犠牲であり、代価なのだ。
なんの犠牲もなくすべてを救うことができるなどという甘い考えを持って行動しているわけではないのだ。
騎士団は、むしろ冷酷なほどに現実を直視している。冷徹に、自分たちの力不足を認識している。
だからこそ救いの手を差し伸べなければならない。
救いの手を差し伸べ、騎士団の実力を見せつけなければならないのだ。
それが大いなる救済へと繋がるのだから。