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第千三百十九話 静けさの中で

 解せないことがある。

 エイン=ラジャールは、サントレアの町並みを見下ろしながら、軍施設内部に聳え立つ巨人の姿に目を細めた。解せないのは、巨人の参戦もだ。セツナの話によれば、巨人はアズマリア=アルテマックスの知り合いであり、アズマリアの要請によってセツナを助勢したということだった。これから先、しばらくの間はセツナとともに行動する、ともいっている。

 巨人。

 戦鬼グリフ。

 数多の伝説に彩られたワーグラーン大陸で語り継がれる伝説のひとつだ。

 グリフは、最初に鬼と呼ばれ、恐れられた人物であり、その詳細は長らく謎に包まれていた。人並み外れた体躯と膂力を誇り、一撃の元に皇魔の群れを粉砕し、飛竜さえもその尾を掴んで投げ飛ばしたという桁外れの逸話が数多く存在する。が、どう考えても人間業でもないそれらは、戦鬼グリフの逸話を伝説にするために誇張されたものであり、実際のグリフはそこまでではないだろう、というのが定説となっていた。

 だが、実際にグリフの姿を見れば、彼の様々な伝説はまったくの誇張ではなかったのかもしれないと考えさせるに至った。まず、途方もない巨体だった。常人の数倍の巨体は、一撃の元に皇魔の群れを撃退しうるものであり、小さめの飛竜であれば尾を掴んで投げ飛ばしかねないほどだった。実際、騎士団部隊を拳の一撃で殲滅したのだから、笑えない。

 戦鬼グリフの参戦によって、サントレアの勝敗は決したといってもいい。

 巨人の参戦がなければ、戦いはもっと長引き、その結果、勝利のために数多くの犠牲を払わなければならなかったかもしれない。そもそも、勝てたかどうかも怪しいものだ。

 ドルカ軍によってサントレアを抑えたからといって、騎士団が引いてくれたものかどうか。

 ドルカ軍がサントレアに到達したころには反乱軍はサントレアの戦場を放棄しており、それによってサントレアの奪還が上手くいったのだが、それも解せないことのひとつだった。

 あのとき、なぜ、反乱軍はサントレアを脱し、北に逃げたのか。

 戦術的にはありえないことのように思える。

 戦闘はまだ続いていたし、形勢は不明だった。どちらが押しているという状況でもなかった。数の上では救援軍が圧倒的に優勢だったものの、それは開戦当初からのことであり、戦闘によって変化したものではなかった。反乱軍の参加次第では形勢が大きく反乱軍側に傾くことも十二分にあったし、そうならないように部隊を動かすことこそエインの使命だった。

 結局、反乱軍は騎士団を援護することもなくサントレアを放棄し、ベノアガルド方面まで後退するという暴挙に出た。それにより騎士団が戦意を喪失した、というわけではないにせよ、騎士団がサントレアを通過し、ベノアガルドに逃げ帰っていったのは、反乱軍がサントレアを維持していなかったからに他ならない。せめて反乱軍がサントレアの維持だけでもしていれば、状況は大きく変わっただろう。騎士団はサントレアに篭もり、籠城戦に徹したに違いなく、救援軍はベノアガルドから来るかもしれない援軍に戦々恐々しながら、サントレアを攻略しなければならなかったのだ。

 だが、結局はそうはならなかった。

 反乱軍の愚かな決断のおかげで、救援軍にとって事が順調に運んだということだ。

 もっとも、サントレア前哨戦とでもいうべき戦いそのものの結果は、反乱軍の行動如何で変わるようなことはなかった。

 戦鬼グリフの参戦によって救援軍の戦力はいや増し、騎士団との戦力差は決定的といっていいほどになった。投入された十三騎士は五人。その五人が五人、セツナ軍の虜となっていたことが、救援軍にとって幸運だった。まずはセツナを排除するべきだという判断そのものは間違いではないにせよ、セツナとセツナの部下、配下の戦力を突破できないまま戦線が崩壊したことは、十三騎士にとっては痛恨の極みだっただろう。

 十三騎士は、巨人による蹂躙を目の当たりにしたときからセツナたちとの戦闘さえ止め、あっさりと後退した。サントレアに引き上げる騎士団に対し、救援軍は追撃部隊を出そうとはしなかった。巨人という新事態は、救援軍の行動を縛ったのだ。

 巨人が救援軍の味方なのかどうか、戦闘終了直後には不明だったからであり、巨人が救援軍に牙を剥く可能性は皆無ではなかった。騎士団兵だけを攻撃していたとはいえ、巨人は未知の存在であり、味方だとは思えなかったのだ。

 グリフがセツナに助勢すると判明してからは救援軍の戦意も否応なく高まったものの、そのころには騎士団はサントレアに戻り、難なくサントレアを通過し、反乱軍の後を追ったということだった。当時、サントレアは既にドルカ軍の制圧下にあったものの、ドルカ軍程度の戦力では十三騎士と騎士団を止めることなどできるわけもなく、騎士団がドルカ軍を無視してくれたことに感謝こそすれ、騎士団と戦わなかったドルカ軍を責めるものは救援軍にひとりとしていなかった。

 皆、知っているのだ。

 十三騎士がどれほど強く、また、騎士団の兵士ひとりひとりが紛れも無く精強だということを。

 救援軍がサントレアに入ったとき、ドルカ軍が無事だったことに胸を撫で下ろしたものは多い。騎士団の考え方次第では殲滅されても不思議ではなかった。

 ドルカの話によれば、十三騎士ルヴェリス・ザン=フィンライトは物分りのいい人物であり、彼のおかげで助かったようなものだ、ということだった。ルヴェリスがドルカ軍に攻撃しなかったことが、後に続く騎士たちの行動にも影響を与えた、ということだろう。おかげでサントレア市内が戦場になることも、ドルカ軍が犠牲になることもなかったのだ。エインは、ルヴェリスなる十三騎士に心のなかで感謝したりした。

 サントレア市内は、救援軍の到着によって沸きに沸いた。市街地は、反乱軍から解放されたことを喜ぶひとびとで溢れかえり、救援軍を歓迎し、感謝する声で満ち満ちた。それはつまるところ、反乱軍が支持されていなかったということであり、マルディア政府が国民の支持を集めているということでもあった。そういう国民の様子に天騎士スノウ・ザン=エメラリアは嬉しそうに頬をゆるめたものだ。彼は、政府の代表として救援軍に参加しているのだ。国民が政府を支持していることがわかるということが、彼にとってどれほど誇らしいのか、想像に難くない。

 救援軍にとっても、喜ばしいことだ。

 正義がある、ということが如実に現れている。

 逆にいうと、反乱軍の敗北を嘆くひとびとのほうが多く、政府を糾弾するひとびとで街が溢れかえるようなことがあれば、救援軍の士気も低下の一途を辿っただろう。戦うには、理由が必要だ。それも、納得のいくものであればあるほど、いい。そしてそれが正義であればなおさらよく、掲げられた大義を信じることこそ、兵士たちの戦意を高めることなのだ。大義に疑いが生じるような事態は避けるべきであり、そのためにも救援軍は公明正大であらねばならず、また、国民からの支持もなければならなかった。

 マルディア政府が国民に支持されているというのは、かねてよりわかっていたことだ。シールウェールでも、シクラヒムでも、反乱軍を糾弾する声こそあれど、政府を非難する声はほとんどなかった。ユグス王を始めとするマルディア王家のひとびとも、強く支持されており、王家が国民によっていかに尊崇を集めているのか、よくわかるものだった。

 反乱軍の動きだけが、終始、解せなかった。

 まるでみずから悪手を選んでいるかのような選択ばかりを取っているように思える。戦術次第では救援軍を出し抜ける戦いもあったはずだ。なにせ、反乱軍には騎士団がついており、十三騎士が五人も駒として使えたのだ。エインならば、救援軍を出し抜き、反乱軍に勝利もたらすことができたかもしれない。

 エインは、そんなことを考えて、小さくため息を浮かべた。

 サントレアの戦いは救援軍の勝利に終わったものの、反乱軍がサントレアを平然と手放し、ベノアガルド方面に逃げおおせたことで、救援軍の活動はまだ終わりようがなかった。

 サントレアを解放したことにより、反乱軍によって制圧された四都市一砦の奪還には成功した。だが、これでマルディアに平穏が訪れたとは、いえないのだ。反乱軍指導者ゲイル=サフォーを討たねば、反乱軍の活動は終わるまい。たとえ戦力をすべて失ったとしても、ゲイル=サフォーがいる限り、反乱の火は消えないのだ。反乱の火を完全に消すまでは、救援軍は戦い続けなければならない。

 そのゲイル=サフォーは、反乱軍の生き残りとともにベノアガルドに向かったという。騎士団に援軍を求め、実際に援軍を寄越されている以上、ゲイル=サフォーがベノアガルドと繋がりを持っていて、ベノアガルド国内に逃げ隠れたとしてもなんらおかしくはない。ゲイル=サフォーの目的がなんであれ、ベノアガルド国内に逃げ込んだとあっては、救援軍としてはここで一度足踏みしなければならなくなった。

 反乱軍の殲滅のためとはいえ、他国の領内に踏み込むのは簡単なことではない。外交問題になるし、騎士団を敵に回すことにもなりかねない。騎士団がマルディア国内に踏み込んできているのだから構わないだろう、などという言い分は、通用しない。騎士団としては、ゲイル=サフォーの要求に応じて軍を派遣しただけだと言いはるだろうし、領土侵犯に対し、黙殺するような寛容さを持ち合わせているとは思えない。もちろん、マルディア側としては騎士団の領土侵犯と反乱軍への援護を追求し、反乱軍指導者の引き渡しを要求することになっているのだが、騎士団側が応じてくれるかどうか。

(応じないだろうね)

 エインは、そう見ている。アレグリアも同じ考えだった。騎士団は、頑なだ。一度、救いの手を差し伸べた相手がどのような状況に陥ったとしても、手を離そうとはしない。責任感が強いといえば聞こえはいいが、間違っていても非を認めようとはしないともいえる。もっとも、救いの対象が命を落とせば、つぎの瞬間にはころりと切り替える柔軟性も持ち合わせているのだが。

 つまり、ゲイル=サフォーが死ねば、騎士団との交渉の余地はあるということだ。

 ゲイル=サフォーの引き渡しの要求に騎士団が応じないのであれば、救援軍は、ゲイル=サフォーを討つべくベノアガルド領に攻め込むつもりだった。マルディアから反乱の火を消し去るにはそれしかないからだ。ゲイル=サフォーがマルディアに攻め込んでくるのを待っている時間は、ない。ならば、ベノアガルド領内に攻め込み、ゲイル=サフォーのみを討ち、反乱軍の活動に終止符を打てばいい、というのが救援軍の考えだった。その結果、ベノアガルドを敵に回したとしても、戦いが終われば、交渉の場を設けることは不可能ではない。

 頑固さと柔軟さを併せ持つ騎士団ならば、救援軍の言い分にも耳を傾けてくれるかもしれない。

 可能性の話であり、すべてがすべて、そう上手くいくものでもないだろうが。

(それになにより)

 エインは、マルディア・サントレアより遥か南方に意識を飛ばすような感覚を持った。頭の中に刻み込まれた膨大な量の情報、知識が、脳裏に、マルディアの大地を克明に描き出し、そのまま南下していく。シール川を越え、マルディオン上空を通過し、マサークへ至り、アバード領内へ。ガンディアの属国となったアバードの王都は、いまも復興の真っ最中だ。さらに、さらに南へ。彼の意識は、ガンディア領土を南下し、南下し続けていく。

 やがて王都の上空に辿り着き、新市街の町並みが脳裏に浮かび上がったとき、エインは突如として現実に引き戻された。

「ひとりで考えごとか?」

 アスタル=ラナディースの大きな手がエインの右肩に触れたからだ。



 戦いが終わって、トラン=カルギリウスが真っ先に気にしたことといえば、サントレアの状況だった。

 サントレアを巡る攻防は、トランが参戦してすぐに終わってしまったのだが、それも致し方のないことだ。敵である救援軍が巨人を投入してきたのだ。戦鬼グリフ。大陸北部においても伝説的な超人の出現と一方的な蹂躙は、トランをして、唖然とせざるを得なかった。

 グリフといえば、飛竜の尾を掴んで投げ飛ばし、竜を一網打尽にしたという逸話があり、ヴァシュタリア北部では広く信じられていた。ヴァシュタリアには竜が数多く住んでいる。竜の圧倒的な生命力と知能、力は、彼らを万物の霊長として、神のように崇めるものたちも現れるほどであり、ヴァシュタリア共同体の勢力圏内ということもあって、ヴァシュタラ教徒とドラゴン信者の間で諍いが起きることも多かった。ヴァシュタリアが勢力を強めることができたのは、そういったドラゴン信者を上手く取り込んでいったからだということだが、そんなことは、どうでもいい。

 トランにとって大事なのは、彼が幼き頃、竜の庭で遊んでいたころ、グリフの逸話を竜たちから聞かされたという事実だった。竜たちにとっても痛恨の思い出らしく、つぎに会ったときは自分たちが勝つと息巻く竜たちの姿に呆然としたことを覚えている。グリフが巨人の末裔だという話も、そのとき、竜たちから聞いた。

 トランにとってグリフとはまだ見ぬ目標であり、遥か高みそのものだったのだ。

 それが目の前に現れ、騎士団を蹂躙した。その瞬間、トランは騎士団側の敗北を認識したし、それは十三騎士も同じらしかった。十三騎士は軍を纏めて後退し、そのままサントレアからも脱したようだった。

 トランは、戦場に残された。

“剣鬼”と“剣魔”、それに黒き矛の部下たちに取り囲まれ、為す術もなくなったのだ。

『いくら“剣聖”といっても、人間だもんね』

『多勢に無勢ってわけよ』

 ルクス=ヴェインとエスク=ソーマの意見には、返す言葉もなかった。

 事実だ。

 トランはただの人間だ。竜によって鍛えられたというだけのただの人間なのだ。“剣聖”だのなんだのもてはやされたところで、召喚武装の使い手四人を突破するだけの力量はない。

 トランは、投降したものの、場合によっては反乱軍に戻ることも考えていた。彼には、護るべき弟子たちがいる。

 サントレアに向かう道中、トランは、彼女たちの安否だけが気がかりであり、それ以外のことはどうでもよかった。救援軍に負けたことも、武装召喚師たちに為す術もなく取り押さえられたことも、投降したことも、どうでもいいことだ。

 そして、サントレアの病院にアニャン=リヨンとクユン=ベセリアスの無事を確認できたことで、彼はほっとするとともに、反乱軍のやり方に反発を覚えたものだった。

「良かったじゃないですかあ」

 アニャンのあっけらかんとした声に、トランは窓の外に向けていた目を室内に戻した。ふたつの寝台に横たわるふたりの様子は、痛々しいというほかない。

「なにがだ」

「ええ? 先生が無事でぇ、わたしたちが無事だったってことだよぉ」

「……良くはないだろ」

 クユンが寝台に寝転がったまま、口を尖らせた。

 戦いから一夜明け、トランたちは救援軍の監視下に置かれながらも、何不自由なく過ごせていた。救援軍は、トランたちを丁重に扱ってくれていて、アニャンとクユンの体ももう一度、検査してくれた。それによれば、反乱軍による処置に問題はなかったため、その点だけは反乱軍に感謝してもいいと、トランは考えたりした。

 しかし、反乱軍とは直接関係ないとはいえ、アニャンとクユンを病室に放置したままサントレアを放棄し、ベノアガルドまで逃げ去った反乱軍のことを許すことは決してないだろう、とも、彼は想っている。クユンとアニャンは、彼にとってはなくてはならない人物であり、もし反乱軍によって放置された彼女たちの身に危険が及んでいたらと考えると、腸の煮えくりかえる思いがした。

 病院の中だ。なにが起きるということはないとは思う。しかし、万が一ということもあった。なにより、彼女たちは負傷していて、満足に動けないのだ。

「なんでよぉ」

「師匠が満足に戦えなかったんだぞ」

(とはいえ)

 トランは、寝間着のふたりを交互に見遣りながら、彼女たちならばなんの心配もいらなかったかもしれない、と考えなおすに至った。ふたりは武装召喚師だ。声さえ封じられなければ、どうとでもなるだろう。たとえ手足が上手く動かせなかったとしても、だ。

「それは……そうだけどぉ」

「すみません、師匠。わたしたちが負傷したばかりに足を引っ張ってしまい……」

「なにをいうかと思えば、そんなことか」

 トランは、クユンの心底悔しがっている目を見つめながら、いった。

「戦場など、どこにでも転がっている。戦いたければ、戦場を探せばいいだけのことだ。救援軍にいても、また戦えよう。我らに正義はない。反乱軍だろうと、救援軍だろうと、関係はないのだ」

「しかし……黒き矛のセツナとは戦えませんよ?」

「そうですよぉ?」

「構わんさ」

 トランは、ふたりの心配そうな顔を交互に見て、笑った。

「十三騎士も中々に強い。つぎは十三騎士と戦うのも悪くはない」

 もっとも、救援軍がトランを戦場に連れ出してくれるかどうかは、別の話だが。

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