第千三百十八話 聖皇の記憶
「本当、巨人なんているのねえ」
窓のすぐ外にある巨人の顔を見遣りながらつぶやいたのは、ミリュウだ。セツナ軍に充てがわれた建物の二階の窓からは、ちょうど外で胡座をかいている巨人の頭部が見えた。レムが、驚きを持って彼女の発言に続く。
「戦鬼グリフの伝説は聞いたことがございますが、まさか戦鬼グリフが巨人だったとは存じ上げませんでした」
「本人いわく、巨人じゃなく、巨人の末裔ということだがな」
「そうじゃな。あやつは巨人の末裔じゃ。巨人というのは赤子でもあれよりは巨大ぞ?」
ラグナがグリフの話を肯定する。すると、ミリュウが胡乱げなまなざしを彼に向けた。
「本当なの? それ」
「なんじゃ、わしを信じぬのか?」
「にわかには信じがたいわね」
「むう」
「しかし、ラグナが嘘をつくとも思えませんし……」
「そうじゃそうじゃ。わしが嘘をつくわけがないのじゃ」
「それはわかってるけど」
ミリュウが笑いながらラグナに手を伸ばす。ミリュウはさっきからセツナのすぐ隣にいて、腕を絡めてきており、彼女はラグナを撫でるためにその腕を解いていた。ラグナは撫でられるのが嬉しいのか、セツナの頭の上から左肩に飛び降りた。ミリュウが撫でやすいように、だろう。そんなラグナの反応が、ミリュウには嬉しいらしい。
そして、そういったミリュウとラグナのやり取りがセツナには微笑ましく思えたし、レムも和やかな表情で彼女たちを見ていた。
「こんなところにいたのか。探し回ったんだぜ」
声に振り向くと、シーラだった。ひとりというのは、いつも黒獣隊幹部を連れ回している彼女にしては、めずらしい。しかし、黒獣隊の隊長であるということを示す隊服と隊章だけはかかさず身に着けている。
「探し回った?」
「ここからだとグリフ様のお顔がよく見えるのでございます」
「っていうか、セツナがいるから集まってるだけよ」
「だと思ったよ」
セツナに抱きつきながらいいはなったミリュウに、シーラがあきれたように笑った。
「で、なんでまた俺を探し回ってたんだ?」
「ウルクの様子を見に行ってきたからな、その報告って思ってさ」
「なるほど」
セツナは、納得するとともにシーラの気遣いに感謝した。
ウルクは、先の戦いで損傷し、ミドガルド=ウェハラムの元で躯体の検査と調整を行っていたのだ。セツナとしても様子を見に行かなければならないと思っていた矢先のことであり、シーラが先に見に行ってくれているとは想いもよらなかった。シーラはなにかにつけてウルクのことを気にしてくれているらしい。どうやら、練武の間での出来事がきっかけのようだ。
「ウルクねえ」
ミリュウがセツナの胸に回した腕に力を込めてくる。背中に胸を押し当てられているという状態に、セツナはなんともいえない気分になった。別に気分が悪いわけではないし、なれたことでもあるのだが、久々といえば久々の感触だ。ミリュウたちとは長らく別行動を取っていたし、合流後はすぐに戦いだったこともあって、彼女はセツナに甘えたりないらしい。セツナとしては、彼女の好きにさせてやろうと考えていた。ヘイル砦での彼女の大活躍は、記憶に新しい。
「あやつは無事か?」
「無事も無事。戦闘行動にさえ支障ないとよ」
「そうか。よかった」
「ただ、予備の装甲なんて持ってきてないから、修理するにはディールまで帰らないといけないらしい。ミドガルド博士にいわせると、精霊合金の装甲が傷つくなんて事態、想定の範囲外だったそうだ」
「それだけ十三騎士の攻撃が強力だった、ってことだな」
「わたくしも死ぬかと想いました」
レムが胸に手を当てながらいってくる。セツナは、戦後、衣服の胸元がぼろぼろになった彼女をこの目で見ている。話によれば、レムはカーラインの槍で胸を貫かれたということであり、彼女が常人であれば死んでいたということだ。しかし、彼女は死なない。不死不滅の存在である彼女が平然と起き上がったことには、さすがのカーラインも驚いたということであり、レムはそのときのことを面白そうに話していたものだった。
「まあ、とっくに死んでいるのでございますが」
レムはなんとも愉快そうに笑い、セツナたちを沈黙させた。
サントレアの戦いでの負傷者は、瞬時に回復したレムと、躯体そのものに異常が見当たらなかったウルクだけであり、それ以外の仲間たちは、負傷らしい負傷もなかった。セツナは全身に多数の手傷を負ったものの、どれも軽傷で済んでいる。深手を負っていれば、十三騎士に押し切られていただろう。
ファリアもルウファも無事だ。
ルウファはエインとアレグリアに扱き使われているらしく、ナーレス不在のいまでもなんら変わりない便利屋としての扱い方に、彼は泣きそうな顔をしていたものだった。シルフィードフェザーほど使い勝手のいい召喚武装はないということだ。もちろん、只ではない。働いた分だけ余計に給料がもらえているらしい。結婚式を豪華にしてやる、と息巻くルウファの様子は、微笑ましいというか、なんというか。
ファリアは、隊長補佐としての事務処理に時間を費やしている。セツナの負担は出来る限り軽くしたいという彼女の思いやりには感謝するしかないし、実際、セツナは何度となく感謝と労いの言葉をかけたものだった。
『言葉よりも態度で示してあげなよ』
ミリュウの一言が耳に突き刺さったまま、離れない。
もっとも、いますぐどうこうできることではない。
ここはサントレア。
戦いが終わったわけではないのだ。
そんなことを考えながら、セツナはミリュウたちとともに建物の外に出ていた。晴れた空の下、巨大な影がセツナたちを包み込んでいる。巨大な人影。巨人の影。建物の外に出ると、そこは巨人の足元だったのだ。
巨人の周囲には、いまはもう人気はない。彼が座した当初は凄まじいまでの人だかりができていたのだが、彼が迷惑がると、蜘蛛の子を散らすように去っていった。巨人を怒らせるようなことがあってはならないということくらい、だれでもわかることだ。特に彼の圧倒的な力を目の当たりにした救援軍の将兵からしてみれば、ひとごとではないのだ。彼が怒り狂い、暴れだせば、その瞬間、このサントレアは崩壊の憂き目に遭うだろう。
「やっほー」
などと、巨人の足元で小さく飛び跳ねたのはミリュウだ。グリフの見物に行きたいと言い出したのは彼女であり、セツナは彼女に引きずられる形で建物の外に出ていた。本音では、ウルクの様子を見に行きたかったのだが、ミリュウを優先するほかなかったのだ。
巨人が閉じていた瞼を開く。大きな顔の造作は決して悪くはない。もし常人と同じ大きさならば、異性に好感持たれること間違いなしといった顔立ちだった。ぎょろりとした目は、巨人ならではといったところであり、常人であればそこまで悪目立ちはしないだろう。
「うぬは……だれだ?」
「あたしはミリュウ。ミリュウ・ゼノン=リヴァイアよ。よろしくね、巨人さん」
「グリフだ」
「そうね、グリフだったわね」
「……なんだ?」
グリフが、怪訝そうな顔をして、ミリュウを睨んだ。ミリュウの態度が煩わしく感じたのかもしれない。ミリュウはグリフの威圧的な反応を意にも介さない様子であり、むしろセツナがヒヤヒヤしなければならなかった。といって、口を挟むこともできない。
「なーんか、どっかで見たことある気がするのよねえ」
「我をか?」
「うん……なんでだろ」
「リヴァイアの記憶か?」
尋ねると、ミリュウは自信なさげにうなずいた。
「……たぶん」
すると、巨人が口を開いた。
「リヴァイア……なるほど、レヴィアの末孫か」
「レヴィアを知ってるの?」
「知らぬわけがない。多くのことは忘れてしまったが、レヴィアは我とともに戦野を駆けた盟友。我とともにあのものの夢を助けた六人がひとり……」
「まさか……」
セツナは、グリフの予期せぬ返答に驚くほかなかった。驚いたのは、ミリュウも同じだ。
「まさかあなた、聖皇六将のひとりっていうんじゃないでしょうね?」
「そう呼ばれたこともあったな」
「うそ……」
ミリュウが愕然という。
「嘘ではない。もっとも、この不確かな記憶が真実か否か、いまとなっては調べようもないがな」
グリフがどこか諦めにも似た声音で告げてきた。記憶に自信がないのは、何百年も生きてきたことによる弊害なのか、それとも、別の理由があるのか。本人ならざるセツナには想像しようもない。
セツナの頭の上で、ラグナが首を持ち上げるのがわかった。
「安心せい。わしが保証してやる。おぬしのいっておることは嘘ではないぞ」
「そうか」
グリフは反応を示したが、どうでもよさそうな態度だった。実際、彼にとってはどうでもいいことなのかもしれない。記憶が不確かなことも、その記憶がどんなものなのかも。
「ラグナ、おまえ知ってるのか?」
「思い出したのじゃ」
「都合のいい頭だな、おい」
セツナは、あきれるしかなかった。グリフのことといい、聖皇六将のことといい、そのときになって思い出すなど、なんと都合の良い頭なのだろう。が、ラグナのことを考えれば、むしろきっかけがあれば瞬時に思い出せるだけ凄いのではないか、とも思える。ラグナは数万年もの間、何度となく転生を繰り返してきたドラゴンなのだ。転生竜は、ラグナのこれまでの言動を思い返す限り、死に、生まれ変わったとしても、記憶を失うことがない。記憶を引き継ぎ、転生している。だからこそ彼はセツナとの戦いについて記憶しているのだし、アズマリアのことも覚えている。つまり、数万年もの生と死の輪廻の中で、彼は膨大な情報を記憶し続けてきたのだ。それこそ、巨人とは比較にならないほどの。
グリフがどれほどの長い年月生きてきたのかはわからないが、ラグナほどではあるまい。
ラグナは本来の巨人を知っているという。グリフよりも何倍もの巨体を誇った真の巨人族。その末裔たるグリフがラグナほど生きているはずもない。何百年、長くて数千年だろう。情報量はラグナよりもずっと少ない。それで記憶が不確かだというのだ。
ラグナが平然と何千年も昔の記憶を取り出せていることのほうがおかしいと思うべきかもしれないし、そう考えると、ラグナがミリュウの恐れる事態にならないことも、驚くべきことなのかもしれない。
もっとも、ミリュウが恐れるのは、数多の他人の記憶が意識を席巻し、気が狂うことであり、同一の存在として数多の情報を記憶し続けてきたラグナとはまったく関係のないことだが。
「……って、ラグナって、聖皇六将のことについて知ってるの?」
ミリュウが頓狂な声を上げる。
「うむ。いわなんだか?」
「聞いてないわ。そもそも、聖皇六将について話したこともなかったけど」
「そういえばそうじゃな」
「じゃ、じゃあ、レヴィアについても知ってるのね?」
ミリュウは、セツナの頭の上からラグナをひったくると、彼と睨み合った。ラグナは一瞬むすっとしたが、すぐに気を取り直したように、鷹揚にうなずいてみせた。
「うむ。知らぬ訳がなかろう。それがどうかしたのかの?」
むすっとしたのは、定位置から強引に引きずり降ろされたからだろう。
「レヴィアは、あたしの祖先なのよ。さっきグリフがいってたでしょ」
「そうじゃったな。なるほどのう……ミリュウがレヴィアの……」
「なによ?」
ラグナの反応にミリュウが不思議そうな顔を擦る。
「似ても似つかぬな」
「祖先だからって似ているとは限らないでしょ」
ミリュウが当然のことをいうと、ラグナはそれもそうかとうなずいた。
そんなふたりのやりとりを見ていると、セツナの脳裏に閃くものがあった。
「ってことはだ。ラグナ、おまえ、聖皇についてなにか知ってるのか?」
「知っておることは知っておる。しかし……のう」
ラグナはなにやら口ごもると、グリフを見上げた。いつの間にか目を閉じていたグリフは片目だけ瞼を開けると、ぎょろりと光る目でラグナを見つめた。
「……うぬもか」
「やはりおぬしもか?」
「うむ」
小飛竜と巨人が納得しあっているのがよくわからず、セツナはミリュウと顔を見合わせた。それから、ほぼ同時に問いかける。
「なんだよ?」
「どうしたの?」
「あのもののことを思い起こそうとすると、どうも頭の中に霧がかかったようになってのう。思い出せぬのじゃ。聖皇六将と呼ばれたものたちのことは辛くも思い出せるが……」
「我も同じよ。あのもののことは、毛ほども思い出せぬ。我を呪い、我をこの世に縛り付けた張本人たるあのもののこと、思い出さねばならぬというのに」
巨人が体を僅かに震わせた。それだけで地面が揺れ、建物までも振動し、窓が音を立てた。グリフが建物の傍にいたからだろうが、それにしても影響力が大きすぎる。さすがは巨人族の末裔というほかない。セツナは、この世界がやはり異世界で、未知と神秘、幻想で満ちた世界なのだと、いまさらのように納得した。
ミリュウが、グリフを仰ぎ見た。
「やっぱり、あなたも呪われているのね」
「不老不滅。そして、不眠。それが我にかけられた呪いよ」
「不老不滅は一緒なんだ」
レヴィアにかけられ、リヴァイア一族に受け継がれた血の呪い。解く方法はなく、死ぬには同じ血を持つものによって殺されるしかないという。
グリフも、同じなのだろうか。
だとすれば、彼が死ぬためには、彼が子を成し、殺してもらうしかないのだが、巨人族の末裔がほかにいないかぎり、不可能だろう。彼と生殖可能な生物がほかにいるのであればまだしも、人間では不可能だ。とすれば、彼は、呪いが解けるその日まで生き続けるしかないということになる。それが不幸なのか、あるいは幸福なのかは当人しかわからぬことであり、彼がレヴィアと同様、不滅に対し絶望しているかどうかなどあずかり知らぬことだが。
セツナは、グリフを不憫に思わざるを得なかった。
ミリュウがいて、彼女から話を聞いてしまったからだろう。
レヴィアの絶望を。
リヴァイアの絶望を。
ミリュウの、絶望を。
「それに不眠って……」
「眠れないのか?」
セツナたちが尋ねると、グリフは、面白くもなさそうに告げてきた。
「我に安息はない。故に我は戦い続けてきたが、それにも飽き、この近くで眠りがくる日を待ち続けていたのだがな」
巨人は、遠方を見遣っていた。おそらく、ネール山脈のいずこかを眺めているのだろう。セツナたちからはまったく見えないが、巨人ならば座りながらでも見えるものなのかもしれない。巨人の体躯は、あぐらをかいていてもセツナの二、三倍はある。
「その地も、反乱軍とやらに奪われてしまった」
「反乱軍に?」
「参謀局の皆様が入手した情報によれば、ネール山にあった山村が反乱軍によって滅ぼされたということにございます」
レムがここぞとばかりに情報を差し込んでくる。話に加わりたくて仕方がなかったというような口ぶりに、セツナはなんともいえない顔になった。
「なんでまた?」
「反乱軍の声明文によりますと、反乱軍に降りながら政府軍に通じていた、ということだそうで」
「それで、村を滅ぼしたってのか」
呆れ果てたように吐き捨てたのは、シーラだ。彼女からすれば信じがたいことだろう。
「正義もなにもあったもんじゃないな」
すると、巨人が驚くべきことを告白してきた。
「我はそのとき、反乱軍に囚われた」
「はあ?」
「どういうこと?」
「おぬしほどのものがか?」
ラグナがミリュウの手の中で、信じられないといった表情を浮かべた。巨人は事も無げに言い放つ。
「戦うに飽いた」
「……それで、おとなしくつかまろうって?」
「うむ。しかし、気が付くと、我を捕らえたものたちは死んでいたのだ。どうやら、あやつが我を解放したのだろうな」
「アズマリアか」
「うむ」
グリフは、うなずき、静かに告げてきた。
「我におぬしの手助けをさせるため、な」
やはり、解せないことだ。