第千三百十六話 目的
カーライン・ザン=ローディスら十三騎士率いる騎士団が、サントレアを脱し、北へと逃れた反乱軍の一団に追いついたのは、マルディアとベノアガルドの国境付近のことだった。
サントレアから国境までは山脈と山脈の間に横たわる一本道だけしかなく、追いつくのに苦労はしなかった。もっとも、追いつくことができたのは、ゲイル=サフォー率いる反乱軍が国境目前で停止し、カーラインたちとの合流を待っていたからに他ならない。
カーラインらが追いつくと、ゲイル=サフォーは、やれやれという顔をした。
ゲイル=サフォーが徹底抗戦を訴えるから戦ったカーラインたちにしてみれば、なんともやるせない反応であり、ルヴェリスなどは呆れ果ててものも言えないといった様子だったが、マルディア担当のカーラインは、辛抱強く彼と対話を行った。カーラインは、彼の考えを問いたださなければならなかったのだ。彼と言葉を交わすことすら馬鹿馬鹿しかったものの、騎士団に甚大な被害が出ている以上、黙殺している場合ではなかった。
生き残ったわずかばかりの反乱軍幹部と顔を突き合わせて議論を戦わせるのも、これで最後になるかもしれないということだけが、カーラインにとっては救いだった。
「なぜ、戦いの結論を待たず、サントレアを明け渡したのです?」
「貴公ら騎士団が不甲斐ないことは、わかりきっていたからだ」
ゲイル=サフォーは、臆面もなく、そういってきた。
カーラインは、その場にいる騎士団の代表が自分とシヴュラ・ザン=スオールだけだということに心底安堵した。カーラインもシヴュラも騎士団に誇りを持ち、十三騎士としての自尊心と自負もあるが、罵倒されたからといって冷静さを見失うことはなかった。ハルベルト・ザン=ベノアガルドはまだ若く、青い。激昂しないとも限らないし、ドレイク・ザン=エーテリアは不快さを隠さなかっただろう。一番恐ろしいのはルヴェリス・ザン=フィンライトだ。その場では笑って流しても、裏でなにをするものかわかったものではない。その点、シヴュラはなにもしないことがわかりきっているから安心できる。
「不甲斐ない……とは?」
「サントレアでもいったではないか。貴公ら騎士団が不甲斐ない戦いを続けてきたから、我々が制した各都市を失う結果になった。サントレアもそうなることは、予測できたことだ」
「だから、我々に告げもせず、サントレアを放棄した、と」
「ああ、そうだ。貴公ら騎士団が救援軍を撃退したのならばそれでよし。でなければ、サントレアに留まっている場合ではない。我ら反乱軍の戦力はあまりに少ない。救援軍が貴公らを圧倒し、サントレアに押し寄せてきたとあらば、対抗のしようがないのだ。サントレアを離脱する以外に道はなかった」
つまるところ、ゲイル=サフォーは、サントレアの戦いが反乱軍側の敗北に終わることを予見していたということであり、騎士団と救援軍の戦いが本格的なものになるころには見切りをつけ、サントレアから脱出、ベノアガルド領への逃走を始めていたということだ。
「それに、シギルエルまでの後退を提案したのは、貴公ではないか」
「それはそうですが。後退するのであれば、端から戦う必要はなかったでしょう?」
カーラインは、ゲイル=サフォーの隻眼を見据えながら、問うた。救援軍と戦った結果、予期せぬ事態が起きた。戦鬼グリフの救援軍への参戦。巨人は、その圧倒的な制圧力によって騎士団を蹂躙し、数多の騎士たちが命を落とした。それこそ、何百人もの准騎士、従騎士たちが落命している。巨人が現れて、カーラインたちが撤退を決定するまでのわずかな時間でだ。
巨人はそれほどまでに強かった。黒き矛と同等とはいうまいが、それに近い力を持っているのは疑いようがない。そのような生き物がこのマルディアの地に潜んでいたという事実には驚嘆するほかなかったし、反乱軍が一時的にでも拘束に成功したのであれば、騎士団に連絡し、騎士団にまかせておくべきだったとも思った。騎士団ならば、拘束を継続することができたかもしれない。
「貴公らの奮起を期待したのだがな」
「奮起……?」
「だが、どうやら貴公らは口だけの組織だったということらしい」
「……なるほど」
カーラインは、ゲイル=サフォーとの議論はこれ以上無意味だと悟った。ゲイル=サフォーは、反乱軍が騎士団に頼らなければならないほどか弱い存在だと知り尽くしているにもかかわらず、自分のほうが立場が上だと思い込んでいるようなのだ。騎士団の力によって反乱に半ば成功し、マルディアの版図の半分を手に入れることができたのも、カーラインのおかげだということも理解しているはずであるのに。
取り付く島もなければ、状況を理解しようとする頭もない。
「では、シギルエルに向かい、再起を図る――ということでよろしいのですね?」
「ああ。マルディア王家を滅ぼすその日まで、我々の正義が成就するその日まで、我らの戦いは終わらないのだからな」
ゲイル=サフォーはいい、ヌァルド=ディアモッドと頷きあった。カオン=ハルバは、カーラインを見て、小さく頭を振った。彼だけは、状況が見えているのだ。もはや反乱軍には反乱を成し遂げるだけの力は残されておらず、再起を図ることも容易ではないという事実を理解しているのだ。
あるいは、ゲイルもヌァルドも理解しているのかもしれない。理解した上で、再起に賭けているのだろうか。だとすれば、応援してやらないでもないが、それも彼らの態度次第といったところだろう。
騎士団は、救いのために行動する。
だれかが救いを求めたのであれば、それが善であれ、悪であれ、関係なく、行動する。
ゲイル=サフォーの反乱に与したのも、彼が救いを求め、騎士団に連絡してきたからにほかならない。反乱軍の大義などどうでもいいことだ。騎士団には騎士団の大義があり、正義がある。それだけがすべてで、反乱軍の正義が成就しようがすまいが、関係がない。
騎士団は、救いのために行動する。
「再起か」
シヴュラがつまらなそうにつぶやいたのは、ゲイル=サフォーらとの会見が終わってからのことだ。星空の下、妙に空々しい風が流れていく。騎士団と反乱軍の合流地点は、野営地となっている。シギルエルまでは少し距離がある。ここで休んでおくのは悪い判断ではない。
反乱軍約三千に対し、騎士団は二千五百ほど。騎士団が此度マルディアに派遣した兵数は五千。十三騎士ひとりにつき千人だ。それが半減してしまっている。壊滅的打撃といっていいし、甚大な損害を被ったというほかない。反乱軍も半壊状態なのだが、反乱軍よりも酷い状況なのが騎士団だった。それもこれも、反乱軍が戦闘を騎士団に任せきっているからであり、騎士団が矢面に立たざるをえないからだ。そして、救援軍の戦力が想像以上に強力だったからでもある。
「できると、思われますか?」
「どうだろうな」
シヴュラは、前方に向かって軽く手を上げた、彼の視線の先にはハルベルトがいた。ハルベルト・ザン=ベノアガルドは、シヴュラに懐いている。いまも、子犬が尻尾を振るような勢いで手を振っており、カーラインはそんなハルベルトが微笑ましくて仕方がない。凄惨な人生を送ってきた彼だからこそ、そういう笑顔を見せてくれるだけで救われる気分になるのだろう。
「わたしは、うまくいくとは思えません」
「卿が、シギルエルへの後退を提案したはずだが」
「それは、騎士団が目的のため」
冷ややかに告げると、シヴュラが肩を竦めた。
「……理解はしているがな」
「納得はできない、と?」
「いや……わたしは言葉を持たない。ただの騎士だ。大義のために役目を果たすよ」
「さすがはスオール卿」
「ベノアガルド卿のようなことをいうものではないよ」
「はは」
カーラインは、苦笑しながら駆け寄ってくるハルベルトを見ていた。
マルディアを舞台とする戦いは、これで終わる。
反乱軍がシギルエルに逃れれば、反乱軍の根絶を目指す救援軍は、シギルエルまで追ってくるしかない。根絶しなければ、またマルディアの地が襲われることになる。たとえ反乱軍の再起は不可能であっても、騎士団が助力しないわけではないのだ。反乱軍の指導者が生きている限り、マルディアは騎士団の脅威にさらされ続けることになる。救援軍としては、なんとしても反乱軍の指導者ゲイル=サフォーを討ちたいはずだ。
もちろん、すぐには来れまい。なにせ、ベノアガルド領だ。救援軍がベノアガルド領に軍隊を派遣するということはつまり、救援軍に所属する国がベノアガルドと敵対することの表明であり、それについて救援軍は慎重にならざるをえない。
まずは、ベノアガルドへの反乱軍指導者ゲイル=サフォーの引き渡しを要請してくるだろう。当然、ベノアガルドは拒絶する。そうなれば、救援軍は実力行使をするほかなく、騎士団領に攻め込んでくるしかないのだ。
それこそ、思惑通りなのだが。
情勢次第では、そういう状況にならない可能性も、大いにあった。
ガンディア軍をベノアガルドに引き入れ、留め置く理由がなくなる可能性があるのだ。
その場合、サントレアが戦場になるが、そのための準備も当然している。
問題は、サントレアが戦場になった場合、十三騎士がその真価を発揮できないかもしれないということだ。
カーラインは、シヴュラに駆け寄り、満面の笑顔を見せるハルベルトのまばゆさに目を細めると、ゆっくりと空を仰いだ。
満天の星空は、無数の宝石を闇の中にばらまいたかのようであり、マルディアの空とはこのようなものかもしれないと彼は思ったりした。