第千三百十四話 勝敗のかたち
ドルカ=フォーム率いるログナー方面軍第四軍団が戦場を縦断し、サントレア南門に到達したとき、サントレアは異様なほどの沈黙に包まれていた。反乱軍による迎撃を予測していたドルカは、なんの反応もないことを訝しみ、閉ざされた南門へ、部下たちを慎重に近づかせた。しかし、やはりというかなんというか、門にどれだけ近づいたところでなんの変化もなく、サントレアに防衛戦力が残されていないのではないかということを推測させた。
つまり、反乱軍がサントレアを放棄し、逃げたのではないか。
「どう思う? ニナちゃん」
「軍団長の考えが正しいかと」
「やっぱり?」
ドルカは、ニナの無表情を見つめながら、確信を抱いた。
ここまで接近して都市内からなんの反応もないというのは、都市内に戦力が残っていないということに違いなく、それはつまり、反乱軍が逃げおおせたということに違いない。でなければ、この沈黙はありえないし、ドルカ軍が攻撃されないわけがない。門は閉ざされており、サントレア市内に入るには門を破壊するしかなく、ドルカは部下たちに命じて破城槌を持ち出させた。城門を破壊し、こじ開けるための攻城兵器は、ドルカ軍が大事に持ち運んできている。
「騎士団だけが戦闘に参加している時点でおかしいと思ったんだよねえ。これ、反乱軍の戦いなのにさ。マルディア政府だって、政府軍を寄越してるのに、そのマルディア政府を批判する反乱軍が己の戦いに部隊ひとつ寄越さないってのは、どう考えてもね」
「今日に至るまで敗戦続きだったのが、反乱軍首脳部には痛かったのでしょう」
「だろうね。それで、もはや勝てないと踏んだかな」
サントレアを騎士団に任せ、時間稼ぎをしてもらっている間にベノアガルド領に逃げおおせたのかもしれない。あるいは、反乱軍はとっくにベノアガルドに逃げ込んでいて、サントレアには騎士団部隊しか残っていなかったという可能性もある。
いずれにせよ、反乱軍がベノアガルドに逃げおおせたということは、みずからの大義を放棄したといっても過言ではない。再起のために去ったのだとしても、今後、反乱軍はマルディア国内で支持を得ることは困難となるだろう。そもそも、マルディア国内に反乱軍の支持者は少ない。占拠した都市には少しずつ増え始めていたようだが、それも今回の連戦連敗と国外への逃亡によって台無しになったことだろう。
反乱軍は正義を失った。
それでも彼らは変わらぬ正義を掲げるだろうし、その正義を信じて戦い続けるのかもしれないが、もはや空疎なものと成り果てた事実を消すことはできまい。
ドルカは部下たちが城門を破壊するのを遠目に見遣ってから、サントレアの派手な城壁を眺めた。マルディア様式と呼ばれる派手な作りは、マルディアの各都市の様々な建築物、建造物で見られた。マルディアは宝石類の産地として知られる。マルディアの王族が豪華にも宝飾品を身に纏うのは、その事実を主張するためであり、マルディア様式の建築物、建造物にもそういった主張が現れていた。要するにただの城壁にさえ宝石類が使用され、ひとびとの目を奪うのだ。
それら城壁などに使用された宝石類がひとつとして盗まれたり、奪われたりしていないところがマルディアの法治国家たる所以であり、マルディア政府の政治が正しく機能していることの現れだろう。貧困はなく、だれもが一定上の暮らしを享受できている。それは、マルディア国王ユグスが国民の声に耳を傾け、出来る限り手を差し伸べているからだ。
ユグス王の評判を聞けば聞くほど、彼は理想的な王であり、名君と呼ぶべき人物だとわかる。よって、反乱軍の反乱理由には納得できず、ドルカは頭を抱えるのだ。
「まあ、反乱軍の気持ちもわかるよ」
「反乱理由……ですか?」
「いやいや、それは未だにわかんないけど」
ドルカは、苦笑交じりにいった。破壊音が響き渡り、破城槌によって城門がこじ開けられたことがわかる。ドルカ軍兵士たちがその勢いで門を押し開き、サントレア市内に突入していく。
「ベノアガルドに逃げたくもなるって話」
「ああ、そのことですか」
「ね? わかるだろ。勝てっこない相手との戦いなんて、続けられるものか」
ドルカは、多少の実感を込めて、告げた。
救援軍の戦力は、反乱軍に比べれば圧倒的だ。反乱軍は騎士団の援軍を得てようやく戦えたのだ。だが、その騎士団も敗戦続きであり、いかに十三騎士が強かろうと、十三騎士だけでは戦局を動かすことは不可能に近いということが判明した。
十三騎士は、黒き矛と同等の力を持っているというが、黒き矛のセツナとは決定的に違うと断言していいだろう。
セツナは、ただひとりで戦局を動かすことができる存在だ。
だから救援軍は勝つ。
ドルカは、部下たちに続いてサントレアに入ると、南門前に集まっていた市民たちと遭遇した。市民の話により、反乱軍が北へ向かって移動したことがわかり、ドルカの推測が正しかったことが明らかとなる。ドルカは、市民に救援軍の到来を告げ、サントレアを反乱軍の手から奪還しに来たことを伝えた。市民は、反乱軍の手から解放されることを喜んでおり、反乱軍がいかに支持されていないかがドルカにはよく理解できた。反乱軍よりも、政府のほうが支持率が遥かに高いのだ。
(そりゃあそうだよねえ)
ドルカはひとり、納得する。
マルディア政府は国民の声に耳を傾け、いまなにが必要で不要なのか、正しく判断することができていた。行政として完璧に近いのではないかと思えるほどであり、国民がマルディア政府、マルディア王家を支持するのも当然というものだった。
そんな中で反乱を起こしたのだ。
どのような理由があれ、国民から支持を得られるわけがなかった。
反乱が失敗するのは、必然とさえいえた。
(半年近く持ったんだ。よくやったほうだよ)
騎士団の力を借りてようやく成功に導けるかもしれなかった反乱も、政府がガンディアに救援を要請したことで無駄に終わった。ガンディアが救援に乗り気になったこと。救援軍にガンディアの同盟国、友好国が参戦したこと。そして、十三騎士が思ったほど強くはなかったこと。それらの条件が重なり、反乱軍は敗北に敗北を重ねた。
そうなれば、一度引き、再起を図ろうとするのも、わからなくはない。が。
ドルカは、サントレアの市民がドルカ軍を歓迎する様を見遣りながら、もう二度と、反乱が成功することはないだろうと思わざるを得なかった。
そんなとき、悲鳴にも似た叫び声がドルカの耳朶を震わせた。
「軍団長!」
「どうしたんだい? ああ、勝報かな?」
「い、いえ……! 騎士団、騎士団です!」
「なんだって……!?」
ドルカは一瞬、耳を疑ったものの、即座に状況を理解して、納得もした。
「って、そりゃあ、そうだろ。なにいってんだ」
「はい?」
きょとんとする兵士に向かって、ドルカは簡単に命じた。
「門を開け。どうせ彼らはなにもしてこないさ」
「そもそも、門は破壊していますが」
「そうだったね」
ニナの一言にはうなずくほかない。
それからドルカは門前まで移動した。破壊され、開きっぱなしになった門の向こう側から、騎士団の
兵士たちが隊列をなして迫ってくるのが見える。悲壮感はなく、だれひとりとしてうなだれてもいないためか、撤退中の軍勢には見えない。だからドルカは、瞬間的に、騎士団がサントレアに攻め込んでくるのかと思ってしまったが、そんなことはありえないとも考えなおした。
要するに、サントレアを巡る戦いが終わった、ということだ。
サントレア南部を戦場とする戦いが救援軍の勝利で終わったことは、騎士団の撤退からも明らかだ。騎士団の勝利だったとしてもサントレアに撤収してくるだろうが、その場合は、もっと時間がかかったはずだ。敗走よりも勝利の事後処理のほうが時間がかかる。
「はい、一番乗り。って、あら?」
騎士団を率いてきた人物は、門の境界を飛び越えるようにして市内に入ってくると、ドルカたちの存在を認識した。蒼白の鎧を身に纏った人物。兜を外しており、素顔が明らかになっている。茶色がかった髪を腰辺りまで伸ばした男で、やや中性的な容貌をしていた。鎧から、十三騎士のひとりだということがわかる。
「どうも、十三騎士殿」
「あなたは、どなた?」
十三騎士は、騎士団の行進を手で制しながら、問いかけてきた。ドルカもドルカで部下たちを手で制しながら、口を開く。
「ガンディア軍ログナー方面軍第四軍団長ドルカ=フォームというものです」
「へえ、あなたがドルカ=フォーム殿。噂には聞いてるわ。アバードでの活躍、見事だったそうね?」
「まあ、そこそこ」
適当に相槌を打つ。十三騎士が、アバードでのドルカの活躍を知っているのは、騎士団がアバードに軍を派遣していたからだ。十三騎士が三人、アバードに寄越されていた。彼らの報告が十三騎士の耳に入ったとしても、なんら不思議ではない。
「今回も、バンドールのときのような活躍っぷりね?」
「ははは。サントレアは我が手に落ちたのです」
ドルカが胸を張って告げると、騎士は苦笑したようだった。それから、市内を見回す。緊張感はなかった。十三騎士に敵意はなく、戦意も見えない。だからドルカは部下たちを制したといってもいい。
「反乱軍の皆さんは?」
「いませんでしたよ」
「あら、そう……やっぱりね」
「あれ? ってことは、開戦時にはいたってことですか?」
「ええ。いたのよねえ。戦況を見て、逃げ出したんでしょう」
そういって、彼は肩を竦めた。なにやらやりきれないといった反応から、騎士団と反乱軍の間で一悶着あったことを伺わせる。
「それで、わたしたちも帰りたいんだけど、通してくれるかしら?」
「ええ、もちろん。ここであなたがたと戦ったら、負けるのは俺たちですからね」
「よくわかっているじゃない。好感が持てるわ」
「俺はまだまだ死ねないのでね。身の程を弁えることに命がけなんすよ」
「ふふ……いいわね。そういう考え、長生きするわ」
十三騎士は、ドルカに向かって片目を瞑って笑顔を見せてきた。そして、背後に向き直り、命じる。
「皆、ついていらっしゃい。彼らには手出し無用よ」
『はっ』
十三騎士の命令に騎士団の兵士たちが一斉に敬礼し、動き出す。
ドルカ軍、サントレア市民が見守る中、騎士団兵士たちの一糸乱れぬ行進がサントレアの市内を縦断していく。
すると、十三騎士がドルカを振り返った。
「そうそう、名乗り忘れてたわね。わたしはルヴェリス・ザン=フィンライト。覚えておいて損のない名前よ」
「フィンライト卿……ですね。記憶しておきますよ」
「うふふ。物分りが良くて助かるわ」
ルヴェリスは、嬉しそうに微笑むと、ドルカから離れ、騎士団の列とともにサントレアの縦断を始めた。ドルカは、騎士団兵士たちの厳粛極まりない行進を見守りながら、彼らが敗北したことをまったくもって気にしていない様子なのが気にかかった。負けたことすら誇らしげなのだ。なんとも堂々とした振る舞いであり、見送るドルカのほうが負けているのではないかと思わないではない。
(実際、俺達の敗北かな)
勝てないから、見逃すのだ。
ルヴェリス率いる騎士団と戦いになれば、ドルカ軍は呆気無く負けるだろう。戦場では救援軍が押していたが、それは数に物を言わせた戦いだったからだ。ここはサントレアの市街地。数を頼みに戦える場所ではない。
「団長」
「なんだい?」
「鼻の下、伸びませんね」
「あれ、男だろ」
ドルカは苦笑とともに告げた。ルヴェリスは言葉遣いこそ女性的だが、声は男そのものだ。男にそそられるドルカではない。もっとも、ルヴェリスの容姿や立ち居振る舞いが女性的なのは認めるところだし、声さえ違っていれば、女性と見間違ったかもしれないが。
「男にゃ興味ないねえ」
ドルカは、騎士団兵士たちがこちらには目もくれず、ただまっすぐ行進していく様を見届けながら、緊張感が途切れることなく続くことに辟易した。
騎士団の行列はしばらく続き、十三騎士が四人、ドルカたちの目の前を通過していった。その間、なんの問題も起きなかった。十三騎士が襲い掛かってくることもなければ、騎士団とドルカ軍の間で諍いが起きるようなこともない。
やがて騎士団の行進が途切れると、さらにしばらくしてからセツナ軍がサントレアに到着した。セツナ軍といえばガンディア最強の軍団だ。王立親衛隊《獅子の尾》に、黒獣隊、シドニア戦技隊からなる軍団に敵う軍団は、ガンディア軍にはないといっていいだろう。
ドルカはセツナ軍を喜んで迎え入れるとともに、肩の荷が下りるのを実感として認識した。ドルカ軍だけでは不安なことこの上なかったのだが、そこにセツナ軍が来たとあらば、百万の味方を得るようなものだ――と、ドルカは誇張なく思った。そのことをファリアに伝えると、彼女は苦笑しただけだが。
「騎士団の皆様はどうなされたのですか?」
開口一番質問してきたのは、セツナの従者であるレムだ。ぼろぼろの衣装を身に纏う彼女は、どうにも魅力的であり、ドルカは目のやり場に困ったりした。すると、ニナの視線を感じなければならないのだが、こればかりはどうしようもない。
「サントレアを抜けていったよ」
「見逃したの?」
とは、ミリュウだ。ヘイル砦を壊滅させたという女武装召喚師は、どこか不満そうな顔をしていた。
「俺達に死ねっていうんですかねえ」
「冗談よ」
「たちの悪い冗談だ」
「あんたにいわれたくないわ」
そういって、ミリュウはレムとともにドルカから離れていった。反応そのものはいつもどおりなのだが、妙に棘があるような言い方に聞こえて、ドルカはファリアに尋ねた。
「……ミリュウちゃん、機嫌悪い?」
「セツナがいないでしょ」
「ああ、そういえば」
いわれてから気がついたのだが、確かにセツナは不在だった。そして、納得する。セツナの不在がミリュウの機嫌に直結することは、周知の事実だ。彼女がセツナに依存しきっていることをドルカは知っていたし、ミリュウとセツナの関係をよく知るものならば、知っていて当然の事実でもあった。
「セツナ様は?」
「巨人とお話中かもね」
「巨人?」
ドルカは、ファリアが冗談かなにかをいっているのかと思ったが。
ファリアは、至極真面目な顔で告げてきた。
「あら、知らなかった? 我が軍に勝利をもたらした巨人のこと」
「はあ?」
ドルカは、素っ頓狂な声を発した。