第千三百八話 巨人(二)
三月二十五日黎明。
マルディア救援軍がサントレア南方に軍勢を展開した。
サントレアの反乱軍と騎士団は既に部隊配置を終えており、救援軍側がそれに対応する形となっている。
サントレアは、大陸に存在する模範的な都市のひとつだが、南北に長いという特徴があった。西東を山々で囲まれているからこその形状であり、サントレアに攻めこむには、南側に戦力を集中させる以外の方法はなかった。当然、敵戦力も南側に集中する。攻めにくく守りやすい地形ということになるだろう。
東西に並び立つ険しい山々を越えて北門から攻める奇襲作戦も考えられたが、効率の問題から却下された。まず、峻険な山々を踏破するのは簡単なことではない上、そのために戦力を分散させるくらいなら正面からぶつかり合い、数の力で押し勝つほうが無難だろうという話になった。もちろん、ただ単純にぶつかり合うのでは損害が大きくなるだろうということで、アレグリア=シーンとエイン=ラジャールのふたりが練りに練った戦術を元に部隊を配置していた。
「敵は騎士団が四千ほど、反乱軍が三千ほど」
サントレア南東、小高い丘の上に作られた本陣には、レオンガンドと側近のゼフィル=マルディーン、それに大将軍アルガザード・バロル=バルガザールら軍関係者と王立親衛隊《獅子の牙》と《獅子の爪》隊長がいた。本陣の防衛には《獅子の牙》と《獅子の爪》、そして大将軍の供回りが付いている。
「それに対し、我が方はおよそ一万五千。数の上では圧倒していますな」
「数の上では、な」
レオンガンドは、銀獅子の鎧に身を包み、床几に腰を下ろしていた。丘の上の本陣からは、サントレア南部に展開した救援軍の布陣図がよく見えた。
サントレア奪還においては、アルガザードは前線に出るのではなく、本陣の護りにつくということだった。ヘイル砦では、前線の兵士たちの尻を叩く必要があったが、今作戦ではその必要はないという。なぜならば、兵士たちの士気は極めて高く、また、最前線には精強なログナー兵たちが配置されているからだ。ログナー兵は、ガンディア兵に負けまいと力を尽くすだろうし、そんなログナー兵を見て、負けてはいられないとガンディア兵も奮起してくれるだろうという計算の元、部隊配置は行われている。
「質も、負けてはおりますまい」
「どうだろうな」
レオンガンドは、不安を振り払うように意識を眼前の戦いに集中させた。
セントレア南方の最前線には、前述通りログナー方面軍が配置されている。ログナー方面軍第一軍団を先頭に第三軍団、第四軍団が両翼として広がっている。第二軍団はレコンドールの戦いで壊滅状態となり、軍団長が戦死したこともあって、アスタル=ラナディースの指揮下で運用されている。アスタル=ラナディースは、ログナー方面軍の後方に供回りともども配置されており、彼女が前線指揮官の役割を担っている。
ガンディア方面軍はその左右後方に配置され、第一、第二軍団が左翼、第三、第四軍団が右翼、第五軍団が中央後方に並んでいる。その後方にルシオンの白聖騎士隊、メレドの白百合戦団が続く。イシカの星弓兵団は、レコンドールの防衛に入ったため、サントレアの戦いには参加していない。
傭兵局に所属する傭兵たちはログナー方面軍とガンディア方面軍の間に布陣している。《蒼き風》と《紅き羽》だ。
天騎士スノウ・ザン=エメラリアを指揮官とするマルディア政府軍は、ガンディア方面軍の後方、つまり本陣手前に配置されているのだが、それに対しスノウから抗議の声があった。マルディアの地を反乱軍の手から奪還する戦いにおいて、政府戦力が矢面に立てないのはどういうわけなのか、と。スノウの性格上、猛抗議してくるのはわかっていたのか、エインはスノウを口八丁手八丁で宥め、透かし、配置を認めさせた。エインとしては、政府軍の力は極力借りたくないらしい。
ガンディアにおける最高戦力ともいうべき黒き矛のセツナ率いるセツナ軍は、ログナー方面軍よりもさらに先に配置されていた。セツナを隊長とする王立親衛隊《獅子の尾》も、そこに組み込まれている。セツナ軍の内訳はというと、レム、ラグナ、黒獣隊、シドニア戦技隊、それに加えて魔晶人形のウルクだ。そこに《獅子の尾》の三人が加わるのだから、セツナ軍だけで都市のひとつやふたつ落とせそうな戦力といっても過言ではなかった。
実際、騎士団さえいなければ、セツナ軍だけでサントレアを奪還することはできただろう。
いや、マルディアから反乱軍を排除することさえ、セツナ軍だけで十分可能だったのではないか。そう思わせるくらいの過剰戦力がセツナ軍という存在だった。
「少なくとも、セツナ軍は騎士団にも負けてはおりませんよ」
「……ああ。そうだな」
それは、認める。
セツナ軍ならば、騎士団ともまともに戦うことができるだろう。そう信じたい。しかし、騎士団の、十三騎士の力量を知れば知るほど、それがただの願望にすぎないのではないかと思えてくるのだ。十三騎士は強く、なおかつ、特異な力を持っている。
光の奔流の中に現れた鎧を着込んだ巨人とでもいうべき騎士は、破壊の光をものともせず、シヴュラとともに消えた。あのとき、レオンガンドは我が目を疑ったものだ。光は、ヘイル砦を破壊したのと同じ光であり、同じ破壊力を秘めたものだっただろう。それがまったく通用しなかったように見えた。目の錯覚かもしれないとアーリアに問うたところ、アーリアの証言から、レオンガンドの見間違いではなかったことが判明している。
十三騎士の隠された能力なのだろうか。
そんなものがこの戦場で使われれば、一体どうなるのか。
レオンガンドは、セツナと黒き矛を信じる一方で、十三騎士の強さに不安を感じずにはいられなかった。
敵は、騎士団が前面に出ている。
五つの部隊が、サントレアの南門を護るように扇状に展開していた。兵数はばらばらだ。これまでの戦いで失った兵数を補充できていないということの現れだが、それは救援軍とて同じことだ。失った兵をすぐさま補充できるわけもない。兵力がないわけではなく、距離と時間の問題だ。反乱軍が騎士団に頼っていることを考えると、早急に片付けなければならないのだ。騎士団が反乱軍を救援するに当って全戦力を投入してきた場合、救援軍に勝ち目はなくなる。だから、休む間も惜しんで戦いに戦いを重ねている。そうしなければ、騎士団がどう出るかわかったものではないのだ。
十三騎士はただでさえ強力な駒だ。駒の数が増えれば増えるほど厄介さも増していく。たった一騎でかつてのセツナと同等の力を発揮するのだ。二騎で防戦一方になり、三騎ともなれば押されるだろう。
「それが五人……か」
セツナは、黒き矛を通して敵陣の様子を伺いながら、うめくようにいった。敵陣には反乱軍の兵士たちは見えない。市内の防衛についているのかもしれない。南門は閉ざされており、サントレア市内の様子は窺い知れない。城壁には反乱軍と騎士団の旗が翻っており、サントレアが反乱軍によって選挙されているということを主張していた。救援軍の目的は、反乱軍と騎士団の旗の撤去と、政府軍の旗を打ち立てることにある。
騎士団の各部隊には、蒼白の甲冑に身を包んだ十三騎士の姿があった。槍を携えたカーライン・ザン=ローディスが南門真正面の部隊を率いている。左隣の部隊にドレイク・ザン=エーテリア、左端の部隊には華の紋章が特徴的な十三騎士。カーラインの右隣は三叉槍の騎士シヴュラ・ザン=スオールで、右端にハルベルト・ザン=ベノアガルドが盾と剣を構えていた。華の騎士はルヴェリス・ザン=フィンライトだろう。
「なんじゃおぬし、不安なのか? めずらしいこともあるものじゃのう」
「そりゃあな」
「ならばわしを頼るとよいぞ」
「ああ、頼りにしてるよ」
「ふふん」
セツナは、いつもどおりのラグナの調子に少しばかり安心する想いがした。ラグナがついてくれる限り、不意打ちで殺されるようなことはないだろう。彼の感知能力は武装召喚師にも引けをとらない上、防御魔法は強力だ。無論、無駄遣いをさせるつもりもないが、五人の十三騎士が全員、セツナに殺到してきた場合のことを考えると、そうもいってはいられなくなるだろう。
なにせ、黒き矛はいまだ眠り続けている。
能力が使えないのだ。
能力が使えるのであれば、空間転移などで距離を引き離し、態勢を立て直すこともできるのだが、それが叶わぬ以上、彼の魔法に頼るのも仕方のないことだ。
そんなことを想いながら、ふと、気になっていたことを彼に尋ねた。
「なあ、ラグナ」
「なんじゃ?」
「ラグナってさ、物知りだよな?」
「うむ。なんでも知っておるぞ。なにせ、数万年もの時を生きてきたのじゃからな」
「そのわりには曖昧な所も多いみたいだが……」
「不要な記憶は仕舞っておくに限るのじゃ」
ラグナが頭の上でふんぞり返っているのが、なんとはなしにわかる。彼の愛嬌に満ちた表情すら想像がつく。それくらいには、彼と長い時間を一緒に過ごしているのだ。
「それもそうか」
「それで、なにか知りたいことでもあるのかのう?」
「この世界にさ、巨人族っていたのか?」
「巨人族……おお、いたぞ。ひとの子らよりも何倍も大きく、しかしわしらよりは遥かに小さかった」
「いまのおまえのほうが小さいだろうが」
「わしは特別なのじゃ!」
「小さいことがかよ」
「そうじゃぞ。ここまで魔力を蓄積しながら小さいままでいられることのほうが特別なのじゃ」
ラグナがふんぞりかえっている様子をまたしても思い浮かべると、セツナは、おもむろに左手を頭上に伸ばすと、手探りで彼を捕まえた。ひんやりとした感触が手に伝わる。掴むも、ラグナは抗おうともせず、セツナにされるがままだった。そういうとき、ラグナはいつもおとなしい。
「でも最近、大きくなったよな?」
「うむ。どれくらいの大きさがいいのか、思案しておるところなのじゃ」
「前のままでいいよ」
「なぜじゃ」
「重い」
セツナが素直に感想を述べると、ラグナはしょんぼりしたようだった。
「ぬう……わかったのじゃ。小さくなるのじゃ」
「そんな簡単になれるのかよ」
「うむ」
ラグナはうなずくと、一瞬にしてその体積を小さくしてみせた。片手で掴むには重量感があった大きさから、片手でも余裕で持ち運べるくらいの体積への変化。質量保存の法則など完全に無視した変化は、彼がドラゴンであり、魔法の使い手だからこそなのだろう。
「おおっ、すげえ」
「ふふーん、すごかろう、すごかろう」
「じゃあ、大きくもなれるのか?」
「うむ。いまならば、おぬしくらいまでなら自由自在じゃな」
「へえ。さすがは万物の霊長様だ」
「くるしゅうない。もっとほめたたえよ」
「ははーっ」
セツナは、ラグナを持ち上げて、自分は頭を下げてみせた。
「なにしてんだか」
ファリアは、馬の上で平身低頭しているセツナを横目に見つめながら、微笑んだ。開戦目前の殺伐とした空気が和らぐ。緊張感がなくなるのは困りものだが、セツナとラグナのやり取りを眺めているのは悪い気分ではない。セツナがラグナに気を許しているのも、ラグナがセツナに心を許しきっているのもわかるからだろう。
「仲良いよな、あいつら」
シーラが少しばかり羨ましそうに、いう。彼女の話によれば、アバード潜伏中もふたりの仲の良さは格別だったらしい。
「あたしも! 仲良いわよ!」
「ラグナと張り合ってどうすんだか」
「むー!」
ミリュウはなにやら抗議の意味を込めて頬を膨らませたようだが、だれも取り合わなかった。
セツナに目を向けると、彼はラグナを抱きかかえて何やら話し込んでいた。セツナのラグナを見る目は、常に優しい。その優しいまなざしを見ているというのも、存外悪くないものだった。セツナにもっと甘えたいミリュウには堪らないことなのかもしれないが。
「それで、巨人族のことなど聞いてきたのはなぜじゃ?」
「いや、ただ知りたかっただけなんだよ。まだ生き残りとかいるのかなーとか」
「巨人族はとっくに滅びおった。愚かにも世界の覇権をかけて同族同士殺し合って、のう」
「へえ……」
セツナは、ラグナの説明に相槌を打ちながら、騎士団の中に巨人がいるという可能性はなくなったと認識した。そして、そうであれば、レオンガンドが見たという巨大な騎士は、十三騎士の能力の顕現であり、十三騎士の真の力ともいえるものかもしれないということだ。
注意しなければならない。
「しかし、愚かなのは竜も同じよな。殺し合い、憎みあい、いがみあい――ひとの子となんら変わらぬ。なんら進歩せず、滅びへの道を進んでおる。故にわしはもう竜の世界に飽いたのじゃ」
「それで、俺といるってか?」
「それもある。じゃが、第一はおぬしといると安心するからじゃな」
ラグナの予期せぬ言葉に、セツナは我が耳を疑った。普段、万物の霊長としてふんぞり返っているものの口から吐き出される台詞とも思えない。
「安心?」
セツナが尋ねると、ラグナは宝石のように美しい目で、見つめてきた。
「おぬしは優しいからのう」
「そうかな」
「そうじゃ」
「そうでございます」
「おおうっ」
セツナは、なんの前触れもなく背後に現れた気配に驚き、馬から転げ落ちそうになりながら背後を振り返った。セツナの背後――つまり馬の背にまたがるようにして現れたのは、レムだった。
「って、レムかよ……驚かせるなよ」
「驚かせるつもりはございませんでしたのに……」
「す、すまん」
「いえ、こちらこそご無礼をば……」
セツナが謝ると、彼女のほうが恐縮してしまった。
「それで、どうしたのじゃ? 先輩」
「部隊配置が整った模様ですので、御主人様にご報告をと想いまして」
「なるほどのう」
ラグナがセツナの肩から頭の上に移動する。足の裏の柔らかい部分が首筋に触れ、ひんやりとした感触を残した。ラグナの体温は極めて低い。
「整ったか」
セツナは、ラグナを頭の上に配置し直すと、敵軍に向き直った。
部隊配置が整ったのは、敵軍も同じだ。
開戦のときは、目前に迫っている。