第千三百六話 合流(二)
右眼将軍アスタル=ラナディースを指揮官とする別働隊が本隊との合流を果たしたのは、レコンドール出発の翌日、三月二十四日、正午過ぎのことだった。
ふたつに分かれていた別働隊はレコンドールにて合流し、ひとつの部隊として再編成、決戦の地となるであろうサントレアを目指して進軍を再開したのが二十三日。連戦連勝ということもあって、救援軍別働隊の士気はひたすらに高く、サントレアも別働隊のみで落とせるのではないかという雰囲気さえあったが、無論、別働隊のみでサントレアに向かうつもりもなく、アスタル=ラナディースは本隊との合流を優先、別働隊を北上させるのではなく、北東方向に進軍させた。
ヘイル砦は、レコンドールの北東に位置している。
北東に向かえば、ヘイル砦から南下するであろう本隊といち早く合流できるのだ。本隊としても、まずは別働隊との合流を果たしたいという意図があり、ヘイル砦奪還の報告書には別に命令書も付属していたという。アスタル将軍は、その命令書に従ったというわけだ。
道中、皇魔に遭遇したが、セツナたちが一蹴し、負傷者さえでなかった。その後、休むことなく北東方向へ進み続け、レコンドールとヘイル砦のちょうど中心点辺りで、本隊との合流を果たしている。
マルディア北部、サントレア周辺は山が多い。マルディア領とベノアガルド領を分断するのがそれらの山々であり、レコンドールを北に進んだあたりからそういった山々が見え始めていた。別働隊と本隊の合流地点は、ちょうど山の麓であり、サントレアに向かうには、この山を大きく迂回し、北西方向に進む必要があった。
それはそれとして、合流である。
第一別働隊と本隊はマサーク以来十数日ぶりの合流であり、第二別働隊と本隊もマルディオン以来の合流だった。
皆、口々に健闘を讃え合い、それぞれに勝利の報告をし、生存を喜び、死別を惜しんだ。どの部隊からも戦死者が出ている。当然のことだ。無傷の勝利など、そうあるものではない。勝利のためには犠牲を払う必要がある。犠牲も払わず勝利を得ようなどという甘い話があるわけもないのだ。それでも、犠牲は少なければ少ないほどよく、本隊の損害を最小限に抑えることに成功したミリュウが激賞されるのも当然の話だった。
そのミリュウは、別働隊と本隊の合流直後、セツナの元に訪れた。ファリア、ルウファ、エミル、マリアといった《獅子の尾》隊士を伴って、だが、彼女は入り乱れる人波をかいくぐってセツナを見つけた瞬間、仲間たちがいることなど忘れたように飛びついてきたのだった。
「セツナー!」
まず、彼女の痛々しいまでの叫び声にはっとなった。声が泣いていたからだ。彼女は、赤い髪を振り乱しながら、軍人の群れを掻き分けて、セツナの元に辿り着くと、止まることなく抱きついてきた。
「逢いたかったよー!」
「ミリュウ……!」
セツナは、全霊の抱擁に応えながら、涙さえ浮かべている彼女の様子に少しばかり戸惑った。尋常ではない。普段の彼女からは考えられないほどしおらしい姿に、異様なものを感じる。たかだか十数日離れていただけのことだ。アバード潜入時に比べればずっと短い。それなのに、彼女の反応はというと、もっと長期間、それこそ何ヶ月、何年も離れていたかのようなものであり、それがセツナには不思議に思えた。
「おおう、熱烈大歓迎」
とは、エスクだろう。彼はそのまま茶化そうとしたのだろうが、ミリュウの様子に声を失ったようだった。
「想像していたとおりでございますね」
「まったくじゃな」
レムとラグナの反応も予想通りではある。ラグナは現在、レムの腕に抱かれているのだが、それはミリュウの突撃を案じてのことのようだった。ラグナは場の空気を読むのが上手だ。
「いいなあ」
「隊長。隊長も抱きついていいんですよ?」
「そうですよ、セツナ様も喜んで受け入れてくれますよ」
「そうかな……って、なにいってんだよ、てめえら!?」
「まあ、確かに大将なら受け入れてくれるだろうさ」
「てめえまで……」
シーラたちの賑やかな反応を聞いていると、ミリュウがセツナの胸に埋めていた顔を離した。目元に涙を浮かべた彼女の顔は、二十代半ばの女性というよりは、十代の少女のそれであり、ミリュウ=リヴァイアという人物の中にある不均衡が明確に現れていた。大人の女性としてのミリュウと、初な少女としてのミリュウ。相反する性質が矛盾なく同居しているのが、彼女なのだ。
「ねね、聞いた聞いた? 聞いてくれた? あたしの大活躍!」
「あ、ああ、聞いたよ。凄かったんだって?」
「やったよ! あたし、やったの!」
言動そのものまで子供っぽい。
まるで幼児退行したのではないかと疑いたくなるほどの様子に、セツナは戸惑いながらも、彼女に合わせた対応をした。実際、褒め称えてしかるべきことだ。
「ああ、よくやったよ、ミリュウ」
「ああ……!」
彼女が、感極まったかのように声を上げる。嬉しそうな笑顔。喜びに満ちた態度。反応。なにもかも熱量に満ちている。
「ん、どうしたんだ?」
「セツナにそういってもらえるだけで、十分……」
「ミリュウ……」
セツナは、ミリュウがまたしても彼の胸元に顔を埋めるのを見て、目を細めた。まるで自分のほうが歳上なのではないかという錯覚さえ抱く。
髪を撫で、労る。
人前だ。それくらいのことしかできない。いや、たとえ人前でなくとも、それ以上、なにができるというわけでもない。
「わたしも、それなりに戦ったんだけどな」
それなりどころではないと想いながら、ファリアは、ミリュウの熱烈な抱擁を見ていた。セツナとミリュウ。傍目には、ふたりが相思相愛の恋人同士に見えなくもない。いや、そうとしか見えない。だから、憮然とせざるをえない――とは想いたくないのだが、事実を否定できるはずもない。
もちろん、ミリュウが最初にセツナに話しかける権利があるのは、重々承知している。ミリュウのことだ。抱きつくだろうことも想定の範囲内だ。なにもかも想像通り。これ以上ないくらい完璧にファリアの思い描いたとおりだった。
だが、だからといって、セツナまでミリュウを抱擁することはないのではないか。
恋人同士のように熱っぽい視線を交わし、衆人環視の中抱き合うなど、交際していると宣言しているものではないのか。
(なに考えてるのよ、もう)
ファリアは、自分の考えが暗い方向、悪い方向に振りきれていくのを感じて、頭を振った。嫌な女だ。嫉妬深く、醜い。ミリュウはただ、セツナのことが好きなだけで、セツナもそんな彼女を愛しているだけではないか。なにもやましいことはない。なにもおかしいことはない。
「俺もですよ」
と、ルウファに同意されて、ファリアははっと現実に回帰した。横目に見ると、ルウファが微笑ましい光景でも見るような表情になっている。彼からすれば、そうなのかもしれない。微笑ましいものと映るのかもしれない。いや、彼だけではない。ファリア以外のだれもが、そう見ているのではないか。
そんな気がしたからではないが、ファリアはルウファに質問を投げかけた。
「君も、抱きつきたい?」
「まさか」
「よね」
小さく笑う。ルウファがセツナに抱きつきたいなどと思うわけがない。エミルにならばまだしも。
尋ねたのがエインならば、即座に同意してきただろうが。
そんなことを考えていると、ルウファが質問を返してきた。
「ということは、ファリアさん、抱きつきたいんだ?」
「なにかいった? それとも、わたしの聞き間違いかしら」
「なにもいってませんよ」
「そうですよ、ルウファさんがそんなこというわけないじゃないですか」
「そんなこと?」
「え、いや……」
ファリアの半眼に、エミルがわかりやすいくらいしどろもどろになった。すると、彼女の背後に立っていた大柄な女性が前に進んでくる。
「なにいってんだい。抱きつきたいなら抱きつきたいでいいじゃないか。あたしは、抱きつきたいよ?」
「先生、なにいってるんですか……!?」
ファリアは、マリアの発言の意味が瞬時には理解できず――きっと理解するのを拒んだのだろう――、愕然とした。そして、面白そうに笑うマリアに気づいて、はっとする。
「だって、こういう機会でもないと抱きつけないだろ?」
「えっ……!?」
「隊長殿―っ!」
「ま、マリアさん!?」
セツナが仰天したのも当然だろう。マリアがミリュウごとセツナに抱きついたのだ。ミリュウは一瞬マリアを睨んだが、すぐになにかを察したかのように笑顔になった。するとどうだろう。セツナとミリュウの様子を傍観していた女性陣がつぎつぎと後に続くではないか。
「では、わたくしも!」
「わしも」
「俺も……!」
レムとラグナはともかく、シーラまでもセツナに飛びつくのを、ファリアは唖然としながら見届けた。セツナを中心とする大騒ぎは、合流したばかりの救援軍の中で一際目立つものであり、ファリアはただただ呆気に取られるよりほかなかった。セツナが人気者なのは理解できることだ。というより、彼に好意を寄せる女性の多さは、人気や知名度のわりには少ないほうといってもいいのではないか。もっと大勢いたとしても不思議ではない。
(いいえ……いるのよね……実際)
ファリアは、セツナに好意を寄せる女性が思い浮かんだこともあって、慌てて頭を振った。脳裏に浮かんで消えたのは、エインに並ぶセツナ信者という軍師候補アレグリア=シーンに、マルディアの王女であり、セツナとの間になにかあったらしいユノ・レーウェ=マルディアの顔だった。アレグリアはともかく、ユノはセツナへの好意を隠そうともしなかったし、ガンディオンからマルディアに至る長旅の間、セツナの側を離れようともしなかったことを覚えている。
「わたしは……」
と、ウルクがつぶやくのが聞こえると、彼女の背を押したのは、だれあろうエスクだった。
「行きなよ」
ファリアが見たところ、エスクの顔は、この状況を完全に楽しんでいる意地悪な大人のそれだった。しかし、ウルクにはそのような機微がわかるはずもない。彼女は、エスクの言葉をそのまま受け取り、うなずいてみせた。そして、セツナに向き直る。
「では、わたしも」
ウルクの重い躯体が地を蹴り、セツナに向かう。軽やかな軌道。だが、彼女の体重は成人男性の何倍も重い。それもそのはず。魔晶人形の躯体は、金属の塊なのだ。精霊合金という特集な製法で作られた金属で組み上げられた人造人間。それが魔晶人形であり、それがウルクなのだ。
当然――。
「ぎゃあああああああああああ」
ウルクの遠慮のない体当たりを受けたセツナが聞いたこともないような悲鳴を上げ、救援軍の注目を集めたのだった。