第千三百四話 サントレア(二)
「馬鹿な!」
ゲイル=サフォーは、カーライン・ザン=ローディスからの提案を聞くなり、全力で叫び返した。
反乱軍拠点の会議室。つい二時間ほど前お開きになった会議が再び開かれることになったのは、サントレアが陥落したという報せが届いたからだ。
大陸暦五百三年三月二十二日。救援軍がマルディアに入って、まだ二十日も経過していない。にも関わらず、救援軍はつぎつぎと反乱軍の拠点を制圧し、マルディア政府の勢力を回復しつつある。あまりにも急激な変化は、反乱軍の決起当初を思わせた。反乱軍も最初は快進撃を続けていたのだ。それもこれもいま目の前で予期せぬことを口走ったカーライン・ザン=ローディスのおかげなのだが、今はそのことを感謝している場合ではなかった。
「シギルエルにまで下がるだと!?」
「レコンドールが落ち、ヘイル砦が落ちた以上、残すところ、このサントレアのみとなりました。ここから救援軍を撃破し、反乱軍の勢力を回復するのは至難の業だということは、ゲイル殿も理解していますでしょう」
「それは……!」
言い返そうとして、彼は言葉を飲みこんだ。カーラインの冷静な表情が癪に障る。この期に及んで慌てふためいているのが自分だけだというのがどうにも解せない。だれもかれも冷静にこの状況を受け入れすぎではないのか。カーラインだけではない。ドレイクも、ルヴェリスも、ヌァルド、カオンさえも冷静にゲイルのことを見ている。
冷静になれ、というのだろう。
だが、冷静になどなってはいられなかった。
追い詰められている。
反乱軍は敗北に敗北を重ねている。救援軍との兵力差そのままに負け続けている。シールウェール、レコンドール、ヘイル砦――反乱軍が手に入れた都市や砦がすべて、救援軍によって取り返されてしまっていた。あれだけ反乱軍に靡いていたひとびとも、いつの間にか彼の前から姿を消していて、いまや反乱軍に残された兵力はわずかしかない。カオン=ハルバ率いる千三百に、レコンドールからの敗残兵八百、サントレアの五百。これにヘイル砦の残兵、騎士団の兵力を加えれば、戦力としては格好がつくものの、失ったものはそれ以上に大きいというほかない。
カーラインのいう通りだ。この状況で反乱軍の勢力を回復するのは至難の業だ。一朝一夕に行くものではない。彼の提案に従い、一端マルディアを離れ、ベノアガルド領シギルエルにて反乱軍の立て直しを図るのも悪くはないかもしれない。
「しかし……!」
ゲイルは、ヌァルドとカオンを一瞥し、それから騎士たちの顔を見回した。
「我々は、大義の下に立っている。正義の旗を翳しているのだ。にもかかわらず、敗色濃厚だからといって、マルディアから去るなど、ありえぬことだ。そんなことをすれば正義は死ぬ。大義もなくなる。マルディアを見捨てるも同然の唾棄すべき行いだ」
「マルディア王家を駆逐し、マルディアに真の平穏を取り戻すが我ら反乱軍の使命。なればこそ、たとえこの身が滅びようとも最後まで戦うべきなのだ」
「気持ちはわかりますが」
「なにがわかる? 他国人である貴公らになにがわかるというのだ!」
ゲイルは、激昂するように叫んだ。机を叩き、怒りを露わにする。隣のヌァルドがびくりとするのも計算ずくだ。彼ならば、そう反応するだろう。そして、ヌァルドの無邪気な反応がゲイルの怒りに真実味を与える。なにもかも、計算通りだ。
「なにもわかるまい! 我らがどれほどの決意と覚悟で王家に反旗を翻し、同胞と敵対する道を選んだのか、同胞を手にかけてきたのか、あなたがたにわかるわけがない! だから手を抜いたのだろう? だから、本気で戦おうともしないのだろう? シクラヒムの放棄も、レコンドールの敗戦も、貴公らが他国人故の限界なのだ。なにが騎士団だ。なにが救済だ。笑わせる。マルディア一国も救えぬものに語る口などあろうものか!」
ヌァルドがゲイルを抑えようとするが、ゲイルは振り払い、なお叫び続けた。も
「それでもなお救済を掲げ、なんの見返りもなく他国を救うと嘯くのであれば、サントレアを守り切ってみるのだな!」
会議は、彼の激怒によって幕を閉じた。
「ヘイル砦が落ちたらしい」
トラン=カルギリウスは、他人事のようにいって、窓の外を見やった。反乱軍拠点の一角にある医療棟に彼はいる。レコンドールの戦いで負傷した兵の多くと同様、彼のふたりの弟子もこの医療棟で厄介になっていた。
高水準の医療設備が整っているのは、ここがもともとマルディア軍の軍施設であり、反乱軍が政府軍を追い払ったあとに占拠し、利用しているからに他ならない。おかげでアニャンもクユンもしっかりとして治療を受けられるのだから感謝こそすれ、不満があるわけもない。
窓の外、夕日がサントレアの町並みを赤く染めている。
「ええー!? じゃ、じゃあ、もうここだけじゃないですかあ!?」
「騎士団も存外不甲斐ないですね」
素っ頓狂な声を上げるアニャンに対し、クユンは冷ややかな一言を発する。いつもの調子だが、彼女たちがそのように振る舞ってくれることが、トランには有りがたかった。
「まったくな」
室内に視線を戻すと、痛々しいふたりの姿が目に飛び込んでくる。アニャンは足の骨を折られており、当て木された上、包帯を巻きつけられている。全治するまで三ヶ月の診断を下されている。クユンは左腕と肋骨を骨折。こちらも同様の処置を施された上で、同様に全治三ヶ月という有様だった。
ふたりとも、よく戦った。相手が上手だった、それだけのことだろう。それも、戦闘の最終盤、突如として強くなった相手に不意を突かれた結果、負傷してしまったらしい。おそらくはシーラの召喚武装の能力であり、それによって救援軍全体が勢いづいたというアニャンの指摘は間違ってはいまい。アニャンの洞察力は侮れない。
つまるところ、あのとき、ベノアガルドの十三騎士が戦闘を取り止め、サントレアへの後退を決定してくれたことに感謝しなければならなかった。戦闘が続行されていれば、クユンとアニャンは救援軍によって拘束されていた可能性もある。
ふたりは、大事な存在だ。弟子というだけでなく、いまやトランの心の支えになっているといっても過言ではない。彼女たちが捕らわれれば、その瞬間、トランは救援軍に投降しただろう。
「だがそれは我らも同じこと」
トランは、寝台の上のふたりを見つめながら、低い声でいった。確かに騎士団は不甲斐ない。鳴り物入りで反乱軍に合流したくせに連戦連敗。クユンがそのように評価するのもわからないではない。しかし、そんなことを言い出せば、トランたちとて同じことだ。
シールウェールに続き、レコンドールでも破れた。
シールウェールでは救援軍に出し抜かれ、レコンドールでは力負けに負けた。
「先生、ごめんなさいぃ」
「申し訳ありません、師匠」
泣きそうな顔のアニャンと痛恨の表情をしているクユンに対し、トランは頭を振る。ふたりを責めているつもりはまったくない。自嘲に過ぎないのだ。
「いや、ふたりともよくやってくれている。責める理由もない」
トランは、それだけをいった。
実際、アニャン=リヨンとクユン=ベセリアスのふたりは、反乱軍のだれよりも力を尽くしているといっても過言ではなかった。アニャンにせよ、クユンにせよ、本来ならば自分の召喚武装だけでいいのにも関わらず、トランのために召喚武装を呼び出すということで無駄に負担がかかっている。トランに使わせるほうが効果的かつ効率的だというふたりの考えは正解ではあるのだが、ふたりにかかる負担を考えると、必ずしも正しいとは言い切れないのではないか。
トランは、ふたりの表情を見比べながら、彼女たちに頼りすぎている自分に気づき、恥じた。“剣聖”などと呼ばれながら、結局は召喚武装に頼りきりだったのではないか。本来の己を忘れ、召喚武装の力に溺れていたのではないか。
“剣聖”と呼ばれ始めた当初、トランは、召喚武装など用いていなかった。
クユンを弟子にしたとき、はじめて召喚武装に触れた。その強大な力に見せられたのはいうまでもない。つぎにアニャンを弟子にしたとき、召喚武装の二刀流に手を出した。絶大な力は、彼にさらなる高みを見せてくれた。高み。剣の行き着く先が見えそうな気がした。それからというもの、彼は召喚武装なくしては戦えないくらい、のめり込んだ。
その結果、弟子ふたりに負担をかけ、負傷させるなど、師としてあるまじきことではないのか。
トランは猛省するとともに、来るべきサントレアの戦いでは、ふたりの援護はないものと考えた。
「反乱軍は、どうするのでしょう?」
「ここだけでも維持しないと、駄目ですよねえ」
「そうだな……」
アニャンの考えに同意を示しながら、トランは、反乱軍の現状を思い出して、渋い顔になった。
「しかし……ここから反撃に転じられるものかどうか」
反乱軍は負け続けている。
半年ほど前、騎士団の助力を得て連戦連勝、このままマルディアの地を得られるのではないかという勢いに乗っていたころからは想像もつかない事態に追い込まれている。トランたちが反乱軍に身を投じたのは、二月に入ってからであり、反乱軍が雪解けとともにマルディアを制圧すると息巻いているちょうどそのころだった。ガンディア軍との戦いが明らかになったから参加したのであり、その点では価値のある参戦だったのだが、まさかここまで反乱軍が負け続けるとは想像もしていなかった。
戦力差は、開戦前から理解していた。
ガンディアが中心となって結成された救援軍の規模が明らかになるに連れて、反乱軍の勝ち目が薄くなっていくのも理解していたし、反乱軍は敗北し、壊滅するかもしれないということも想定していた。それでもトランは、黒き矛のセツナとの戦闘を期待して、反乱軍から離れなかったのだ。結果、黒き矛のセツナと一瞬なりとも剣を交えることができたのだから、間違った判断ではなかったといえるだろう。堪能したとはいえないが、黒き矛のセツナの評判がまったくの嘘ではなかったことがわかったのだ。良い経験になった。つぎに戦う機会があれば、今度はもっと堪能しようと思うくらいには、トランはセツナとの戦いを楽しんでいた。
トランはそれでいいが、反乱軍はそうではない。
負け続け、戦力も幹部も失い続けている。
反乱軍そのものの兵数は半減し、戦力となる駒もそれほど多くはない。反乱軍指導者ゲイル=サフォーと、トランくらいのものかもしれない。ヌァルドは戦力にはなるまい。一応、騎士団がいるものの、これまでの戦いを見る限りは、彼らにどれほど期待していいものかわからなかった。
十三騎士は確かに強い。
トランは、セツナとの戦いの中で、はじめて十三騎士の実力を見、肌で感じた。ドレイク・ザン=エーテリアとカーライン・ザン=ローディスのふたりは、並の戦士では到達できない高みに至っており、その圧倒的な力は、トランを昂揚させたものだ。そんな彼らとトランの三人を相手に防戦一方ながらも戦い抜いたセツナの強さたるや、凄まじいというほかない。
そうなのだ。
十三騎士がいかに強かろうと、セツナのほうがそれ以上であり、一対一ならばセツナに軍配が上がるのは明らかだった。一対一ならば、トランもセツナに押し切られたかもしれない。それくらい、セツナは強かった。
だが、サントレアには現在、三人の十三騎士がいる。ドレイク、カーラインに加え、サントレアに入っていたルヴェリス・ザン=フィンライトだ。また、ヘイル砦の守備についていたふたりも合流することがわかっており、そのふたりが合流すれば合計五人の十三騎士がサントレアに集うことになる。十三騎士が五人だ。十三騎士ひとりひとりの実力はほぼ横並びであるという。つまり、黒き矛に及ばぬながらも肉薄する強者が五人もいるということであり、その五人が力を合わせて黒き矛に当たれば、たとえセツナといえでもたちまち窮地に陥ること疑いようがない。
勝ち目は、ないわけではないのだ。
まずはセツナを落とす。
そうすれば、救援軍の士気はガタ落ちになるのは明らかだ。
それから救援軍総大将を討てばいい。救援軍はガンディア王レオンガンド・レイ=ガンディアの呼びかけによって結成されたという。レオンガンドが死ねば、救援軍が瓦解するのは道理だ。そうなれば、反乱軍が盛り返すのも不可能ではないだろう。瓦解した救援軍を蹴散らし、各都市を再度制圧していけばいい。時間はかかるだろうが、十三騎士が五人もいるのであれば、不可能ではない。
「そこまで上手く行けばいいのですが」
クユンが、トランの考えを聞いて、難しい顔をした。常に真面目な表情を浮かべている彼女だ。難しい顔も似合っている。
「セツナってひと、先生並みに強かったですしねえ」
アニャンは、そういった。トラン並みに、というのはトランのことを気遣っての発言なのか、彼女にはそう見えたのか、どちらなのかはトランにはわからない。おそらくは後者だろう。彼女がそこまで気遣う道理がない。むしろ、ずけずけと思ったことをいうのがアニャンという女性だ。だから弟子として引き受けたというのもある。
「猫耳姫も可愛かったなぁ」
「獣姫が可愛いのは関係ないだろう」
「関係あるよぉ、みんな骨抜きにされちゃうでしょぉ」
「戦闘中だぞ。見惚れるものがいるものか」
「そうなのぉ? わたし、見とれちゃったんだけどぉ」
「……だと思ったよ」
クユンが返す言葉もないとでも言いたげな表情で嘆息を浮かべた。アニャンはなぜ彼女がそんな反応をしたのかわからないのか、トランに助けを求めるように顔を向けてきたが、トランはなにもいわず、そっぽを向いた。アニャンには緊張感というものがなく、常に我が道を行くところがある。どのような苛烈な戦闘中であっても自分を見失わないという点では優秀といってもいいのかもしれないが、彼女の場合、個性が強烈過ぎるのだ。クユンやトランを困らせることしばしばだった。
(それもいいが)
トランは窓の外、日が落ち始めているのを眺めながら、アニャンがクユンに猫なで声を上げているのを聞いていた。
サントレアを巡る攻防は、すぐには始まるまい。
救援軍とて準備が必要だ。
反乱軍、騎士団が勢揃いしている以上、激戦になるのは明らかなのだ。
救援軍も戦力を糾合し、サントレアの攻略に乗り出すだろう。
「あのいいざまはない」
「わたしたちには実感なのにねえ」
ドレイクとルヴェリスが肩を竦めたのは、会議室を出てからのことだった。無論、ゲイル=サフォーの発言について言及している。
騎士団ほど血塗られた組織はない。革命のため、大義のために数多の同胞を手に掛けたのは、騎士団も同じだ。ただ、反乱軍と異なるのは、感情の激発ではないということだ。確実な勝利を見据えた上での反乱であり、実際に速やかに勝利を収め、革命を成し遂げている。反乱軍のような誇大妄想家の集まりとはわけが違う。
「まったくですね。しかし、まあ、いいでしょう。ああまで言い切られたからには、戦うよりほかありません」
ゲイルの激怒によって幕を閉じた会議の結果、なし崩し的にサントレア防衛のための戦いが行われることになってしまったのだ。
「そうねえ。戦うしか、ないわよねえ」
「望むところだ」
「やっぱり戦いたくて仕方がなかったのね」
「当然だ」
“神武”のドレイクは、ルヴェリスのため息混じりの一言に嬉しそうに口の端を歪めた。彼としては、つぎもセツナとやり合いたいのだろう。
ドレイクにとっては戦いが全てだ。