第千二百九十九話 ”疾風”のシヴュラ
ヘイル砦上空から降り注いだ光の柱が砦そのものに大打撃を与えのは、遠目にも明らかだった。雷雨の闇の中、夜空に瞬く雷光よりも遥かに強大で鮮烈な光が幾度となくヘイル山を襲い、破壊の嵐を巻き起こす光景は神罰が下されたかの如きであり、その光景を目撃したものの多くは、なにが起こったのかわからないまま呆然としただろう。
シヴュラ自身、呆然とせざるを得ない。
最初、それが起きたとき、我が目を疑ったものだ。神の裁きが下されたかのような光の柱の連続攻撃。徹底的な破壊。山砦は粉々に破壊され、数多くの反乱軍兵士が巻き込まれただろうことは想像に難くない。
救援軍に属する武装召喚師の仕業に違いないのだが、とても、ひとつの召喚武装がなせる業とは思えなかった。距離の問題もあるし、攻撃範囲の問題もある。救援軍部隊は、ヘイル山麓に到達しようとしていたとはいえ、砦に立ち入ったものはひとりとしていない。だれひとりとして、騎士団の防壁を突破していないのだ。つまり、砦を破壊した武装召喚師は、ヘイル平原の戦場からヘイル砦、いや、ヘイル山全域を攻撃したということになる。だとすれば常識はずれにもほどがあるというものであり、いくら召喚武装の能力が人智を越えたものであるとはいえ、あまりにも強すぎるといわざるをえない。
(まるで彼の“天弓”だな)
とはいえ、“天弓”ほどの制限がなさそうなのがその召喚武装の恐ろしさであり、彼は、その召喚武装がどのようなもので、使い手がどこにいるのかを探る必要があると認識した。だが、同時に、そんな時間が残されていないことも悟る。
(厄介な)
やがで光が消えても、闇が完全に戻ることはなかった。ヘイル砦の各所で火が上がり、ヘイル山そのものが炎上し始めたのだ。しかし、幸か不幸か、凄まじいまでの豪雨がヘイル山の全焼を防ぐに違いなく、燃え盛る炎の勢いもすぐに衰えていった。どれくらいの反乱軍兵士が巻き込まれたのかは想像もつかない。百人は軽く超えているだろう。砦に住んでいる一般市民はおそらく無事だ。反乱軍は、その掲げる大義の性質上、市民をとにかく大切に扱っている。今回の戦いが始まる前も、一般市民の避難を最優先に動いていた。そういう意味では、シヴュラは反乱軍幹部ジード=アームザイストに好意を抱いたが、指揮官として有能かどうかはまた別の話だ。
ジードは無能な指揮官だった。
籠城戦を主張した。戦力差的に考えて無理があるということを進言しても、彼は聞き入れようとはしなかった。サントレアとレコンドールの仲間が援軍を送ってくれるといって聞かなかったのだ。シヴュラたちの出撃は独断であり、反乱軍の意志とは無関係のものなのだが、籠城戦に意味がない以上、ここは打って出るしかなかった。
指揮官を打ち取り、救援軍の戦意を下げることができれば、反乱軍が持ち直すことも不可能ではない。
危うい賭けだが、なにもせず、ヘイル山が救援軍に侵蝕されていくのを待つよりは、いい。
そうして始まった戦いは、シヴュラたちの思惑通りには運ばなかった。ハルベルトは前線に出てきていたガンディアの大将軍を狙ったが、上手くいかなかったようだ。敵武装召喚師に阻止されたらしい。シヴュラも同じだ。本陣に向かって単騎突撃していたところを敵武装召喚師に阻止されてしまった。
目的を果たすには、敵武装召喚師を倒すしかない。そう思い、戦ううち、状況が一転した。
防衛するべきヘイル砦が破壊されてしまった。
「時間稼ぎか」
シヴュラは、敵武装召喚師が吐いた言葉を反芻しながら、彼に向き直った。幻装化した三叉槍を適当に構えながら、相手の出方を伺う。相手は三人。ひとりはルウファ・ゼノン=バルガザール。召喚武装を展開した様は天使のような姿といっていい。若い男だが、技量はある。《獅子の尾》副隊長として場数を踏んできただけのことはあるのだろう。
ひとりは、カイン=ヴィーヴル。ガンディアの仮面の武装召喚師といえば、カイン=ヴィーヴルを除いてほかにはいない。王宮特務と呼ばれる組織の一員らしいが、王宮特務がどういう組織なのかまでは判明していない。ただ、カイン=ヴィーヴルが凄腕の武装召喚師だということはとっくにわかっている。彼もまた、ガンディア軍になくてはならない戦力のひとりだ。
最後は、ウル。カインと同じ王宮特務に所属する女は、喪服のような黒装束を纏っているが、どういう武器を使うのかは不明だった。ウルに関してはどういう理由で王宮特務に配属されているのかは不明であり、カインと親密らしいという情報くらいしか入ってきていない。一見、戦闘能力は一切なさそうだが、警戒する必要はあるだろう。
その三人以外にも敵兵が多数、シヴュラの前方にいる。ルウファとカインの戦闘の邪魔にならないよう、攻撃をしてくることはなかったが、盾兵の後方に待機した弓兵たちは、いつでも射撃できるよう準備しているようだった。ただそれらの兵士たちもいまは呆然としている。ヘイル砦を襲った光の柱については、救援軍の兵士たちも知らされていないのかもしれない。
「な、なな、なんですの!? あれは!?」
「ミリュウさんがやってくれたんですよ」
取り乱すウルを宥めるように、ルウファがいった。ミリュウ。ミリュウ=リヴァイアのことだろう。ザルワーン出身の武装召喚師であり、王立親衛隊《獅子の尾》の隊士。ベイン・ベルバイル・ザンラナコートを翻弄するだけの実力を持った武装召喚師だということはわかっている。召喚武装の能力もある程度は判明しているのだが、ベインらの持ち帰った情報からは、ミリュウとその召喚武装で砦に壊滅的な打撃を与えるとは考えられない。
しかし、ルウファの自信と確信に満ちた口ぶりからは、ミリュウ本人が成し遂げたのだろうことに間違いはないのだろう。
「ほう。ミリュウ=リバイエンか」
「リヴァイア」
「ん?」
「ミリュウ=リヴァイアですよ。お間違えなきよう」
「これは失礼」
ルウファとカインは、そんなやり取りをしながらも、こちらへの注意を忘れてはいない。降り頻る豪雨が体温を奪っていく中、集中力を一切途切れさせることなく戦い続けられるのは、さすがは歴戦の猛者といったところだろう。シヴュラは、彼らに敬意を持つとともに、油断してはならないと再び己を戒めた。
「澄まし顔をしたところで、わたしは誤魔化されないわよ!」
「なにがだ」
「あなただって驚いていたでしょ!」
「それがどうした」
「どうしたじゃないわよ!」
「……はあ」
肩をすくめ、おもむろに嘆息するカインに対し、ウルがまだまだいい足りないといった風だったが、シヴュラが動くと即座にカインの背後に隠れた。見た目通り、戦闘力そのものはないらしい。ではなぜカインに連れてこられたのかはわからない。なんらかの能力を秘めた召喚武装でも持っているのかもしれない。
「……これで君らの勝利は決定的か」
「そういうことです。どうです? 投降しては」
「投降? ありえぬことだ」
「でしょうね」
「それに、まだ終わってもいまい」
「終わりますよ。砦が落ちれば、ここであなた方が戦う理由はなくなる」
「砦が落ちれば、な」
シヴュラは、三叉槍を頭上で旋回させた。穂先から巻き起こる竜巻がシヴュラ自身を包み込み、上空へと打ち上げる。急激な上昇がもたらす肉体への負荷に歯噛みしながら、さらに加速する。ルウファのシルフィードフェザーを振り切るには、速度が必要だ。速度を得るためには、みずからが竜巻そのものになるほかない。
「まだ、砦は落ちてはいないよ」
シヴュラは竜巻の中でいった。
確かに、砦は破壊された。
徹底的に。それこそ、丁寧に、整地するかの勢いで破壊されてしまった。多くの反乱軍兵士が巻き込まれて命を落とすか負傷しただろう。それはわかる。だが、まだ落ちてはいない。シヴュラにはわかる。反乱軍幹部ジード=アームザイストが生きていて、立て直しを図っているだろうことは想像に難くない。彼は、砦の内部にいたのだ。隠れていたのだ。破壊に巻き込まれるような場所にはいなかっただろう。
彼が生きている限り、落ちたとはいえない。
「行かせませんよ!」
竜巻の外側から聞こえたのはルウファの声だけだったが、シヴュラを猛追するのは彼ひとりではない。カインもウルを抱えながら追いかけてきているのがわかる。彼の背に生えた竜の翼は空を飛ぶためのものだったということだ。
「勝手に行くさ」
シヴュラは適当に告げると、竜巻の角度を変えた。急激な角度の変化により、視界はめまぐるしく変わる。雷雲の空から泥まみれの大地へ。兵士たちの頭上を竜巻とともに越えていく。数多の弓兵が射落とさんと発射した矢は、防壁としても作用する竜巻に弾かれるか巻き込まれるかして、シヴュラに届くことはなかった。ルウファの攻撃も、カインの攻撃もだ。しかし、ルウファの風を用いた攻撃は、シヴュラの竜巻の力を減衰させる効果があるらしく、そう何度も受けている場合ではなさそうだった。だからといって回避できるような代物でもない。シヴュラは、自分を包む竜巻を強化しながら、とにかく前進するしかなかった。
敵兵たちを巻き込みながら突き進むうち、本陣が見えた。これまた千人規模の将兵に守られており、救援軍の規模が反乱軍を大きく上回っていることが目に見えて明らかだった。
(まともに戦うのが馬鹿らしくなるな)
反乱軍だけではかなわないのは当然として、騎士団としても本腰を入れなくてはならないくらいの規模。救援軍の総兵力は、騎士団の総兵力を遥かに上回っているのだ。当然だろう。とはいえ、戦力の質はというと、総合的には騎士団のほうが上だと思いたい。
騎士団には神卓に選ばれし十三騎士がいる。この時点で騎士団の戦力は圧倒的だ。
対し、救援軍の特筆するべき戦力といえば、黒き矛のセツナくらいのものであり、後は十三騎士が全力を発揮すれば、どうとでもなる相手だ。
(全力を発揮することが許されるのであれば、だが)
そんなことはありえないと、シヴュラは苦笑した。
竜巻の急速接近に、救援軍本陣が慌ただしくなる。弓兵が一斉に矢を放ち、追い散らそうとするが、シヴュラにはただの矢は届かない。竜巻の防壁がすべて弾き返すからだ。後方からルウファの風弾とカインの攻撃が迫り来るのだが、それも意味を成さない。ルウファの力で竜巻がどれだけ勢力を弱めようと、シヴュラの精神力が続く限り強化し直せばいい。
本陣の防衛網上空を通過し、本陣へと至る。本陣を護るのは、ガンディアの王立親衛隊《獅子の爪》と《獅子の牙》。ガンディア国王レオンガンド・レイ=ガンディアの剣と盾だ。それらがいかに精強であろうと、いまのシヴュラには相手にならない。上空から地上へ。地面すれすれまで高度を下げると、竜巻が地面をえぐり、泥になった土砂を巻き上げながら周囲の兵士を吹き飛ばした。前進。
「行くぞ、ラクサス!」
「ああ!」
派手な鎧の騎士がふたり、シヴュラの眼前に飛び込んでくるが、彼は相手にもしない。ひたすら前進し、騎士たちを吹き飛ばす。シヴュラの目は、救援軍総大将レオンガンド・レイ=ガンディアを捉えている。銀獅子の甲冑を身に纏った若き王。床几に腰を下ろした彼は、竜巻の接近を目の前にしても身動ぎひとつしなかった。まるで己の勝利を疑っていないかのようだった。銀光がシヴュラの視界に走った。レオンガンドの周辺に張り巡らされた鉄の糸が雷光を反射したのだ。
鉄の糸の結界。
(無駄だ)
シヴュラは竜巻そのものとなっていた。鉄の糸の結界を突き破りながら、レオンガンドに肉薄する。本陣は既に壊滅状態。残っているのは、レオンガンドひとりだけといった惨状。それなのに、レオンガンドは動こうともしなかった。
シヴュラは、三叉槍を伸ばした。
三叉槍の切っ先がレオンガンドに届こうとした瞬間、光が瞬いた。
『駄目よ』
脳裏に声が響き、シヴュラの視界が真っ白に塗り潰された。衝撃がくる。破壊的な暴圧。蹂躙され、肉体が粉々に砕け散るのではないかという錯覚。三叉槍が破壊されたのは間違いない。同時に竜巻が消し飛び、肉体を覆う鎧も吹き飛ばされた気がする。体はどうか。激痛が全身を襲っている。死を知覚した。これほどまでに死を身近に感じたのは、久々だった。十三騎士となって以来、初めてのことかもしれない。
「シヴュラさん!」
ハルベルトの声が聞こえたことが不思議という他ない。
「だいじょうぶです、わたくしがついていますから!」
ハルベルトの自信に満ちた声に励まされているという事実に、彼は苦笑を禁じえなかったが、同時に、彼を頼もしく思っている自分に気づいたりもした。