第十二話 ファリア=ベルファリア
「わたしは、大陸召喚師協会ガンディア支部カラン地区担当官ファリア=ベルファリア。彼女は、エリナ=カローヌ」
「よろしくなの!」
「はあ」
セツナが、生返事を浮かべてしまったのも無理はなかっただろう。彼女――ファリア=ベルファリアの自己紹介があまりにも唐突でありすぎたのだ。エリナの元気一杯な挨拶はともかくとして、だ。
セツナが全身を苛む激痛にひとしきり悶えまくった直後、である。
セツナは、痛みとの格闘をなんとか引き分けに持ち込めたことに安堵していたのだ。そんなとき、突然に自己紹介をされれば、反応が疎かになってしまうのも仕方がない。とはいえ、ほかにどのタイミングで彼女が自分の存在について語りだすべきか、セツナには想像もできなかったが。
「えーと」
セツナは、とりあえず、言葉を捜して視線をさまよわせた。ベッドの上、上体を起こすことさえもはや諦めている。体を動かすだけで激痛が生じるのだ。それならいっそのこと、動かないほうが賢明な判断に違いない。
視界が横向きに固定されるのは不便に他ならないし、行儀も悪いのだが、見栄を張って体中の痛みと戦い続けるなど、考えるだけで恐ろしい。
ファリアは、ベッドで横向きに寝ているセツナのすぐ目の前にいた。天幕内にあったらしいパイプ椅子に腰かけている。膝の上に乗せた書類らしきものに手を置き、こちらを見ていた。
エリナはというと、ベッドの縁に腰掛け、セツナに向かって笑いかけてきたり、ファリナに笑顔を見せたりしていた。愛らしい少女だ。
セツナは、できる限り体に力を入れないようにして、嘆息した。
「なにがなんだかよくわからん」
「でしょうね。わたしにも、よくわからないのです」
と、即座に同意してきたファリアではあったが、彼女の「よくわからない」とセツナの「よくわからない」では意味がまるで違うのだろう。
セツナが理解できないのは、ファリアのことを含めたほとんどすべてのことである。この世界に関する事柄は無論のこと、武装召喚の知識さえも持っていないのだ。
なにも知らないのとほとんど同じだろう。セツナは、その事実を愕然としながらも、認めた。しかし、必要であろう知識ひとつ教えてくれなかったアズマリアへの悪態は、不思議と湧いてこなかった。尋ねる。
「なにが?」
「まず、あなたがなにものなのか。ざっと書類に目を通し、支部に問い合わせても見ましたが、あなたのような武装召喚師の情報はありませんでした。つまり、未登録の武装召喚師ということになります。そして、未登録の武装召喚師であるあなたが、なにゆえ、命の危険を冒してまでランス=ビレインの暴走を止めてくださったのか。それは、本来ならば、要請を受けた協会の仕事であり、協会に所属する武装召喚師たるわたしの役目だったのですが」
澱みなく言葉をまくし立ててきたファリアに、セツナは少なからず呆気に取られてしまった。
「あ、いや、まあ、なんだ。少し、落ち着こう」
「わたしは落ち着いています。ではまず、あなたはなにものなのですか? 見たところ、この国の方ではないようですが……」
「ああ、そうだな。俺はこの国の人間じゃない」
(そもそもこの世界の人間ですらないんだけどな)
それは、ここで言うべきことではないような気がした。見知らぬ世界。無用な混乱を起こすような真似はできる限り避けるべきだろう。もっとも、セツナ自身、自分のその考えを守りきれるかどうか自信はなかったが。
なにせ、猛火に包まれた街に突っ込んでしまったという前科がある。結果的に生きているからいいものの、命を落とすことも十分にありえたのだ。セツナは、今更ながら背筋に寒いものを感じていた。
「俺は神矢……セツナ=カミヤ。見ての通り、ぴっちぴちの十七歳!」
セツナは、体が自由に動くのならば、全力で跳ね起きて、あまつさえ指でピースサインを作るほどの勢いで叫んでいた。そして、激痛にうめく。大声を上げすぎたのだろう。
エリナがくすくすと笑っているのは、セツナが、元気よく声を張り上げた瞬間に苦痛に悶えたからだろう。とはいえ、恨めしげに彼女を見遣ることはない。すべて、己の責任である。
「セツナ=カミヤ……カミヤ……?」
「いや、引っかかるところはそこじゃないから!」
怪訝な表情で彼の名を反芻するファリアに対し、セツナは、恥ずかしさのあまり顔面を真っ赤に燃え上がらせた。
それは、軽くボケたつもりが、まったく気づいてもらえなかったときの恥ずかしさに似ていた。もちろん、セツナはボケたつもりはない。ただ、全力で空回りしただけだ。
「いえ、すいません。どこかで聞いたことがあるような気がしてものですから。それでは、セツナ=カミヤさん――」
「ちょっと、待ってくれ」
セツナは、ファリアのせりふに割り込むようにして言った。彼女の言葉には多少の引っ掛かりを覚えたものの、セツナには、そんなことよりも気になることがあったのだ。
「はい?」
「さっきからすっごく気になってたんだが、なんでそんな口調なんだ?」
「変ですか?」
ファリアが小首を傾げる。その仕草は、彼女を必要以上に幼く見せた。その瞬間だけ、美人というよりは可憐な少女そのものであり、セツナは、目を瞬かせた。それは、一瞬の幻視だったのかもしれない。答える。
「……いや、変じゃないんだけど、さ。なんか歯痒いというか、こそばゆいような、なんというか、その、ざっくばらんに行こう!」
要するに、セツナは、堅苦しいのが苦手だったのだ。硬い口調で長々と会話するなど、拷問以外のなにものでもないと思っていた。敬語ひとつまともに使えないのだ。それは学生の身分としてもどうなのだろうと、彼自身思わないでもなかったが、社会に出るまでに否が応でも身につくだろうと高をくくっていたのだ。
そうしたら、異世界に召喚されてしまった。
「セツナさんがそう望まれるのでしたら」
「セツナでいいよ。どう見ても俺のほうが年下だし」
セツナは、言ってから、女性に年齢の話題は禁句だったかとも考えたが、一方で、二十代前半にしか見えない相手になら構わないのかもしれないと思い返した。まだしも、年齢を気にするような年頃ではないだろう。もっとも、それはセツナの浅慮かもしれないのだが、この際、彼は深くは考えないことにしていた。
「そう? じゃあ、セツナ。もう少し、質問してもいいかしら?」
「ああ。俺もいろいろ聞いておきたいことがあるし」
セツナは、ファリアの様子に特別な変化が見受けられないことに安堵した。
そして、寝たままというのは、どうにも辛いものだと思い始めてもいた。第一に、無作法極まりない。こちらが動けないのは彼女も知っているのだろうが、それにしたって、行儀が悪いことに変わりはないのだ。それはよくない。
作法にうるさい家庭に育ったわけではないし、堅苦しさとか敬語は苦手なのだが、なぜかセツナは、ひと前での行儀だけは気になった。なぜなのかは、本人にもよくわからない。親の影響なのか、どうか。
セツナは、思案した。なんとかして、全身の痛みを抑えられないものだろうか。
痛み。
全身を焼いた猛火の残り火の如き、大火傷の痛みではないような気がする。そういう外傷を起因とする痛みとは、なにかが根本的に違うのだ。
(体が動くと痛い……か)
胸中つぶやいて、はっとセツナは気づいた。それは世紀の発見のようでもあり、灯台下暗しのようなものでもあり、そうかと思えば、どうでもいい答えのような気がしないでもなかった。全身から力が抜けるのを止める気力すら湧かない。
(筋肉痛かよ)
セツナは、ただただ、胸中で突っ込むしかなかった。