第千二百九十三話 開戦目的
マルディア救援軍本隊がヘイル砦南部に部隊を展開し終えたのは、三月十九日午後のことだ。
ヘイル山そのものを要塞化したヘイル砦を多方向から攻撃するという作戦のため、救援軍本隊はヘイル山南部に部隊を分けて布陣していた。ヘイル山南部に広がるヘイル平野に布陣した本隊の内訳というのは、ガンディア方面軍第一から第五軍団、ガンディア王立親衛隊三隊、王宮特務、ルシオン白聖騎士隊、メレド白百合戦団、マルディア政府軍というものである。マルディア到着時、本隊に振り分けられていたジベルの黒き角戦闘団がいないのは、シールダールの防衛戦力として置いてきたからだ。元々、ジベル軍が救援に積極的ではないということもあり、戦場に連れて行ったとしても決して良い働きをしてくれないだろうという見立てから、シールダールを任せるという判断に至ったという。
黒き角戦闘団の兵数は二千。二千もの兵力を失うのは痛いが、戦闘に役立てようにないというのであれば、形だけでも都市の防衛についていてもらうほうが何倍もましだという考えらしい。シールダールはヘイル砦を攻略する本隊にとっては生命線なのだ。ヘイル砦攻略中、もしもシールダールが反乱軍によって制圧されれば、本隊にとって大きな痛手となる。二千もの兵がシールダールに入っていれば、反乱軍も容易には攻めこむことはできないだろう。そういう判断が、ジベル軍をシールダールに置いておくという結論を導いたというのだが。
正直なところ、ジベル軍を置いておくための理由を無理やり考えだしたような印象を受けなくはない。
ジベル軍の士気が極端に低く、ジベル軍を連れて行くことによる悪影響を考えれば、どこかで本隊とは別行動をさせるべきだというのは、ファリアにもなんとなくわかっていたことだ。このままジベル軍を戦いに連れて行けば、ジベル軍の士気の低さに引きずられ、ガンディア軍の弱兵が弱兵のまま戦場に赴くことになるかもしれない。そういった愚を避けるため、ジベル軍をシールダールの防衛にあてがったのではないか。
シールダールが反乱軍の攻撃に遭う可能性は極めて低い。
シールダールに程近いレコンドールが救援軍第二別働隊の手によって落ちれば、反乱軍がシールダールに攻めこむ際の拠点を失うからだ。ヘイル砦をシールダール攻略の拠点にするには遠すぎる上、ヘイル砦へと行軍中の本隊と激突せざるを得ない。大きく迂回したとしても、救援軍本隊の索敵範囲に接触し、戦闘となるだろう。反乱軍としては、そのような分の悪い賭けに出るくらいならば、ヘイル砦に篭もり、迎撃戦の準備を整えている方がいくらかましだろう。
ともかく、ジベル軍という戦意の低い軍勢と別れた本隊は、そのまま北上、ヘイル平原にて部隊を展開したというわけだ。
本陣は、ヘイル平原南部に設定されており、当然、ガンディア国王レオンガンド・レイ=ガンディアとその親衛隊が布陣している。ガンディア方面軍第一軍団がその前方に配置され、さらにその先には第四、第五軍団が展開している。第二、第三軍団はヘイル平原北部、ヘイル山の麓を目前に控えた場所に布陣しており、大将軍アルガザード・バロル=バルガザールは、前線指揮を取るべく、自前の軍勢とともに最前線にいた。後方から全軍に指示を飛ばすのは、参謀局第二作戦室長アレグリア=シーンの役目のようだった。
メレド白百合戦団はヘイル平原北東部に、マルディア政府軍は北西部に配置され、ルシオン白聖騎士隊は、メレド軍とガンディア軍の間に位置しており、ガンディア軍とマルディア軍の間の空白地帯にファリアたち《獅子の尾》は配置されていた。
《獅子の尾》は王立親衛隊でありながら、王の側に控えているのではなく、戦場を縦横無尽に駆け回り、味方を遊撃するのが役割なのだ。だから、たった三人の部隊にも関わらず、一個の軍団のように扱われたりする。
「ということで、我々は騎士団の部隊を見つけ次第蹂躙しつつ、十三騎士を受け持つことになったわけですが」
鉛色の空の下、ルウファが今作戦における《獅子の尾》の役割を説明した。たった三人の部隊において、彼が隊長代理を務めている。隊長の不在は、《獅子の尾》の士気をとことん下げているのだが、それも致し方のないことだ。《獅子の尾》の戦力そのものが隊長に依存しているといっても過言ではない上、隊士のひとりが、精神的な面でも隊長に依存しているのだ。戦力的なことを考えれば、《獅子の尾》隊長だけが別働隊に配属されるというのはよくわかることで、ミリュウも頭では理解しているのだが、心では納得出来ないところがあるようで、マルディオンにて部隊を分けることに決まったとき、大騒ぎに騒いでいたものだった。
そのときは、セツナが戦いが終わったら甘えるだけ甘えていいと言い放ったこともあって落ち着いたのだが、セツナと離れて何日も経過すると、彼女の中のセツナ不足が爆発的に増大し、不満となって現れ始めていた。
「はいはい、しつもーん」
と、ミリュウが手を挙げて、ルウファに話しかけた。ミリュウがどことなく機嫌が良さそうに見えるのは気のせいという他ない。本当は不機嫌極まりないのだが、そんな顔をしているとセツナに嫌われる、というファリアの発言が彼女の心に直撃したらしく、それ以降、表面上は機嫌よく取り繕っているのだ。さすがはザルワーンの貴族出身だけあって、感情を偽るのは得意らしかった。
「はい、ミリュウさん」
「十三騎士ってベインとかシドみたいなやつでしょ?」
「そうですよ。ベノアガルドの騎士団における十三人の幹部。総称して十三騎士と呼ぶようです」
「それは知ってるー」
ミリュウが、ヘイル砦を見遣りながらいった。
ヘイル砦は、ヘイル平原の北の果てに聳えるヘイル山そのものを要塞化した砦であり、救援軍がヘイル平原に展開すると、それに呼応するかのようにヘイル砦側の戦力も布陣を始めていた。《獅子の尾》は前線に配置されていることもあって、ヘイル山の様子もよく見えていた。砦には騎士団の旗がはためいており、騎士団の援軍が反乱軍と合流したことを主張しているかのようだった。
「あんなのとまともにやり合うってわけ? 大変じゃない?」
「まあ、大変ですね」
「あら、自信がないのかしら?」
「ちーがーうー」
ミリュウが駄々をこねるようにいってくる。いつものことだ。少なくとも、ここ数日はいつもそうだった。幸い、彼女は場を弁えることができるため、《獅子の尾》関係者以外のほかのだれかがいるとき、いる場所ではそういった発言は一切しないのだが、ファリアたちの前では遠慮がなかった。それだけファリアたちに気を許してくれていると考えれば、可愛くも思えるのだが。
「十三騎士と戦うのに、セツナがいないのはどういうことよー!」
「そりゃあ、隊長は第二別働隊の主力ですから」
「そうよ。セツナはいまごろ第二別働隊で頑張ってるわよ」
セツナの不在は、《獅子の尾》にとっても、救援軍本隊にとっても大きな痛手というほかない。しかし、救援軍全体の戦力の調整を考えれば、致し方のないことだ。それに第二別働隊に配備されたのは、セツナ個人ではなく、セツナ軍だ。セツナ軍は、人数としては少ないものの、戦力としては特筆に値するほどのものであり、セツナ軍の第二別働隊への参加は、第二別働隊の士気を大きく上げるものとなった。きっと、レコンドールはセツナ軍の活躍によってあっという間に奪還できることだろう。
「第二別働隊で、シーラとか、レムとかといちゃいちゃしてるんだ!」
「なんでそうなるのよ」
「だって、そうとしか考えられないじゃない! ああん、あたしのセツナが汚されていくー」
ひとしきりまくし立てていやいやをする赤毛の美女を認め、ファリアは憮然とした。ミリュウはだれが見ても美女というに違いない容貌の持ち主だ。容姿、体型、どれをとっても異性が放ってはおかない、そんな美女なのだが、彼女のそういった言動を見たり聞いたりした男は、彼女に近づこうとも思わないのではないか。もっとも、セツナ以外のだれに敬遠されようと、嫌われようと、彼女は頓着しないだろうし、気にもとめないだろう。
それがわかるから、ファリアは肩をすくめるのだ。
「なんなのこの子」
「ずっとこんな感じですし、放っておきましょうか」
「そうね」
ルウファの一言に軽くうなずく。
ミリュウに構っている場合ではないのは、確かだ。ファリアたちは既に戦場に出ている。戦いがいつ始まってもおかしくはなかった。ヘイル砦の反乱軍が部隊を差し向けてくれば、その瞬間、開戦となる。救援軍としては、明日の朝に戦端を開きたいところだが、敵の動きばかりは制御できるものではない。注意深く、ヘイル砦の様子を伺うしかないのだ。
「ひどい、ひどすぎるー、傷心の乙女を放置するなんて」
「乙女?」
「だれが?」
「そこなの!? 引っかかるのそこ!?」
ミリュウが愕然と目を見開く。
ファリアは本日何度目かのため息をつくと、彼女に近寄った。ミリュウは、その場に座り込んでいた。
「バカいってないでさっさと準備なさい。セツナのことを思うのなら、なおさらよ」
「うう……わかってるわよう。あたしはただセツナに逢いたいだけじゃない。セツナ分が不足してるのよう……」
「だったら、さっさとヘイル砦を落としてしまえばいいのよ」
「どうしてそうなるのよー……」
「ヘイル砦を攻略すれば、つぎはサントレアよ。上手く行けば、セツナたちと合流できるわ」
もちろん、すべてうまく行っていれば、の場合だ。シールウェール、シクラヒム、レコンドールの奪還が上手く行っていれば、ヘイル砦のつぎはサントレアになる。そして、サントレアを奪還し、反乱軍を殲滅することができれば、マルディアの救援は完了となる。が、そこまではいわなかった。
「セツナと合流できるの!?」
ミリュウがファリアの手を取って、目を輝かせた。彼女の目の眩しさには、ファリアも笑うしかない。
「できるかもしれないってだけで……」
「セツナと……一緒……!」
「ほんと、この子どうしちゃったのよ」
「なんていうか、全然話を聞いてくれませんね」
ルウファは軽く肩をすくめると、笑いかけてきた。
「でも、ファリアさんもどうしたんです?」
「ん? なに?」
「不機嫌そうですけど」
ルウファの一言は、予期せぬものであり、ファリアは彼を見た。
「わたしが不機嫌? どこか?」
「そういうところが……いや、じょ、冗談ですって」
「冗談ね」
「は、はい」
ルウファがほっとするのを横目に見やってから、もう一度ミリュウに視線を向ける。ミリュウは準備運動をしながら、ヘイル砦に向かってなにやら叫んでいた。
「さて、あの子のやる気が出たのはいいけど、問題はあるわね」
「十三騎士を相手にするのは簡単なことじゃないですからね」
「ええ」
ファリアは、小さく頷くと、アレグリアから聞いた話を思い返した。ヘイル砦には、騎士団の部隊が二隊、入っているという。二隊。十三騎士がふたりいる可能性が極めて高い。騎士団がどういう構造の組織なのかいまいちよくわからないのだが、アバードの例を考えると、騎士団の大部隊を率いるのは騎士団幹部、つまり十三騎士の役目らしいことがわかる。
アバードにおいてベノアガルドが投入した騎士団の兵数は三千。一軍団につき千人の将兵がおり、その頂点に十三騎士がいるようだ。
ヘイル砦に入ったのは二隊。
二千人の騎士団兵とふたりの十三騎士が入っていると考えておいて間違いはないだろう。
だからこそ、ファリアたち《獅子の尾》の負担は大きく、ミリュウがセツナ不在を嘆くのも無理はない。無理はないが、そこをなんとかしなければならないのがファリアたちなのだ。
(このため、ってわけじゃないけれど)
ファリアは、リョハンでの修行を思い出して、拳を握った。力が入る。あれから四ヶ月。
祖母はもう、この世にいないだろう。
リョハンのことを考えると、そのことを思わざるを得ないから、今日までできるだけ考えてこなかった。しかし、強敵と戦わなければならないとなった以上は仕方がない。
直視しなければならない現実でもある。
祖母ファリア=バルディッシュは、あのときですら死の縁にいたのだ。年を越せるかどうか。そんな容体だった。祖母は無事、年を越すことができたのだろうか。
そして、安息を得ることができたのだろうか。
ファリアが思うのは、それだった。
祖母の人生は、戦いの人生だったという。
戦って戦って戦い続けて、ようやく得られたのがリョハンの自由だったが、自由を維持するためには、祖母は女神を演じ続けなければならなかった。女神が、リョハンの結束の象徴であり、リョハンのひとびとの精神的支柱になっていたからだ。女神がいなくなれば、その途端、リョハンのひとびとは柱を失い、結束も綻ぶに違いない。そんな恐れが、祖母をして戦女神であり続けさせた。
死ぬまで、戦女神として毅然と振る舞い続けなければならなかったに違いない。
昔は当然と思っていたことだが、いまならば、そんなわけはないとも思える。
リョハンを離れ、女神後継問題の当事者となった経験が、ファリアに客観的な視野を与えたのかもしれない。
だから、だろう。
ファリアは、祖母が人間ファリア=バルディッシュとして生涯を終えられることを祈り、願っていた。せめて、最期くらいは人間として眠らせてあげたい。
おこがましいかもしれないが、そう想い続けた。
(見ていてください。お祖母様。これがわたし、ファリア・ゼノン・ベルファリア=アスラリアの戦いです)
ファリアは、決意を新たにすると、鉛色の空を仰いだ。
渦巻く暗雲は、嵐の前触れのように思えた。